目出たき者の集い


 今にも雪が降り出してきそうな灰色の空の下、世界が薄暗い色に染まりつつある中、黄色や紅に染まる木々はより鮮やかに視界に飛び込んできた。それに対抗するように、街中は早くも来月のクリスマスに向けて彩られ、凍える冷たさをきらびやかな装飾が吹き飛ばそうとしている。
 様々な色が混雑する中、人目を避けるように路地裏でじっと息を潜めている男がいた。暗い色の服に身を包み、帽子を目深く被って顔に出来た火傷の痕を隠しているようにも見える。
 今の自分は、安室透でもバーボンでも、降谷零ですらない。頭の先から爪先まで、この世で一番憎むべき存在である男の姿に身を纏っていた。
 この日のために随分前から時間を調整し準備を整えた。さらに、ベルモットに協力を仰ぎ、この顔に赤井秀一の幻覚を施してもらうため、変装術の腕を奮ってもらったのだ。
 今日の目的は、赤井秀一の姿でかつての彼の仲間に近づき、反応を確認すること。
 赤井秀一は来葉峠でキールの銃弾を受けて車ごと燃え尽きた。それを耳にした時は衝撃を受けた。しかし、すぐに怒りと憎悪、言葉にしがたい嫌悪感が腹の底からふつふつと生まれてきた。
 赤井秀一は稀に見ぬ食わせ者である。FBIきっての切れ者と称されたり、黒の組織からシルバーブレッドと揶揄されたりしている。奴が組織に潜入していた頃は黒い仕事を共にしたことだってある。だからこそわかる。あの男は、簡単に死ぬ人間ではない。来葉峠での死の裏には、ジンすら気づいていない、何かがある。
 赤井秀一は死んでいない。どこかで今も息をしているはずだ。
 それを立証するための証拠はまだ不充分である。しかし、必ず自分はそれを掴み取るという決意と自信が零にはあった。
 ――奴を追い詰め捕まえるのは、俺だ。
 零は標的であるジョディ・スターリングを発見し、行動に移した。

   *

 零はていと銀行の支店に居た。ジョディがそこに入ったためである。一瞬間だけ姿を見せの反応を伺ったが、彼女が見せた動揺には、赤井秀一が生きていると判断をするには時間が必要だった。ならば、もう一度彼女と接触を試みるだけだ。
 一定の距離を保ちジョディの後を追いかけて待ち受けていたものは、零の頭を悩ませるには充分すぎる光景だった。
「静かにしろ! 両手を挙げてその場に跪け!」
 視界の端に潜入中の風見ともう一人の部下を確認して細く息を吐いた。
 ――そうだ、今日だったか。
 零はあの日の会議内容を思い出し、どんなダブルブッキングだよと溜息をつきたくなった。赤井秀一に成りすますことばかり考えていて、今日のことを頭の中の引き出しの奥底に仕舞っていたのである。
 強盗犯がここいるということは、予定通りていと銀行での強盗が行われていることである。
 強盗グループのメンバーは天井に向けて威嚇射撃をして自分たちが優位な立場にあることを示すと、お山の大将にでもなったようにその場を仕切り始める。
「シャッターを閉めろ! 一箇所に集まってもらおうか!」
 メンバーは五人。全員お揃いの目出し帽を被り、ジャンパーを着込んでいる。
 零は記憶を巻き戻して庁内で見た資料の内容を振り返った。金子以外は逆探知に成功し、身元が割れている。全員揃いの格好をしているため、体型でしかそれぞれの特徴を確認できないが、資料で見た限りでは容姿の特徴は一人ひとり個性的である。金子以外四人は目出し帽を被っていても難なく突き止めることが出来た。
 そうなると、残りの一人が金子重之である。零もそう考えていたし、離れた場所で一般人の振りをしている風見たちも同じ考えだった。
「……!」
 ――金子じゃない!?
