愛しいピースを見つける旅


 笹川了平は情の深い男である。
 仲間は決して裏切らない。ファミリーの一員には信頼を置いているし、部下や弟子の成長を信じている。
 中学生だった頃と比べ、他者へ嘘をつくことができるようになったものの、正直者という部分は変わらなかった。嘘をつく技術を身につけたため、ある程度の優しい嘘は他者に通じるようになったが、それも勘の鋭い者はすぐに気づくことが出来る程度のものである。ボンゴレの一員となり様々な体験を経て、頭で考え最善の策や最悪の事態を想定してから行動するようになっていた。
 了平は同盟ファミリーを含む関係者の他、一般人からも一目置かれる存在だった。
 任務先で出会った、汚い大人の悪事に巻き込まれてしまった子どもの元へ定期的に顔を見に行ったり、地域や支援センターと協力して彼らをサポートしていた。休日には施設に足を運び、子どもたちと遊んだり、ボクシングを教えたりすることもあった。そしてハロウィンやクリスマスにはボランティアとして彼らのイベントに参加し、子どもたちを楽しませている。
 今ではそれらを知った綱吉たちも、仕事に支障をきたさない程度に了平とともに赴いている。それはなまえも同様で、原稿の締切が迫っていない限り積極的に了平に着いていき、子ども達と時間を共有していた。
 なまえが子どもたちの元へ行けなかった日、了平は子ども達に会いに行った後、いつも彼女を尋ねていた。今日はなにをした、あの子がこんなことを言っていた、新入りの子どもについて少し心配なことがある等々、その日に起きたことを逐一報告するのだ。
 そのような了平の姿を見る度に、まるで担任や母親に実体験を語る子どものようだとなまえは考えてしまう。
 今日も着いて行けなかったなまえに、了平は様々な話を語りかけていた。
「……ということでだな、今度寄付された本のお披露目としてお話会というのをやるらしい。そこで読み聞かせをするようで、俺も行くつもりだ。都合が合えばなまえにも是非参加してほしい。なまえは読み聞かせが上手いからな」
 どうやら了平が顔を出している施設のうちの一つが、地元の人やボランティアの協力の末、建物内に小さな図書館をオープンするらしい。その記念イベントに読み聞かせも行うから、ということでなまえにも誘いがかかった。
 これまでならば了平の話を興味深く聞いていられた。けれど今回ばかりは了平のタイミングが悪く、原稿の締切が迫っていた。了平には失礼な態度で話を聞いてしまっている自覚はあったが、締切間近の追い詰められた精神状態では会話さえまともにできなかった。
「……うん、楽しそう……行きたい」
「しかしその様子だと、締切が近いんじゃないか? 徹夜しただろう? 顔が酷いぞ」
 女子相手にそんな豪速球を直球で投げかけるのか。ピクリと一瞬眉間に皺をつくってしまう。しかし言い返せないのも事実だった。今の自分はまるで屍のように了平の目に写っている気がする。
 なまえは目頭の近くをマッサージするように親指と人差し指で揉んで気分を落ち着かせる。そして目を閉じてカレンダーを思い浮かべた。
――大丈夫、なんとかなる。原稿を頑張ればいいだけの話。
 進捗が滞っているこの状況で、なまえの脳みそは難しいことを考えられなくなっていた。普段ならば、実現不可能に近いスケジュールということに気づけるはずである。
「大丈夫。今から頑張れば……たぶん、いや絶対、締切前に終わってお話会にも行ける……行ってみせる……」
「無理はしないほうがいいぞ」
「無理じゃない……子ども達と遊ぶのも、了平が子ども達と遊んでるところを見るのも好きだから」
「それでこそなまえだ! 俺も応援するぞ! 俺に出来ることがあったらなんでも言ってくれ!」
 熱血漢あふれる了平の応援をありがたく受け止めつつ、なまえの頭は悲鳴を上げていた。クラクラとする頭をおさえつつ、必死に声を振り絞る。
「……じゃあ」  
「おっ! なんだ?」
「……あんまり、大きな声は出さないでほしい……頭に響く……」
「それは二日酔いの発言だぞ」
