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 今日の夕食は何がいいかと尋ねたら、ヨンは「お腹に優しいもの」と答えた。いつもならば肉だの芋だの量を増やして味を濃くしてと、何よりもまず腹持ちの良さを重視する彼らしからぬ言葉だ。食べすぎで腹が苦しいのだろうか。
「具合でも悪いのか?」
「いや僕じゃなくて、ヤトが少しお腹痛いらしいから軽いのがいいかなって」
「……ああ」
 そう言われてみると今朝は少し居心地悪そうにしていた気もする。彼はまったく、体調を崩しても私に知られないよう隠すのが厄介だ。そうやって無理をして倒れたら余計に周りが迷惑するのだから早めに言いなさい、と叱ろうにも実際には迷惑をかけず最後まで耐え抜いてしまうから手の施しようがない。無駄に根性のあるやつだ。
 そして私は彼の様子を気にも留めないまま、こうやって他人から「実はあのときヤトの具合が悪かった」と聞かされるだけだった。
 ヤトは私に弱音を吐かない。苦痛に蓋をしてなかったことにしてしまう。からくり人形のように心を空にして命じられるままに動く道具であろうと徹底してきた。別に、私がそうしろと言ったわけではない。幼い彼に降りかかった災難はあまりに酷で、人間性を保って生き続けるには悲しみが深すぎたのだ。彼が無感情な私の部下となったのは、彼なりの自己防衛手段だった。
 いま再び平和な暮らしを手に入れたからといってそう簡単に人間らしくは戻れない。辛ければ私に頼れと言えるほどの信頼関係も築いてはこなかった。
 ヤトが独り立ちするまで見届ける気が少しでもあるのなら、私から歩み寄ってゆくべきなのかもしれない。

「腹巻きでも買ってやるか」
「寝冷えしたのかな?」
「あいつは腹を出して寝るんだよ」
「そうなんだ。寝相も大人しいのかと思ってた」
 意外だと微笑むヨンに私も頷いた。彼の寝相が悪いのを知ったのはつい最近のことだった。
 布団を蹴り飛ばし、腹を出してヤトが眠っている。こんなに寝相が悪いとは知らなかった。そもそも寝姿などろくに見たことがなかったのだ。私の前で彼はいつも働いていた。私もまた彼に休む時間を与えなかった。この少年は私の意思を全うするためだけに存在し、人間らしい生活というものを二人とも忘れていた。
 戦いに敗れ、行き場をなくした三人揃ってヨンに拾われ、ここへ来た。赤月と……、クールークと無関係に、軍や紋章や戦争から離れ、かつての自分に戻る術のない場所に隔離されて“普通に”暮らし始め、数ヶ月。何年ぶりに休息を得た気がした。周囲を見る余裕があった。それがいけなかったのだ。月明かりに照らされて物思いに耽る夜、ふと隣を見れば穏やかな息をたてて眠るヤトがいた。
 彼は無防備で、やけに幼かった。まるで無邪気な子供のようだった。何の不安も恐怖も抱かず、親の庇護下ですやすやと眠っている。そんな顔を初めて見た。
 無意識に右手を伸ばし彼の額にかかる前髪をそっとかきあげた。ヤトはくすぐったげに身じろぎし、嬉しそうに微笑んでまた深い夢のなかへと戻っていった。あまりに優しい光景、去来する様々な想いに身を焼かれた。この平穏が愛しく、また疎ましくもあった。
 いつか左腕と共に切り落としてしまった甘い夢をもう一度抱きしめたい、彼から未来を奪ったものに、私から彼を奪ったものに復讐したいと、焦げついた怒りは今も胸に残っているのに。焼き尽くされた故郷の風景は今もありありと脳裏に思い描けるのに。それを塗り潰すように平和がやってくる。
 私はもう振り向いてしまった。義手でも抱ける新たなものに気づいてしまった。虚ろを埋めるべく、今この胸のなかにある存在を、認めてしまった。過去を取り戻そうと足掻くことでヤトの未来を奪い去ってしまうのではないかと、躊躇いを感じてしまうのだ。
 死の商人として生きている時の方がよほど気分がよかった。憎しみに身を任せていれば苦痛などなかったし、罰の紋章を追い求めている間、ヤトの存在を無視している間だけは、あの子が決して戻ってこない事実を直視せずに済んだというのに。

「クレイ。……グレアム・クレイ!」
 どうやら歩きながら考え込んでしまっていたらしい。気づくと目の前に民家の壁が迫り、ヨンが私の腕を掴んで引き留めていた。
「まったく、ぼーっとして危なっかしいな。ほら、手を繋ごう」
「やめろ、気持ち悪い」
「ひどいなぁ」
 苦笑しつつも有無を言わさぬ頑固さで私の右手を取ると、ヨンは再び歩き出した。横顔が程近い位置にある。ヤトとあまり変わらない歳のはずだが、こうして間近で目にするとヨンの方が随分と大人びて見えた。
「いろいろ考えてるらしいな、クレイも」
「暑さでぼーっとしていただけですよ」
「ふーん。ヤトもこのところそうなんだ。大陸の人は暑さに弱いのかな」
 赤月にも夏はある。だが確かに群島の日射しほど強くはなかった。ここの気候にはなかなか慣れないが、私にしろヤトにしろ暑さに弱いわけじゃない。外を歩くと頭に熱が籠るだけだ。冷静さが失せるのだ。そしていつの間にかぼんやりと思考に耽っている。
 エルイールにいた頃もそれほど苦労はしていなかったように思う。石造りの要塞は冷々としていた。この島の土も草も風も、降り注ぐ太陽の熱と光が、まばゆいばかりの生命力が……あまりに力強く、我々を駆り立てる。

 ヨンの歩む動きに合わせて、繋いだ手のひらに力が入る。罰を宿しているにもかかわらず彼の手は温かい。私の冷たい左腕には二度と戻らぬものがヨンの手の中にある。しかし、未だ生きている右手で彼に触れればその温かさを感じることができた。
 過去を償う気持ちはない。後悔はない。憎しみを捨てるつもりも、弱音を吐いて善人に成り下がるつもりもない。だが、望むと望まざるにかかわらずヨンの左手は私に許しを与える。喪われたものの代わりを得てもいいのかもしれない。ヤトを、愛しても……許されるのかもしれないと思わせる。



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