01



 痛みを喜ぶ人って滅多にいないものだけれども、死に瀕している人にとっては痛みさえ喜ばしいものなんだろうか。
 だってそれは生きてる証だ。痛みによってまだ自分がそこに存在していると否応なしに知らされる。
 全身の痛みで私もそれを感じていた。まだ生きている。まだここにいる。
 喜んでいるかどうかは、ともかくとして。

 それがじきに終わると確信しているなら痛みも苦しみも耐えられる。
 でも……これは頂けないな。死ぬ気がしない。
「ねえ、しっかりして」
 固く閉じた瞼の向こうから私を案じる声が聞こえてくる。彼女はきっと目の前で死に瀕している人間を助けようとするだろう。
「もう大丈夫よ……」
 死ねばそれで終わりだというのにまだ生きていくなら痛み損だ。

 目を開けると不安そうな顔をした女性の青い瞳が揺れていた。私に注がれる視線には善意しか見当たらない。
 やはり彼女は私を死から救い出すのだろう。
 疲労と諦念の中で意識を手放した。また目を覚まして明日を迎えるはめになるのかと悲しく思いながら。
 どうせ痛くて苦しいなら早く楽になってしまいたかったのに……。



 振り返ってみても自分の身に何が起きたのかよく分からない。
 とりあえず信じ難い状況下に置かれているのだけは間違いなかった。


 朝の光が射し込んでくるのを感じて目を覚ます。あれからちょうど一年、無意識にそんなことを考えていたせいで、あの日の夢を見たのかもしれない。
「リオ、おはよう」
 他人が当たり前のような顔をして私の部屋に入ってくる。そしてカーテンを明け、私を起こし、朝食の席につけと優しく促す。
 ここはそういう文化なんだ、ということを差し置いても私はそれを甘んじて受け入れなければなるまい。
 なぜなら、この家は元々彼女の持ち物であり、私は無償でそれを借りているのだから。

「ローラ、おはよう」
 寝癖まみれで欠伸をするのが面白かったのか、彼女は私の頭を軽く撫でて部屋を出て行った。まるで恋人同士の甘い朝だなと思いつつ顔を洗って私も部屋を出る。
 テーブルには感じの良さそうな顔をした青年が一人。ローラは彼の隣に腰をおろした。私は二人の向かい側に置かれた椅子に腰かける。

「リオ、寝癖がすごいな」
「うーん。朝から情熱が爆発して申し訳ない」
「家を出る前には整えた方がいいよ」
「分かってますって」
 いかにも外国人風の容姿をもつラッドとローラが手を合わせて「いただきます」なんてのは、なんだか奇異に映るけれどさすがにもう慣れた。


 一年前、町の近くに倒れていた私を見つけたのはラッドだった。
 彼は素性不明の女を拾って家に連れ帰り、恋人であるローラにどうするべきか相談した。彼女は「うちで看病しましょう」と笑顔で言った。
 ほとんどずっと気絶していた私が辛うじて覚えているのはベッドの上でローラに声をかけられた時のことだけ。
 言葉通り、二人が献身的に世話を焼いてくれたので私は回復した。
 そして私は“この世界”でもう少し生きてゆかねばならなくなったのだ。

 まず最初に判明したことがある。私の話している言葉は変だった。
 ラッドもローラも金髪碧眼、顔だけでなく肌の色や背格好も明らかに日本人ではない。にもかかわらず言葉が通じている。
 英語に堪能というわけではないけれど私も日常会話程度ならこなせる。しかし私は“日本語”を話しているつもりなのだった。
 にもかかわらず、言葉が通じているんだ。

 彼女らによると私の言葉にはドマ風の訛りがあるらしい。ドマってどこだよ、と思うようならまだよかったが、生憎とその地名には心当たりがあった。
 軍事国家ガストラ帝国、北にあるのは武道の国ドマ、海を越えて砂漠の国フィガロ、西には商業国家ジドール。
 微妙に引っかかるものはありつつ聞き覚えのある地名ばかり出てきて困惑した。
 聞き覚えはある、それらの国がどこにあるのか知っている、だからこそ私は、そこに立っているはずなどなかった……。

 噴出する困惑をひとまず胸のうちに留めおき、私は記憶が欠落していることにした。
 自分がどうして倒れていたのかも分からないと二人に話した。
 それは、まあ、本当だ。自分がビデオゲームの中にある町の近くに瀕死で倒れていた理由なんてさっぱり分からない。
 この世界で生きてきた記憶がないのも一応は事実だし。

 ローラは、行き場所がないならここで暮らせばいいと言った。ラッドは少し驚きつつ「そうするといい」と言った。
 そろそろ結婚を視野に入れる恋人同士であった二人は“私”をきっかけにラッドの家で同棲を始めたのだ。
 斯くしてローラの持ち物であった家に私が転がり込むことになった。