 了平の真面目な声がなまえの心をえぐっていく。
 常に真っ直ぐな了平の言葉で自身の心臓が串刺しならないよう、なまえは「それじゃあ原稿がんばるから、詳細が決まったらまた連絡して」と手を振り、了平を玄関先で見送った。耳にタコができるほど「ちゃんと食べてちゃんと寝るんだぞ」と大声で言い聞かせながら了平は去っていく。
 大きな背中が見えなくなった頃、なまえはようやく室内に戻り冷房の空気を浴びる。額にじわりと滲む汗を拭いながら、改めてカレンダーを見つめた。
 進捗は滞っている。そして締切も近い。その現実がなまえを極限に追い込んでいた。しかし、なにがなんでも仕事を終わらせなければならない理由ができた。いつまでもうだうだとPCに向き合っている場合ではない。
――了平の願いは、なるべく叶えてやりたい。
 いや、叶えてやるという表現は、彼に対して失礼かもしれない。了平が子どもたちのために、なにかを実現させたいと尽力しているのならば、自分も協力したかった。
 どうして了平が子どもたちを気にかけているのか、そして、どのような気持ちで関わっているのか。理由は、情が深いからだけではない。
 なまえはそれらを知っている、数少ないひとりだったのだ。

   *

 それからというもの、なまえは死ぬ気で原稿を進め、締切までに終わらせた。了平の「ちゃんと食べて寝ること」と言いつけには背いたものの、無事お話会に参加できることになったのだ。
 しかし、お話会当日、了平は現れなかった。予定していた時間に彼の姿はなく、連絡を入れてみたが返事が無いまま会は始まり、あの大きな声を聞くこともなく終わりを迎えた。
 施設側の職員にも確認してみたが、了平からの連絡は来ていなかった。彼を慕っていた子ども達は、了平の姿がいつまで経っても現れないことを気にかけていた。「了平に会ったら渡して」と似顔絵を描いた子どももいるくらいだ。
 子ども達から受け取った了平への手紙や似顔絵を、なまえは折り目がつかないよう大切に持ち帰ってきた。午後から始まったお話会だったが、子ども達と遊んだりそのまま夕食を頂いたりして、あっという間に時間は過ぎていった。なまえが帰宅したのは二十一時を過ぎた頃である。
「結局、連絡なかったな……」
 なまえのスマートフォンは一度も振動することもなく一日を終えようとしている。最後にメッセージを送ったのは六時間程前のこと。アプリ機能の既読マークは付いていなかった。
「なにかあったのかな」
 もう一度、連絡をするべきだろうか。いくら腕っぷしがいいからといっても、もし危険なことに巻き込まれていたらと最悪の事態も考えてしまう。今日は了平も仕事の予定は入っていなかったはずだから、怪我をして帰ってくるということは流石にないはずだ。ならば事故に遭遇したとか。
 考えても答えは導き出せず、なまえはメッセージ送信画面を開いた。了平宛に今日のイベントの様子と、心配だから帰ってきたら連絡を寄越すよう文章を打ち込み送信する。しばらくそのまま画面を眺めていたが、既読マークはつくことがなかった。なまえはスマートフォンをテーブルに置き溜め息をつき、着替えを抱えて浴室へと向かった。

 入浴後、就寝前にやってしまおうと仕事のメールをチェックしたりスケジュールの確認したりしていると、テーブルが振動した。それは了平からの着信を知らせるバイブ機能だった。なまえはすかさず通話アイコンをタップして耳に押しつける。
「もしもし! 了平!?」
「……ああ、俺だ」
「今どこ!? ずっと連絡ないから心配して……」
「……だ」 
「え?」
「今、なまえの部屋の前にいる」
 なまえは通話状態のままバタバタと玄関へ向かい、鍵を開けてドアを開けた。
「了平……」
 普段はあまり聞くことのない、覇気のない声に心臓が変な音を立てていた。なにかあったのは明白である。
 ドアの先にいた了平は、やはり普段の様子とはかけ離れた弱々しい姿だった。
 なまえは通話を終了させると、了平の腕を引いて迎え入れる。先日お話会に誘ってくれた日のように了平がドカドカと上がり込むことはなかった。
