凱旋行進曲


 なまえは四人の背中を見送り、バタバタと足音を立てて離れていくのを確認して、一気に全身の力を抜いた。
「はぁー……」
 ――よかった、上手くいった。
 コナンは自分を逃がさないようにしつつ、フロアの方も解決しようと悩むと踏んでいた。そのため、他三人の心境を変化させこの場を離れるよう決心するよう促した方が楽だと思い、なまえはあのような行動を取ったのだ。
 それにしても、コナンがあれほどまでに粘るとは思わなかった。話の主導権をなまえに握られてしまい、コナンは主導権を取り返そうと食い下がってくるかもしれないと考えていたが、実際はそうはならなかったので少し拍子抜けのような感じがした。最後まで結論を下すのを先延ばしにしていたコナンは珍しく見えたのだ。
 ――報告会やだなー。絶対リボーンに何かネッチョリ言われる気がする。つっくんも何かネチネチ言ってきそう。
 この後予定されている作戦終了後の会議を思い浮かべてなまえは憂鬱になった。
 作戦に参加するにあたってなまえは盗聴器及び発信器を常備していた。そのため、銀行内の状況や先ほど少年探偵団と交わした会話が並盛の地下施設にてジャンニーニたちと一緒に居るリボーンや綱吉に筒抜けなのである。
 工藤邸に住むことになる以前、黒の組織に関することについて話し合いを重ねていた時に、APTX4869の被検体である江戸川コナンの存在はボンゴレ幹部内で情報として共有し、認知している。先ほど交渉とも言える会話をした小学生の中にコナンが居たと確実にリボーンたちは気づいただろう。そして、地下施設に戻った時に言われるのだ。「どうして作戦立案の時に遭遇するかもしれないということを話していなかったんだ」と。
 ――どうしてって言われても……どうにかなると思ったとしか言いようがないかも……。
 これが、遭遇するのはコナン一人だけだという確信があったならなまえは事前に相談していただろうが、今回は間違いなく出会うとしたら少年探偵団だと思っていた。これはもう「超直感です」としか答えられない。
 アタッシュケースに表示された数字がすべてゼロになったことを見届けて、なまえは怒涛の一日を走馬灯のように振り返る。
 今日は陽が登る前から動きっぱなしだった。未明に金子と遭遇して銀行強盗の作戦を変更させて公安と会わないように仕向け、その後受け取った爆弾をどうにかこうにかしてから強盗犯たちが集合している場所へ向かい、驚きと警戒心を抱く彼らの不安定な気持ちを上手く封じて仲間に加わり、作戦を確認した後にていと銀行へ。
 ――がんばった……私がんばったからご褒美ほしい……昴さんの作ったご飯が食べたい……。
 奈々が体調を崩してから今日までなまえはずっと並盛にいた。連絡を取り合ったり、一回工藤邸に戻ったりということはあったが、それでも忙しない日々を送っていたため、昴とはほとんど話せていなかった。そろそろ工藤邸での生活が恋しくなってきそうだ。
 『家に帰るまでが遠足』というように、綱吉たちの元に帰るまで作戦は完了したと言えない。
 なまえはもうひと踏ん張りだと息を吸いこみ、アタッシュケースが積まれた台車を押してエレベータ―に乗り込んだ。
 B1の階ボタンを押し、倉庫として扱われている地下に降り立つ。けれど倉庫には入らずに、なまえは真っすぐに続く薄暗い道を台車を押しながら歩いた。
 行き止まりに差し掛かると、右手にある両扉を開けて中に入る。そこはコンクリートが剥き出しになっており、空調を管理するための機材や、少し歩いた先には天井や壁を這うように見慣れぬ大きな管が設置されている。なまえはそれを追いかけるように進んでいった。
 暫く歩いていると、『立入禁止』と大きくペンキで書かれた扉が見えてくる。扉の前にやって来ると、頑丈な錠前等は付けられていなかった。
 なまえは台車から手を放し、力の限り取っ手を引っ張って、なんとか立て付けの悪い扉を開けた。すると扉のサビ臭さと下水の臭いが鼻につく。マスクをすればよかったとなまえは顔をしかめ、脚を運んだ。
 ていと銀行の従業員もあまりやって来ない地下倉庫。あの場所を訪れるのは年に一度のあるかないかくらいだと思う。ていと銀行の地下にある立入り制限がされている扉は、下水道に続いていた。元々は戦時中に造られた地下要塞であり、戦後それを再利用して下水道が造られたらしい。
