海の日〜若井秀一がやってきた!〜


 絵の具をぶちまけたような、気持ち良いくらいどこまでも続く青い空。太陽に照らされてきらきらと眩しいくらいに輝き、砂浜に打ち付け引いていくさざ波が早くこちらにおいでと手招きをしている。
 早朝、なまえは秀一のマスタングに、その他のメンバーは綱吉が運転するレンタカーに乗り、二時間ほど走らせて海までやってきた。水着とお泊まりセットを携えて、一泊二日のちょっとした旅行気分だった。
 現地に到着すると、まずホテルでチェックインを済ませ、各部屋に荷物を置き、必要な物だけ持ってホテルのすぐ目の前に広がる海へと足を運んだ。
 奈々やビアンキ、イーピン、それに京子やハルは、既に太陽の下、楽しそうに水飛沫を上げている。
 ちなみに、綱吉は急に仕事が舞い込んできてしまいまい、ホテルで一人パソコンに指を滑らせていた。
 そしてここにいないランボだが、リボーンに宿題を終わらせていないのに遊びに行こうとしたことが見つかってしまい、並盛に残り泣きながら宿題を片付けている。そんなランボの助っ人としてフゥ太が名乗りでて、リボーン監視のもと、ランボに付きっきりで分からないところを教えていた。ランボの宿題が終わり次第、こちらに合流するらしい。
 そして、なまえと秀一はというと、砂浜に立てた大きなパラソルの下で荷物番に徹しながら、海を眺めていた。
 しかし、二人の間に会話はなく、暑さでじわりと噴出す汗を海風がさらりと撫でていく音と、周りの楽しそうな声が二人の代わりにその場を盛り上げようとしていた。
 皆が水着姿で夏を楽しんでいても、なまえは未だにワンピース姿だった。水色と白色のストライプ柄が施されたノースリーブのワンピースから伸びる白い肌に、熱い日差しが照りつけている。早く冷たい海水に足を浸したいと思いながらも、ワンピースを脱ぐ勇気が出ないでいたのだ。
 秀一は沈黙に耐えられないとでも言うように大きな溜息をついて、掛けていたサングラスを外し頭に移してこちらを向いた。
「いい加減もったいぶらないで見せてくれないか?」
「……なにを?」
 掛けられた言葉にぴくりと肩をあげてしまう。ああ、やってしまった。絶対に秀一は今の反応を見逃さなかっただろう。
 なまえは考えていることを顔に出さないように気をつけながら、膝を抱えたまま真っ直ぐと海に視線を注いだ。もちろん、右隣に座っている秀一に目もくれずに。
 秀一は少しの間じっとこちらを見つめてきたが、困ったなとでも言うようにわざとらしく溜息を漏らした。
「わかっているのに知らんぷりか? ……そのワンピースの下、俺のために着てくれたんだろう?」
「っ、ん……」
 熱い吐息混じりに囁かれた言葉と腰を撫でられる感触に、鼻から息が抜ける。くすぐったさと、その裏に隠れた夜の香りに、思わず膝を抱えていた手を離してしまった。片手は敷かれているビニールシートに、そしてもう片方は空気を掴む。
 身体をよじって逃げようとしたが、それは叶わなかった。へそをこちらに向けて、右半身にくっつくように九十度体の向きを変えた秀一が距離を詰めてきたのだ。それにより、留守番していた彼の左手によって腰を抱き寄せられ、互いの体は密着した。
「ま、待って……」
 秀一の右手は、腰から尻、太ももの裏を撫であげてスカートの裾を揺らす。そして、円を描くように膝頭を撫で回す。そして右手は太ももの上をじれったく滑り、スカートを捲り上げていった。
「ぁっ……もう、秀くん……!」
 声を漏らしてしまい、咎めるように名を呼ぶと、気を好くしたのが呼吸でわかった。
 右手は聞こえなかった振りをして、徐々に足の付け根に向かっていく。すると、ワンピースの下に隠れていた水着に到着した。
 秀一がちらりと見上げるように顎を引いて見つめてくる。答えを待ち構えている熱のこもった瞳に、なまえの心臓は高鳴った。
「こ、ここで脱ぐのは……ちょっと……」
「恥ずかしい?」
 こくこくと頷くと、触れていた手がぱっと離れる。驚いて秀一に顔を向けると、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
