霞がかった真相


 並盛町の地下に建築されたボンゴレ施設。そこに設置された会議室に集まったのは、なまえとリボーン、隼人と武、クロームにピーターパン、そして草壁の七名である。全員の顔が見えるように座る彼らは、これから今回の金子奪還作戦における会議を始めようとしていた。
「ええと……今回の欠席者は、ジャックをヴァリアーに送り届けてる了平、草壁くんを代わりに出席させてる恭弥くんと……」
「今回風紀財団のヤツらに関しての指揮はほぼ草壁が取ってたしな。雲雀がいなくてもいいだろう。ランボは放っておいて……」
 なまえの欠席者報告を聞きなんとも言えない顔をして頭を下げる草壁に、リボーンはフォローを入れる。しかし言葉を切ると溜め息をつき顔をしかめた。
「あはは……つっくんインフルでーす」
 なまえが乾いた笑いを浮かべながら綱吉の欠席理由を話すと、リボーンと守護者たち、そしてピーターパンは思い思いの表情を浮かべた。
「バカツナめ」
「十代目……俺が代わって差し上げたい……」
「ボス、毎年インフルになってる気がする……」
「そーいやあそうだなあ」
「インフルじゃあ仕方ないな」
 奈々が完治して一安心と思ったところで、今度は綱吉がインフルエンザに罹ってしまったのだ。なまえは綱吉の次は自分が罹ってしまうのではないかと内心震え上がっていた。
「そういや、ヴァリアーのやつらが金子を寄越せとしつこく言ってきたが、代わりにジャックを戻したら何も言ってこなかったから放っておいて良いと思うぞ」
「良いんだ……」
「すげえな……」
 きっと、金子で晴らそうと思っていた鬱憤はジャックがすべて受け止めることになるのだろう。 日頃からベルフェゴールに玩具にされ命の危機に遭遇し、ルッスーリアから熱い視線と接触を受け、スクアーロをいびることが趣味だったXANXUSはその趣味の範囲をジャックにまで広げて毎日を有意義に過ごしているという。
 ジャック本人から聞いた話を思い出し、なまえは「貴方のことは一生忘れません」と手のひらを合わせた。
「皆さん、その辺にして……。まず、各メディアの反応ですが……」
 草壁は雑談に終止符を打ち、今回の銀行強盗に関する報道をタブレット端末に映してみせた。
 変装したなまえの存在は巷を賑わせており、報道番組や新聞、週刊誌やSNS等では彼女が何者なのかという話題で持ちきりだった。警察に捕まった強盗犯は当日加わるメンバーの代わりに現れたなまえの名前すら知らずに一緒に行動していたのだから拍子抜けだとネットニュースには書かれている。金子の名前はどこにも見合たらなかった。どうやら警察側は、なまえの代わりにいるはずだった爆弾を提供した人物が金子重之というの公開していないらしい。
 これはボンゴレにとっては好都合であったが、なまえの存在について要らぬ憶測をする報道にはそろそろ大人しくしてもらいたいというのが本音だった。
「私有名人だねー」
「なんならサイン会でも開いたらいいんじゃないっすか?」
「翻訳作家の前に銀行強盗として初サイン会!?」
「私、なまえが初めて翻訳して出版された本にサインしてもらったことある……」
「あっそういえばそうだね、懐かしいなー」
「はあ!? 聞いてねーぞクローム!」
「あなただけがなまえのファンってわけじゃないもん」
「そういやあ俺読んだことないな……」
「ハァ!? ピーターてめぇ命の恩人が書かれた本を読んでねえとか何様のつもりしてんだ!?」
「えっ!? わ、悪い!」
「大丈夫。パンには後で全部読ませるから」
「おう、まかせたぞクローム」
 ピーターパンになまえが翻訳した本を読ませる同盟をまなざしで組む隼人とクロームに草壁は頭を抱えた。
 ――この人たちは真面目にやる気があるのか!?
