はじまりの予感


 木の葉が衣替えをしてすっかり見るもの全てが秋色に染まったある日。事件が起こることもなく、コナンたちは平凡で平和な一日を過ごし帰路についていた。
 コナンたちは帰り道の途中、蘭と園子、そして真純に遭遇した。流れで一緒に帰ることになったが、なんでも三人は今日もポアロに向かうらしい。
「この前、なまえさんに奢ってもらっちゃったから、お返ししないとね」
 数週間前からなまえがポアロに通っているというのは知っていたが、蘭たちの話によると、偶然を装ってその場に居合わせると自然な流れで奢ってくれるそうだ。その話を聞き元太がごくりと生唾を飲み込んでいた。
 コナンはポアロでの透の人気を知っていたので、もしかしてなまえが足繁く通っている理由は透にあるのか? と疑ってしまった。しかし、先日昴に会った時に訊いてみたら予想もしていなかった言葉が返ってきた。
「どうやら俺から避難しているらしい」
「……は?」
 昴の中身が赤井秀一だということを忘れて素で生意気な返しをしてしまった。
 次はどう関わっていこうかと楽しそうに悩む昴に、コナンは返す言葉が見当たらなかった。
 ――まさか赤井さん、なまえさんに惚れたのか……?
 そんな考えが一瞬頭をよぎったが、最近の話を聞いているとそうでもないようで、自分でもよくわからないが安心した。
「ちょっ、なにあのイケメン!」
「えっ? わっ……本当だ、かっこいい……!」
 突然立ち止まり黄色い声を上げる園子と蘭に続き足を止める。
 二人の視線の先を追うと、背が高くモデルのような体型をした金髪の外国人が歩いていた。モッズコートを着込んでストリート風の格好をしているが、目を細めて足元に注目すると、一目で高級ものだとわかる革靴を履いていた。
「かっこいいー!」
「モデルみたいですね!」
「テレビに出てきそうだな!」
 歩美や光彦、元太も普段はあまり外で見かけない外国人に目を輝かせた。
「白馬の王子様って感じ! 王子様! アタシを迎えに来て!」
「ちょっと園子ー。園子には京極さんがいるでしょ?」
「なーにーよー! 蘭だって旦那がいるくせに顔真っ赤にしてたじゃない!」
 園子の指摘にコナンはピクリと肩を揺らした。静かに聞き耳を立てるコナンの姿に、隣にいた哀は気づかれないようにくすりと笑みをこぼす。
「そっ、それは……! だってこんなところであんな芸能人みたいな人見つけたら誰だってそうなるわよ!」
 頬を染めて必死に弁解する蘭に、コナンは恨めしそうに外国人を見つめる。けれど、嫉妬に駆られた心はすぐさま好奇心と懐疑心が現れたことで引っ込んでいった。
 彼は背筋をピンと伸ばし、上着のポケットに両手を入れて物珍しそうに周囲を見物しながらも、真っ直ぐ歩いていく。
 ――初めて来た様子なのに、なんで歩き続けるんだ?
 あれは目的地を目指している歩き方だ。コナンは違和感に眉を潜めた。
 以前も米花町に来たことがあると仮定しても、あんなに目立つ人物が歩いていれば噂は人から人へと流れていき、たちまち話題に上がるだろう。けれど、最近容姿端麗な外国人がここにやって来たなんて聞いたことがない。ということは、あの外国人は初めてこの町を訪れたということになる。
 ――誰かと待ち合わせか……?
