獄寺のお迎え


 隼人から連絡を受けたなまえは、ポアロを出て米花のデパートに来ていた。宛があるという理由でもなく、適当に本屋を訪れたり雑貨フロアを歩き回ったりして時間を潰した後、エレベーターに乗り込んだ。
 エレベーターは最上階からほぼ各階に停りながら下に降りていく。地下駐車場に着く頃には乗っているのはなまえ一人だけになっていた。
 なまえは携帯開き、隼人から送られてきたメッセージを開く。
 “もうすぐ米花町に入ります。大変お手数ですが、米花デパートの地下駐車場までお越しいただけますか?”
 新着メッセージがないか画面をスワイプして更新してみるけれど、何も変化していなかった。
「どこかな……?」
 もう着いている頃だろう。停まっている車をざっと見渡すが、それらしき車は見当たらなかった。
 連絡を入れてみようかと文章を打ち込んでいると、突然着信画面に切り替わり、慌てて通話マークに指を押し付けた。
「はい、もしもし!」
『なまえさん、遅くなってすみません。お待たせしました』
「ううん、大丈夫! 隼人どこ? もう居る? そこから私見える?」
『はい、先程着きました。ここからは見えませんね。今どちらに?』
「エレベーター降りたとこ」
『では、そこから真っ直ぐ進み、突き当たりを左に曲がってください。そうしたら、三番目の角を左に曲がったあと……』
「ま、待って! 歩きながらでもいい?」
『……ええ、大丈夫ですよ。待ってますから、焦らないで』
 クスリと笑う声が聞こえた気がしたけど、久しぶりに耳にする隼人の声はとても優しくて、気を抜くと涙腺が緩んでしまいそうな程だった。ホームシックが進んでいるのか。
 高鳴る胸を抑えながら速足で言われた通り進んで行く。家族連れ出来ている人たちが多いのかどうかはわからないが、空いている駐車スペースはほとんど無く、大きな迷路に入り込んでしまった感覚に陥る。
「左行って……左、曲がったよ!」
『はい……見えました。今行きます』
 耳元で車のドアを開けてバタンと閉まる音が聞こえた。
 なまえは通話を保ったまま、その場で隼人を待つことにした。これ以上動いてお互い見失うなんてこと、万が一起こったら嫌だ。
 携帯の画面を見つめながらそわそわしていると、突然背後から伸びてきた手が肩に置かれた。
「ひゃっ……!」
 肩をびくつかせ、飛び上がって勢いよく後ろを振り返る。
 誰だと眉をひそめると、そこに居たのは、ラフな格好をして、キャップを目深く被った背の高い黒髪の男だった。
「え……? は、や……?」
「Shh……」
 男は自分の口元に人差し指を立て静かにするよう促す。なまえは声を漏らさないように携帯を手にしたまま両手で口を抑えた。
 なまえは男の手の様子と、帽子の影から覗くウォーターグリーンの瞳から、変装している隼人だと確信する。なまえはずっと通話状態のままだった携帯を切った。
 なまえの様子に隼人は頷くと、行き先を指差してなまえに歩くよう促した。
 普段は隣で歩くようお願いしない限り、なまえの斜め後ろに控えるように歩く隼人だったが、今回ばかりは車へと誘導するためなまえの前を歩いていた。その間も警戒を怠ることなく周囲に視線を送っているのが後ろから見ていてもよくわかる。
 なまえはそこまで注意しなくてもいいのではと思ったが、ここは様々な事件が起こりやすい米花だと考え直すと、背後に誰かいないことを確認しながら隼人の後を追った。
 黒塗りの車へ辿り着くと、隼人は助手席の扉を開きなまえに乗るよう促す。声は出さない方がいいと先程学習したなまえは、小さくお辞儀をしてそそくさと助手席に乗り込んだ。
 隼人は丁寧に扉を閉めると車の後ろを回って運転席に乗り、視線でなまえに断りを入れ、助手席の背もたれ――なまえの肩のすぐ横――に片手を付け、体を寄せる。そして助手席前のグローブボックスから手のひらサイズの機材を取り出した。
 ――発見機だ。
 小さくボンゴレのエンブレムが入ったそれは、盗聴器と発信器の両方を見抜くことが出来る技術部特製の代物だった。
 なまえは息を潜めて隼人の動向を見守る。
 暫くすると、発見機を睨んでいた目尻は柔らかくなり、小さく息を吐き出た隼人はなまえに微笑んだ。
「お待たせしました」
「……もう平気?」
「はい、普通に喋って頂いて大丈夫ですよ」
 なまえは緊張を解きそっとシートに凭れた。
 隼人はそんななまえを横目で見ながら元の場所に発見機を仕舞い、キャップを脱ぎ黒髪のウィッグを掴んで後部座席へ放り投げた。
「電話した時にノイズ音がしなかったんで大丈夫だと確信していたんですが、警戒するに越したことはないと思いまして」
「ありがとー……緊張したあ……」
 さらに脱力してシートに埋もれるなまえに隼人は小さく笑った。
 誰がどこで見ているかわからない。その“誰か”が何者なのかも、犯罪が異様に多いこの米花では瞬時に判断しにくい。
 そのため、細心の注意を払って隼人はなまえを迎えに来る必要があった。
 あくまでも自然にさり気なく。人目につかず目立たぬように。そうなると、人を隠すなら人の中ということで、多くの人が行き交うデパートが待ち合わせ場所に選ばれたのだろう。
 なまえは隼人の行動の裏付けを読み取ると、まだきちんと挨拶していなかったと彼に顔を向けた。
「久しぶりだねえ、隼人。迎えに来てくれてありがとう」
「いえ、お気になさらないでください。……本当にお久しぶりです。お元気でしたか?」
「んー……それなりに?」
 元気は元気だったけれど、今日は絶不調です。そんなことは気恥しくて口にできず、片手を隠すようにするりと撫で、なまえは曖昧に笑って言葉を濁した。
「なまえさん、手出してください」
「ん?」
 手……? なまえは首を傾げながらおずおずと手のひらを差し出す。
 隼人はパーカーのポケットから、キャラクターが描かれた絆創膏を取り出した。
「指のつけ根、見せてください」
「えっ、あ……」
 差し出した手をひっくり返すと、指のつけ根には小さな傷がついていた。それは、ポアロで嘔吐感と戦った際に出来てしまった噛み痕だった。
 隼人は失礼しますと断りを入れてなまえの手を引き寄せると、手早く、けれど丁寧に絆創膏を貼った。
 絆創膏は小さいキャラクターが数体描かれていて可愛らしく、眺めていると気分が落ち着いてくるのが自分でもわかった。
「ありがとう……隼人はなんでもお見通しなんだね」
「“右腕”ですから。……さあ、行きましょうか」
 なまえは隼人の声に従うようにシートベルトを締める。何も訊かずにいてくれる隼人の優しさになまえは瞼をそっと伏せた。

