魔法をかけてやる


『雲雀恭弥も連れてこれから言う場所に来なさい』
 電話に出るなりビアンキからそう告げられたディーノは、一緒にいた恭弥を引っ張り、共に指定された場所にやってきた。
 そこは複合型商業施設の中にある書店に併設されたカフェだった。出入口から入ると、壁に隔てられることなく、開放的な場所となっており、書籍やカフェのメニューに興味を持った客がすぐに立ち寄れるようになっていた。
 相変わらず人気の多い場所が嫌いな恭弥はしかめっ面を貫き通していたが、傍らの席に大きな紙袋をいくつか置いて珈琲を飲みながら本を読むなまえの姿を認めると、それまで鋭かった空気が一瞬でやわらかくなった。
 着いたら電話を掛けるようにと言われていたため、ディーノは着信履歴の一番上にあったビアンキの番号を選択する。するとなまえの目の前に座っていたビアンキは着信に気づき、電話を持って彼女に席を外すことを伝えているようだった。
 ビアンキに話しかけられ顔を上げたなまえに、ディーノは目を見開いた。隣で微かに息を呑んだ音がしたから、恭弥もたぶん気づいたのだろう。
「ちょっと面貸しなさい。なまえのことでよ」
 驚きを隠せないでいると、ビアンキはいつの間にか目の前に来ていて、カフェから離れるように背を向けた。近くのエスカレーターに乗ったビアンキにディーノたちは黙ってついていく。上の階に到着すると吹き抜けになっており、下の階にある先程までいたカフェが見渡せるようになっていた。
「あなた達、なまえが宝石展覧会で着るドレスはもう準備したの?」
 手摺に指を滑らせて振り返ったビアンキの問いかけに、ディーノは一瞬呆気に取られた。
「いや、なまえもなにかと忙しそうだし、前日とかでもいいかなあと思ってた」
「なら今日、今から見繕いなさい」
 ピシャリと跳ね返された返答にディーノは訝しげに眉を寄せた。
 恭弥は二人から三歩ほど離れたところで手摺に肘をつき、なまえの様子を眺めながら会話に耳を傾けている。
 ビアンキは深くため息をつくと、重そうに口を開いた。
「なまえの顔、見ればわかるでしょ」
「……泣いた、のか?」
 ディーノはカフェに着いた時に一瞬垣間見たなまえの顔を思い出す。化粧で誤魔化しているだろうが、見るものが見ればすぐに今日の彼女はいつもと違うことに気づくだろう。
 肩をすくめるビアンキにそれまで黙っていた恭弥がやっと声をだした。
「泣かせた奴はどこのどいつ。貴女ってわけではないんでしょう」
 ――相変わらずなまえの話になるとすぐ反応する。
 ビアンキとディーノの心境が一致した瞬間だったが、眉間の皺を深くして恭弥が話の続きを急かすためビアンキは首を振った。
「それはもういいの。誰に泣かされたとかではないわ。……ちょっとしたパニック状態になってしまっただけだから。私は気持ちの整理をつけさせて少し気分転換させただけよ」
「だからあんなに紙袋あるのか……」
 全てを聞いた後、ビアンキはなまえの手を引いて買い物に出かけた。外に出て様々なものを見た方が気分転換になるだろう。それに、最近は米花に住んでいたこともあってできなくなっていたが、ビアンキはずっとなまえと二人だけで洋服を見たりお茶をしたりといったことがしたかったのだ。
 いつものなまえと比べたらまだ少し元気がないようにも見えるが、これでも買い物しているうちに少しずつ笑顔が見れるようになった方だった。
「私ができるのはここまで。あとはあなた達に任せるわ」
 つまり、ビアンキは宝石展覧会で着るドレスを決めるということを口実に、なまえを見守ってほしいという頼みだった。
「一ついいかい」
「なに?」
「なんでこの人に掛けたのさ」
 恭弥は顎をくいっと動かしてディーノを指した。
「二人どうせ一緒にいるんだと思ってたけど、貴方は電話に出ない可能性が高いと踏んだのよ。基本的に業務メールのやりとりしかしないでしょ」
 なにも言い返せずに恭弥は押し黙った。
 ビアンキの言う通り、恭弥は基本的に業務関連のメールしか反応をしない。なまえの携帯を借りて呼び出してもよかったのだが、電話に出た瞬間に想像していた声と違うものが聴こえてきたらどうなることか。
「……なまえのこと、くれぐれも頼んだわよ」
 ――あなた達が適任だと思ったから、なんて絶対に言ってやらない。
 ビアンキはこみ上げてくる悔しさを表に出さないようにしながら呟いた。
 ビアンキがディーノと恭弥を選んだのには、ドレスを見繕わなければならないという他にもきちんとした理由があった。