 けれど、だったら携帯で位置情報を確認しながら歩くはずだ。余程地理的感覚が備わってない限り、初めて訪れる場所を地図も見ないであんなにスタスタと歩けるとは思えない。
「でも、なんであんな外国人が米花町にいるんだ?」
 隣にいた真純の呟きに現実に引き戻される。コナンは考えがまとまらず、誰との会話にも入らず一人思い耽っていた。
「確かに、ここには観光名所なんてそんなに多くないから、ただの旅行者ではなさそうね。最も、商店街が珍しいっていうのなら頷けるけど」
 哀が言うことにも納得がいく。そして導き出した答えは、やはり先程考えていた誰かと待ち合わせしているという線。これが一番有力だろう。だが、まだ何かコナンの中で腑に落ちない部分があった。その正体がなんなのか、外国人の顔を一瞬見ただけでは判断できず、コナンの頭の中はもやもやとしていた。
 顎に指を当てて小さくなっていく外国人の背中を見つめていると、園子が両の手をパンッと鳴らした。
「ね! あのイケメンがどこに行くか気にならない!?」
「気にならなくはないけど……」
「じゃあ、跡をつけてみましょうよ!」
「ええっ!? それって尾行するってこと!?」
「なによ、いいじゃない! アンタたちは探偵団なんだから尾行だってお手のものでしょ? 今日は女子高生探偵もいることだし!」
 ――おいおい、俺たちも巻き込むのかよ。
 コナンはすっかりその気になり、少年探偵団も巻き込もうとしている園子に乾いた笑みでツッコミを入れる。
「やりましょう!」
「おもしろそーだな!」
「歩美、あのお兄さんがどこ行くか気になる!」
「僕も気になるな、彼」
「決まりね」
 真純の発言が園子たちの背中を押し、哀の一言で園子と歩美たちは拳を空に突き上げて気合を入れた。そして全員で下校するフリをして外国人を尾行することとなった。
 道行く人々が動きを止めて彼の容姿に頬を染めている中、一定の距離を保って跡をつけていく。
「なあ、ヤツらの仲間ってことはねえよな?」
 コナンは歩きながら、胸の内に潜めていた僅かな疑いを隣にいる哀に小声でぶつけた。
「それはないと思うわ。彼ら独特のものをあの人からは何も感じないし。むしろ感じるとしたら、彼女たちが抱いたイメージに近いかしらね」
 気づかれないように必死に帰り道を歩いているように装いつつ、様々な妄想を繰り広げていく園子たちを見ながら哀はコナンの言葉を否定した。
 コナンはほっと胸を撫で下ろしつつ、続いた哀の言葉にぎょっとした。
「……灰原、まさかオメー……」
 ――オメーもあの外国人を王子様だと思ったってことか!?
「何。何か文句でもあるの」
「い、いやあ? 何でもねーよ」
「その顔は何か言いたげだけど」
「そっそんなことねーって! あはははは……」
「……嘘が下手ね。まあ、別にいいけど」
 哀の疑い深い視線から逃れ、コナンは誰にも気付かれないようにほっと息を吐いた。
 中身が成人に近い年齢ということもあり、普段から落ち着き払った言動や行動をする哀。そんな彼女が、あの外国人のことを王子様だなんて思っていたなんて、コナンには想像出来なかった。
「言っておくけど、あんなチャラそうな人、王子様みたいだなんて思ってないから。組織の『におい』はしないから、それだけで好意的な印象があるってこと」
「え!? あっ、そ、そうですか……」
 ――あー……そうだよな、灰原は比護隆佑が好きだもんな。
 あのサッカー選手と遥か前を歩いていく彼とでは、雰囲気も立ち振る舞いも何もかも違う。あの外国人を哀がチャラそうな人と表現するのにも頷けた。
 暫く歩いていると、段々と見覚えのある道に入っていく。先頭にいた面々も不思議に思い、彼が訪れる場所を予想していると、突然驚きの声が挙げた。
「見て! あそこ!」
「あっ! あのお兄さん、ポアロに入ってったよ!」
 辿り着いたのは、毛利探偵事務所の下にあるよく知った店だった。コナンたちは駆け足でポアロへ向かい、まず様子を伺うために店内に入るのではなく窓ガラスから中をそっと覗き込む。
 ガラスから見えるソファ席の奥の方に外国人は向かって行く。そうして、目に飛び込んできた光景に、その場にいた全員が目を疑った。
「えっ!?」
「なまえさん!?」
「いっ、いま、キキキキキキス!? キスしたの!?」
 追っていた外国人は突然なまえを抱き締め、彼女に顔を近づけていた。
 店内にいた梓や他の客、コナンたちは男女問わず、映画のワンシーンのような光景に頬を染めて見入っていた。

   *

 今日のポアロは透が休みで梓一人で店を回していた。そのため、優しい梓はいつも来てくれるお礼と言い、店長に内緒でなまえにパフェをご馳走してくれた。