「それじゃ、仲間がいれば恥ずかしくないな」
「え?」
 突然、秀一は着ていたシャツの裾を掴み一気にたくし上げて、そのまま勢いよく脱ぎ捨てた。
「わ……」
 目の前に逞しい筋肉が現れる。汗が胸から割れた腹に滴り、それが余計に色気を醸しだしていた。
 なんだかいけないものを目にしている気分になり、視線を逸らす。秀一が失笑する声が聞こえた。
「今さら恥ずかしがるものでもない気がするが?」
「ばっ……! 場所が違えば、こうなるよ……」
 口に出してから、なんて力のない言い返しだろうと後悔して身を縮める。途中でその失態に気づき、最後には語尾がクシャクシャになった紙くずみたいになってしまった。
「へえ。もう見飽きてるのかと思った」
「っ……」
「……まあ、俺も見飽きるどころか、毎度心踊らされているがな」
 予期せぬ衝撃的な発言になまえはバッと顔を上げて秀一に向き合った。
「は、恥ずかしいセリフ禁止……!」
 なまえは両手を伸ばし秀一の口を押さえる。これ以上、そわそわしてしまう言葉を言われては困る。
 秀一はそんななまえの心境を知ってか知らずか、自分の口を押さえる手のひらに、あろうことかリップ音を響かせてきた。
「ひゃっ!?」
 驚いてて手を引いた。しかし、片手は逃げられたものの、もう片方の手は秀一の左手に上から被せるように押さえられてしまう。再び手のひらが秀一の薄い唇に触れて、頬が熱くなるのを感じた。
 秀一は楽しそうに、けれど奥底に眠る野獣を感じさせるような双眸をこちらに向けて、舌を出して手のひらを舐めた。
「次はなまえの番だぞ」
 最後の仕上げと言うようにふっと息を吹きかけて手が解放される。秀一に元気を吸われてしまった手は、へろへろと自分のもとに戻ってきた。労るようにもう片方の手で胸に抱き込む。
「……私、やるって言ってないのに」
「誰も見やしないさ。最も、俺だけは終始拝む気でいるが」
「……でも、」
「俺のお願い、聞いてくれないのか?」
「…………」
 秀一の視線に耐えきれず、先ほどまで武骨な手によっていじらしく揺れていた裾に手を伸ばした。
 潔くシャツを脱ぎ捨てた秀一を見習って、腕を交差させてスカートの裾を掴む。ワンピースの下には、下着ではなく水着を着ていた。だからといっても、こんな公衆の面前とも言える浜辺で脱ぐだなんて、という思いはやはり秀一の言葉だけでは払拭されないだろう。他者の視線が注がれない可能性はゼロではないのだ。
 しかし、今日着ている水着を選んだのも、一番楽しみにしているのも、実は秀一だった。
 なまえは気づかれないように溜息をつき、事の発端を思い出した。

   * * *

 時をさかのぼること、一ヶ月ほど前の出来事である。
 秀一はずっと胸の内に秘めていた思いをついになまえに打ち明けた。『中高生の時のなまえ、つまり当時の制服姿を見たい』という思いを、ついに言葉にしたのである。しかし、なまえ本人は数年前の写真を携帯やパソコンに保存しておらず、それらはすべて実家のアルバムに収められていると話した。
 それなら実家に行こうと思い立ちすぐ行動に移した秀一は、なまえを連れて並盛の沢田家に向かった。事前になまえが奈々に帰省することを伝えてしまうと、きっと綱吉も現れるだろうからと、その時はドッキリ企画のようになにも知らせず沢田家を訪れた。しかし、秀一の予測は外れ、ちょうどいいタイミングで綱吉が沢田家にいたのである。そしてなまえは実家を訪れた理由を綱吉に話してしまったのだ。
 すると綱吉は顔を真っ赤にして断固拒否した。
「どんなに綱吉くんに頼み込んでも……なまえの制服姿の写真を見せてくれないんだ。さすが君の弟は立派な自警団だな」
 その言葉を聞いた時、「いや、そんなことで立派だと言われても」と思ってしまったのは仕方のないことだろう。
 ちなみに、聞く耳を持たず首を横に振り続ける綱吉の様子を、秀一は「お多感な時期だったんだろうな」と振り返っている。