 メンバーの後方で周囲を見渡してじっとしている強盗犯は、明らかに金子重之ではなかった。金子は身長こそ男性の平均身長程だが、公安に目をつけられ始めた頃からその体型は変わらず太っていた。とある説では、金子は糖尿病を患っており、自作の爆弾で稼いだ金で治療費を補っているのではとまで言われている。
 兎にも角にも、そんな金子である。強盗メンバーの中でも目に付く存在になるというのは公安の中では周知のことであった。
 しかし、後方で人質になった民間人や仲間であるメンバーをじっと見つめている者は、女性だった。ジャンパーから覗く手は白くしなやかで、立ち姿や醸し出す雰囲気も強盗メンバーとは思えないものだった。
 ちらりと風見たちを確認すると、彼らも驚愕の表情を隠しきれていなかった。
 金子が現れなければ、今回の作戦は失敗に終わる。そうすれば、裏社会には金子が製造した新作の爆弾が横行し、黒の組織の手にも渡ってしまうかもしれない。組織の立ち位置は裏社会にあるけれど、目的のためなら表の社会にも平気で手を出す傾向がある。いい例がキールの時だ。キールを奪還するため、奴らは一般人を巻き込んだ。それだけは、避けなければ。
 そのためには、あの女の正体を暴かなければならない。金子が居るはずだった場所に現れた女は、きっと金子と何らかの繋がりがあるはずだ。
 零が考え耽っているうちに、現状はどんとん悪化していく。
 強盗犯は、民間人の携帯を没収し、知り合いがいれば固まって座るよう指示を出す。その時一人のメンバーが突っかかって来たが、隣に座っていたジョディ・スターリングが言い訳をして事なきを得た。
 彼女の反応を見る限り、赤井秀一は死んでいる。再会の感動もままならず、突っかかってきた強盗犯に嘘を淡々と告げたあたり、公私混同せず冷静に行動できるやつだと判断しそうになった。けれど、トイレに行くと言い出し強盗犯の付き添われこの場を去ったのを目の当たりにして、なんて軽率な行動だと零は心中で悪態をつく。大方、トイレに行き上手く男を近づかせた隙に蹴り上げるでもなんでもして、強盗犯を一人気絶させてしまおうという魂胆だろう。そこまでなら簡単にできるだろう。なんて言ったって、あれはFBI捜査官の一人なのだから。だが、と零は眉を顰めた。
 ――強盗犯を一人沈めたところで、どうにかなる問題ではない。
 何かを仕掛ける時は、常に最悪の場合を想定しなければならない。
 この場合だと、ジョディ・スターリングは様子を見に行った仲間の強盗犯に見つかり、返り討ちにされる。彼らの目的はこの銀行の金であるから、命に関わるようなことはしないだろう。けれど、まあ、気絶させられた挙句に彼らの目出し帽とジャンパーを着せられ、銀行強盗の濡れ衣を着せるくらいはされてしまうはずだ。
 零が考えた通り、強盗犯が帰りの遅い仲間の様子を見にトイレへ向かった。

 暫くすると、事態は急変した。
 突如、空間を割くような、乾いた音がこだました。
 強盗犯の一人が見せしめのように民間人に発砲したのだ。腕に銃弾を掠めたサラリーマンと見られる民間人は後ろに倒れ、腕を抱きながら蹲る。
 まさか発砲するとは思っていなかった民間人たちは、目の前で起こった非日常的な現実に悲鳴を挙げて震え上がった。
 撃たれた男の近くにいた民間人が、手当をしようと蹲り唸り声を挙げる男に声を掛けたりするが、次は自分が撃たれるかもしれないという恐怖から体は震え、適切な処置が出来ていなかった。
 撃たれた箇所からどんどん血の色が広がっていき、出血が酷いことが目に見えてわかった。このまま放っておけば、撃たれた彼は確実に危ない。けれど、今自分が動いてしまえば後々厄介なこととなる。それは風見たちも同じだった。