 運ばれてきた美味しそうなパフェを見た瞬間、なまえは仕事の疲れが吹き飛んでいった。
 コーンフレークとバニラアイスが下から積み上げられ、パフェのてっぺんには真っ赤な苺と真っ白な生クリームが可愛らしく盛り付けられていて、なまえは思わず携帯を取り出し、カメラ機能で写真を撮った。そして、いただきますと挨拶をして、食べ始めた。
 幸せの甘さを噛み締めるようにゆっくりと一口ずつ味わっていると、来店を告げる鈴が鳴り響いた。
「いらっしゃ……っ!? い、いら、いらっしゃいませっ!」
 梓の裏返った声に驚き、それまで動かしていた手を止める。
 ――どうしたんだろう? 変な人でも来たのかな。
 首を傾げ、パフェから顔を上げて梓を見る。梓は口元を両手で隠し、頬を赤らめていた。
 なまえは彼女の視線を辿るように店扉の方へ目を動かす。
 そこにいたのは、
「よっ、なまえ! 彼氏できたかー!?」
 お馴染みのモッズコートを着込み、片手を挙げて、これまた聞き慣れた独特の挨拶をするディーノがいた。
 なまえは持っていたスプーンをパフェグラスが置かれている小皿の上に落としてしまった。ガチャンと多少耳障りな音が鳴り響く。いつもだったら周りに小さな声で謝罪するが、今のなまえは思いがけない人物の登場に開いた口が塞がらなかった。
「でぃ、ディーノ……? なんで……?」
「ハハッ、ドッキリ大成功だな!」
 子どものように無邪気に笑うディーノになまえはまだ驚きから解放されずにいた。
 ディーノは、イタリアで名門革靴ブランドと謳われるシルバノ・ラッタンツィの音を軽やかに響かせながら、少し大股でなまえの元へ近寄る。なまえに微笑みかけながら歩み寄る姿は、まるでどこかの国の王子様のようだった。
「いやー、こっちでちょっと野暮用ができちまってな……」
 理由を話しながら、ディーノは自然な流れでテーブルの上に置かれた無防備ななまえの手を引く。そして、舞踏会のようになまえの手の甲に口付けを落とした。
 なまえが呆気にとられているのをちらりと上目で確認し頬を緩めると、唇を離してなまえの手を引っ張りそのまま引き上げた。
「わっ……!」
 突然ぐんと引っ張られたなまえはバランスを整える暇も与えてもらえず、そのままディーノの胸に倒れ込んだ。立ち上がった拍子にテーブルにぶつかってしまいそうになり、なまえは思わず目を瞑る。しかし、そうなることを予測していたディーノは、ぶつからないよう自分の胸にエスコートして両腕でしっかりと抱き留めた。
 なまえがまごつきながら体勢を立て直してディーノの胸から顔をあげると、真正面には少年のようにキラキラ輝く瞳が待ち構えていた。にまにまと口元を緩めながら再会の興奮に胸踊るディーノに、なまえは彼の腕の中から逃れられないとわかっていながらも後退りをしてしまった。
「会いたかったぞー! なまえー!」
 ディーノはなまえが息が詰まることも気にせず力の限り抱きついた。ゆらゆらと横揺れをしながら久しぶりのなまえの温もりを味わうと、一度体を離して両頬に一つずつキスを贈った。
 リップ音が鳴り止む前にディーノは再びなまえに抱きつき、身を屈めて首筋に顔を埋める。すりすりと当たる鼻先と熱い吐息がくすぐったくてなまえは身をよじった。けれど、逃がさないとでも言うようにディーノはなまえの腰に手を回し、執拗になまえにくっついた。
「んンッ……ちょ、ディーノ……! いい加減に……!」
 熱い抱擁に圧迫され鼻から抜けるような声を出したなまえは必死に抵抗したが、ディーノは一切耳を貸さず、なまえの耳元に唇を寄せた。
「――また、頼まれてくれないか?」
 柔らかい下唇が耳朶に触れ、わざとらしくなまえにだけ聴こえるよう小さく囁かれた低く甘い声に、なまえの体がピクリと震える。ディーノはその様子にほくそ笑むとなまえと自分の額をすり合わせた。
 一見細く見えるが、ディーノの長年鍛えた身体は巷にいる男たちよりも逞しい。相手がディーノというだけでなまえが逃げ出すことはほぼ不可能に近かった。さらには刺青が隠れた腕はなまえの腰、そしてもう片方は肩に回され、拳一つ分の距離でも離れることを許してくれなかった。
 なまえは身動き取れないと諦め、厚い胸板に両手を置いて少しでも自分とディーノの間に隙間という名の壁ができるように試みた。最も、実際頬を染めて傍観している梓たちからは、二人の密着度が増したようにしか見えなかったが。
 ディーノとまなざしが重なり、瞳の奥に見え隠れする真意を読み取って、なまえは眉を潜めずにはいられなかった。
 なまえはわかっていた。ディーノのこの行動は、答えを期待している現れだということを。