 このように、様々な苦悩や困難を乗り越えてめでたく結ばれた秀一に対し、綱吉は事あるごとに過敏に反応するのだった。しかし、秀一と顔を突き合わせるたびに毛を逆立てる犬のような反応を示す綱吉を、いつしかなまえ自身も秀一も見慣れた光景として捉えるようになった。そのため、綱吉が秀一に食ってかかっていても、なまえは観客のように二人のやりとりを眺めているし、秀一も突っかかってくる綱吉が面白いのか、さらに刺激を与えてどんな反応を返してくるのかを楽しんでいる。
 兎にも角にも、そんな日々を送りながらも、秀一は虎視眈々と策を練っていた。
 幸いなことに、秀一は奈々ととても仲が良い。それも、メアリーが二人の様子を見てあんぐりと口を開けたくらいには、穏やかな関係を築いている。メアリー曰く『あれは本当に息子なのか』と疑ってしまうくらい、秀一は母であるメアリーと奈々への接し方をガラリと変えている。
 互いに何気ないことでメッセージを送り合うほどの仲である奈々に、秀一は既にアルバムを見せてもらう算段をつけてあった。いつの間にかそんな約束をしていた母と秀一に、なまえは目が点になったことを覚えている。
 そして、秀一は次の行動に出た。
「写真が見れないのなら、着せてしまえばいい」
 自信に満ち溢れた顔で脳内計画をプレゼンテーションされ、最後に爆弾のような名言を落とされたなまえはついに思考が停止した。少し時間がかかったが、息を吹き返した脳みそは、『どこぞの女王様だ』と思いを吐き出した後に、『頭脳が明晰すぎると変なところでもそれを発揮するんだなあ』という感想を抱いた。
 なまえは率直な気持ちを秀一には投げつけず、静かに自分の心の中で消化させ、秀一の言葉に耳を傾けた。
「ただ制服を着てもらうのも悪くない。むしろ、それだけでも充分すぎる。だが、もう一味加えたくてな」
 ――女王様の次は料理人かな?
 なまえは心の中で突っ込みを入れるしかなかった。
 しかし、なまえは自分のプランにきちんと耳を傾けてくれているという確信がある秀一は、彼女の様子を気にもとめず話を続けた。
「そこで、だ。これを見てくれ」
 秀一が見せてきたのは、携帯に映し出された、モデルがとある水着を着ている写真だった。
「水着……セーラー服?」
「そう。その名も“セーラー水着”だ。新商品らしい」
 親切なことに、秀一は「これは白色と紺色の二着あってな……」と商品の詳細を説明してくれた。
 ――嫌な予感がする。
 可愛らしい水着だな、というのが、画像を見て真っ先に浮かんできた感想だった。けれど、秀一の自分は全く商品開発に携わっていないのに自信満々に商品名を言う姿に、なまえは“絶対なにかある”と感じた。
「実はもう、予約注文済みだ」
「……は?」
「なまえ、君にぜひ着てほしくて。二着とも」
「……え?」
 秀一の直した方が良いところ。
 ――ああ、もう“これ”は一生そのままなんだろうな。
 周りの意見を確認せず、一人で決めて突っ走る姿勢。それは時と場合によって、秀一の長所になったり短所になりうるものである。
 超直感は素晴らしいと感動しつつ、なまえは久しぶりにそのことをひしひしと感じたのだった。

   * * *

 今日に至るまでのことを思い出したなまえは現実逃避を始めたくなった。
 ちなみに、セーラー服のような水着を今回着るということは、綱吉に内緒である。言えば必ずダメと言うからと秀一に口止めされていた。長い潜伏期を乗り越えて海遊びを迎えた秀一の瞳は、いつにも増して輝いていたのである。
 プレゼンテーションをされ、さらには今日が近づくにつれて秀一の様子が変化していくのを、なまえは誰よりも秀一の近くでひしひしと感じていたのだ。今ここで秀一のお願いを聞かないのは流石に可哀想だし、なによりそんなことをしてしまえば、この後なにをされるかもわからない。
 なまえは腹をくくって、スカートを掴んだ手を動かした。ゆっくりと腕を上げて脱ごうとする。みるみるうちにワンピースに隠されていた水着と白い肌が晒されていった。少し体をよじりつつもなんとかしてワンピースを頭から抜き、すべて脱ぐことに成功した。