 なまえはなんと声を掛けようかと考えながら玄関の鍵を閉める。
「お疲れさま」
「ああ」
「心配したよ、連絡なくて」
「すまない……」
「怪我とかしてない?」
「……ああ」
 そっとしておいた方が良いのか、それとも話を聞いても良いのか。
 何とも言えない了平の返事に、次はどう声を掛けるべきか戸惑ってしまう。
 なまえは玄関先ではなんだからと考え、奥へ通そうと了平の広い背中に手を添えた。珈琲でも飲んで落ち着いた方が話しやすいかもしれない。
 けれどなまえはリビングへ了平を通すことが出来なかった。了平に抱き締められてしまったからだ。
「……どうかした?」
 問いかけたものの、腰に回っている腕の力が増すばかりだった。まるで大きな子どもがヘソを曲げているようだと内心思いつつ、なまえはもぞもぞと動いて了平の背中に手を回す。
「……すまない。行けなくて」
「大丈夫だよ。また一緒に行こう。子ども達から、了平にっていろいろ預かってるよ」
 ぎゅっと腕に力が込められた。了平の反応に、失敗したと舌打ちをしそうになる。
「……なにか、あった?」
 なまえは赤ん坊をあやすように背中をぽんぽんと撫でる。すると了平は、ぽつりぽつりと語り始めた。
 了平は子ども達へのプレゼントを抱え施設に向かっている途中、道端に蹲っている少女を発見した。保護したものの自分の手には負えないと悟った彼は救急車を呼び、さらに近くに身内らしき人物が見当たらなかったため医療センターまで付き添った。すると、救急車の中で少女は産気づいていることが発覚する。しかし病院に到着したところで少女は心肺停止となり、そのまま緊急手術へ。了平は少女を一人にすることもできず、その後もセンターに留まった。
 少女の身元が不明のためセンターが警察に連絡をしたところ、数年前に行方不明となっていた少女と特徴が一致するという見解が出され、事件との関連性を調査する運びとなった。
 帝王切開が施され赤ん坊は無事産まれた。そして帝王切開が効果を現し、少女の心臓は再び動き出した。けれど、少女は未だに目覚めないらしい。了平は術後もずっと少女に付き添っていたが、面会時間も終了となり帰路につき、その足でなまえの元を訪れたという。
「明日もう一度、センターに行く。警察も事件について調べて、彼女が目を覚ましていたら事情聴取に入るそうだ。だが……これは完全に俺の憶測でしかないが、彼女はおそらく誘拐されて人身売買に遭った可能性が高い」
 話しているうちにその場に座り込んでしまった了平を、なまえはずっと抱きしめていた。
 了平は情が深い。もともと感受性は高いうえに、子ども達を支援するようになってからは特に弱者の立場に立って考え、受け入れることができるようになっていた。
 少女の身に起きたこれまでのことを想像し、心を痛めているのは一目瞭然だった。子ども達の笑顔を見に行く日に、その真逆のようなことが起きてしまったのだ。もし本当に了平が予想したように事件に巻き込まれたことがあるのだとしたら、彼女やその赤ん坊がこれから辿る道は険しいだろう。
――でも、ここまで落ち込むのには理由が少なすぎる。
 なまえは了平の背中を擦りながら疑問を抱いていた。
 まだなにか了平が隠している気がする。自身に関わる直接的、あるいは間接的な接点がない限り、ここまで意気消沈することはない。
「了平……」
 どうすればいいのかわからず、なまえはただ名前を紡ぐことしかできなかった。暑苦しいことやうるさいこともあるけれど、いつも元気をもらっている了平の存在が、すぐ傍に居るはずなのに遠く感じられる。 
 こういう時は『私に何かできることはあるか』と相手に選択肢を与え、その通りにするというのがお決まりの展開だ。けれど、その場その場の言葉になってしまいそうでなまえはあまり使いたくなかった。
 了平はこれまでどのように人を慰めていたのだろう。了平は何をしてあげたら気分が安らぐのか。
――私、全然知らないや。
 知り合ってからもう数年間が経つ。近くにいたというのに、了平について知らないことの方が多い。この瞬間、なまえはそれを痛感した。
