昴vsシャマル


 シャマルの薬を取りに並盛のボンゴレ支部に立ち寄り、綱吉や他の守護者たちと久々の再会を楽しんだことで、なまえの体調やメンタルは回復していった。
 けれど、あの打ち合わせ後、体調は絶不調だったためその日は丸一日仕事に手がつけられず、予定していた進捗状況は滞ったままだった。溜まった仕事を片付けようと、多少いつもより詰め込みぎみのノルマを組み、食事や掃除、入浴等の時間以外はほぼ部屋にこもりっきりになりPCに向き合った。そしてノルマをこなし始めて三日目、なまえはようやくいつものペースで仕事をしても支障がない状況にまで回復し、兆しが見え始めた。
「人間誰しも死ぬ気になればやり遂げられるぞ」
 超詰め込み型なスケジュールに心が折れそうになる度に、脳内で家庭教師様の声がチャイムのように響き渡った。
「うぅ……今頑張ればあとは楽、今頑張ればあとは楽、今頑張れ、ば……っ!」
 自分を洗脳するように声に出し気持ちを切り替えようとしていたその矢先、なまえははっと我に返った。
 ――このままじゃまた体を壊すかも……!
 根性だけじゃどうにもならない。昔から無茶をすると必ずといっていいほど体調を崩した。
 ここでまた体を壊したら元も子もない。そう思い立ったなまえは、たまには体を動かそうと決心する。軽く身なりを整えて携帯と財布のみ握りしめ、善は急げだ! とよくわからぬ気合いを入れると、早速工藤邸を後にした。

   *

 行き先は考えていなかったが、ふらふらと歩いていると商店街に行き着いた。夕方ということもあって活気に溢れており、自然と気分が高揚してくる。左右に連なる店の商品を若干目移りしながら歩いていた。
「今日のごはん何かなー」
 美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、なまえの脚は自然と速度を落とした。
 煮込み料理が続きっぱなしだったからそろそろお肉とかお魚が恋しくなってくる。あっでも、パスタやミートスパゲティも食べたい。
 夕飯はほぼ昴の独断のため、なまえの食べたいものが出てくることはあまりない。
 ――今度、リクエストしてみようかなあ。
 キッチンに立つ姿が様になってきたから、初めて作る料理でも対応できるのではないだろうか。
 ――いや、でもそしたら私も朝ごはんのリクエストを訊くべきだよな。
 共同生活をするようになり昴の起床時間も安定してきたが、なまえの方が早く起きるためどうしても朝食のメニューはなまえが決めざるを得なかった。
「今度訊いてみようかなあ……」
 うん、それがいい。そうしよう。
 考え事をして緩んでいた歩みを進めようと足を大きく踏み出そうとしたまさにその時、突然背後から腕が回り、ぐいっと引き寄せられる。
 ――えっなに。こわい。
 全く恐怖を抱いておらず、口には出せなかったため心の中で言葉にしたが、自分の棒読み加減に一瞬笑いそうになってしまった。
 突然他人を引き寄せる図太い神経を疑ってしまった。どう育ったらそんな行動ができるんだ。親の顔が見てみたい。
 なまえは自分の気分転換を邪魔する存在に対し、ちょっとの行動でも苛立ちに結びつきやすかった。眉を寄せながら首だけ後ろに振り返り腕の主を見上げると、身に覚えのある無精髭。
「なまえじゃねーか。随分見ないうちにまーた女らしくなって」
「げっ」
 汚れがひとつも見当たらない白いスーツに、黒いシャツに紫色のネクタイをゆるく締めた、一見ホストかと勘違いしそうになるシャマルがいた。
 ――親の顔が見てみたいとは思ったけど、スモーキンボムの父とは言ってない……!