 仲が良いことは大変喜ばしいことであったが、話し合いを軌道修正した傍らこうもすぐに話が脱線してしまうと、いつまでたっても話が前に進まない。報告会という名称だが、まだ決めなければならないことは残っているのだ。
「あの……」
「さて、これから色々と話し合うわけだが」
 草壁を見かねたリボーンが助け船を出すように鶴の一声ならぬ最強ヒットマンの一声をかける。リボーンの言葉にそれまで騒いでいた面々は一斉に口を閉じて顔つきを変えた。
「まあ、その前に……」
 リボーンは曖昧に言葉を切るとなまえに視線を向ける。
「なまえ、お前、あの銀行に江戸川コナンがいること分かってただろ」
「っ……」
 なまえはゼンマイ仕掛けの人形のようにぎこちなくリボーンから視線をそらす。するとリボーンの目つきはさらに鋭いものとなり、なまえは自分に向けられる視線が冷ややかになったことを感じ、慌てて口を開いた。
「た、対策! 色々考えて行って、万が一顔に出ちゃうと江戸川コナンに先読みされてバレるかもしれないから……。だから、あえて何も考えずに即興で対応、しました」
「……本当にそれだけか?」
「ッ! ほ、本当。ほんとに、本当っ!」
 リボーンはなまえを凝視した。
 なまえは目をそらしてはいけないとリボーンの鋭い眼光を受け止める。眼が泳ぎそうになり、机の下でぎゅっと両手を握りしめることで緊張に打ち勝とうとしていた。
「……演技指導が必要だな」
「えー!」
 リボーンは諦めたように溜息をつき、なまえとの睨めっこを終わりにした。なまえはまさかこれ以上なにかを体得するとは想像もしていなかったため頭を抱えた。
「めざせマカデミー主演女優賞だ!」
「そ、そんなぁ……私がんばったのに……」
 褒められるどころかさらに課題を突きつけられなまえはガックリと肩を落とす。
「そのことについてなんですが、なまえさん」
「……ん?」
 落胆しているなまえに今言うべきではないとは思ったが、草壁は腹を括り続きを話した。
「……ハニートラップはもう少し控えてもらえますか」
「えっどうして? あれでも控えめにやった方なんだけどな……。べつに肌が露出してる服選んだわけじゃないし」
  なまえは草壁の言葉にきょとんとして自分の行動を振り返る。なまえが金子に接触した時に身にまとっていたのは、品良くフリルが飾られた白いブラウスに、紺色のコルセット付きのハイウエストスカートだった。一見、清楚で上品なお嬢様のような印象を持たせる服装だが、胸元に付けられた可憐なリボンと相まって、胸部の強調により背徳的な艶やかさを演出していた。
 「ハニートラップってもっとこう……生々しいことを言うんじゃないの?」と首を傾げるなまえを目の当たりにし、草壁はぐわっと表情を強ばらせ、テーブルをバンッと叩いた。
「事が済んだらなまえさんと……と考えた金子が張り切って、杯土町ショッピングモールの四棟つなぐ渡り廊下全て爆破できる数の爆弾を置いたんですよ!?」
「あらまあ……」
「クソ変態野郎」
「ハハッ正直者なのな」
「むっつり……」
 草壁の訴えに、なまえや獄寺、そして武とクロームは素直に言葉を漏らす。草壁は各々の反応の薄さを目の当たりにし、「人の気も知らないで……!」と片手で目元を覆い俯いた。
「ツナのやつ、なまえのハニートラップの様子を盗聴器で聞いている時、まさに阿鼻叫喚って感じだったぞ」
「つっくん……!」
 リボーンの言葉に、なまえは綱吉が自分を心配してくれたという嬉しさのあまり緩む頬を両手で抑える。若干頬を染めているように見えるのはきっと見間違いだとピーターパンは心の中で一人つぶやいた。
「おかげでジャックさんがずっと解体に追われてて……ただでさえ忙しかったようなのに一日に何個も解体させられたらそりゃあ色々なものがピークに達しますよ……」
「ニコチン不足じゃねえか? あいつ“以前”はタバコ吸ってたんだろ?」
「何でも、『疲れた時には甘いもの』って感じで普段から甘いものよく食べてるらしいよ」
