Hide and Seek


『月明かりが闇夜を照らす頃、一等星の輝きを頂きに参上する  怪盗キッド』

 怪盗キッドが予告状を出し終えると、世間はすぐにその話題を騒ぎ立てていた。報道番組では怪盗キッドの名前が持ち出され、これまで盗んできた宝石の話も含め、今回盗み出されるオレンジスピネルについての情報も伝えていた。毎度のことながら、まるでパンダが生まれたかのような騒ぎようだ。
 注目と期待が大きくなるのと同時に、宝石展覧会のセレモニー開催が数日後に迫ったある日のことである。
 予告状を出してからというもの、快斗の頭の中はずっと当日のキッドの動向についてで埋め尽くされていた。
 事前にホテルマンに変装して、セレモニーが開催されるホテルに行き館内の様子や管理室等のバックヤードまですべて把握済みだ。また、ハッキングをして主催者やホテルスタッフ、来賓者のリスト、そして当日の流れをはじめ、館内地図や会場内の配置図まで手に入れた。
 狙いのオレンジスピネルを含めた宝石はステージ上に設置されるという。まず思いついたのは、来賓者に変装して、停電を発生させている間にオレンジスピネルを盗むという方法。しかし、これは失敗する確率が高い。なぜなら、当日の来賓者の動きまではさすがに予測できないからだ。予測できたとしても、もし怪盗キッドが現れると考えられる時間帯になった時、一箇所に集まるように警察から指示されてしまえば、宝石を盗む前後で瞬時に移動する必要がある。それでは明らかに無理がある。
 できないことはないが、来賓者の中には『名探偵』と呼んでいる、江戸川コナンの名前もなぜか記載されていた。来賓者に変装してオレンジスピネルを盗めば、間違いなくアイツは瞬時に見抜くだろう。彼と追いかけっふこをするのは悪くはないが、なるべくは避けたいというのも本音である。
 セレモニーに訪れる者の中には大企業の総裁や資産家もいるから、顔を引っ張って変装しているかどうか確認するといったような、中森警部の古典的な変装の見抜き方は行えないだろう。その点を考えると、来賓者に変装には利点があるが、やはり心もとない部分はある。
 一番手慣れているのは警察官としてに紛れ込むことだ。しかし、今回ホテル側も警備システムを一新しているとの噂が流れていた。主催者側が警察も信用しておらず、ステージ付近に配置させない可能性も捨てきれない。
 快斗は帰りのホームルームが終わった瞬間に鞄を持ち「寄るところがある」と言って周りの反応も見ず学校を飛び出した。
 杯戸町内を歩き回りながら、頭の中で当日の動きをいくつかのパターンに分けてシュミレーションしてみる。ここで警察が現れたら回避して、あそこで変装を解いて等々、戦略を練っていく作業はゲームを攻略する工程に似ていた。
 少しでも起こりうる可能性がある事象も含めて考えておけば、当日は余裕をもって盗みを行える。まあ、その場で臨機応変に行動することも出来るけど。これまでそれなりの場数を乗り越えてきたから、そのくらい朝飯前だ。
 ぷらぷらと歩いていると、はしゃぎながら家路を急ぐ小学生たちとすれ違った。この道で子どもの姿を見るということは、きっと杯戸中央公園で遊んでいたのだろう。進行方向をまっすぐ進んで左に曲がると、公園へ続く道に繋がっているのだ。
 なんとなく公園にでも行ってみようかと思い、快斗はそのまま足を進めた。
 大きく吸った空気を吐き出すと、煙のように白く色づいた息が姿を現した。
「あー……どうすっかなー」
 なんでコナンがいるんだ。どうしてこうも、行く先々で鉢合わせるのだろうか。
 俺とあいつは磁石みたいな関係なのか? もしかして、体の中に本当に磁石が入れこまれていて互いに引き寄せられてるんじゃないか?
 そんな非科学的なことあるわけないと考えなくても瞬時に判断できるけれど、こうも盗みをしようとする先々で出会ってしまっては赤い糸で結ばれているんじゃないかとすら思えてしまう。
 コナンとの追いかけっこは毎度対決をしているような楽しさがある。時には状況を考慮して手助けしたり協力したりすることだってある。嫌いということでは決してない。良きライバルのような、利害が一致する時は古くからの相棒のような空気だって醸し出ている。
 しかし今回、珍しく快斗は弱気だった。それは事前にコナンが関わると知っているからではない。快斗自身も正確に理解できていなかったが、今回は『なにかが起こる』と察知していた。これは経験により培った直感のようなものかもしれない。
 今回、コナンよりも注意が必要な存在がいる気がする。コナンの影に息を潜めるように隠れている、怪物のような“なにか”がいる気がした。
 公園に入ると子どもの姿は見当たらず、閑散としていた。夕陽が夜の闇を連れてきて、辺りが暗くなっていく。陽が落ちるのは早いなと空を見上げると、遠くにキラキラと明るく輝く星を見つける。確かあちらの方角は西。そうすると、あれは金星か。
 金星は、地球よりも太陽の内側に存在する内惑星である。そのため、外惑星のように夜空に輝くことはないが、日暮れ後の西の空や夜明け前の東の空で輝くのだ。そのような経緯もあり、別名『宵の明星』や『明けの明星』とも呼ばれていた。太陽や月の次に明るい金星はオレンジ色に見える。
 予告状でオレンジスピネルを『一等星の輝き』と表したのは、オレンジスピネルが珍しいもので市場にあまり出てこない事情や、オレンジ色の輝きを考慮してのことだった。
 金星を見上げつつ歩いていると、遊具が設置されている場所を抜けて広場にでてきた。芝生が広がるそこは日中、幼児から高齢者まで自由に利用できる場所だった。広場の隣を通る石造りの小道は、複数ある公園の出入り口から奥にある小さな山へと続いていく。この小道はちょっとしたトレーニングにも利用されているようで、ウォーキングやランニングをする人をこれまでに多く見かけている。山の頂上付近には小屋も設置されていて、休憩スペースや小学生の遊び場になっていた。
 さすがにこの寒い時期にトレーニングしている人は見かけないだろう。
 そう考え、たまには登ってみるかと方向転換した矢先――。
「うわっ!?」
 突然視界に入り込んできた男に対処しきれずぶつかってしまった。