   *

 車は米花町、杯戸町を走り抜けて首都高に入った。
 ラジオから流れるクラシックに耳を澄ましていると、隼人がふと思い出したように口を開いた。
「そうだ。俺、もしかしたら公安にマークされてるかもしれないんですよ」
「えっ、公安!? ……もしかして、“スモーキンボム”で?」
「はい。まあ、こっちに来てからもう六年も経ってますから、忘れ去られている可能性の方が断然高いです。それに、公安の若いヤツらは知らないと思いますけど……。なまえさんが今日初対面した安室――降谷零って奴は相当頭がキレるらしいんで、もしかしたら公安の重要人物リストみたいな物に目を通してるかもしれません」
「あー……そこまで考えてなかった……。ごめんなさい……。だから変装してきてくれたんだね」
 なまえは両手で顔を覆った。何故そこまで頭が回らなかったんだろう。
 隼人は眉を下げて肩の力を抜いた。
「俺が騒がれたのは昔のことですから、なまえさんがご存知でなくても仕方がありません。それに、俺が何かしでかしてなまえさんにご迷惑がかかってもいけませんから。そういう理由で、リボーンさんにも一応変装していけって言われましたし」
 もしこれで迎えに来る相手が隼人だと透にバレていたら。下手をしたら公安に筒抜けになり動きにくくなるかもしれない。最悪の場合、この計画はお陀仏となってしまうかも。
 そこまで考えてなまえはぶるっと震えた。
 隼人は運転しながら静かにその様子をチラリと盗み見ると、口元を緩めた。
「けれど、なまえさんに盗聴器の類はつけられていませんでしたし、その公安の犬とも今日が初めましてでしたから、きっと大丈夫ですよ」
 何かあればこちらで何とかします。隼人はできうる限り優しい声音で語りかける。
 その声になまえは段々と落ち着きを取り戻し、ほっと息を撫で下ろした。
 ――よかった。嘘は言っていないけれど、落ち着いてくれて。彼女は少し気にしすぎるところがあるから。
 隼人はなまえの様子に益々頬を緩めると、あともう一押しかと息を吸った。
「十代目が嘆いてましたよ。『なんで俺に連絡しないで獄寺くんに連絡してくるの!?』って! ちょうど煮詰まってたところでしたから、なまえさん不足に拍車をかけましたね」
 正直、仕事が行き詰まっている中での姉不足状態はさすがにひどかった。久々にリボーンさんの足蹴りを見た気がする。
 我らがボンゴレ十代目は、そこら辺の輩と比べれば比較することがはばかられる程、優しさの塊だ。けれど、自身の姉に関することとなると、そこにとろけるような甘さが付随される。中学時代からリボーンにシスコンだと事あるごとに言われ続けていたが、今回のなまえの潜入捜査もどきの件で離れ離れとなり、さらに本格化したのは言うまでもない。
 この姉弟の絶対的な信頼関係は、ただのブラコン・シスコンでは片付けられない何かがあるというのは、数年傍にいて守護者を含む皆が感じていることだ。
 ――まあ、十代目だけじゃねえけどな、なまえさんと密接な関係にあるのは。
 ポーカーフェイスを貫きつつ彼女のことを常に気にかける男たちのことを隼人は思い浮かべた。
 考えに耽っていると、隼人の話を聞いたなまえは押し殺していた笑いを抑えきれず、声に出して笑った。
「ははっ、つっくんらしい! ……いや、だって安全運転で乗せてくれそうな人を考えたら、一番に思いついたのが隼人だったし。隼人以外に思い浮かばなかったから」
 隼人は目ぱちくりとさせると、我慢していたものがとめどなく流れるように涙声をあげた。
「なまえさん……!」
 女神だ……! ここに女神がいらっしゃる!
 隼人はハンドルを握りながら涙腺を緩ませる。車内に流れる音楽は壮大な美しいメロディーを奏でており、クラシックは隼人の感動に味付けをしていった。
 そんな隼人に、なまえは大げさだなあと柔らかい笑みを深め、懐かしさに身を委ねた。

16,10.11