 なまえはジャックから爆弾処理の方法を教わった時に彼自身が話していたことを伝えると、隼人は「なるほど! さすがなまえさん!」と目を輝かせた。ジャックがどのような人物なのか全く知らないピーターパンは、隼人の返事に首を捻りながら耳を傾けている。
「金子のプライドとメンタルをへし折ってやるって意気込んで……。一つだけ爆弾を残しておいて、金子が捕まってやってくるのを今か今かと待ってましたからね」
「あー、あの時のジャックめっちゃ楽しそうだったよな! 俺、時間計ってたんだけど三分以内に解体しちゃうし!」
 ジャックの様子を聞いているピーターパンをしりめに、なまえはチラチラとリボーンに視線を向けていたが、とうとう腹を括ったような表情をしてリボーンに話しかけた。
「ねえリボーン。今回の私の動き、百点満点中何点だった……?」
「…………」
「リボーン?」
「――金子は童貞だな」
 リボーンの確信めいた言動に、一瞬会議室内が凍る。「なまえが着てた服は『童貞を殺す服』ってやつだろ」と冷静に分析をする様子に隼人たちはどう突っ込んだらいいのかわからなかった。
 しかし、なまえは気にせずリボーンに話しかける。
「リボーン先生、私の話無視しないで?」
「さて、金子の処遇についてだが……」
 リボーンはなまえの言葉を華麗に無視して話題を変える。なまえの縋るような瞳も誉めてもらいたいと言わんばかりの表情も、今日という今日は見て見ぬふりを決め込んだ。
 なまえはちっとも視線を向けてくれないリボーンに誉めてもらうことを諦め、思考を切り替えて考えを口にした。
「いつまでもボンゴレに置いておくのはどうかと思う。アタッシュケースにお金入れっぱなしで持ってきちゃったからそれと一緒にどうにかしないと」
 強盗犯に命令されて銀行の支店長がアタッシュケースに入れた資金は今、地下施設内に保管されていた。計画立案中には、資金だけ銀行に置いて爆弾に見せかけたアタッシュケースだけ持ち去ろうとする案が出たが、すぐに却下されたのだ。
 銀行で強盗事件が発生している時のアタッシュケースの中身は、なまえの働きにより金子印の爆弾が含まれていないとはいえ、強盗犯や人質は爆弾が在ると思っている。事件後に強盗犯が捕まり、彼らが事情聴取で金子の名前を出してしまえば、金子印の爆弾が目当てということに警察はすぐに気づくだろう。そうすると、下り坂を転げ落ちるように金子印に関する情報が漏洩してしまう可能性が出てしまう。ならば、資金を独り占めしようと仲間を裏切ったと警察側が思うようにすればいい。結果、なまえはアタッシュケースに入った資金ごと銀行から運び出したのだ。
 警察側が金子の存在を公表していないことにより事は良い方向に進んでいるが、金子と資金の取り扱いについて考えなければならないことには変わりなかった。
「警察に突き出すか?」
「こっちの情報洗いざらい吐かれるだろーが」
 武の考えを隼人はピシャリと跳ね返した。しかし、ここにいる全員、警察に引渡した方が良いと考えていた。
「そもそも、公安は金子がていと銀行に現れるって前もってわかってたけど、警視庁側は金子が現れるかもって知ってたのかな?」
「……いや、知っていたとしたらもっと別の行動に出たはずだ。公安から潜入したってことは、金子と接点を持ちあわよくば作業玉にして、国内に潜む暴力団や海外のテロ組織と奴らへの糸口にする気だったんだろ」
 なまえの疑問にピーターパンが過去を振り返りながら答えていく。専門家からの分析に、皆一斉に彼に注目した。
「おお……さすが元警察なのな」
「パン……頭いい人みたい……」
「なっ……! 俺だってこのくらいはわかるぞ!」
 武とクロームの見直したとでもいう感想にピーターパンはまごついた。どうもこの子たち……というか、ここの人間のペースは未だに掴めない。真面目な話をしているかと思ったらすぐに脱線するし、かと思えばすぐにオンオフを切り替えるように顔つきが変わる。
 ピーターパンは過去を振り返りながら、それぞれの組織には『色』があるがここはまるで様々な色に染まっていると思った。例えるならばそう、虹色のようだと考えを改めた。
「やっぱお前をここに呼んで正解だったな」
 リボーンはニヤリと口角をあげる。