「本当にすまなかった!」
 快斗がぶつかってしまったのは、鼻の頭と顎に絆創膏をつけた体を鍛えている男だった。
 男は顔の前でパンッと音を鳴らして手を合わせると、目を瞑り頭を下げてきた。
「こちらこそすみません。俺の方こそよそ見してて」
「いや、俺がもっと周りを見て走っていたらこんなことにはならなかったんだ……」
 まるでこの世の終わりとでもいうように後悔する男に、苦笑いを浮かべてしまう。そこまで罪悪感を持たれてもこちらが困ってしまう。公園でぼーっとしつつ策を練ろうと思ったのは間違いだったかな。
「よし! 詫びにジュースでもおごろう!」
「えっ大丈夫ですよ! 俺の方こそ前見てなかったですし」
「これもなにかの縁だ。素直に奢られてくれ。なにより、俺の気が収まらん!」
 男はさっそく自動販売機に近づいていく。ポケットから小銭入れを出し、硬貨を数枚取りだして親指で販売機に押し込んだ。
「なにがいい?」
「えっと……一番上の端っこの……」
「これか?」
「はい」
 無難に炭酸ジュースを選び伝えた。
 完全に不注意でぶつかってしまったから相手だけに非があるわけではないのに、ここまでされてしまうと申し訳ない気持ちになる。でも、いつまでもそうしていると相手も居心地が悪いだろうから、気持ちを切り替えなければ。そうだ、ちょうど喉も乾いていたし、ラッキーだと考えよう。
「ありがとうございます」
 男は再び小銭を入れると、今度はスポーツ飲料のボタンを押した。どうやら自分の分も買うらしい。
 自動販売機からペットボトルを取り出すと、「座ろう」と促されて近くのベンチに腰掛けた。
「体、鍛えてるんですか?」
「ああ。昔からボクシングをやっていてな」
「へえ……! もしかして、今は選手とか?」
「いや、仕事はまた別のことをしている。今でもボクシングは続けているんだがな」
「そうなんですか」
 ペットボトルの蓋を回すとプシュッと炭酸が弾ける音がした。勢いあまって溢れないよう気をつけながらそっと蓋を外し、口元に持っていく。
 慎重に一口目を飲み込んだ時、隣に座っている男は半分ほど一気飲みした後だった。
「俺は笹川了平。お主は?」
「黒羽快斗です」
「快斗か、いい名前だな」
「あっ、ありがとうございます」
 いい名前だなんて、面と向かって言われることはあまりない気がする。了平と名乗ったこの男は、感情や思ったことをストレートにぶつけてくる人らしい。
「さっきは本当に済まなかったな。実は少し浮かれていて、周りを見れていなかった」
「いえ、もういいんです。奢ってもらっちゃいましたし。……浮かれてたって、なにか良いことでもあったんですか?」
 そう尋ねると、了平は大きく頷いた。
「宝石展覧会があるだろう。知ってるか?」
「はい。確か、老舗百貨店主催の……ですよね? 最近コマーシャルとかテレビの特集で」
「実はな、そのセレモニー主催者側がシークレットサービス……言わば警護を募集していてな。見事受かったんだ!」
「すごいじゃないですか! 警備ってことは、警察とは別に……っていうことですよね?」
