花売り娘







 公園のベンチに待たせていた人の姿が見当たらない。彼女が座っていたはずのベンチには、見知らぬ幼い姉弟が身を寄せ合いながら腰掛けていた。真っ赤な顔をした弟がグズグズと泣きべそをかいているのを、姉が鼻紙をその鼻先にあてがってやったりして健気にあやしている。摩緒は姉弟のもとへ近付いていき、警戒されぬよう優しく微笑みかけながらたずねた。
「きみたち。少し前までここに座っていた、髪の短いお姉さんを見なかったかな?」
 姉の方が顔を上げ、公園をキョロキョロと見回した。そして小さな指で指し示す方を見れば、噴水の近くに捜していた後ろ姿を見出すことができた。彼は姉弟に礼を言い、花壇を横切って彼女の背後へと歩み寄っていく。
「菜花。待たせたね」
 声をかけると、彼女はひどく驚いた様子で振り返った。摩緒は、鳩が豆鉄砲を食らったようにキョトンとその顔を見つめる。菜花は一人ではなかった。見知らぬ青年紳士と話していたようだ。
「ああ、摩緒。ごめん、ちょっと待っててね」
 そう前置きして、彼女は先の話し相手に向き直る。その手から相手の手に、小さな花束が渡された。
「どうもありがとう、お嬢さん」
 青年はパナマ帽を優雅に脱いで彼女に会釈し、花束を片手に公園の出口の方へと去っていった。摩緒はその背広の後ろ姿と菜花とを交互に見比べる。
「彼は知り合いか?」
「ううん。お客さんだよ。今、ちょっとお手伝い中なんだ」
 彼女は事の経緯を彼に語り聞かせた。先程ベンチに座っていた幼い姉弟は、この公園で花売りを生業としているらしい。ところが弟が今日に限ってひどくぐずるので、姉の方はまるで商売にならない。その様子を見かねた菜花が、姉が弟をあやす間、売り子役を買って出たということであった。いかにも人の好い菜花らしい行動だと思いながら、摩緒は自然と口元をゆるめて彼女の持っている花籠を見下ろした。
「そういうことなら、せっかくだから私も花束を一つもらおうかな」
「本当? ──じゃあ、どの花にしますか? お客さん」
 花売り娘らしく愛想よく笑う菜花。摩緒も微笑みを深めてその手に硬貨を握らせた。
「バラと、水仙と、フリジヤをいただこうか」
「えーと、これと、これと、これですね」
 菜花はバスケットの中から切花を選び、パラフィン紙でひとまとめにした。
「リボンは何色? ──がいいですか?」
「黄色をかけてくれ」
「──はい。じゃあこれ。机の上に飾ってみるといいですよ。すごくかわいいし、癒されますよ」
 摩緒は花束を鼻先に近付けて、その芳しい香りを楽しむ。
「ありがとう。でもこれは、人にあげようと思ってね」
「え、そうなの?」
「うん。かわいいものがとても好きな娘が、身近にいるから」
 菜花はポンッと何かがはぜる音が聞こえてきそうなほど、その顔を赤くした。摩緒は赤や黄色の花びら越しに、その優しげな瞳だけをのぞかせて楽しそうにつぶやいていた。
「喜んでくれると、いいんだけどね」




2022.09.29


Boule de Neige