 幼少期の隼人の憧れだったシャマルは、彼にダイナマイトでの闘い方を教えた張本人だ。今の隼人が生まれる要因となった男であり、ある意味スモーキンボムの父親であった。
 どうして隼人はあんなに真摯で紳士に育っているのに、シャマルは女の人しか追いかけないんだ。
「っんだよー、『げっ』とはなんだ、『げっ』って……。お前、この前あの薬取りに来たんだって? 言ってくれれば届けに行ったのによ」
「なんでここにいるの……」
 なまえはシャマルの登場に驚きつつも、肩に掛けていた鞄をセクハラ防止のため胸にぎゅっと抱き寄せた。
「そりゃー活動範囲を広げて可愛子ちゃん見つけるのも悪くないかと」
 周囲を見渡しながら、ここは並盛と違って派手な子もいるからなあ……と、にやにやするシャマルになまえは顔を顰める。
 話しながらシャマルはさり気なくなまえの鞄に白い紙袋を滑り込ませた。
「聞いたぞ。“隠れんぼ”してるんだって? お前風邪引いたらなかなか治らねえだろ。それ、持ってけ」
 ぼそっと耳元で囁かれたシャマルの言葉に目を丸くする。紙袋の中には風邪を引いた時にお世話になっている、即効性の風邪薬が入っているらしい。
 並盛に行った時は鎮痛剤のことばかり考えていて、風邪を引いてしまったら治りが遅いということを忘れていた。
「……ありがとう」
 シャマルもそれを見越した上で届けに来てくれたのだろう。なまえはシャマルの優しさに照れくさくなり、俯いてもごもごとお礼を言った。
 シャマルは目を細めると、調子を取り戻したように鼻の下を伸ばした。
「んで? よかったらこれからおじさんとデートしてくれても構わねえよ」
「いや、私これから帰るんで」
「そんな冷たいこと言わんで」
「っ……ちょ、どこ触って……!」
 ――調子に乗るとこれだ!
 なまえは時間を巻き戻し、お礼を言った事実を消し去りたくなった。
 無精髭が頬や額をチクチクと刺激して来る。地味に痛いから顔を寄せないでほしい。眉を寄せてシャマルの魔の手から逃げようと身じろいでいると、思いも寄らなかった声が唐突に後方から聞こえてきた。
「なまえさん、お待たせしました」
「――昴、さん?」
「すみません遅くなってしまって。……どなたか存じ上げないが、その手を離していただきたい。彼女は僕の連れなんでね」
「……わっ」
 昴はさり気なくシャマルからなまえを引き剥がし、なまえの肩に腕を回し引き寄せる。優しいように見えて体感すると少々強引な手つきに、なまえはもたれ掛かるように昴の半身に寄りかかった。
 昴に衝撃を与えてしまったことになまえは咄嗟に謝ろうとする。けれど、昴はびくともせずに真っ直ぐにシャマルに視線を向けていたため、なまえは少し開けた口を一先ず閉じた。
 なまえはシャマルの様子をちらりと伺ってから昴に小さく謝ると、彼の服を掴んで体勢を立て直し隣に並んだ。
 昴とシャマルはそのまま互いに見つめ合っていた。昴は口をへの字にして眉間を歪めながら、そしてシャマルは面白くなさそうな顔をしながら互いを見合っていた。
 ――いや、これは睨み合いに近いかも。
 昴から漂う空気に驚きつつ二人の顔を交互に伺いながらなまえは心の中で呟いた。
 三回ほど視線を往復したところで、シャマルが脱力するように息を吐き、大きく肩をすくめた。
「――へぇ、そりゃあ悪かったなあ」
 シャマルは片眉を上げて悪びれもせず、まるで挑発するように口角をあげてゆったりと言葉を聞かせた。
「じゃあな、邪魔したよ」
 珍しく引き下がったシャマルになまえがぽかんとしていると、彼は踵を返して手を振りながら人混みの中に消えていった。
 なまえは遠くなるシャマルの背中を見つめながら、数分間に起きた出来事を振り返る。
 ――なんだったんだろう、あの微妙な間。
 睨み合いにしては短く、挑発にしては長いような、なんとも言えない沈黙の時間になまえは首を傾ける。
 昴はなまえの肩から手を離すと、距離を取って顔を覗き込んだ。
「すみません。大丈夫でしたか?」
「はい……ありがとうございます。昴さん、どうしてここに? ああ、買い出し……」