「似てたんだ」
「え……?」
「――京子に、似ていたんだ。その少女が」
「っ!」
「……もし、京子が酷い目に遭って、似たようなことになってたら。そう考えたら、俺は……!」
 了平のものとは思えない、か細い声が耳の傍で震える。心臓が締めつけられるのを感じながら、なまえは腕に力を込めて了平を抱きしめた。

   *

 警察の尽力により、翌日には少女の名が『エリン・パルマ』といい、了平の予想通り事件に巻き込まれていたことが判明した。既に事件の主犯や関係者は警察が身柄を確保しており、聴取された情報をもとに被害児童の保護へと動いていた。
 エリンは生死をさまよいながらも、了平が助けた翌日、意識を取り戻した。数日の間、治療や経過観察のために入院していたが、母子ともに回復に向かっていることが確認されたため退院した。警察が調査したところ、彼女の両親は既に他界していたため、母親の妹がエリンと赤ん坊を引き取ることとなった。
 了平は仕事の合間を縫ってはエリンと赤ん坊に会いに行った。彼女らを思っての行動だろうが、もしかしたら心のどこかで了平自身がエリンの元へ行くことで、不安を払拭したかったのかもしれない。了平に連れられて一度エリンに会いに行ったなまえは、楽しそうに話をする二人を見てそう考える。
 了平の言う通り、エリンは京子に似ていた。そして、エリンに向ける了平の眼差しは、妹に向けるそれと同じようなものだった。
――このままで良いのかな。
 このまま過ごしていたら、いつか了平がエリンに依存的になってしまうのではないかとか、いつか訪れる別れがつらくなるのではという考えがなまえの頭を埋め尽くす。
 考えすぎだということはなまえ自身も自覚していた。自分だって了平と似た立場や境遇にあったとして、きょうだいに似ている人を助けたのなら、きっと了平と同じような道を辿るだろう。
――どうして私はこんなに了平が心配なんだろう。
 了平のことだから、いずれはエリンのこともその他の子ども達のように支援し関わるだろう。そう自分を納得させつつ、エリンの未来を思い描いた。
「なにか、私にできること……」
 それでも心のどこかで、了平が笑顔を見せる相手がこれ以上増えてしまうことに、寂しく感じている自分がいた。 

 翌日、なまえは了平とエリンの家へと向かっていた。了平は両手で大きなダンボールを抱えている。中には各々の家から引っ張り出してきた、眠っていた玩具が入っていた。エリンと赤ん坊へのプレゼントにしようという、なまえの発案だった。
「新品じゃなくてよかったのか?」
「オモチャのこと? それも考えたんだけど……お金を使われてまでの厚意を受け取るってなかなかハードルが高そうじゃない? 既に了平にはお世話なってるって、命の恩人だって言われてるのに」
「なるほど……確かにそうかもしれないな」
「オモチャ引っ張り出しながら、宝探ししてるような、タイムスリップした気分になったよ」 
「ああ、わかるぞ! 俺も京子と一緒に遊んだことを思い出した」
「了平、小さい頃から力が強くて、京子ちゃんのお気に入りのオモチャ壊しちゃったこととかあるんじゃない?」
「おおっ、さすがだななまえ、その通りだ! だがその後ちゃんと直したぞ」
「綺麗に直せた?」
「まあ、少々歪にはなったけどな」
 他愛もない話をしていると、あっという間に目的地に到着した。
 両手が塞がっている了平の代わりにドアを数回ノックする。しばらくするとドアが開き、エリンの叔母リジーが出迎えてくれた。
「こんにちは」
「お久しぶりです、リジー」
「あら、リョーヘー。それになまえも。ありがとう、来てくれて嬉しいわ。
 エリン! お客さんよ!」
 リジーとは、エリンがまだ入院中に知り合っていた。彼女が呼びかけると、奥から息子を抱いたエリンが顔を出した。
「リョーヘー! なまえ!」
「久しぶりだな。元気そうでなによりだ。改めて、エリン、退院おめでとう」
「これ、お古なんだけど……よかったら使って」
 了平が玄関先に箱を置き、中身が見えるように開く。エリンは興味津々といった様子で箱を覗いた。