「ああ、その通りだ。すごいな、黒羽くんは頭が回る」
 了平は太陽みたいに笑うと豪快に頭を撫でまわしてきた。余りの力強さに首まで揺れてしまう。
「キッドからの予告状が届いたことをきっかけに、最新の警備システムを取り入れ、それに合わせて警備体制も強化したらしい。キッド捕獲の協力とともに来賓者の保護も請け負うこととなっている」
「すごいですね……。笹川さん見るからに鍛えてるし、こうやってトレーニングもしてるから、向かうところ敵なしって感じですね」
「いや、どうだかな……」
 了平は一変して顔を曇らせた。ペットボトルを両手で握ったまま、前のめりになって膝に引っかけるように肘を置く。
「たとえ怪我を負わせずに済んだとしても、心はどうだかわからん」
「心?」
「……慣れないことや怖いことに巻き込まれても、周りを不安にさせないよう、気丈に振る舞う者もいるということだ」
 ボトルに目をやっているようで、了平の瞳はどこか現実ではない場所を見つめていた。
 まるで、自分が過去に誰かを巻き込んでしまったかのような言い方だった。
 了平は両手に力を入れてボトルを軋ませる。目を閉じて短く息を吐くと、スポーツ飲料の残り半分を勢いよく飲み干して口角を上げた。
「……まあ、今回俺は重大な役回りを担ってるからな。極限に気を引き締めて臨まねばならん!」
 ――重要な役回り……!
 自然と口角は上がった。
「――もしかして、キッドが予告した宝石の一番近くで、とか?」
 直感だった。これは“当たり”だと告げていた。
 話を振ると、了平はパッと顔を明るくした。
「おお! 黒羽くんは本当にすごいな! そうだ。俺は当日、オレンジスピネルのすぐ傍で警護につく!」
 ――へえ。
 なんて収穫なんだろう。まるで今日一日が、この一言を得るために動いていたかのように思えてくる。放課後になってすぐに学校を飛び出したのも、公園に行こうと思い立ったことも、すべてが今現在に繋がっていたのだ。
 嬉しさで顔が笑ってしまいそうになる。了平にばれないように俯いた。
「了平ー! どこー?」
 どこからか女性の声が聞こえてくる。この人を探しているみたいだ。
「おお! 沢田姉ー! 今行くぞー!」
 了平はベンチから立ち上がって、大きな声で呼びかけながら手を振った。
「待ち合わせしていたんだ。……ぶつかってしまったこと、すまなかった。そして話を聞いてくれて礼を言うぞ。それじゃ、またな」
 そう言い残し、了平は“沢田姉”と呼んだ女性のもとへ駆けていった。
 “姉”と呼んでいるということは、彼女の弟か妹と知り合いなのだろうか。まあいい。そんなことよりも、帰ったら早速当日に向けて準備を始めないと。
 炭酸が抜けてしまったジュースを一気に飲み干して、二メートルほど離れたゴミ箱に目を向ける。腕を振りかぶって、空のペットボトルを投げ入れた。
 ペットボトルは見事ガコンッと音を鳴らしながらもゴミ箱に綺麗に入っていく。
「よっし!」
 思わずガッツポーズをしてしまう。
 綺麗にゴミ箱に入っていったペットボトルは、幸先が良いことを暗示しているかのようだった。