 二人がなにかとなまえを気にかけていることは、ボンゴレやその周囲に広く認知されている。ディーノは目に入れても痛くないというほどになまえを可愛がっているし、恭弥もディーノとは正反対のスキンシップをするが、なまえに向ける表情が他の者とまったく違うことはすぐに見てわかることだ。
 二人ともなまえへの接し方は異なるが、根本にある気持ちは似たようなものである。戦闘関連においての勘の良さは超直感を思わせてしまうほどの二人だが、彼女に対してもそれを発揮させるのだ。察しが良いからきっとなまえが気負いすることなくいつものように振る舞うことができるだろうと考えたのだ。
 これが綱吉や、ましてや隼人だったら、質問攻めにするかもしれない。また、武や了平がいたとしても悩んでいることがちっぽけに思えてきそうだが、ドレスを選ぶのは今ひとつ頼りない。なにより、彼らよりもディーノや恭弥相手のほうが、なまえは寄りかかりやすくなる。
 心配性のディーノがなまえに聞きだそうとそわそわすることがあっても、そこは恭弥が上手くやってくれるだろう。
 ビアンキと男二人は話を切り上げるとエスカレーターを降りてなまえのもとへ向かった。
 ディーノと恭弥の予期せぬ登場になまえはぽかんと口を開けていたが、「ドレスを買うために呼び寄せた」とビアンキが話すと納得した様子だった。
「というわけでなまえ、私はもう行かなきゃならないけど、ドレスの他にも欲しいものがあったらどんどん買ってもらいなさい」
「えっ、いいよそんな。だってビアンキにだってこんなに洋服買ってもらったのに」
「片やファミリーのボス、片や財団のトップよ。どんなに金を使っても余らせてるくらいなんだから代わりに経済回してあげなさい」
 それと、とビアンキは付け足した。
「私が提案した件、難しいことは考えずにやってみなさい」
「っ……で、でも」
「でももだってもないわ。一度、まっさらな状態で向き合って、それからどうするか決めなさい」
 ビアンキはまるで諦めるのはまだ早いと言っているようで、どう言葉を返したらいいのかわからずなまえは下を向いた。
 ビアンキはすくい上げるようになまえの両手をとった。両手を追いかけて視線を上げたなまえと見つめ合い、ぎゅっと手を握る。
「大丈夫。なまえなら、きっと」
「……ありがとう」
 喫茶店の時よりも綺麗に笑えているなまえに、ビアンキは力強く頷いた。

   *

 なまえたちはディーノが駐車場で待機しているよう頼んでいたロマーリオの車に乗り、店を移動した。
 到着したのは名高いブランド店が集まっている老舗百貨店だった。エレベーターで目的のフロアに到着すると、早速ドレス選びが始まった。
「なまえー、ドレスどれにする? 俺はこれがいいと思うんだけど」
「却下」
「おいおいなんで恭弥が決めるんだよ! なまえは俺のパートナーだぞ?」
「そんな背中が露出して丈も短いもの着させるわけないでしょ。それに当日はそうだとしても今は違う」
「恭弥はもうちょい視野広げよーぜ。お前が選ぶの全部膝より少し上か膝くらいのスカート丈じゃんか。それにさっきのは言葉の綾というかなんというか……」
「なまえ、こっちはどう?」
「自分から話吹っかけておいて無視すんなって!」
 恭弥はディーノを無視してドレスを選び、なまえにドレスの全体が見えるようにくるりと前後を反転させながら見せていた。
「なまえはこれくらいの丈が一番似合う」
「そうかぁ? でもたまにはこういうのだって……」
 ディーノは自分が選んだドレスと恭弥が選んだものを見比べて眉を下げる。
「風紀が乱れる」
「……お前のものさしで言ったら世の中の半数は風紀乱してるぞ」
 ぼそっと返事のようなひとり言のような言葉をこぼすと、地獄耳なのか恭弥はきちんと聞き届けていた。
「なまえは規定通りに制服を着用していたから生徒の中でも一番制服が似合ってた」
「まあ、確かに制服姿のなまえは可愛かったな……」
 制服姿のなまえを思い出していると恭弥はじろりと睨みを利かせてきた。
「んなっ!? なんだよその変態を見るような眼は!」
 恭弥とディーノが言い合っている声を聞きながら、なまえは一人ふらふらと他のドレスを見て回っていた。ハンガーラックに掛かっているドレスを一着ずつ見ていくがどれもあまり惹かれる要素がないらしく、少し見ては戻してを繰り返していた。
「あっ……」
 あるドレスの前でなまえがピタリと動きを止めた。視線の先にあったのは、赤いドレスだった。
「それ、着てみるかい?」
「っ!」
 突然かけられた声になまえが肩を揺らして振り返ると、すぐ後ろに恭弥は立っていた。
「……いいの、見てただけだから」
「いーじゃねえか。ドレスは何着あっても着る機会はたくさんあるんだ。着てみろよ、なまえ」