 秀一の唇からヒュウと口笛が漏れた。
 なまえの水着は、まさにセーラー服そのものだった。紺色に、セーラーの特徴的な襟は白色で、谷間部分にまで深く縁取られており、赤いリボンが谷間を隠すようにクロスされていた。そして下半身は短いスカートのようになっていて、少しかがむだけで水色と白色のストライプ柄のパンツがちらりと見えてしまう。紺色の生地によって白い肌はさらに際立ち、腰のくびれは甘さをほのめかしていた。
 口笛を吹いたっきり反応を示さず、じっと見つめてくる秀一に居心地が悪くなる。やはり、年甲斐もなくこんな格好、似合わなかったのかもしれない。もしかしたら、理想と違ってて幻滅しちゃったかも。羞恥心と比例するように、なまえの不安は募っていった。
「恥ずかしい……。やっぱり、私には似合わないよ」
 脱いだワンピースを胸元に手繰り寄せ、体を隠す。すると、秀一の手が力強く手首を掴み、なまえの行動は阻止されてしまった。
「……だろう」
「え……?」
「可愛すぎるだろう……!」
「わっ!」
 心の底から漏れたような声がエンジン音となり、秀一を突き動かした。なまえは肩を押され後ろに倒れ込んでしまった。
「秀くん、ここ、外だから……。あの、落ち着いて……?」
「オーケーオーケー、わかってる。だが、少しの間俺に時間をくれないか。俺はいったい、この喜びをどう抑えればいいんだ? ああ、やっぱり君はなんでも似合うな、なまえ」
「……んっ」
 とびきり嬉しそうな顔で額や頬にキスを落とされる。駄目だ、アメリカ仕込みの発音で「オーケー」と繰り返していても、行動が伴っていない。
「想像していた以上だ。痺れたよ。紺色にして正解だな。なまえの甘い肌が際立っている。それにこのリボンも……そそられる」
 秀一はあろうことか、谷間にかかった赤いリボンの存在を気にせず、その下の肌に唇を押しつけてきた。
「ひ、ぁっ! ちょっと、まって秀くん! ここ外だから……!」
 両頬に手を添えて押し返そうとしても、びくともしない。ほっぺをむにっとつまんで横に引き伸ばしても秀一は胸から顔をあげることはなかった。
 ――なに考えてるんだこの人……!
 確かに、頬をつままれている今の状態では、顔を上げたら笑ってしまいそうな表情になっていることは間違いなしだろうけど、それが嫌だから秀一はこちらを向かないのではないだろう。
 秀一の唇や吐息に体は反応してしまいがちになるが、なまえの脳内は冷静だった。
 ――ここが外だということも、他人の目があるということも忘れちゃったの?
 なまえは次に、より強く抵抗しようとして秀一の頬から手を離し、顎と胸に手のひらを押し付けた。そして、力の限り押しまくった。しかし努力はむなしく、秀一の体はびくともせず、本人は楽しそうにこちらを見てくる。
 ――こっちの気も知らないで……!
 カチンときたなまえは、もぞもぞと脚を動かし、秀一の下半身を蹴り上げてやろうかと企んだ。
 なまえが秀一を目掛けて膝を動かそうとしたまさにその時、背後――この場合、ビニールシートに押し倒されているので端的には頭上――から、トンッとなにかが落ちた音が聞こえた。
「ハッ、ハ、ハ、ハ、ハレンチです!」
「大人の世界だね、ハルちゃん!」
「ハル!? 京子!?」
 秀一の力が少し弱まった隙を見計らって体を押すと先程よりも距離ができた。顔を動かして声がした方向を向く。
 そこには、浮き輪を握った拳を握りしめたハルと、両手にタピオカを持った京子が立っていた。
「ツナさんがいない今、ハルがなまえさんを守ります!」
 そう宣言したハルは、落としたビーチボールを拾って思い切り投げた。しかし、秀一は虫でも追い払うかのように、軽々と自分の頭めがけて投げられたボールが当たらないよう防ぐ。
「とんだお転婆さんだな」
「ムキー! なまえさんを離してください!」
「たった今、俺はなまえへの愛を表していたんだが、いけなかったか?」
「かっこいいー! 海外映画の台詞みたい!」
「は、はひ……プレイボーイは言うことが違います……!」
 ――なんでそこを感心しちゃうの……!
