ボンゴレ日和


 並盛町の地下に建設されたボンゴレ支部の会議室にて、金子を確保するための作戦会議が行われている。
 なまえは米花町に関する情報を提供した後、自分も作戦に加わると発言すると、会議室内に阿鼻叫喚が木霊した。声をあげたのは約一名だったが。
「なんでー!? なまえなに言ってんの!?」
「え? なんで? 逆になんで? 私も作戦加わるよ? つっくんこそなに言ってんの?」
 綱吉は衝撃のあまりその場に立ち上がってテーブルを挟み目の前に座るなまえに身を乗り出した。けれど綱吉の焦りようもどこ吹く風とでもいうようになまえは食い下がる。
 そんな二人を見ていたリボーンは、ピンとなにか閃いたような素振りをすると、唇を三日月の形にして隣に座るなまえの肩を抱いた。
「さすがオレのベイビー。久しぶりの再会でもイカしたこと言ってくれるじゃねえか」
「いやだリボーン先生……! 先生のモミアゲの方がイケてる……!」
「いい歳していい加減そのバカップルコントやめてくれない!? リボーンになまえは嫁がせた覚えないって何回言ったらわかるのさ! ていうかなまえも! もうイタリア語はマスターしたんだからそんな会話しなくてもいいだろ!?」
 リボーンは基本、綱吉の家庭教師として動いているが、同時になまえにも充分目を掛けている。その一つに、なまえにイタリア語を教えたのもリボーンだった。
 当時、遠くない未来、イタリアとは嫌というほど関わりを持つことになるのだから、今のうちからイタリア語の勉強をしていても損はないだろうと、ちょうどなまえは考えていた。そのことを知ったリボーンは、得意げに「外国語をマスターする近道は、その言語を話す恋人をつくることだ」と話し、確かにその通りだとなまえは首を縦に振った。そして二人はその日から『恋人ごっこ』をすることになったのだ。もちろんこのごっこ遊びはイタリア語で行われた。すると、元から素質があったのか、なまえの語学力はどんどん向上していったのである。
 『恋人ごっこ』をする必要がなくなった今でも名残があるのか、日常会話の中でもまるで関係を持っていることを匂わせるような発言を、二人はイタリア語に限らず行うことがある。しかも、それはきまって綱吉がその場にいる時に多く見られてたのだった。
「つっくんのツッコミはやっぱり爽快感があっていいねえ、惚れ惚れしちゃう。私も精進しなきゃ」
「なまえは今のままでも充分魅力的だぞ。……んでツナ、シスコン通り越してそりゃ姑だ」
 さらになまえとの距離を縮め、やわらかい髪に頬ずりしながら勝ち誇った笑みを浮かべるリボーンに、綱吉の頭を掻きむしった。
「ああーもう! 絶対反対だからね! なまえは休み! 動きません!」
「なにそのすごろくの一回休みみたいな……。なんでよー、私だけ仲間はずれなの?」
「なまえは米花町のこと話してくれたじゃん! もう充分力貸してもらったよ!」
「こんな広告の商品読み上げるくらい簡単な情報提供が? 米花に住んでる人なら知ってるような内容だよ? 御茶の子さいさいだよ? つっくんは、おへそでお茶沸かしてるんですか?」
 テーブルに乗り上げる勢いで反論する綱吉に対し、なまえは笑顔を浮かべたまま首を傾げて綱吉に言葉を返す。
 ――今日のなまえ、いつにも増してはじゃいでる。
 会議室内にいた全員が顔には出さないものの思いを一致させた瞬間だった。テンポよく交わされる姉弟の会話は口喧嘩のように見えるが、仲の良い証拠でもあった。
 それぞれ相変わらず多忙を極めているが、互いに久しぶりの再会でゆったりと顔を合わせているこの状況。守護者たちもなまえとの対面を楽しみにしていたのだから、血を分けた姉弟ならもっとだろう。
 なまえは昔から非常に面倒見が良く、思いやりを持って人に接する姉として認知されているが、綱吉を困らせたり慌てふためく姿を見ることは好きらしい。今日のようにリボーンと一緒に綱吉で遊んだり、好きな子をいじめる小学生のように振る舞っている姿がたびたび目撃されている。
