An outcome
うつし世に限りなく近い隠世の裏街に、うら若き竜の化身が暮らしていた。毎月、満月の夜になると竜のもとへ通ってくる人間の娘があった。年近い兄妹のように仲の良い二人は、縁側で指ずもうをしたりかるた遊びに興じたりしつつ、他愛もない逢瀬を楽しんでいた。
ある夜、人間の娘は喉の渇きを覚えた。隣で竜の若者が月見酒を飲んでいるのが無性に羨ましく思われた。
「それ、おいしい?」
物欲しげな眼差しに気付いた竜はにっこりと微笑み、自らの手にしていた杯を娘に巡らした。
「試してごらん」
白い杯の中には丸い月がぽっかりと浮かんでいた。娘はしばらくそれを見つめていたが、やがてひと思いに杯の中を空けてしまった。酒をあまり口にしたことのない彼女は、夢見心地で竜の肩に頭を預けた。竜は娘の手を握りながら心地よい夜風にその瞳を細めた。
「月がきれいだね」
「──うん」
竜の言葉に頷いた時、娘は何かが急に腹の底からせり上がってくるのを感じた。口元に両手を添えてコロンと吐き出してみると、それはほの白く輝く小さな丸い物体だった。月を呑んだから、月が出てきたのかと、娘は夢見心地のまま″それ″を眺めていた。横から竜の手がのびてきて、″それ″を大事そうに手のひらに掬い取った。
「ハク。──それ、何?」
竜の若者は月下で謎めいた微笑を浮かべるばかり。″それ″をどうするのだろうと娘が不思議に思っていると、彼は縁側から十歩ほどのところにもうけられた小さな池に歩み寄っていき、池の中に″それ″をぱっと落としてしまった。娘は酔いで覚束ない足取りながら、池のそばに近付いて水面を覗いてみる。すると丸い月の中でゆらりと揺れ動くものがある──。それは純白の鯉だった。はらはらと差す月光に照らされて、鱗がキラキラと銀色に輝いて見える。
背後から、竜の若者が娘の肩をそっと抱いた。
「千尋。今夜は、また一段と月がきれいだね」
「──うん」
先刻も同じようなやり取りが交わされたような気がしたが、娘はまた頷いた。竜は一旦彼女から離れた。雪見障子の奥に姿を消したかと思うと、家の中から菓子の袋を持ってくる。紙袋の中には塩煎餅が入っている。彼が丸い塩煎餅を一枚取り出して、半分に割ったものを娘に手渡した。二人は半割れの煎餅を細かく砕いて、池の中の小さな白い鯉に与えた。
「たくさんお食べ」
竜の手の内からぱらぱらと白いかけらが落ちていく。白い鯉はパクパクと水面に口を突き出している。娘はぼんやりと水面に映る月のゆらぎを見つめていた。──絡みあった指と指が、もはや指ずもうに興じていた頃の無邪気さを忘れたように、互いの感触をじっとりとさぐっているのを感じながら。
2022.09.25
Boule de Neige