 ……ここがFINAL FANTASY VIの世界だってことは納得しよう。事実そうだとしか考えられないのだから「そんなはずない!」と粘っても意味がない。
 私はゲームの世界に迷い込んだ。それは構わない。それは仕方ない。受け入れよう。
 ただ問題なのは、私の恩人たちの行く末だ。

 この町はマランダという。近々、豊富な資源を求めて帝国が攻めてくるのではないかとまことしやかに囁かれている。
 そして彼女の名前はローラ。儚げな印象は未だ感じられない、よく笑う朗らかな娘さん。
 彼女の恋人はラッド。いたって健康体で一般兵士レベルの剣術を会得している、普通の若者。
 じっくり顔を眺めてみてもドット絵と照らし合わせるのは難しい。私は彼らの顔を知らない。それでも確信を抱けるだけの材料は揃っていた。

 朝食を口に運びながら、ラッドとローラは二人して私をじっと見つめていた。
「なんすか?」
「やっぱり、ドマ王国の人に見えるわよね」
「ああ……」
 それはこの一年でたびたび言われたことだ。私の言葉、仕草、無意識の癖などにはドマ王国風の特徴が現れるらしい。
 記憶が欠落しているという設定に従って“リオさんはドマ人なのでは?”とローラたちは考えている。
 私自身、もしかしたらそうなのかもしれないと思っている。

 口の動きから考えても私が実際に話しているのは日本語ではなさそうだ。
 それに、体のあちこちにほんの僅かな違和感がある。二十余年を連れ添った私の肉体ではないような。
 鏡を見ても自分の顔が前と同じだったかどうかよく分からない。似ている気はする。でもはっきりと思い出せないんだ。
 思うに私は、この世界で死にかけていたドマ人の肉体に入り込んでしまったんじゃないだろうか。
 肉体の持ち主と接触できない以上、真偽が明らかになることはないけれど。

 自分の体に向けていた意識を目の前で繰り広げられる会話の方へと引き戻す。
 ラッドは難しい顔で私の行く末について考え込んでいた。
「帝国軍が来る前に、君はサウスフィガロにでも逃げた方がいいかもしれない」
「あー……本格的に戦争が始まりそうな雰囲気ですか」
「アルブルグに軍が集まっているからな」
 私の肉体的な素性がどうであれドマの人間に見えるのは大問題だ。

 ドマ王国は帝国と敵対している。近年では恒例と化していた小競り合いも徐々に激しくなりつつある。
 マランダ国がどちらにつくにせよ、私の存在は結構、邪魔だろうな。
 どちらにつくというか、私自身マランダが負けてガストラ帝国に接収されるのは知っているわけで。

 ラッドの提案を考える。フィガロも帝国と同盟を結んでいるからその点では安全と言い切れない。
 しかしあの町には、帝国に靡く者もいれば反帝国を誓う者もいる。
「そうしようかな。私も少し考えてることがあって」
「どんなこと?」
 無邪気に首を傾げるローラと目が合って、思わず言葉に詰まる。

 もうすぐ帝国からセリス将軍が派遣されてくる。
 マランダは負けて国家ではなくなり帝国支配下の一都市となる。
 ラッドは徴兵されてドマ王国攻略戦に参加する。
 そこから逃げ出して負傷し、モブリズの村に匿われて……。
 その運命を、その先にある世界の運命を、どうにかしてみようにも今の私では力が無さすぎた。

「サウスフィガロの近くに著名な格闘家がいるって話を聞いたのですよ」
「え? まさかリオ、格闘家に弟子入りするつもりなのか?」
「せめて自分の身を守れるようになっておこうかと思ってね」
 現状、町の外に出かける時はローラが護衛を雇ってくれる。しかしこの家を離れるなら自力で生きていかなければならない。
 私自身がある程度の戦闘能力を身につけるのはいいことだと、ラッドも頷いた。


 何かをしたいと思うなら私は正規のシナリオと適切な距離にいるべきだ。
 最上なのは自由人であるセッツァーと行動を共にすることだけれど、彼がどこにいるのか不明だし、仮に会えたとしてもブラックジャックに乗せてもらう理由がない。
 次点で、国や組織に属していないマッシュと知己になっておくのも便利だろう。事が起きてからは彼にくっついて行けば必然的にモブリズを訪ねられるし。


 このままマランダにいればセリスと接触する機会がある。
 私の容貌がドマ風だというなら北上してカイエンに会うこともできるかもしれない。だが、いずれにせよ不確実だ。
 セリスはしばらくしたら帝国に反旗を翻して投獄されてしまう。帝国で単独行動をとる自信は、私にはない。
 また、下手にドマ人っぽい容姿をしているらしいからこそドマ王国に行くのも危険が伴う。ふとしたことで化けの皮が剥がれてしまいかねないから。

 サウスフィガロに行こう。
 そして住居を確保しつつ、物語が始まる前にやれるだけのことをやっておくんだ。



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