 秀一の手にかかると、こんなにもころっと寝返ってしまうのか。ハルはもう完全に秀一の言葉にキュンキュンしてしまい、秀一へと燃やしていた闘志を完全に消化してしまった。
「……お嬢さん二人が来てしまったから、お楽しみはお預けだな」
 ようやく秀一はなまえの身体の上から退いた。少し残念そうに見えるのは気のせいじゃないと思われる。しかし、時と場所をわきまえない行動には慎んでほしいのだ。
 ハルと京子が会話に花を咲かせているのを尻目に、なまえはつんつんと指で秀一をつついて振り向かせた。視線で何事だと訊いてくる秀一に手招きをして、顔を近づけさせる。
 内緒話をするように口元を両手で隠して、秀一の耳に唇を近づけた。
「……秀くんが喜んでくれて、私も嬉しい」
 話し終えて一呼吸おいてから、秀一は目を見開いて、まるで「聞き間違いじゃないよな?」というような顔をする。その様子がおかしくて笑い声を上げてしまいそうになりながらも、頬を緩めて頷いた。すると、秀一は顔を手で覆い、項垂れて苦しそうに溜息を漏らした。
「――今、俺は猛烈に理性と闘っている」
「がんばってねー」
「他人事だと思ってるだろう! 過失は――」
「この場合、フィフティーフィフティーじゃなくて、完全に、秀くんが百パーセントだと思うよ」
「くっ……」
 悔しそうにしている秀一をチラッとだけ見て、ハルと京子に話しかけようと顔を上げる。しかし二人は背中を向けていた。
「あっ! あそこにツナさんが! おーい、ツナさーん!」
「ツナくーん! こっちこっち!」
 体をずらして二人が手を振る方向を見ると、シャツに半ズボンという涼しげな格好をした綱吉がキョロキョロしながら歩いていた。
 綱吉は自分を呼ぶ可愛らしい声に気づき、こちらに顔を向ける。
「ハル! 京子ちゃ――ブハッ!」
「はひ!? ツナさんが鼻血を出しました!」
「ツナくん大丈夫!?」
 京子とハルを視界に入れた瞬間、綱吉は突然鼻血を噴き出した。京子とハルは急いで綱吉のもとに駆け寄っていく。
 二人の水着姿は少々刺激が強かったのだろうか。
 ちなみに、京子とハルは色違いの水着を着ていた。背中部分がレースアップになっているフリルフレアビキニにフラワー柄水着を合わせている。京子はブラックのビキニにピンク、そしてハルはホワイトのビキニに水色の組み合わせだった。
 「綱吉くんも若いな……」という呟きが隣から聞こえてきてなまえは苦笑する。
「こっちにティッシュあるからおいでー!」
 鼻血をだしながら固まっている綱吉とわたわたしている京子やハルに声を掛けると、綱吉はやっと息を吹き返した。
 まるで歌舞伎役者のようにカッと目を見開いた綱吉は駆け足でこちらにやってきた。
「なまえなにその水着!?」
「秀くんが選んでくれたの。……どう? 似合うかな?」
「似合うけど! 最高に似合うけど! なんでよりによって赤井さんが選んだ水着! 写真撮っていい!? いいよね!? みんなに見せるから!」
 綱吉はぽたぽた鼻血を垂らしながらポケットから携帯を取り出して構えた。
 ――みんなって誰のこと……。
 綱吉の奇行に呆れながら丸めたティッシュを鼻に詰めてやる。遠目で綱吉を見ている時は、まさか両方の鼻の穴から血を流しているとは気づかなかった。カメラマンさながらのポーズ指示が飛んでくる。
 秀一と結ばれてからというもの、綱吉は今回のような自慢の娘をもつ父親のような行動が時たま見られるようになった。綱吉と離れている時間がそうさせているのか、それとも秀一との関係からくるものなのか、それは綱吉自身にしかわからないだろう。
「ツナさんのシスコンモード発動です!」
「私もなまえさん撮りたいなー。クロームちゃんに写真いっぱい送るねって約束したもん!」
「そうでしたね! 後でいーっぱい撮りましょう!」
「うん!」
「ああ、俺も京子ちゃんと写真撮りたいな……! でも、なんでよりによってなまえの水着をあの人が選んだんだ? しかもこんなセーラー服みたいな……。まっ、まさか……!」
 綱吉がなにかに気づき、ブリキのおもちゃのように、ギ、ギ、ギ、と首を動かして秀一に顔を向ける。綱吉に見つめられた秀一がほくそ笑んだ。
「君のように勘のいい男は嫌いじゃないぞ、綱吉くん」
「んなー!? やっぱりそういうことかー!」
 綱吉は秀一の発言に頭を抱える。その拍子に落とした綱吉の携帯を秀一は拾い、親指を様々な方向に動かした後、持ち主に返した。