「なまえさん、こっちです」
「隼人!」
 なまえは台車を押して懐中電灯で居場所を知らせる隼人の元に小走りで駆け寄った。
「お迎えありがとう。上はどうなってる?」
「どうやら強盗犯が暴れたらしいですが、機動隊が突入して無事死者も出ず解決しました」
「そっか……よかった」
 なまえはほっと胸を撫で下ろした。爆弾を奪うために少年探偵団をフロアの方へ促したものの、彼らが怪我なく事が済むのか心配でしかたがなかったのだ。
 隼人は微笑むと、さり気なく台車を受け取り歩き出した。
「爆弾の解体、大丈夫でしたか?」
「うん。銀行に乗り込む前に済ませちゃってたからね。さすがに三分ではできなかったけど……。アタッシュケースにはめ込んだカウントダウンタイマーがちゃんと表示されてるか心配で何回も確認しちゃったよ」
 肩をすくめるなまえに隼人は控えめに笑った。
 なまえに与えられたもう一つの役割。それは、銀行強盗のために金子が用意した爆弾を解体することだった。金子から託された爆弾を、強盗犯たちと遭遇する前に解体したなまえは、カウントダウンタイマーをはめ込んだアタッシュケースを用意して集合場所に向かったのだ。
「あとは野球バカのほうですね」
「……大丈夫。草壁くんも一緒だし、あの人もいるから」
 なまえと隼人は足早に暗い下水道を進んでいった。

   * * *

 自信作である新製造した爆弾は、既に裏社会で横行していた。既に存在している爆弾を凌駕するような破壊力を兼ね備えているこの爆弾の需要が高まっていく様子は、金子が爆弾製造者として確実に頭角を現していることを物語っていた。
 爆発させてしまえばどんなに醜いものも美しいものでも、一瞬で跡形もなく消え去る。格差も差別も、爆発ともに跡形もなく消滅させてしまう。なんて素晴らしいものなのだろう。
 幼い頃からずっと他人に馬鹿にされてきた。容姿を笑われ、成績が悪いとからかわれ、パシリのように扱き使われる日々。そんな日常から抜け出したくて、不良とつるんでみたり、暴力団に加わったりもした。けれど、どんなにステータスを身にまとっても周りの目は変わらなかった。終いには家族すら呆れ返り縁を切られた。
 こんな世の中クズだ、クソだ。ならば、全て消し去って新しい世の中を創ればいい。
 そう決意して始めた爆弾製造。手探りで始まり独学で知識と技術を体得していったが、昔から手先だけは器用だったから、あまり苦ではなかった。
 これで俺はこの世をまっさらな状態にして、差別も格差も、何も無い平等な世の中を創るんだ。
 金子は未明、強盗犯に指示された集合場所に向かっていた。まだ集合時間まで充分に時間があるが、今日これから起こる事件がきっかけで、これまで主に裏社会で名前を売っていた自分が、表舞台での華々しい復活を遂げるのだ。興奮せずにはいられない。
 連日報道番組で自分の名前が流れるのを想像し、金子はくつくつと喉の奥を鳴らした。
「あの、すみません……」
 突然掛けられた声に漏れそうになる悲鳴をなんとか抑えて後ろを振り返る。街灯に照らされそこに立っていたのは、濡れるような黒髪を耳にかけた女だった。目が合うと女は目を見開いた後頬を染めて、あろうことかこちらに駆け寄ってきた。
「ずっと、ずっと貴方に会いたかったの……! 貴方、本当にあの金子重之なのね! 会いたかった……!」
 瞳を輝かせ恍惚とした表情で話す女は、感動の余り抱き着いてくる。鼻腔をくすぐる石鹸の香りに胸に当たる柔らかな感触。なんだ。何が起こっているんだ。
 金子は抱きついたままの女をどうすることも出来ずに両手を震わせた。金子がこれまで接したことがある女は、全て自分を馬鹿にした目をしていた。なのに、この女はなんなんだ。どうしてこんな瞳を俺に向けている。
「私、ずっと貴方に会いたくて、今日の計画に混ぜてもらったの!」
 女は肩に埋めていた顔を上げて金子を見つめた。あまりの顔の近さにカッと火がついたように顔が赤くなるのが自分でもわかった。金子は目が回りそうだった。今自分に起きていることは幻なんじゃないかと思えてきた。
 ――この女は今なんと言った? 計画に混ぜてもらった? なぜ? 俺に会いたかったから? たったそれだけの理由で?