 ピーターパンの話を聞き顎に指を当てていた隼人は綺麗な眉を歪につり上げた。
「ということは、金子がもしこの後警察に渡った場合、捜査権は公安に移るって可能性もあるわけか」
「ああ、その気になれば強制的にでも金子の身柄を公安に移すことができる」
 滅多に行われることではないが、実際に警視庁から公安へ捜査権が移された事例はいくつかある。ピーターパンは昔を思い出しながら隼人の予測に裏付けをした。
「そうなると、金子に顔を見られたのは、車内にいた自分ら三人と、変装しているとはいえなまえさん……の合わせて四人。金子が容姿の特徴を伝えてしまえば見つかるのは時間の問題になることも」
「草壁は真っ先に捕まるな」
「うっ」
 リボーンに痛いところを突かれ、その場にいる全員の視線が草壁の頭に向けられる。
 厳ついリーゼントの男だなんて金子が警察へ報告してしまえば、警察が不良や暴力団を視野に入れ調べ始めても、公安に認知されている風紀財団は真っ先に目をつけられるだろう。アイデンティティの現れとも呼べるリーゼントが目印になってしまう事実に、草壁は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「今まで出た意見を踏まえた上で、どうする」
 リボーンが全員の顔を見渡した。
 正体がバレてしまってはいずれボンゴレの存在も示唆されてしまう可能性が出てくる。それは避けるべきことだとわかっていたが、そうならないための策が思いつかなかった。これで金子をボンゴレに置いておくといっても、爆弾製造者という間接的に犯罪歴のある赤の他人に目をかけてやれるほどの懐の広さと経費は持ち合わせてないのだ。しかしこうなると、話は振り出しに戻り、このままでは堂々巡りになってしまう。
 会議室に静寂が訪れる。
 なにかいい策はないかとそれぞれが頭を悩ませていると、それまでずっと黙っていたなまえが口を開いた。
「――じゃあ、喋れない状態にしちゃえばいいんじゃない?」
「……っていうと?」
 ピーターパンの不思議そうな問いかけを双眸で受けとめて、なまえは視線を流すようにクロームに移した。
「ね、クローム」
「……!」
 なまえの言葉に、クロームをはじめとした守護者と草壁は息を呑んだ。ピーターパンは一人話についていけず、困った様に眉をひそめた。
 リボーンは虚を衝かれた顔をしたがそれも一瞬で、彼が動揺したことはその場にいる誰も気づかなかった。
「クローム……? どういうことだ?」
「パンは知らなくていい話」
「あっハイ」
 クロームにピシャリと跳ね返された言葉にピーターパンは萎縮する。
 なまえの発言に呆気にとられていた面々は、クロームとピーターパンのやりとりに我に返った。二人の会話に目を細めていた武は、隣に座る隼人に耳打ちする。
「なあ、ピーターパンは尻に敷かれるタイプなのか?」
「知らねえよ」
「でもクロームがバッサリ切り捨てるって珍しくねえ?」
「クロームはピーターのお姉ちゃんみたいだねー」
「……お姉ちゃん」
 なまえの言葉にクロームは嬉しそう頬を赤らめる。
 出会ってから年月が経ったと言っても、骸一派の中では一番下っ端だったクロームは、自分の元にやってきた右も左もわからない状態のピーターパンに何かと手を掛けていた。それは素っ気なかったりさり気ないものだったりするけれど、クロームは弟の面倒を見ている感覚だったし、わからないことがあれば大体のことは教えてくれるクロームをピーターパンも信頼を寄せていた。
「俺の方が歳上なんだけど!?」
 ピーターパンの訴えにどっと笑いが起こる。会議だというのにすぐ話が脱線してしまうのは、この場に集まる者たちが仲の良い証拠だった。決して皆が不真面目というわけではない。
 笑い声から逃れるよう、草壁は困惑気味に若干渋い顔をするリボーンに小声で話し掛けた。
「いいんですか、リボーンさん」
「……最終的に決めるのはツナだ」
 あくまで自分の意見を言わずこの先待ち構えているものを告げるリボーンの心境を、草壁は把握することが出来なかった。せめて善し悪しだけでも聞かせてくれればいいのにと眉をひそめるが、ここに雲雀がいたとしても彼と同じような反応を下すだろうと容易に想像ができた。雲雀の場合は、ただ単に金子が既に興味の対象ではないからそうなるだけだと思うが。