 なまえは他人に何か頼まれると自分のことを放り出して手伝ってしまう、所謂押しに弱いところがあるが、ボンゴレ関係者の押しには一等弱くなる。だからこそ、綱吉の周りの人間はなまえに甘えたがる。手を伸ばせば彼女は必ず掴み取り、優しく包み込んでくれるということを彼らはこれまでの経験で学習していた。
 もちろんディーノもそれを熟知している。必ず自分の願いを聞き入れるという自信があるからこそ、過度なスキンシップを取れるのだ。そして、それはなまえに逃げ道を与えないという役割もこなしていた。
 やわらかな陽だまりのような彼女の温かさが、長所でもあり短所にもなりうることをディーノは見抜いていた。
 なまえはもの言いたげな目でディーノを見つめた。
「…………」
「悪い悪い! なまえしか頼めるやついなくてよー」
 悪びれもなくニカッと笑うディーノになまえはとうとう体の中に溜め込んでいた息を一気に吐き出した。
「……よく言うよ」
「おっ? その反応はもしかして期待してもいいのか?」
「……だって、私がやらなきゃだめなんでしょ?」
「なまえ以外と腕を組むなんて俺は死んでもゴメンだ」
「そこは死ぬ気でやらなきゃだめでしょ」
 なまえは右手を逞しい胸板から頬へ移動させると、頬を摘んでディーノの端正な顔を崩した。
「い、っ! 痛っ! なにすんだ!」
「ねっちょりお仕置き」
「アイツみたいなこと言うなって!」
 じりじりと頬を摘まれる痛みに目を潤ませるディーノに渋々手を離してやる。
 少し赤くなった頬を撫でて一息つくと、ディーノは満面の笑みでお返しと言わんばかりになまえの頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。
 髪がどんどん乱れていくことに眉を寄せていると、唐突にディーノではない声が掛けられた。
「あ、あのー……」
「お取り込み中すみません……」
「なまえさん!」
「その人、誰ですか!?」
「そいつ、ねーちゃんの彼氏なのか!?」
 園子と蘭が気まずそうに話しかけると、痺れを切らした歩美と光彦、そして元太が興味津々といった様子でなまえに詰め寄った。
「えっ……?」
 いつから居たんだろう。周りを見回すと、店内にいる全員の視線の矛先に自分たちがいた。なまえは今までディーノの来訪に完全に体と心が捕らわれていて、周囲の視線に気づけないでいた。
 まるで時差が起きているように現在自分の身に起きていることがいまいち把握出来ず首を傾げていると、先に動き出したのはディーノだった。
「あー……悪いな、なまえと会えたのが嬉しくって店の中ってこと忘れてた。なまえ、知り合いか?」
「うん、まあ……。えっと、ごめんなさい……?」
 謝ることが適切なのかは判断できなかったが、ディーノが謝罪していたのでなまえも手櫛で髪を整えながらその流れに乗った。
 二人と視線が交わったことで、蘭たちや梓といった店内にいた者の緊張が解れ、ほっと息を撫で下ろした。普段ランチを食べたりお喋りをしたりといった場所で、おとぎ話のようなドラマのような、現実とはまるで別世界のことが蹴り広げられる日が来るとは誰一人思っていなかったのだ。
「とりあえず座りませんか? お二人のお話も聞きたいですし!」
「……あー、俺もう行かなきゃいけないんだわ。ごめんな」
 携帯を覗いていたディーノは、提案者の園子に笑い掛けつつも頭を下げた。園子は胸を抑えながら後退りしてディーノに言葉を返していたが、正直なんて話しているのかなまえは聞き取れなかった。
 それよりもなまえはディーノの携帯が気になって仕方がなかった。隣にいたなまえは、彼の携帯に約十数件の着信履歴が表示されていたのを見てしまってた。
 まさか部下に何も告げずにポアロに来たのではないかという疑問がなまえの頭に浮かび、それはボスとしてどうなのかと軽く身なりを整えるディーノを凝視してしまった。
「んじゃ、よろしくななまえ。詳しいことはまた近くなったら連絡するわ」
「うん……気をつけてね」
 日本へは部下を連れてやって来たに違いないが、ポアロまではきっと一人で来たのだろうとなまえは推測した。この後はロマーリオあたりが手配した車が近くに止まっているだろうから大丈夫だろうけれど、部下がいないとドジっ子になってしまうのは二十代後半になった今でも健在である。
 ドジをして怪我をしないようにという思いを込めてなまえはひらひらと手を振った。
 なまえの考えていることを読み取りディーノは無邪気に笑う。
「そっちもな」
「へ?」
 ディーノは自分の前で揺れるなまえの手首を掴むと、無防備な手のひらに唇を寄せ、ちゅっと可愛らしく音を響かせた。
 店内は黄色い声で染まる。
「っ……! 忙しいんでしょ! 早く行きなよ!」
 手首を掴む角張った手の力が緩んだ隙に、なまえは腕を思い切り引いてもう片方の腕で抱き寄せた。
 ――おふざけががすぎる……!