「あっ、その顔は信じてないでしょ。本当よ? 私、貴方の爆弾が一番最初に起こした事件の時からずっと貴方に惹かれてたの。どうにかして会いたかったんだけど、でも私と会うことで貴方に不利益なことがあったら大変だから、陰ながら応援してて……」
 頬を膨らませた後、上目遣いをしつつ唇を尖らせて話す女は嘘を言っているように見えなかった。
 こんな至近距離で女が、しかも容姿も話し方も好みのやつが、俺だけを見て話をしている。金子は女の黒い瞳に映る自分の顔が不思議でたまらなかった。
「あの人たちの計画はずさん過ぎる。もし計画が失敗して警察が乗り込んで来たら……貴方は捕まっちゃう。そんなの絶対ダメ! ……だからね、私が貴方の代わりに強盗メンバーに加わるわ。貴方にはもっと別の、重要な役割があるの」
「……何?」
 ぼーっと女の話を聞いていた金子は『重要な役割』という言葉に反応し、我に返った。金子の反応に女はにやりと双眸と形のいい唇に弧を描き、金子の耳元に顔を寄せた。
 女が説明した計画は、金子の理想を描いたようなものだった。
「これが成功したら、強盗から金を強奪して……二人でたーくさん“いいこと”しましょ?」
 唇に白魚のような人差し指が触れられた。首を傾げて甘い声を聞かせる女に、金子は全身をぶるりと震わせた。

   *

 杯土町にある大型ショッピングモールの立体駐車場最上階に金子はいた。ここからは、ショッピングモールの全貌が見渡せた。このショッピングモールは四棟から連なっており、日を問わず多くの人々が行き来をしている場所だった。
 金子は今朝方未明に出会った女の言葉を思い出す。
「杯土町のショッピングモール、四棟を繋ぐ渡り廊下に置かれた植木鉢に爆弾を仕掛けて。きっと、ていと銀行の様子はニュース速報で報道されるはず。もし、銀行の方が失敗に終わったら、貴方はこの立体駐車場の最上階に行って爆弾のスイッチを押して。あそこは眺めが良いから、きっと渡り廊下が木端微塵になる光景がよく見えるわ。そしたら私が貴方のことを迎えに行く。大丈夫、私は銀行から抜け出せる道を知っているから、万が一強盗犯が失敗しても、私だけ逃げ切れる。私が行くまで、絶対そこで待っててね?」
 金子は耳につけたイヤホンから流れてくるラジオニュースに耳を澄ましていた。聴こえるのは、ていと銀行に入った強盗が機動隊が突入したことにより捕まったという内容だった。
 あの女の言葉を借りれば、ずさんな計画だったのだろう。あの場に自分が居たら、今頃自分は警察に連行されているところだった。
 しかし、流れてくるニュースには、機動隊が突入し強盗犯を捕まえたことばかりで、爆弾の話題は全く出てこなかった。
 どういうことだ。俺の爆弾は完璧だ。爆発しないということはない。それなのになぜ報道されない? まさか誰かが解体したのか? いやでも、あの爆弾は裏社会でしか使っていないから、爆弾処理班でさえ解体が難しいはずだ。
 ショッピングモールに爆弾を仕掛けるため、当初金子が加わるはずだった銀行強盗にはあの女が加わった。その時に銀行に仕掛ける爆弾は女に託したのだ。
 ――まさかあの女、逃げたのか!?