 目の前に救える命があるのに、指を加えて見ている事しか出来ないのか。
 零は俯き唇を噛む。身動きできない不自由さに拳を握りしめた。
「代わります」
 突然響いた鈴の音のような声は、発砲音と同じくらいの衝撃を人々にもたらした。
 手当を名乗り出たのは、同じ強盗犯の一人で、金子がいるはずだった居場所に突如現れた未だに身元が割れていない女だった。
「おい! 何勝手なことをしている!」
「大丈夫、このくらいじゃ死にませんよ。何か他に止血に使えそうなものありますか?」
 女は強盗犯の声を無視し、震えながらハンカチを押し当て止血しようとする男たちに優しく話し掛ける。その言葉に周囲にいた人々も我に返ったのか荷物を探り始める。
 女の元には次々と薄いガーゼのハンカチやハンドタオルが差し出されるが、女は何を思ったのか、感謝の言葉を述べるだけでそれらに一切手をつけなかった。
「おい! 勝手な行動は……っ!?」
 その場にいた誰もが目を疑った。
 女は自身がつけていた目出し帽を外し、それを出血部分に押し当て止血を始めた。さらりと肩に掛かり滑り落ちる黒髪に隠れてこちらから顔は伺えなかったが、先程聞こえた声と相まって、予想していた通り華奢な印象を覚えた。
「おい! 何外してやがる!」
「血迷ったか!?」
「……あなた達こそ、血迷いましたか?」
 それまで無視し続けてきた強盗犯の言葉に、この時女は初めて言葉を返した。しかし、それは仲間であるはずの相手に向ける声音とは少し違ったものだった。
「目的を思い出してください。私達の目的は何? 民間人を撃つことてはないでしょう。これでは発砲音を聞いた外にいる警察が『中にいる実行犯は短気なやつらだから力づくで取り押さえた方がいい』と判断してしまうかもしれない。そうなれば、私たちの目的は達成されません」
「っ……それは……」
「貴方だって本当はわかっているはずです。発砲したって警察や人質を刺激するだけだっていうことを。貴方の権威を見せるのは、まだ少し早い……この日のために計画を練ってきたんです。あなた達が立てた計画は完璧だ。私はそれを無碍にしたくはない」
 まるでこうなることがわかっていたとでも言うように、女はジャンパーのポケットから新品のガーゼや包帯、消毒液を取り出す。そして、適切に処置を施しながらも、女は子どもを諭す教師のように強盗犯、特に発砲したリーダー格の男に語り掛ける。
 男は話を聞き、段々落ち着きを取り戻していくようだった。周囲にいた仲間も釣られるように真剣な面持ちになっていく。
「……だからと言って、外さなくてもいいだろう」
「そうですか? いいじゃないですか、これくらい。いつまでもみなさんとお揃いというのも飽きたし、息しづらいんですよねえ。それに……」
 女がゆっくりと振り返ったことで、背を向けて見えなかった顔が自分に晒される。この場にそぐわない微笑みを浮かべた顔には、どこか見覚えがあった。
「どうせ私たちには、必要なくなるんですから」
 その笑みを見た瞬間、零の心臓はドクンと大きく波打った。懐かしさとともに違和感を覚える。
 そして脳裏には、ある女性の姿が思い浮かんだ。それは、個人的に零が近々解き明かしてみたいと抱えていた謎と関係している。
 沢田なまえ。並盛で生まれ育ち、現在米花町内にある、工藤邸で暮らす翻訳作家である。
 零はあの会議の後、忙しない日々を送りつも時間を作っては沢田なまえについて調べていた。
 なぜ調べ始めたのか。こればかりは直感としか言いようがないが、沢田なまえと風紀財団、そして並盛が結びつけば、この不穏な気配を感じる気持ちから抜け出せると思ったからだ。