「すごい! オモチャがたくさん!」
「ここまでしてくださらなくても……」
「眠ったままにさせるのはもったいなくて。きっとオモチャたちも遊んでもらう方が喜ぶ」
「まるでトイストーリーね」
「リョーヘー、なまえ、本当にこんなに貰っていいの?」
「遠慮するな! そんなに遠慮すると日本人になってしまうぞ!」
 了平のジョークに笑いが起きる。エリンは「その点、了平は日本人離れしてそうね」と赤ん坊に話しかけ玩具箱を見つめた。
「せっかく来てくれたんだから、入って! “リョーヘイ”とも遊んでほしいし」
「ん?」
「リョーヘイ?」
 思わず了平を見上げる。まるで「俺のことなのか?」と顔に書いてある彼と目が合った。
 すると目の前にいる二人がクスクスと笑いを漏らし始める。
「この子の名前ね、『リョーヘイ』っていうの。あなたのように、強くて優しい人になりますようにって」
 エリンの優しい声が鼓膜を震わせる。
 瞳を潤ませながら笑う了平に、なまえは胸が熱くなった。

   *

 なまえと了平が帰路についたのは、月が登り始めたころだった。ひたすらにリョーヘイと遊び、彼女らの言葉に甘えてそのまま夕飯をともにした。
「可愛かったね、リョーヘイ。エリンも元気そうでよかった」
「ああ、そうだな」
「あの子と一緒に遊んでて、つっくんが小さかった頃のこと思い出したよ」
「俺も京子と遊んだことを思い出した。最も、俺は外で遊びたい派で京子は家で人形遊びをしたい派だったから、俺が外へ引っ張っていくか、京子に負けてままごと遊びをしていたかだったな」
「だから女の子たちとの遊びも上手なんだね」 
 了平は施設に行くと男女問わず人気だったが、女児と遊ぶときはもっぱらままごとで、また役どころも旦那さんやお父さん役ばかりだった。最初は戸惑いながら演じていたらしいが、今では何回も経験したからか様々な付加設定をされた役でも演じきれると胸を張って語っていた。その姿を思い出し、笑いが込み上げてしまう。
「了平はいいお父さんになると思うよ」
「そうか?」
「うん。だって……人を大切にすることも、どうしたら大切にしていけるのかも知ってる」
 了平が子どもを助けるのは、ボンゴレファミリー晴れの守護者として、本格的に任務をこなすようになってから芽生えた感情が元になっている。
 ある日、了平が自身の拳を見つめながらポツリと呟いたことがあった。
『俺は、自分が助け出すことのできる立場にいる人間を、自分の家族だと思い込むようにしている』
 彼がそう考え行動するようになったきっかけの一つは、未来での白蘭たちとの闘いなのだろうとなまえは推測していた。そこでは了平の妹やその友人も巻き込まれてしまったから。
「了平が旦那さんだったら、きっと素敵な家庭になりそうだね」
 きっと妻と子どもを大事にする子煩悩な人になるだろう。思い描いた将来の了平は今とあまり変わらなかったが、とても楽しそうだった。
 そのような未来が訪れたとしたら、自分はいったいどうしているのだろう。ふと浮かび上がってきた疑問になまえは答えを出すこともなく、それを頭の中から追い出した。
「――なまえは、これからどうするんだ?」
「どうって?」
「まあ……人生設計みたいなものを、だ」
「人生設計……」
 浮かんだ疑問と似たようなことを訊かれてしまい、なまえは失笑しそうになってしまった。せっかく追い出したというのに、また引っ張り戻さなければならないなんて。
「例えば、仕事とか、結婚とか」
「――考えたこと無かったかも」
 ファミリーの傍にいられて、彼らを支えることができるのなら、彼らの笑顔が見られるのならいい。それだけしか考えてこなかった。自分がそうするべきだと昔から結論づけて、その道を進むことが当たり前だと考えていた。
 綱吉は「なまえの好きにすればいい」と言ってくれているから、その言葉に甘えて今でも彼らの近くに居座り続けている。
「好きなことを続けていく、でもいい。なまえはなにが好きなんだ?」
「好きなこと……」
――あれ?