 様子を見守っていたディーノが一歩前に出てなまえが手を離したドレスをハンガーラックから取り、なまえにずいっと押し付ける。有無を言わせぬようなキラキラした表情になまえは逃げ道をなくし、小さく溜息をついた。
「……わかった」
 諦めたようにふらふらと試着室へ向かうなまえの背中を見送った。姿が見えなくなるとディーノは口を開く。
「……どう思う、恭弥」
「却下だね。なまえには紫とか紺、それか淡い色が映える」
「そうじゃねえって! いや確かにそうだけど! ……なまえのことだよ」
 ディーノは周囲をちらりと確認してから声を潜めた。
「あんなに元気がない様子、いつぶりだ?」
「さあね」
 素っ気ない恭弥の返事にディーノは眉をひそめた。
「気持ちの整理って……誰かになにかされたのかな」
 気持ちの整理をつけるのに涙を流すなんて、余程のことが起きたのだとディーノは悟った。事の詳細をビアンキや本人から聞くことはできなかったが、やはり気になってしまう。
 悶々と悩み続ける恭弥は鬱陶しそうにディーノを一瞥してから展示してあるドレスを眺めた。
「僕らにできるのは、“以前まで日常だったこと”を今味わってもらうことだけだよ」
 それが結果的になまえの背中を押すことにつながるのだと恭弥は話す。
 これまで仲良くしていた人々がいる環境を離れて米花で暮らしているなまえにとって、自分たち並盛の人間と過ごすことは非日常的になりつつある。並盛にいた頃を思い出し自然体で過ごしてもらおうというのがビアンキのねらいだったのだ。
 馬鹿だな俺は。恭弥は「くれぐれも頼んだ」という言葉だけでそれを察したというのに。
「こればかりはなまえが助けを求めてくれないかぎり、土足で踏み入れてはいけないものだ。現になまえは僕らに助けを求めなかった。それが答えだよ」
 淡々と現状を紐解き語る恭弥は一見無表情に見えるが、その瞳は鋭い気迫を放っていた。
 なまえが一番に助けを求めたのはビアンキだろうということは、ビアンキが「もう行かなきゃならない」と言った時に一瞬間だけ見せたなまえの表情を見てすぐに理解したことだ。母親から離れたがらないような顔をしたなまえに珍しいと思った反面、今回も自分は一番に頼られなかったんだなということを悟った。
 それはきっと恭弥も同じだろうとディーノは考える。
 ――なまえが泣いたことについて問い詰めた時、一番殺気を隠せていなかったのは恭弥、お前だったんだからな。
 その殺気がなまえを泣かせたやつに対してなのか、それとも傍にいることができなかった自分自身に対してなのかは判断がつかなかった。けれど、それを顔にださずいつものようになまえと接し、些細な変化にも気づいてあげる姿は彼女にまったく負担をかけない接し方だった。
 ディーノは大きく溜息をついた。
「はあー、本当大人だなあ恭弥は。俺は根掘り葉掘り話聞いてなんとかしてやりたいって思うのに」
 恭弥のように振る舞わなければいけないというのはディーノもわかっている。でも、やはりなにか起きた時は自分を頼ってほしい気持ちだったり、彼女のためになにかしてあげたいのだ。
「だから貴方は過保護だって言われるんだよ」
「当たり前だろ! 目に入れても痛くない可愛い可愛い妹みたいなやつなんだから!」
「それが余計なお世話なんだよ」
「なっ」
「まるで娘を嫁にだしたくない父親だね」
 ディーノは言い返せなくなりか下唇を噛んだ。
 なまえが米花に行くことについて、ディーノは最初反対していた。彼女がイタリアに留学する時は、ボンゴレの所有地に住み着くということもありなにも起きないだろうという安心感があったが、米花は違う。手の届く範囲にいなければ不安でいっぱいになってしまう。依存しているとは頭では理解していても、心はなまえの近くにいて世話をやきたいと思ってしまうのだ。
 ディーノは、自分と同じようになまえを気にかけているところがあるから、恭弥も米花行きを反対するものとばかり思っていた。しかし、恭弥は違った。
「なまえがしたいようにすればいいよ」
 いつものように、いや、それ以上にやさしい色を灯していた恭弥の瞳は、なまえを真っ直ぐ見つめて彼女にしか向けない微笑みを浮かべていた。
 ――なんで。
 あっさりと了承をしたことにディーノは信じられないほどの衝撃を受けた。その後、部屋を出ていった恭弥を呼び止めた。
「なまえが心配じゃないのか」
 口から出た言葉は音をぶつけているようだった。
 恭弥は立ち止まると小さく息を吐いてから言った。
「なまえは一度決めたことは揺るがないところがあるからね」
 ――答えになってない。