「俺の端末に送っておいたから、もうなまえの写真は消していいぞ」
「はー!? なに勝手に送ってるんですが! というか、赤井さんに送るために写真撮ってたわけじゃないし!」
「おや、そうだったか? てっきり弟から義兄へのプレゼントだと思ったんだが……」
「なんでそう都合のいいように解釈するんですか!?」
 綱吉の全力の突っ込みを受けてどんな表情を浮かべているのかと思い、秀一をちらりと見上げると、彼はとても楽しそうな顔をしていた。

    *

 ホテルに戻り一旦着替えたなまえ一行は、レストランにて昼食を摂っていた。
 レストランはガーデンテラスを挟んで中庭が一望でき、ガーデンテラスや中庭に続く出入口や窓は一面ガラス張りになっているため、空調が完備された室内で外を眺めながら食事を楽しむことが出来る。
 ランチはバイキング形式をとっているため、特にうら若き女子たちは力を合わせて、時に男子にも協力を仰ぎ、様々な料理をテーブルの上に所狭しと並べた。
 その際、秀一が店員のようにいくつもの皿を両腕に乗せて運んでくる姿に、皆は目を輝かせた。
 話を聞くと、昔アメリカでアルバイトをしていた時に身につけた技術らしい。そこでは主にアコーディオンを弾いていたが、必要に応じてヘルプとしてホール内を手伝っていたという。
 秀一の意外な過去話に関心を持ちつつ、スプーンやフォークを口に運ぶスピードは、少しずつ緩やかなものへと変わっていた。
 デザートを食べてると、電話に出るために退席していた綱吉がつかつかと戻ってきた。
「ねえ! なんでなまえと赤井さんが同じ部屋なの!?」
「なんでって……つっくん知らなかったの? 今のいままで?」
「知らなかったよ! っていうか、まさか二人が同室なんて考えるわけないじゃん!」
 綱吉の返事に、ビアンキが腕を組んで自慢げな表情を浮かべた。
「私たちが秘密にしていたかいがあったわね。ちなみに女子たちは満場一致で二人が同室になると思ってたわよ」
 どうやら綱吉が知ったらまた騒ぐだろうと思い、ビアンキが根回しをしてくれたようだった。
「じゃあもう一部屋とろう!? それか並盛に帰ろう!? そうしよう!」
「やだよ。お金かかるし、それに明日もこっちで遊ぶもん」
 並盛に帰ったら移動時間がかかりすぎる。そうしたら遊ぶ時間が減ってしまうじゃないか。なぜ部屋が一室しか取れなかったからと言って、わざわざそんなことをしなければいけないのか。今日と明日はめいっぱい遊ぶんだから。
 ふつふつと生まれてきた反論と鬱憤で頬が膨らんだ。
「もんって! いい歳して可愛いんだから!」
「いつにも増して今日は心の声が漏れてるわよ、ツナ」
 ――今日のつっくんのおかしな言葉は心の声だったの……?
 ビアンキの衝撃的な発言になまえは余計に頭が混乱しそうだった。左隣の席に綱吉が座るのを見届けながら、とりあえず考えを整理するためにアイスティーを飲む。すると右隣に座っている秀一が頬をつついてきた。
「その場合、俺も並盛に行っていいか?」
「赤井さんは却下!」
「即答か」
 残念そうに肩落とす秀一は、仕草こそそうだけれど、本当はそこまで残念に思っていなさそうだった。どちらかと言えば、突っかかってくる綱吉の反応見たさにやっているように見える。
「つっくんはどうしてそこまで秀くんに突っかかるかなぁ」
 ツッコミ気質の綱吉は、秀一相手ではかなり疲れるだろう。そんな意味も込めて呟く。すると綱吉はビシッと秀一を指さした。
「姉さんと! この狼を! 同じ屋根の下で一緒にさせるわけないだろ!?」
「人に指を向けちゃいけません。それに同じ屋根の下って……米花ではいつもそうだったよ?」
 秀一を指す人差し指をぎゅっと掴むと、綱吉の顔が氷漬けにされたようにみるみるうちに固まっていく。
 京子とハル、そして奈々が黄色い声を挙げたことに驚いていると、綱吉の腕から力が抜けていくことに気づいた。指を掴んでいた手を離すと、だらんと腕がおりる。そして少しの間放心していると、突然息を吹き返したかのように綱吉は叫んだ。
「あ゛ー! なまえの純情がー!」
「……なに純情って」
 綱吉の発狂に呆れ返っていると、ぐいっと肩が抱き寄せられる。予想していなかった展開におもむろに秀一のシャツを掴んで耐えしのぐ。秀一を見上げると、彼は心底楽しそうな表情を浮かべていた。