「ああああもおおおおそうやってさぁ! 遠回しにぃいい! ……なまえはもう充分動いててくれるから、これ以上何もしなくていいよ! 勘の鋭いやつに気づかれたらどーすんの!?」
「変装すればよくない? 変装プラス変声機だなんて日常茶飯事だよ?」
「ああ、赤井秀一がそうだもんな」
「そうそう。しかも変装マスクっていう徹底っぷりだからね。変装マスクって通気性とかどうなんだろうね? 梅雨とか蒸れて大変そう……。あっ、そうだ! 一緒に暮らし始めてしばらくした頃にね、寝ぼけてて変声機落としてること忘れたままシャワー浴びに行っちゃったことあって! もう、変声機、慌てて探してる様子が……もう……っ!」
 今でもあの慌てっぷりは鮮明に思い出すことができる。その度になまえはこみ上げてくる笑いを抑えることが出来なかった。
「覗き見してたんですねなまえさん……」
「しかも面白がって見てたと……」
 隼人と武が「相変わらずだな」というように感想をもらす。なまえは二人の声に笑顔で返すと、話を続けた。
「本当は変声機渡さずにもう少しだけ見てたかったんだけど、あまりにもかわいそうだからつい声掛けちゃったんだよね……」
「盗み見がFBIにもバレないとは腕を上げたななまえ。さすが俺のフィアンセだ」
「リボーン先生……!」
「ちょっと待ってー!? フィアンセってなに!? 飛躍しすぎなんだけど!」
「そうか?」
「そうかな?」
「そうだよ! とにかく! なまえはダメ! 母さんが元気になったら米花に戻ること!」
「……つっくんはいつもそうやって私をのけ者にするんだ」
「違っ……のけ者とかそういうわけじゃなくて!」
「じゃあ、なに?」
「それは……っ」
 綱吉はでかかった言葉を飲み込むと、なまえから視線をそらし俯いた。ほぼ全員のまなざしが刺さる中、唇をもぞもぞと動かすが綱吉の声は一向に耳に届かなかった。
 どれくらいそうしていたのか。
 誰もが綱吉の次に出る言葉を待っている中、突如扉が開く音が鳴り、静寂は壊された。
「好きにさせてあげれば」
「っ!? ひ、ひっ、ひば……!?」
「あれ、恭弥くん久しぶりー」
 会議室に入りカツカツと靴を鳴らして近づいてくる恭弥になまえがひらひらと手を振ると、仏頂面のまま無言で手を振り返してくれた。
「ひっ、雲雀さん! どうしてここに!?」
「……いつまで過保護になってる気?」
 恭弥はぐるりと室内にいる人々の顔色をうかがうと、綱吉の質問に返答せず疑問を投げかけた。綱吉は鋭い言葉と視線に一瞬息をつまらせると、恭弥の言葉がなにを指しているのか理解して口を開く。
「……だっ、だって! 万が一、なまえになにかあったら……」
 予想通りの綱吉の返事に恭弥はピクリとも眉を動かさず言葉を返した。
「そうさせないようにするのが君の仕事でしょ。職務怠慢もいい加減にしなよ。なまえはやると決めたことは遂行するし失敗も侵さない。それは君が一番よく知っているんじゃないの」
「それは……! そう、ですけど……でも!」
「ボンゴレとして参加させないなら、風紀財団として参加させることも出来るけど」
「……っ」
 綱吉は言い返すことができず、ギリッと歯ぎしりをした。
 なまえがボンゴレの仕事に関わることについて、綱吉と恭弥は正反対の考えを持っている。
 綱吉は、できることならばマフィアの業だなんてものをなまえに背負ってほしくはなかった。自分の近くでなまえは、もう充分すぎるほど人間の腹の底でどろどろとしているようなものを目の当たりにし、様々な体験を重ねてきたのだ。これ以上、なまえには人間の真っ黒な欲望の塊を見つめてほしくない。その陽だまりのようなあたたかい双眸には、きれいで美しいものしか映さなくていい。もしなまえにも向き合えと言うのなら、弟であり十代目を襲名した自分が彼女の分まで向き合い、それらを受け止めればいいのだ。たとえ本人が望んでこちらの世界に居座り続けるのだとしても、なまえには京子やハルのように、笑って自分の帰りを待ってくれる存在でいてほしかった。
