林間酒を暖むるに紅葉を燒く



 往診からの帰路、なだらかな山道を下る途中で、木々の向こうからかすかに火を焚く匂いがした。彼の後からついてくる菜花も、パチパチと火のはぜる音に気がついたらしく、金や紅の綾錦をまとったような紅葉の木々の奥にじっと目を凝らしている。
「なんだろ。誰かいるのかな?」
「ああ。おそらく、落ち葉を焚いているんだろう」
 足元に敷き詰められた落葉の絨毯をちらと見下ろして、摩緒は言う。秋もたけなわ、紅葉狩りにはうってつけの気候だ。枯れ葉をかき集めれば、そこら中に相当の山が出来上がるだろう。
「ふーん、落ち葉焚きかあ。焼き芋とかするのかな?」
 振り返れば、瞳をきらきらと輝かせて菜花が想像をふくらませていた。
「焼き芋?」
 と摩緒は思わず口元をゆるめて聞き返す。
「私はもっと別のものを暖めているのではないかと思ったよ。例えば、そう──お酒とかね」
「……ええ? お酒? 落ち葉焚きっていったら、やっぱり焼き芋じゃない?」
 意外そうに菜花が目を丸めている。彼はふと笑い、うっかり落ち葉を踏んで少女が足を滑らすことのないように、鞄を持っていない方の手を差し伸べた。
「白楽天の詩にね」
「はく……え、何?」
「白居易という人の詩に、こんな一句がある。"林間暖酒燒紅葉"──つまり、紅葉を焚いてお酒に燗をつける、という意味だ」
 菜花は摩緒の手をとることも忘れ、ポカンとした顔で彼を見つめていた。はらはらと落葉の降りそそぐ中、ゆっくりと瞬きをした摩緒は、少し笑みを深めてみずから彼女の手を引いた。
「千年前の人間にとっては、それが風流だったというわけだよ。──でも、菜花の言うように、焼き芋というのもなかなか良いものだね」
 パリ、パリ、と、足元に軽妙な落葉の音色が響く。その手を取ったまま、摩緒は前へ向き直った。木漏れ日の中をほんの数歩進んだところで、しかしその歩みははたと止まる。後ろをついてきた菜花が、その背にしかと抱き着いてきたのだった。
「私が大人になったら──」
 少女の声は、突如距離を縮めた緊張からか、心なしか上擦っているように聞かれた。
「摩緒が教えてよ。落ち葉で暖めた、お酒の味」
 彼は瞳を見開いた。木々の天蓋から垂れる無数の光の帯の中に、ゆるやかにただようひとすじの煙が見える。ほのかに枯れ葉を焚く匂いがする。チン、と酒器と酒器がぶつかる音が聞こえる。影絵のように、一組の男女が親しげに熱燗を酌み交わす。──来たるべき日の二人の姿をとらえた摩緒は、やや面映ゆいような、それでいてひどく待ち遠しいような気分に駆られて、腹部に回された彼女の腕に自分の手をそっと重ねた。
「いいよ、教えてあげる。──だから、おまえは、ゆっくり歩いておいで」



22.11.08



Boule de Neige