 さっと顔から血の気が引いていく。
 了平の質問に直ぐに答えられない自分がいた。
――私、なにが好きなんだろう。
 考えても思い浮かばない。
 どうして。自分の好きなことくらい、簡単に答えられる質問なのに。
「自分のやりたいことを、なににも縛られず自由にやりたいと、考えたことは?」 
 追い打ちをかけるように続いた了平の言葉に、頭を殴られた気分だった。了平と綱吉に言われた内容が重なり合って溶けていく。混ざりあったそれらは、なまえに一つの答えを導き出させた。
――もしかして、つっくん達の言う『好きなこと』って、『自由になれ』って意味だった……?
「なまえ?」
「…………」
 心臓が握りつぶされそうだった。
 『自由になれ』とは、つまり、『自分の人生を歩め』ということにつながるのではないか。だとしたら、ずっと綱吉たちは、自分たちボンゴレに縛られるなと言っていたのではないか。
 なまえはなにかを吐き出しそうになり口元に両手をあてた。
「なまえ、どうした?」
「……わからない」
「ん?」
「私、何が好きかわからない。何をしたいのかも、わからない」
「っ!? な、泣くななまえ! 俺が泣かせてしまったのか……? すまない、悪かった!」
「ちがう……了平のせいじゃない」
 とめどなく流れていく涙を拭っていると、突然がしっと頬を包まれ上を向かされる。零れ落ちた涙を少々強引に指で拭われた。
「泣くな。お前に泣かれたらどうすればいいか、わかなくなる。
 ……見つからないのなら、これから見つけていけばいい話だ。少なくとも俺は、子ども達と一緒に遊んだりしているのを見て、なまえは好きだと思っていたぞ」
「それは……」
「どうせお前のことだから、俺に付いてくることが俺の手伝いになると考えていたんだろう」
「ッ、なんで」
「なまえは他人のことしか考えないからな。昔からそうだった。
 だから俺は子ども達のところへ行くのを誘ったり、話をしに行ったりしたんだ。しつこいほどにな。それがきっかけになって、自分を見つめ直すことができればと思ったからだ」
 息が止まった気がした。
 全部見破られていた。それに加え、了平の考えに全く気がつかなかった。そんなことを考えていたなんて。
 了平の手が頬から離れていく。しかしなまえは呆然と了平を見上げることしかできなかった。
「好きなことがわからないと言ったな。俺はたくさん知っているぞ、お前の好きなこと」
「え……」
「まず、子ども達の話を聞くのが好きだ。京子やハルと一緒にケーキを食いに出掛けるのも好きだろう。映画を観たり本を読んだりするのも、仕事抜きにしたって好きだ。あとピアノを弾くのも好きだ。それに、運動するよりも家でのんびり過ごすほうが好きだろう。
 ……俺がこれだけ挙げられるんだ。なまえが気づかないわけがない」
「でも……わかんないよ」
「なら、俺が好きなことは知っているか?」
「了平の好きなこと……」
 いつの間にか涙は引っ込んでいた。
 先程まで自分の好きなことを探し回っていたのに、今では了平の好きなことを考えている。自分の時とは違い、了平の好きなことはすぐに見つかった。
「京子ちゃんと過ごすのが好き。運動するのが好き。子ども達に何かしてあげた時に見られる笑顔が好き。つっくん達を筋トレに強引に付き合わせて困らせるのも好き……だと思う」
「ああ。だがそれだけじゃないぞ。俺はなまえのことも好きだ」
「は……えっ?」
「それだけじゃなくて、俺はなまえのことも好きだと言ったんだ」
「ま、待って、なんで急にそんな話になるの?」
「ん? 好きなことの話をしていただろう」
「それはそうだけど……」
「ああ、言っておくが、ちゃんと愛している方の『好き』だからな」
 頬が火照り始める。なんで、どうして、いつから。どうしてこのタイミングで。今まで何の話をしていた? エリンたちの話をしていたはずなのに、なぜこんな話に? 確か人生設計をどうするかという話題から発展したはずだ。それなのに、不意打ちで思いを告げられてしまった。