「同意する、でしょうか。……時々、彼女の突拍子もない発想に度肝を抜かれますよ」
「まあ、なまえは人をボンゴレかそうでないかで考えてる部分があるからな」
「どうしてそこまで……」
「…………」
 草壁にはきっとわからないだろう。しかし、彼女の一風変わった“昔話”の境遇を知っている自分でさえ、なまえの全てを理解出来ているわけではなかった。
 「喋れない状態にしてしまえばいい」と語ったなまえは、まるで夕飯の提案をしているくらい軽々と言ってのけた。残酷な内容にもかかわらず平然と口にしたなまえに、彼女の言葉を理解した誰もが驚愕した。
 きっと、なまえ自身は無意識的にボンゴレのためと思考が働きかけていることもあるだろう。イタリアに留学した際、ボンゴレ本部の人々やヴァリアーの面々と過ごした時間が影響を及ぼしているのかもしれないと考えられるが、それだけではないような気がした。
 まるでなまえは、綱吉が決断しきれないことをその立場を利用して、提案という形で発言しているように感じることがある。綱吉の背中を押すという表現が正しいのかはわからないが、なまえは綱吉に甘いだけではなかった。
 綱吉はどんな決断を下すのか。それにはまず、体調を万全にしてもらわなければいけない。なまえの発言が招いた結果や綱吉の決断が、良い行いなのかそうではないのか、結論が見えてくるのはきっと遥か未来のこと。
「本当……末恐ろしい女だ、なまえは」
 ピーターパンを弄る楽しそうななまえを見ながら、リボーンはポツリと呟いた。

   *

 途中途中話が逸れてしまったおかげで長く続いた会議も無事に終わり、流れ解散となった。散り散りに会議室を後にする中、なまえは動かずにそのまま席に座っていた。
「なまえ……?」
 ずっと携帯を見つめているなまえを不思議に思い、クロームは声を掛けた。
「なまえ、何してるの?」
「んー……」
「……料理?」
 生返事を返すなまえに、クロームは胸の内で謝りつつ彼女の後ろから携帯の画面を覗いた。表示されていたのは様々な煮込料理だった。
「昴さんに作ってもらう料理探してるの」
「昴? ……って、工藤邸にいる?」
「うん」
 なぜそうなったのだろう。作ってもらう約束でもしていたのか。
 クロームは昴という人物の人となりをあまり知らなかったが、確か彼はFBIの人間ではなかったかと振り返る。国際ニュースや海外ドラマでしかあまり耳にしない存在は、クロームにとってまるでおとぎ話の住人のようだった。
 そんな人が料理を作る。まるで、実は骸が子ども服を手作りする趣味があると突きつけられたくらいのギャップだ。もちろん、実際には骸は作らないけれど。日常生活を送る上で食事は必須事項だから料理ができても当たり前なのに、クロームにとってはそれくらいFBIイコール料理という方程式がうまく噛み合わなかった。
「いや、本当は留守にしてた私が帰ってから家事頑張らなきゃいけないんだけど、ずっと食べてた彼の料理、こっちに来て全然口にしなかったから、なんか……」
 段々小さくなっていく声とともに俯いていくなまえにクロームは首を傾ける。彼女の様子にぴったりと当てはまる言葉が思い浮かんだからだ。
 いや、でも、まさか。なまえに限ってそうはならないはず。
 クロームはそう思いつつ、なまえの気持ちが知りたくて、真相を確かめるために口を開いた。
「……寂しくなった?」
 クロームの言葉になまえは顔をパッと上げて振り返った。目を丸くしてぽかんとクロームを見つめる。
 クロームはそんななまえの姿にドキリと胸が高鳴った。
「……そう、なのかな……? 私、寂しかったのか……そっか……」
 クロームの言葉を噛みしめるように真剣な面持ちでなまえは腕を組みながらぼそぼそと言った。
 ――言わなきゃよかったかも。
 クロームは俯いて唇をとがらせる。久しぶりに二人きりでゆったりした時間が貰えると思っていたら、自分からそれを遠ざけようとしてしまうだなんて。クロームは自分の失言に後悔した。