 お礼を言いながらなまえはゆっくりと昴の顔から全身を確認するように視線を落としていく。すると、自分がもたれ掛かってしまった昴の半身とは反対側の肩に、こんもりとしたトートバックが掛かっていた。近寄り少しだけ中を覗くと、透明なビニール袋の中にふっくらとした秋刀魚がはいっているのを見つける。なるほど、今日は秋刀魚か。
 ――焼き魚なら失敗することないもんね。
 煮込み料理をマスターした昴は、少しずつその他の料理にも簡単なものから挑戦していた。
 煮込み料理の時もたまにやっていたが、今回もそわそわしながらグリルを覗くんだろうか。その度になまえは「そんなに確認しなくても大丈夫ですよ」と声を掛けるが、それでも昴は数分置きに鍋を開けたりして料理の具合を確認する。
 鍋の前で待ってる間、ほんの少しだけ踵を上げ下げしてリズムを取るように揺れていることに、きっと昴本人は気付いていない。その様子があまりにも面白いため、なまえは見かけても声は掛けず、込み上げてくる笑いを抑えながら必死に息を殺していた。
「ええ。その帰り道、貴女を見かけたので。……酷いことはされてませんか?」
 昴が両肩に手を置き、顔を近づけて真剣な面立ちで訊いてくる。
 ――えっなに。こわい。
 突然縮まった距離になまえはついシャマルに捕まった時と同じことを胸の内で呟いてしまった。
「だ、大丈夫です! 何もされてません。ありがとうございます……」
 必死に誤解を解くように胸や前で両手を振りながら弁解すると、昴はほっと息を撫で下ろしなまえの肩から両手を引いた。
「よかった。それじゃあ、帰りましょうか」
 昴の一言で二人は工藤邸に向けて歩き出した。
 脚の長さが違うのに、歩調を合わせてくれている昴をなまえはちらりと盗み見る。構想中の献立を話す横顔は、シャマルに向けていたものとは正反対のものだった。
 話の内容を右から左に流していることに気づかれないようになまえは昴に相槌を打つ。先程の昴とシャマルの睨み合いが脳裏に焼き付いていて、話の内容が頭に入って来なかった。
 ――昴さん、さっきシャマルに気迫のような、殺気のような、なんか不穏なもの向けてたよね! 私知ってるからね!
 まあでも、シャマルみたいな人がいたら、自分と相手の境界を分けるような視線を向けたくなる気持ちはわからなくはない。特にシャマルには積極的に向けていきたい。そしてあわよくば、視線で張りめぐらせた防衛線にシャマルが触れた瞬間にダイナマイトかなにかで吹っ飛んでいってほしい。
 確かにシャマルはいざという時に頼りになる。彼が闘う姿を見れば、ヴァリアーに勧誘された過去があることも頷ける。けれど、そんな時と普段の振る舞いのギャップがなまえには許せなかった。
 普段隙があればセクハラをしようとしてくるのに、ピンチの時には彼がいれば大丈夫とすら思ってしまう。そんな大きな背中に、何度胸の中がくすぐったくなったことか。そんなギャップ萌え、私は認めないぞ。絶対靡いてなんかやらない。
 なまえは軽く頭を振って、思考の中からシャマルを追い出した。シャマルよりも何よりも、今は隣にいるこの人だ。
 気づかれないようにそろりと視線を動かして隣の昴を見たが、あろうことか気づかれてしまいバチりと目が合ってしまった。
「ん? どうかしましたか?」
「い、いえ! なんでもないです」
 なまえは咄嗟に笑みを浮かべて前を向いた。昴はそれ以上追求はしてこなかったため、なまえはほっと胸を撫で下ろす。
 ――忘れてるだろうけど、昴さんあなた今、一応大学院生だからね!?
 先程のシャマルに対するあの姿勢は、どう考えても、ただの大学院生じゃない。ただの大学院生はもっとスマートに解決するはずだ。間違ったって殺気じみたものだなんて出しやしない。そんなことできるのは、過去に盗んだバイクで走り出した経験がある人くらいだ。
 なまえは言葉に出来ないもどかしさを抱えていた。伝えたい、でも伝えてしまえば色々なことがバレてしまうからそれだけは絶対にできない。両の指をバラバラに動かして拳を開いたり閉じたりしつつ、歯痒さを噛みしめながら心の中で昴にツッコミを入れる。
 ――つっくんのツッコミ気質伝染ったのかな……。
 気分転換をするために外出したはずなのに、なんだろうこれは。仕事してた方がよかった気がする。
 なまえは心身の疲労を感じながら、昴と共に帰路についた。

16,10.25