「すまないな、綱吉くん。君の大事なお姉さんを取ってしまって」
 少し乱れてしまった髪を秀一が優しい手つきで耳にかけてくれた。
 それを見た綱吉は一気に顔を赤くさせる。
「ほんっと! アンタのそういうとこ無理です!」
「そういとことはどういうところかな? 今後の参考のために聞かせてくれないか?」
「ああー! ああ言えばこう言うー!!」
 私を間に挟んでの攻防はやめてほしい。肩を縮こませながらケーキを食べていると、向かいの席に座った奈々と目が合った。
 微笑んでいる奈々は、得意げな顔をする秀一と感情の起伏が激しい綱吉のやりとりを見守っている。
「ツッくんは本当に秀一くんと仲がいいのねー」
「ママン、それ仲良し違うと思う……」
「あらそう?」
「イーピン、シューイチがツナのこといじめてるようにしか見えない……」
「あれも秀一くんなりの、ツッくんとのコミュニケーションなのよ」
「ふぅん、イーピンにはちょっと難しい……。あっあれ、ランボ!?」
 相棒の遅い登場に顔をほころばせているイーピンの視線をたどってみると、保護者のようにゆったりと歩くフゥ太とリボーンを引き連れて、ランボが大きく手を振りながら小走りでやってきた。
「おーい! やっと俺っちの登場なんだもんねー!」
「ランボ! 宿題終わったんだね、お疲れさま!」
「なまえ! へへっ、俺っちが本気を出せば宿題なんてあっという間に終わったんだもんね!」
 ランボは得意げに話しながら、どこになんの料理が並んでいるのか辺りをきょろきょろと見回している。
 奈々や京子、そしてハルにちやほやされているランボを尻目に、リボーンはボソッと呟いた。
「わからないと言ってフゥ太に何度泣きついたかわかんねえぞ」
「あはは……ランボ、算数苦手だからね」
「リボーン! 貴方の席はここよ!」
 ビアンキがリボーンに自分の隣に座るよう促しつつ、いつの間に準備したのか、皿に盛り付けたサラダやボンゴレパスタ、そしてエスプレッソを見せていた。
 リボーン、そしてフゥ太もイーピンの隣に腰を落ち着かせると、ランボはやっと奈々たちから離れて自分が座る席を探し始めた。ランボの席はなぜか秀一の右隣だった。
「なっ、ななななななんでお前がいるんだ!? アカイシューイチ!」
 先程の綱吉のように、ランボは秀一を指さした。
「ランボ聞いてなかったの? つっくん、ちゃんと伝えた?」
 どこかで聞いたことあるようなランボの言葉に首を傾げると、綱吉が返事をする前に秀一が答えた。
「大方、俺がいるとなればこうなるだろうと予測していたんだろう。さすが君の弟だな、なまえ」
「なるほど……。へへっ、秀くんにつっくんのこと褒められると嬉しいな」
「そうか? それなら俺は、いつでも彼のことを褒めよう。もちろん、なまえのことも忘れずにな」
 秀一はなまえの髪をくるくると指に巻きつけて遊びながら頬を緩ませる。
「うわあ……。赤井さん気づいてよ、その行動がランボを刺激してるって……」
「ありゃあ気づいてやってんだろ」
「性格悪っ! てか、リボーンも知ってるなら止めろよ!」
「そのままの方がおもしれーだろ」
「面白くないから! 意味わかんないよ!」
 リボーンは足を組みエスプレッソの香りを味わっていた。相変わらずリボーンの発言に振り回され気味になっている弟に、自然と頬が緩んでしまう。きっと、何年経とうとこの二人の関係は変わらないだろう。
「おい! アカイシューイチ! なまえから離れろ!」
「おやおや、今日も元気だなあランボ」
 ランボは食事に手をつけずにひたすら秀一を睨みつけている。
「ここで会ったが……あらら? 何回目だったっけ? ……わかんないけど! 勝負だアカイシューイチ!」
「ちょっ、ランボ! 落ち着けって!」
 綱吉が慌てて立ち上がり止めに入ろうとしたが、既にランボの視線は秀一ただ一人をロックオンしていた。
「初恋を散らせた恨みはこえーな。気張れよ、赤井」
「他人事だと思ってるだろリボーン……」
 リボーンに返事をしながらも、秀一は立ち上がってランボに背中を向けないようテーブルから離れていく。
「くらえ!」
 玩具や飴をポケットから落としながらも、ランボは武器になりそうなものを秀一に向かって投げた。
 ランボの攻撃を避けながらも、秀一は上手く人気の少ないガーデンテラスを通り抜け、中庭へ誘導していた。運が良いことに中庭には誰もおらず、ランボと秀一が訪れた途端にそこが戦闘フィールドへと姿を変えた。