   * * *

 二十一時。
 司会の話が始まろうとした瞬間に宴会場内は暗闇に包まれた。
 来賓者の悲鳴や警察の怒号が響く中、すぐさまホテル側が非常用発電機を稼働させる。パッと明るくなった会場では、安堵の声とともにすぐさま宝石の無事が確認された。
 しかし、ガラスケースの中身は空っぽで、数秒のうちにキッドが宝石を盗んだことが見て取れた。ホテル側が雇ったシークレットサービスでさえ歯が立たなかったことに、厳しい採用試験を突破した彼らは悔しそうに唇を噛み締める。
「探せ! キッドはまだ会場内にいるはずだ!」
 中森警部の太い声が会場の空気を引き締めた。警察はキッド捜索に移る。キッドは変装している可能性が高いことから、シークレットサービスと協力し、手分けをしながら来賓者一人ひとりを確認していったが、効率が悪いことは明らかだった。
 これではキッドを逃がしてしまう。誰もが心の中でそう思った時、予期せぬ停電が起こる。予備電源が切れたのだ。
「キッドだ!」
 シークレットサービスの一人が叫んだ。
 体育館ギャラリーのように設置されている、会場外のバルコニーに続く足場。そこは主に機材が床に置かれているため、関係者以外は立ち入りを禁じていた。
 全ての窓は鍵がかけられ、カーテンが掛かっている。そのカーテンに、キッドの影が映っていたのだ。スポットライトが照らされていて、まるで演劇を見ているかのようだった。キッドがカーテンの裏側に、いることは明らかで、はためくカーテンが窓が開け放たれていることを現していた。
「捕まえろ! キッドを逃がすな!」
 中森警部の指示やそれに応じる警察官の声が飛び交った。
 シークレットサービスはキッド捕獲を警察に任せ、主催者の指示に従って来賓者の安全確保に動き始める。
 突如、ボンッと大きな音が響いた。
 その音はキッドがいるカーテンの中からする。途端に目が痛くなるほどの明るさに包まれると、どこからとも無く白煙が勢いよく噴出し、会場内を白く染め上げた。
「窓を、窓を開けるんだ! 扉も開けろ!」
 咳き込みながらも中森警部が指示を出すと、警察は窓や扉を開放するために走り回っていた。
 シークレットサービスはホテルスタッフと共に怪我人等がでていないか一人ひとり確認を取っている。
 キッドが身をくらませるために白煙を室内に噴射することは予想していたが、マジックのように一瞬でリングを盗み去る手際の良さと展開の早さに、目を丸くした。冷静でいようと意識していたが、周囲の混乱に気持ちが引っ張られてしまったなまえはふいに白煙を思い切り吸い込んでしまい咳き込んだ。
「大丈夫か、なまえ。害はないだろうけど、あまり吸い込まない方がいい」
 すかさず口元を袖で覆ったディーノにぐっと胸元に顔を押し付けられ、背中をあやすように撫でられる。
 しばらくすると咳もだんだん治まり、ディーノから少し離れ辺りを見回すと、少しずつ白煙が薄くなっているようだった。
「こりゃ予定通り、だな」
「そうだね」
 これまでの怪盗キッドが盗んだ際に用いた手段を統計的に処理したデータの中でも、停電を起こして白煙を使用する方法はよく使われていた。
「もう平気か?」
「うん、ありがとう」
 ディーノから離れると互いに見つめ合い頷いた。
 その時、バイブ音が鳴り始めた。ディーノはポケットから携帯を取り出すと眉を下げた。
「っと……ロマーリオからだ」
 ディーノは少し距離をとって電話に出る。
 詰まった息を吐き出すように小さく咳を数回していると、視界の端から見知った姿が近づいてきた。
「沢田姉! 無事か!?」
 駆けつけた了平に肩をガシッと掴まれる。怪我がないことを確認すると、安堵の溜息を漏らした。そして二、三歩離れているディーノにもちらりと視線を向ける。
「大丈夫。ディーノも平気。オレンジスピネルは?」
「それは良かった。……ああ、やられてしまった。もぬけの殻だ」
 了平は眉を寄せ振り返らず、親指で後方にあるガラスケースを指さした。
「警察がキッドを追っている。俺達はまず来賓者の安全確認だ」
「そっか……」
 その一環でこちらにもやってきたということか。来賓者に怪我があってはならないという主催者側の配慮だろう。
 ディーノが戻ってきた。
「悪いなまえ、呼び出しだ」
「大丈夫、行ってきて」
 ディーノは申し訳なさそうな表情を浮かべると、引き締まった顔で了平に向かい合った。
「そっちの仕事もあるだろうが、なまえのこと頼めるか?」
「ああ、任せとけ!」
「なまえ、気をつけろよ」
「ありがとう、ディーノもね」
「ああ。……すまねえな、頼んだぜ!」
 ディーノは最後に了平に言葉を掛けると、まだ白煙がうっすらと室内を染めている中、足早に去っていく。
 ――ここからが本番だ。
 了平がディーノに気を取られているうちに、隠し持っているマイクのスイッチを入れた。これで、これからの会話は全て通信機を持っている者に筒抜けになる。
 バランスを崩したように了平にもたれかかった。
「大丈夫か? 具合が悪いのか?」
「大丈夫……少し疲れただけだから」
「まったく大丈夫には見えないぞ」
 了平は顔を覗き込むように体を屈める。顔色を確認された後、背中を擦られた。
「部屋に戻ろう。送っていく」
「だめだよ、了平はここにいないと。私は一人で大丈夫だから」
「言っただろう! 来賓者の安全確保が先だと。具合が悪い者に付き添うことも立派な仕事だ!」
 唾が飛んできそうな勢いで語る了平にほんの少しだけ身を引きたくなる。視線を床に落とし考える素振りをした後、少しだけ唇を開いた。
「それじゃあ、あの……」
「部屋に戻るか?」
「ううん、部屋じゃなくて……風当たりのいい場所に行きたいの」
 そろりと了平を見上げた。真っすぐに見つめる。
「連れてって、了平」
 指先でスーツの袖を掴む。すると、了平はその手をとってぎゅっと握ってくれた。
 ――成功だ。
 なまえは細心の注意を払いながら、了平に微笑みかけた。

(つづく)

17,06.25