 胸のうちにそんな想いを隠していても、綱吉はそれを本人に言葉にして伝えたり、行動で示したりといったことは未だにできていなかった。やはりどこかで本当の気持ちを伝えることに恥ずかしさを抱えていた。そのため、素直に伝えられない綱吉は、なまえがボンゴレの仕事に関わろうとする時、なにがなんでも彼女が参加しないようと反発するのだ。
 一方、恭弥はなまえができること、本人がやりたいと言ったことはやらせるべきだという考えの持ち主だった。なまえは誰よりも状況を客観視して数手先に起こりうる未来を予測することに優れていた。それに加えてなまえは失敗を犯すなどということはしない。万が一なにか不祥事があった場合は、自分が赴いて窮地から彼女を救い出せばいい。
 できることはやらせる。できないことでもなまえが首を縦に振ればやらせてみる。綱吉の意向を組んでボンゴレが彼女を飼い殺しにするのであれば、自分が風紀財団として彼女を有効活用するだけのこと。恭弥は仕事にかかわろうとするなまえに綱吉が渋ることを把握していたため、風紀財団になまえの籍をあらかじめ設けていた。
 恭弥は、綱吉、リボーン、そしてなまえへと順に視線を向け、少しゆったりと唇を動かした。
「ちょっと甘やかしすぎなんじゃないの」
 水面を震わせる一滴のような言葉だった。
 誰に対して話したのか。それは、室内にいる誰とも目を合わせずに空間を見つめて語った恭弥にしかわからない。
 しかし恭弥の話を聞き、綱吉の眉間にはぎゅっと皺がよった。思うところがあるのか、俯きぎみにテーブルの一点を見つめて下唇を噛み締めている。
 リボーンは自身の中で葛藤している綱吉を見やった後、横目で隣に座るなまえの様子をうかがった。なまえは綱吉を見つめているようで、どこか遠くに思いを馳せているように見えた。光の当たり具合によっては琥珀色にも橙色にも受け取れるその双眸は、透明にでもなってしまったかのように感情が読み取れない。
 綱吉にボンゴレ関連の仕事への参加を拒否される度、なまえはなぜだと理由を訊くが、本当は綱吉がそんな態度をとる理由に彼女は気づいているようにリボーンは思えた。綱吉が抱える想いや考えも、なまえは見透かしているけれど、それらを巧みな話術でさり気なく引き出すことなく綱吉の口から伝えてくれる機会を待ち続けている。
 昔からなまえは、綱吉が自分でなにかをやり遂げる機会を見逃さず、彼が葛藤しながらも懸命に努力する姿をそっと見守る姿勢を保ち続けていた。そして、結果はどうであれ綱吉がやり遂げると、必ず彼女は頑張りを受け止める。いつか奈々が話していたが、なまえは綱吉が小さい頃からそうやって接してきたらしい。
 視線を上げると、なまえを見ていた恭弥と目が合い、リボーンはゆるく口角を上げて肩を竦めた。
 長い沈黙の後、恭弥はわざとらしく溜息を一つこぼした。
「……こっちは引き続き草壁が動くから」
 恭弥はもう話すことはないと背を向け歩き出す。
 恭弥が扉に差し掛かったところでなまえは声を掛けた。
「ありがとう、恭弥くん」
 ぴたりと足を止めて恭弥は少しだけ顎を引き、顔を後ろに向ける。
「一つ貸しだよ」
「はぁい」
 ふわりとした笑顔と返事を受け止めて、わずかに口の端を上げた恭弥は今度こそ会議室を去っていった。
 なまえは室内に広がる微妙な雰囲気を一変するように体の中に溜まっていた息を吐き出し、明るく吸い込んだ。
「――というわけで、つっくん。私にもお仕事ちょうだいね?」
 組んだ両手を頬の横に首を傾ける、所謂おねだりポーズをするなまえに、今まで静かだった綱吉は魔法から解けたようにまばたきを数回した後、声をあげた。
「っ……! もおおおお!」
 こうして、恭弥の言葉掛けにより、なまえの作戦参加が決定したのだった。

17,01.20