「いや、待って違う。違うよ。寂しかったわけじゃない、絶対違う。……そう! これはご褒美! リボーンが全然褒めてくれないから!」
 まるで自分に言い聞かせるように「寂しくない、これはリボーンが褒めてくれない代わりのご褒美だ」と繰り返し言い続けるなまえにクロームは気づかれないように失笑した。
 彼が素っ気ない態度を取るのは、きっとなまえが江戸川コナンと遭遇する可能性を事前に相談していなかったからだとクロームは考える。あの場所にいたのが綱吉や骸、恭弥であっても、彼女を大切に想う人間ならばリボーンと同じ態度を取っていたはずだ。
 見方にもよるが、今回の彼女の行為は、こちらを完全に信用していないからだとも取れてしまうのだ。これまでの関係上、絶対そんなことはないと皆知っているし、リボーンもきっと理解しているだろう。でも、やはりどこかで信頼や信用といった言葉が引っかかってきてしまう。
 今回は上手くいったから良いものの、もし上手くいかなかったら。もし相手が江戸川コナンではなく、自分たちと同じような立場にいる人間で、彼女の交渉術が通用せず武力行使に出られてしまったら。そう考えただけでクロームは背筋がひやりとしてしまう。
 なまえの話を聞いてリボーンが言い訳と取ったのかはクロームはわからなかった。けれど、それほど頭が切れる人間なのかと、会議室にいた人たちは、江戸川コナンもとい工藤新一の認識を改めることになっただろう。それはもちろんクロームも同じだった。
「なまえはいつも頑張ってる。皆、知ってる」
 クロームはなまえの頭をゆったりと撫でた。驚いて上目遣いで見つめてくるなまえは、自分が立っていて彼女が座っていることもあると思うが、なんだか歳下のように見えてしまいクスっと笑みがこぼれた。
 なまえは些細なことでさえ、よく褒めてよく認めてくれる。その行為はクロームにとって新鮮で、胸の奥からあたたかい波が押寄せてくるようだった。けれど、それは大きな津波のようなものではなく、足元からゆっくりと浸していき、いつの間にか波は海水となり、全身を巡る一部となって溶け込んでいくようだった。
 最初はその正体がなんなのかわからなかったが、心地よい波が運んでくるものを幸せと呼ぶのだと、そう教えてくれたのはなまえだった。
 クロームはいつもなまえに恩返しができればと考えていた。しかし、なんでも卒なくこなしてしまうなまえにしてあげられることなど見つからず、いつもクロームは彼女からの幸せを貰うばかりだった。
 自分に出来ることは何だろう。
 苦悩していたクロームに声を掛けたのは、骸だった。
 骸はクロームの悩みを見抜き、自分がされて嬉しいことは何かと問いかけた。そして、それはきっとなまえもされて嬉しいことだと話した、星空と朝焼けを閉じ込めたような双眸を細めた骸の表情を、クロームは時間が経った今でも鮮明に思い出せる。
 工藤邸に住みながら重要人物の動向を探りつつ、副業である翻訳をこなしながらボンゴレの仕事も引き受けるなまえを頑張っていないと言う人なんて、ここには誰一人としていなかった。
「ありがとう、クローム」
 ほら、なまえが名前を呼んでくれるだけで、視線が合わさるだけで、心地よい波が胸を満たす。
 花が咲くように笑うなまえの表情が好きだ。ずっと聴いていたくなるようなあたたかい声も、素敵なピアノ演奏や美味しい料理を生み出してしまう魔法使いみたいな両手も好きだ。
 幸せを教えてくれたなまえには、幸せになってほしい。
 ――『沖矢昴』は……確か、赤井秀一……。
 楽しそうに携帯を弄るなまえをちらりと盗み見た。なまえがまさか、ボンゴレ関係者以外にあんな顔をするだなんて。
 ――骸様に、報告しよう。
 好きな人と好きな人は、幸せになってほしい。叶うことなら二人が添い続けてくれればと、何度もあたたかくてやわらかい未来を想像してしまう。
 骸が居て、その隣になまえが寄り添っていて。そんな二人を後ろから眺められたら。きっとそれは、とっても綺麗で、とってもあたたかい光景だ。
 クロームは静かにぎゅっと手を握った。

16,12.23