 了平から告白されたという事実を再度認識しただけで、心臓はうるさく鳴り続けた。
「自分自身に関心がないと、自分を見つめ直すどころか、自分の好きなことにも気づけないぞ」
「私……自分に関心、なかった?」
「完全に『ない』とは言い切れないが、俺からは少なくともそう見えた。なまえは自分よりも他人を気にしてばかりだからな。昔からそうやってきたから、それが板についてしまったんだろ」
 頭の中が複雑に絡まっている状態で、了平の言葉はすっと理解できた。
 確かに一理あるのかもしれない。それが本当なのかどうかは自分ではわからない。いや、自分だからこそわからないけれど。間違ってはいないとなまえは結論付けた。
「だが、なまえが自分のことを知らないように、俺にもまだなまえの知らない部分は沢山ある。そうだろう?」
 了平の声音にまた鼻の奥がツンとする。涙が浮かんでこないように唇を噛んで頷いた。
「……私もまだ了平のこと、知らないところ沢山ある」
「いいんじゃないか、それで。知らなければ、これから知っていけばいい。シンプルに考えればいいんだ。俺だってまだ自分について知らないことは山ほどある。なまえが自分を知らないようにな。
 俺はなまえをもっと知りたい。俺が好きになったなまえの、まだ俺も、もしかしたらなまえ自身も知らない部分を」
 泣かないようにと努力をしてみたけれど、無理な話だった。涙があふれて頬へと伝っていく。息ができなくなりそうなほど胸の奥が痛かった。
 最初は「そうじゃ駄目だ」と否定されるとばかり考え、心のどこかで怯えていた。しかし現実は真逆だった。
 自分は許された。
 なまえはそう感じていた。
「――私も、了平のこと知りたい」
 頭の中に浮かんだ言葉は、唇から飛び出し空気を震わせて、形となった。
 自分の声を聴いて、初めて言葉の意味を考えた。無意識に伝えてしまったそれに、深い意味は込めていない。込めてはいないはずなのだ。
 しかし思考と反して、なまえの頬は了平に好きだと告げられた時よりも真っ赤に染まっていた。心臓はバクバクと脈打っている。指先が痺れたように動かせなかった。先ほど流した涙とは違った涙が視界を揺らめかせる。このような状態で、自分の発言の裏に隠れていた気持ちに嘘もつけなければ、気づけないはずもなかった。
「っ、ということはっ! なまえも俺のことを好――」
「ままま待って! それ以上言わないで! こっ、ここ、心の準備がっ……!」
「ん? なぜ準備が必要なんだ? 返事をしてくれたということは俺の気持ちと同じなのだろう? 違うか? 今の話の流れは間違いなくOKだと――」
「だって……す、すき……かも、って気づいたの、今さっき……ちょっと前のことだから」
「ッ!!」
「だから、あの、えっと……うわっ!」
「なまえーッ!」
 了平の勢いから逃れるように後退りしながらなまえが話していると、それを許さないようにずんずん距離をつめてきた了平に捕まってしまう。了平の両腕が腰に回ったと思いきや、次の瞬間なまえの足は宙を浮いていた。
 ぎゅっと瞑っていた瞼を上げると、なまえの視界は開け、俯くと了平の嬉しそうな顔が目に留まる。なまえは了平に抱き上げられていた。
「俺は今、極限に嬉しいぞー!」 
「待って、回らないで! 目回るから!」 
 了平はまるでミュージカルのようになまえを抱き上げながらその場でぐるぐると回る。
 酔ってしまいそうになりながら辛うじて見えた視界では、数人の歩行者が微笑ましいようにこちらを眺めたり、口笛を吹いたりしていた。他者から見たら映画のワンシーンのようだろうが、やられているこちらはただのアトラクションに乗っている気分である。
「下ろして! 怖い! というか話聞いて!」
「なにも聞こえんぞー!」
「だから、まだ本当に好きなのかははっきりわか――」
「だとしても、これから極限に好きにさせてみるぞー! これから知らないことを二人で知っていくぞ、なまえーッ!」

18,09.06 title by まばたき