 顔見知りが周りに沢山いるだけあって、なまえの登りつめた羞恥心はとうとう噴火してしまった。
 なまえは眉を寄せてディーノを睨みつける。唇が触れた際に一瞬垣間見えたディーノの鋭い輝きを放つ双眸は、頼みごとの念を押すかのように含みを持っていた。なまえは手のひらへのキスの意味を思い出し、キザ男……! と一層鋭い視線をディーノに送った。
「ハハッ、今になって恥ずかしがってんのか? 可愛いやつだなー。……じゃーな、なまえ」
 しかし身長差もあり、なまえの睨みはディーノから見ると見栄を張っている上目遣いのようにしか見えないため、どこ吹く風といったようになまえを受け流した。その反応になまえはむすっとしたが、手を振りながら颯爽と去って行くディーノに何も出来ず、その背中を見送った。
 店扉が閉まり鈴の音が鳴り止むと、少しの間店内は静けさに包まれる。けれど、それもなまえによって静寂は破られた。
「――もうやだ。疲れた……」
 なまえは蚊の鳴くような声をこぼし、よろよろと自席に到着するとぼすんと音を立ててソファに腰を下ろす。パフェグラスにぶつからないよう気をつけながら、テーブルに付いた両腕を枕にして顔を埋めた。
「なまえさん! あの人誰!?」
「もしかして彼氏ですか!?」
「えっなまえさんの恋人さん!?」
 園子たちがなまえに駆け寄り質問責めをする傍ら、コナンと真純はディーノが出て行った店扉をじっと見つめていた。
 意気消沈しているなまえに質問をすることをやめ、園子らは自分たちだけでディーノや彼となまえの関係について盛り上がり始めた。
 なまえは騒然とした中、腕から少しだけ顔を上げ、目の前に置かれているパフェグラスに視線を向ける。
「アイス溶けてるし……ディーノのばか」
 とろとろに溶けてしまったバニラアイスは、生クリームと混ざり合った。そのため、パフェの上に乗っかっていた苺は足場をなくし、アイスと生クリームの真っ白な海に溺れてしまっていた。
 なまえはそろりと手を伸ばしスプーンを掴むと、そっとパフェグラスの中にスプーンを入れて苺を救出する。行儀が悪いとわかっていながらも、テーブルに突っ伏したまま苺を頬張った。
 バニラアイスと生クリームに絡み合った苺は、本来のほのかな甘さは感じられず、真っ白い濃厚な甘さが舌に絡みついてくる。
 ――いつの間にか私も染まってた……。
 綱吉の日常が変化し始める前、そしてリボーンがやって来た時から覚悟はしていたが、まさかここまで彼らと関わることになるとは当初思ってもみなかった。
 何か綱吉たちの手助けになるようなことが少しでもできればいいとあの頃は思っていたが、先日の死炎印といい、今では彼らの方から力を貸してくれと協力を仰いでくれる。それがくすぐったいのと同時に、自分もファミリーの一員なのだと頼まれる度に実感でき、なまえの心臓は歓喜の音を立てた。
 ――私はもう、抜け出せないのかもしれない。
 寧ろそれが本望だと、なまえは黙々とパフェを食べ進める。
 真っ白い海に浸かり甘くとろけた苺が、まるで裏の世界に染まった自分自身のようだった。

16,10.22