 そうとしか考えられない。ラジオでは、銀行強盗は四人だと報道している。それは元々ネット掲示板で銀行強盗を企てていた当初のメンバーの人数であり、自分の代わりに女が加わり五人になったはずだった。
 そもそも、あの女は何者なんだ? あっちは俺の名前も、何をしているのかも知っていたのに、俺はあの女の名前さえ知らない。どうしてあのような時間に出会ったんだ。まるで、最初から俺があの道を通ることを知っていて、待ち構えていたようなタイミング。偶然を装ってしまえば何の違和感も感じない。
 そこまで考えて、金子は自分を抱きしめた。足元からひやりとした空気が体を這いずり回るように上ってくる感覚。形容しがたい恐怖に膝が震え始める。
「まっ、まさか……」
 今日自分に起きたことはすべて仕組まれたことなのではないか。
 高みの見物のように隣町で銀行強盗の様子をラジオニュースから確認し、この後のハネムーンのような幸せな時間を思い描き一人で高揚していた時間は、すべて自分を泳がせておくための時間だったのではないか。そして、俺はもうすぐ捕まってしまうのだったら……。
「に、逃げないと……!」
 慌ててイヤホンを取ってポケットに突っ込み、周囲を確認して自分がいた形跡が残っていないことを確認した。ここに自分がいたと警察に確認されてしまえば、それが証拠となっていずれ居場所がバレてしまうかもしれない。
 バタバタと証拠を隠滅してその場を去ろうとしかけたその時、何かが鼓膜を震わせた。
「……?」
 金子は動きを止めて耳をそばだてる。すると、聞こえてきたのは口笛だった。陽気な音色は駐車場内に響き渡り、音の出どころがわからず金子の不安感を煽っていく。カツンカツンとゆったり歩み寄ってくる足音まで聞こえてきて、金子は辺りを見回すこともできずにその場で固まってしまった。
 口笛と足音が徐々に大きくなっていき、それらはなんと、自分の後ろから聞こえてきた。
 金子はゴクリと唾を飲み込むと、意を決して振り向いた。
「だっ、誰だ !? 」
 そこにいたのは、長身でスーツを着込み、頭髪をスポーツ刈りにして顎に一筋の傷がある男だった。
「――助っ人登場! ……まあ、お前の助っ人じゃあないんだけどな」
「なっ……!? どういうことだ!? 誰なんだよお前!」
「名乗るほどのもんでもねーよ。というか、ちゃんと話聞いてたか? お前ここからトンズラしようとしてたろ。絶対ここで待ってろって言われなかったか?」
「お……お前! もしかして、あの女の仲間か !? 」
 笑いながら近づいて来る男に金子は後退りをしながらも真実を確かめるべく口を開いた。しかし恐怖は募るばかりで、威勢のいいような言葉を並べようとしても、喉が震えてしまい結局格好つかずになってしまう。
 なんだこの男は。満面の笑みを浮かべている癖して、醸し出している空気は全くの別物だ。
 こちらの様子も気にせず距離を縮めてくる男に、金子の脳内では警報が鳴り響いていた。こいつはヤバイ。捕まったらきっと最後だ。今までの生活には戻れなくなる。きっと警察よりも捕まってはいけない存在だ。
「ひっ……く、来るなぁ!」
 金子は震える膝を何とか動き出して走りだそうとしたが、脚がもつれて倒れ込んでしまった。
「おお、おっちょこちょいなのな。もう少し痩せたら五メートルくらいは走れたんじゃねえか?」
「っ、うぅ……」
 金子は恐怖から腰が抜けてしまい、立ち上がることが出来なかった。それでも金子は逃げ出そうと、ほふく前進のように動いて距離を取ろうとする。
「おいおい、往生際が悪いな」
「うっ、ぐあ!」
 山本はゆったりと金子に近づき、這いずって無防備になっている背中に膝をぐっと突き立てて体に乗り上げた。金子に抵抗する隙を与えないよう、両腕をひねり上げて背中に回し、ポケットから取り出した手錠でガチリと手首を拘束する。
「ほら、行こーぜ」
 首根っこと両手首を掴まれてぐっと体が引き上げられる。拘束されながらも立った金子は、後ろにいる男に押されるように歩き出した。
 歩いていると見えてきたのは、黒塗りの車だった。
 あれはリムジンじゃないか。どういうことだ。こいつは何者なんだ。
 口を開こうとしても恐怖で歯がガチガチと震えているために声を出すことができなかった。それに、声を出せば後ろの男に何かされるのではと考えてしまい、話すどころか抵抗すらできなかった。
 男はリムジンの前に到着すると、ドアを開けて車内に金子を投げ入れた。金子は両手に手錠を掛けられていたため、頭から車内に乗車することになる。あまりの痛さに唇を噛み締めていると、前のドアが開いて誰かが乗り込む音がした。きっと先ほどの男が助手席に乗ったのだろう。
「お疲れさまです。行きましょう」
 金子が体を捻り首を動かして前の席を見ると、運転席からは頭をリーゼントにした屈強な顔をした男が座っていた。