 なまえは、お菓子の家を目指す兄妹のようにランボが落としていった玩具やお菓子を拾いながら二人を追いかける。
「トールが、一緒にシューイチの抹殺計画考えてくれたんだもんね!」
「トール……降谷くんのことか。それにしても酷いな、二人とも。俺はなにかしたか?」
 ――なにかしすぎだと思うよ、秀くん。
 しかし今の秀一の言葉はわざと相手をおちょくるものではなく、素で発言していることがなまえには手に取るようにわかった。この場合は、つっこんだとしても秀一本人はさらに首を傾げるだけなので、心の中で秀一につっこむことしかなまえに出来ることは無かった。
 秀一のすっとんきょうな呟きに、ランボはついに顔を真っ赤にさせる。
「今日という今日こそ――ふびゃ!?」
 ランボがポケットの中をまさぐりつつ秀一から目を離さずに走りだそうとすると、足元を見ていなかったため石につまずいて転んでしまった。
「……が、がま、ガマン……ガ、マ、ンー!」
 痛みに耐えるために我慢と連呼するランボだったが、くりくりの丸い瞳からは既にぼろぼろ涙が零れている。
「ランボ、大丈夫!?」
 小学校に通い始めてからというもの、ランボも少しずつ生活習慣が身につき、集団行動ができるようになってきている。しかし、九歳になったといっても、まだまだ破天荒で泣き虫甘えん坊なランボの名残は残っていた。
 駆け寄って怪我がないか確認すると、膝を擦りむいたらしく血が流れていた。
 唇を痛いほど噛みしめているランボに、なまえは頭を撫でてやる。
「痛いねランボ。でも我慢できて偉いなあ。お腹すいたでしょう? 消毒して“痛いの痛いの飛んでいけ”して、ご飯食べよう?」
 なまえは優しく語りかけながらも、心の中ではとてつもなく焦っていた。
 ――泣くな泣くな泣くな、絶対泣くなよ……! 持ち堪えて……!
 ランボが泣けばどうなるかだなんて、考えただけでこちらが泣きたくなってしまう。
「うっ――うわぁあああああん!」
 ――無理だったー!
 なまえの努力むなしく、ランボは唇を噛んで体の中にため込んでいた声を一気に放出した。
「ランボ、待って、ここでなにか出すとか、繰り出すとか、そういうのやめてね……?」
 なまえは銃を向けてくる犯罪者に説得する警察官のように、落ち着くよう言い聞かせながら後退りをする。
 しかし、穏便に済ませたい願いとは裏腹に、ランボがどこからともなく取り出し構えたのは、あろうことか十年バズーカだった。
「ランボ待って!」
「ちね!!」
 ランボがバズーカを向けてくる。
 駄目だ、今動いてしまえば後ろにいる秀一に当たってしまう。自分が当たってしまうのは構わないが、秀一が当たってしまえばいろいろと支障をきたしかねない。
「なまえッ!」
 秀一が走ってきてなまえを背中に隠すようにランボに対峙した。
「秀くん!」

 バァンッ!

 なまえが秀一の名を叫ぶのと、バズーカが発射されたのは同じタイミングだった。
 たちまち辺りは白い煙で充満し、視界を遮った。それまで見えていたものが突然見えなくなり、おかしなくらいに不安が募る。
 バズーカが秀一に当たったという確証はなかった。ランボは泣きながら目を瞑ってバズーカを構えていたし、発射した反動で体が後ろにのけぞり、転送用ロケット弾が逸れた可能性も考えられる。
「秀くん! 大丈夫、秀くん……!」
「っ……」
「秀くん! 大丈夫!?」
 まだ視界が白く濁る中、煙をかき分けて秀一の状態を確認しようとする。秀一の顔がよく見えるように頬を包み込んだ。
 しかし、この時なまえは気づいていなかったのだ。
「――天使か?」
「……え?」
 頬を包んでいた手をがしりと握られて瞳を輝かせて見つめてきたのは、先程よりも若い気がする秀一の顔。
「君が俺を呼び出したのか? ここは天国かなにかか?」
「あ、あの……」
 煙が消えて露わになったのは、水着姿で左目の下に青痣をつくり、サングラスと帽子を着用している秀一だった。
「俺は秀一、赤井秀一だ。君の名は?」
 ――これが、十年前の秀くん……?
 人懐っこそうなにこやかな笑みを浮かべている秀一に、なまえは言葉が見つからない。

 暫くして、バズーカの音を聞いて駆けつけた綱吉の、今日一番の叫び声が上がった。

(つづく)

17,07.17