 しかし、調べれば調べるほど零の不安は募っていった。その不安は、言い換えれば“気持ちが悪い”という表現が当てはまるだろう。
 持ち前の情報収集の手腕を駆使し、どれほど調べ上げても、平凡な内容しか出てこなかったのだ。出てくる情報は、沢田なまえの生年月日と家族構成。そして、学歴である。沢田なまえは、高校まで地元並盛にある学校で学び、卒業後はイタリアに留学。そして大学卒業後、翻訳作家として活動し始めた。
 なにか手掛かりが転がっているはずだと、零は少し躍起になって彼女の交友関係や彼女の弟とその周辺も調べ上げた。
 しかし、沢田なまえ同様、良い結果は得られなかった。
 風紀財団に至っては、並盛の治安維持に徹しているとしか出てこなかった。風紀委員会時代に起こった隣町にある他校との抗争についての情報が少しばかり出てきたが、特別目立った情報はそれのみであった。
 まるで巧みに操作されたとでもいうかのような、なんの申し分もない綺麗な情報。それが零には気持ち悪くてならなかった。そしてその気持ち悪さが、彼女と風紀財団、果ては並盛に対する不信感を逆撫でていった。
 並盛町という、一見何も変わったところがなく普通の地域のように見える、蓋を開けてみれば風紀財団が牛耳る不透明な場所で生まれ育った彼女。
 どうして強盗犯の女を見て沢田なまえの姿を思い浮かべたのだろう。だって、なまえは琥珀色の瞳にハニーブラウンのような、キャラメルとも見て取れる髪色をしている。また、彼女はいつも姿勢が良く、どことなく品があるように見えた。
 一方、強盗犯の女は黒い瞳に黒髪、姿勢は猫背ぎみ。猫背はどことなく自信が無いような、面倒くさがりの印象を与えるが、適切に処置をする女からはあまりそのようなイメージは持てなかった。
 双方とも対象になるような、全く違う印象を覚える容姿。普通に考えれば、二人が結びつくなんて考えられない。
 ――いや、待て。
 零は結論をくだそうとする自身に待ったを掛けた。目に見えるものは確信的な証拠になりうる。けれど、どんなに小さな可能性や疑問は捨ててはいけない。自分の直感でさえもだ。
 なぜ懐かしさと違和感を覚えたのだろう。零は映像を巻き戻すようにこれまでを振り返る。
 直感的に洗いざらい調べなければと思った存在たち。けれど、手に入った情報はほんの僅かな、まっさらな経歴。
 女を見た瞬間に脳裏に浮かんだ、彼女の姿……。
 そこまで考え、零は一旦思考を切り替える。
 ――今日、俺は何故ここにいる?
 そう、今日は赤井秀一の死の真相を突き止めるためだ。そのために準備に準備を重ね、こうしてベルモットに協力を仰ぎ赤井の姿を……。
 ――まさか……!
 ウィッグを被りカラーコンタクトをして化粧を施せば簡単に容姿は変えられる。それに、声だって変声機を使えば簡単に変えることができる。
 そう、それは、今自分が容姿を変えていよように、手を加えれば簡単に他者の目を欺ける。
 女は応急処置を終え、一息つくとその場に立ち上がった。人質である民間人を一人ひとりの顔を確認するように銀行内をゆっくりと見渡す。
「っ……!!」
 女と視線が交わった。
 零はこれでもかというほど目を見開いた。
 ――なぜ、お前がここにいる……!?
 零の衝撃を受け取り、それに応えるかのように、女はふっと笑みをこぼした。
「さあ、早く計画を進めましょう」
 彼女の透き通った声が店内に響き渡る。
緊張が解れるような、胸の奥が温かくなるような笑み。
 零はその笑みが得体の知れないものにしか見えなかった。けれどそれは、零の推測が確信に至ったことを表しており、零自身も自分の推察が真実だったことを認めざるを得なかった。

 彼女は紛れもなく、沢田なまえ本人だった。

16,12.04