 頭に血が上るのがわかった。
 ――俺はお前の正直な気持ちを訊いてるんだよ。
 知らないうち噛み締めていた歯はギリッと音を立てた。
 ディーノの変化に気づいた恭弥は振り返って真っ直ぐ見つめ返した。
「これはなまえの人生だよ。誰のものでもない。彼女が決めたことを尊重して、なにがいけないっていうの」
 言葉がでなかった。
 たしかにその通りだと思った。なまえがどう生きるかは俺たちが口出しするものではない。それなのに、なぜ自分は日常が永遠に続くようにと、色々な言い訳がましいことを考えて反対しようとしているんだろう。
 なまえを応援してやれないのはどうしてなんだ。せっかくなまえが自分から言い始めたことなのに。しかも、ボンゴレや綱吉とは関係の無いことで。
 素直になまえの背中を押してあげられないのはなぜだ。
『やっと、我儘が聞けた』
 誰だっただろう。これはなまえが言った“最初の我儘”だと語ったのは。
『俺、なまえが今までしてくれたように、できることはなんでもなまえにしてあげたいんです』
 ――そうだ、ツナだ。
 心配していないわけないじゃないか。みんな心配なんだ。自分たちの手の届く範囲にいなくなってしまうなまえに、みんな不安を抱いている。特に綱吉はそれが一番強いはずなのに、自分が筆頭になって周りを納得させようとしていた。
 なにが起こるかわからない未来への不安は、今までだって味わってきたじゃないか。けれど、その度に皆で力を合わせて乗り越えてきた。今回だって、それと同じようなことだ。
 時間を掛けてそう納得できたディーノは後日、恭弥とのやりとりを知ったリボーンから「だからお前はへなちょこなんだ」とネッチョリと小言を言われたっけ。
 ディーノは恭弥の言葉に受けた衝撃とリボーンからの仕打ちのお陰で、今でも昨日のことのように思い出せた。
 懐かしいなあと思いを馳せるとともに、“娘を嫁に出したくない父親”だなんてあの頃とちっとも変わってないんだろうなと反省する。
「……俺も少しは成長したと思ってたんだけとな」
「そのままでもいいんじゃないの」
「っ、は……? それどういう……」
 ぽつりと呟いた言葉を拾ったのか、それともただのひとり言なのかわからないけれど、確かに今の言葉は自分に向けられたものだつた。
 背を向けて歩き始める恭弥を引き留めようと声をかける。
「恭弥それって――」
「着れたよ」
「!」
 恭弥に深く追求しようと声を掛けると、なまえの声が聞こえてきて二人して振り向いた。するとそこには試着し終えたなまえが少し照れくさそうに視線を落として立っていた。
「思ってたより良いな……」
 赤いドレスは予想以上になまえの良さを引き立てていた。
 フレンチスリーブになっている肩のラインは露出が少なめで上品に仕上がっていた。膝頭にかかるほどのスカートはボックスプリーツとなっており、ふんわりと広がるデザインのため、よりボリュームがでていて華やかな印象を受けた。
「すっげー可愛い。天使が舞い降りてきたかと思ったぜ。な、恭弥?」
「…………」
 恭弥は良し悪しを言わず、なぜかただただむすっとしていた。頭のてっぺんからつま先まで何回か視線を動かすと、ディーノと話しながら選んでいた数着のドレスをなまえに渡した。
「……なまえ、今度はこれとこれ」
「えっ」
「そうだな。他のドレス着た姿も見てみたい。なまえ、こっちとあと……これもいいな。着てみろよ」
「こ、こんなに着るの……!?」
 恭弥とディーノから受け取ったドレスが皺にならないように注意しながら両手いっぱいに抱えるなまえは驚きの色を表した。
「ドレス決まってもまだまだ買うものたくさんあるんだからな」
 ビアンキに連れられて服を買った時も散々着せ替え人形のようにさせられただろうが、俺と恭弥にドレスを選ばせるのがそもそもの間違いだ。とびっきり似合うドレスを選んで、世界で一番美しくて可愛らしく仕上げてやりたい。そのためにはなまえには悪いが、着せ替え人形に徹してもらうことが重要だ。
「今からそんなに疲れてたら体力持たないよ、なまえ」
 諦めろとでも言うように恭弥が声を掛けると、ぽかんと口を開けて話を聞いていたなまえが吹き出した。
「もう……」
 困ったように笑うなまえにディーノと恭弥は自然と口角が上がる。
「ほら、早く着ておいで」
「まだまだ選んでっからなー」
 ディーノに肩を掴まれくるりとその場で半回転し、試着室に向かうようなまえは背中を押された。
「これ以上は要らないってば!」
 今日初めて見た白い歯を覗かせて笑うなまえに、なんだかこっちまで嬉しくなって同じように笑みを浮かべた。

17,03.24