 武は金子の様子を気にもせず、シートベルトを締めて携帯を取り出す。金子を捕獲したことをメールで送信すると、草壁に顔を向けた。
「爆弾はどうなったんすか?」
「全て回収済みです。まさかここまで張り切って設置するとは思いませんでしたよ……」
 草壁は話しながら武から視線を移し、チラリと後部座席の様子を確認する。金子が倒れ込んでいる後方には、草壁を含む風紀財団が回収した、ショッピングモール内に設置されていた爆弾の数々が置かれていた。爆弾は精々多くて三つほどだと考えていたが、実際回収してみると、四棟をつなぐ渡り廊下がすべて爆破してしまうほどの数が置かれていた。
 この金子の気合の入れっぷりについて、なまえの誘惑が効いたのだろうというのが爆弾を回収した風紀財団の見解だった。なまえの演技力に尊敬半分恐ろしさ半分といったところだが、お陰で約一名ずっと不機嫌であるため、草壁は今後同じようになまえが標的を誘惑する時がきたら、前もって程々にやってくれと頼みこもうと決意したのである。
 草壁自身も仕掛けたられた爆弾の回収に回っていたため、彼と時間を共にしたのはまだたった数分だが、部下からの報告では、彼の不機嫌と苛立ちはピークに達しているという。バックミラーで後部座席に座る男を確認して、草壁はとある言葉を胸に刻んだ。
「じゃあ解体お願いしまっす、松……」
 触らぬ神に祟りなし。そう草壁が決意した矢先、武はいつもの調子で話しながら後ろ振り向く。草壁は額に手を抑え、武が話し掛けた男がこれ以上機嫌が悪くならないことを祈った。
「おいおい、松田陣平はあの観覧車で死んだんだぞ? そう言ったのはお前らの将軍サマと女神サンだぜ?」
 ふんぞり返るように後部座席のシートに座る姿はどこかの暗殺部隊のボスのようだと武は思ったが、口に出すと何かよからぬことが自分に降りかかりそうなので自重することに決めた。
「ははは……すんません。なんかジャックって名前慣れなくて……」
 申しわけなさそうに武は頭を掻きながら謝る。名前を間違えるのは人として失礼に値するが、自分が先ほど言いかけたのはこの男一応本名であるから、別になんの問題も起きないと思うが。
 というか、なんでジャックなんだ? ピーターパンといい、どうしてこうなまえが連れてくる者達はメルヘンチックな新たな名前を貰うんだろう。これじゃあキラキラネームみたいだ。いや、おとぎ話から名前を取ってるんだからキラキラネームじゃなくてメルヘンネームになるのか?
 普段は直感的に体で感じたことに反応を示したり言動をする武は、そこまで考えただけで久しぶりに頭を使ったような気がしてしまった。今度なまえに名付けエピソードでも訊いてみよう。自分で考えるよりもそっちの方が断然早くてシンプルだ。
 ジャックと呼ばれた男は武の気まずそうな笑いを一瞥し瞼を閉じた。
「まあいい、そのうち慣れるさ。……よう、金子重之。随分ヤンチャしてくれたようだなあ」
「ヒッ」
「お前のおかげで俺はビックリ変人集団にあちこち連れてかれて扱き使われてんだ。今日ここに来るのでさえカエルの力借りての逃避行だった。落とし前つけてくれんだろうなあ?」
 サングラスを外して未だにシートに座らず転がっている金子に眼を飛ばした。金子の洩らした声を聞いて自分の行動を振り返り、まるでヤクザの作法じゃないかと頭の隅で考えた。けれど、今の自分はヤクザよりもやっかいで大物の組織の一員だったと思い出し失笑した。
「ジャックさん、車内は禁煙でお願いしますよ。雲雀がうるさいので」
「大丈夫だって。ちゃんと棒付きキャンディーだよ」
 ほら、とジャックは舐めていたイチゴ味のキャンディーを口から出し、バックミラー越しに草壁が見える様に摘んだ指先でくるくると棒を回した。草壁がほっとしたような、呆れたような判断がつかない溜め息をついたことを確認し、ジャックはドッキリが成功したようににんまりと笑って再びキャンディーを口に放り込む。
「……さて、ここにお前の自信作がある。これからお前の目の前で、俺が直々にバラしてやるよ」
 魔法のように自分の作品が簡単にバラされるのを見るのは、ナルシスト気質のある金子にとって憤慨するほど醜い行為でありプライドが傷つけられるだろう。お前のプライドと、俺のヴァリアーでの労基法に反する働きぶり、どちらが価値があるかなんて天秤に掛けなくたって丸わかりだ。
 これが終われば王子か鮫辺りがやって来て、またヴァリアーに強制送還されるだろう。そして、以前の人生では想像もつかないような、今ではもう日常になってしまった非日常な日々が帰ってくるのだ。
 ヴァリアーに戻った後の生活を思い浮かべてジャックは気付かれないように息を漏らす。体に入っていた無駄な力を抜き、気持ちを切り替えた。
「――こんなもの、三分もありゃ充分だ」
 ジャックの口の中で、バキッとキャンディーを噛み砕いた音がした。

16,12.16