Save Me the Waltz


 最初は憧れに近い感情だったのかもしれない。
 XANXUSは、胸を張ることも緊張で手を震わせることも無く、それが当たり前だと言わんばかりの態度で言いのけた。なまえは、そんな彼のようになりたいと思った。
 XANXUSは、感情の起伏が激しく幹部以下の隊員からは恐れられていたが、彼の癪に障るようなことがなければ、非常に静かに過ごしている。彼はそういう人だった。
 一人でいるXANXUSの隣は、静かで居心地がよかった。自分を気にかけてくれる声も、構ってくれる声も聞こえない。そのような環境は、これまでなまえが生きてきて、あまり身を置いたことのない空間だった。
 綱吉の前にリボーンが現れてからは、彼に弟を任せておけば“前世”で知った通りの道筋を辿り成長すると考えた。だから、意図的に綱吉から離れた時期があった。しかし、その度にリボーンに引き留められたり言葉巧みに誘われたりして、結局“弟離れ”できずにずるずると過ごしていたように思う。
――いい加減、“弟離れ”をしなければならない。
 弟に対する自分の感情が常軌を逸していることは、とうの昔に痛いほど気づいていた。その影響が自分の振舞いに影響していることも。
 でも、どうやって? ボンゴレにいたって、並盛に戻ったって、どこにいても綱吉の存在を感じてしまう。
「――ザンザスと、一緒にいたい」
 ある日の夜、曇り空の下で、なまえはXANXUSに告げる。
 その言葉はするりと口から零れていった。
 か細い声が自身の鼓膜を刺激し、完全に空気に溶けてから、ぶるりと身体が震えた。途端に心臓の裏側から、大きな鐘が鳴ったような振動がなまえの気持ちを揺さぶる。不安と期待が入り交じり、鼻の奥がツンとした。
 燃え上がる焔にも似た色の双眸が向けられたのを肌で感じた。静寂がなまえの不安定な心情を助長する。
「勝手にしろ」
「っ……いい、の?」
「二度も言わせるな、カス」
 瞼の裏が熱くなる。遠くから波が押し寄せてくる感覚がして、なまえは一度ぎゅっと目を瞑った。しばらくして、波が引いたのを見計らって瞼を上げる。再びXANXUSを見つめた。
 畏怖の念すら抱かせる佇まい。炎にも血にも見えるルビーのような瞳。出会った頃に比べさらに逞しく、力強い印象を与える体。
――XANXUSはきっと、この先も一人で立って歩いていける。
 風が強く吹きつけた。曇は少しずつ散らばり、空気の澄んだ夜の色が空いっぱいに広がっていく。
――じゃあ、私は?
 月明かりが照らしているXANXUSの姿に、なまえは瞼の裏が熱くなる。同時に、胸の奥が締めつけられるような痛みを感じた。

 どうしたら、“くだらない”状況から脱せられるのだろう。なまえは、XANXUSから「くだらねえ」という言葉がずっと頭に残っていた。
 なまえは「勝手にしろ」と言われてから、XANXUSの傍にいるようになっていた。当初はボンゴレ本部からヴァリアー本部に通っていたが、ベルフェゴールから「こっちに住んじゃえば?」と提案され、他の幹部からもそれに同意し、いつからかなまえの住まいはヴァリアー本部になっていた。
 また、ルッスーリアの好意により、宛てがわれた自室はXANXUSの隣室となった。その部屋は未だかつて使用されたことは無いらしい。そんな部屋を自室にしてしまって良いのか困惑したが、XANXUSはこれまた「勝手にしろ」と言っただけだったと、ルッスーリアが興奮しながら教えてくれた。
 しかし、XANXUSから特別な接触があるといえば、皆無に等しかった。それもそのはずである。なまえが望んだことは『一緒にいたい』ということのみであり、それに対するXANXUSの答えは、あの返事なのだから。
 それでもなまえは特に不自由さも不満も抱いていなかった。一緒にいられるだけで、静けさに身を委ねられた。
 ただ、“前世”を打ち明け『くだらねえ』と一蹴された日と同様に、二人が過ごすのは決まって、ヴァリアー本部の庭に建てられているガゼボだった。
 まるで未開拓の島のようにガゼボは本部の建物から離れており、現実から切り離されている。ヴァリアー幹部には声量のある者が割合を占めているが、彼らの声はガゼボにいると全く届いてこない。八角形の屋根の下にベンチが設置されているだけの殺風景なそこは、物理的な居心地はあまり良くないものの、一人になりたい時にはうってつけの場所だった。
 ベンチに横になり居眠りをするXANXUSを眺めながら、いつもなまえは“くだらない”状況から抜け出す方法を考えていた。しかし、考えてもそう簡単に答えは見つからない。
「俺は俺のために生きるだけ……か」
 安らかな寝顔を視界に置きながら、なまえは以前XANXUSから自身に掛けられた言葉を声に出してみる。
「……ねえ、ザンザス。それって、私が“私のためだけに”生きるようになれって、そういうことなの?」
 問い掛けてみても返事はない。
 話の流れからすれば、きっとこの考えはXANXUSが伝えようとしていたことに近いだろう。だが、自分のために生きるということを、なまえはこれまでずっとしてきたつもりである。そこが彼女を悩ませている種でもあった。
 弟が誕生した時に心に決めた『綱吉のために生きる』ということ。それは当時、不安定だったなまえを支え生きる理由となったものだ。綱吉が成長してくれることが生きがいであり、自分がこの世界に“生まれてきた”ことの意味だと考えれば、結果それは自分のために生きることに繋がったとなまえは考える。だって、綱吉が存在しなければ、今ここに自分は存在しないのかもしれないのだから。
 だからもう十分すぎるくらい、自分は自分自身のために生きてきたはずだ。それを今更、二十数年もの長い月日を掛けて構築された絶対的なライフスタイルを、バラバラにして再び組み立てろとでもいうのだろうか。
「ザンザス……ねえ、教えてよ。私、バカだから貴方の言ったこと、わからないよ」
 なまえは立ち上がり、仰向けに寝転んでいるXANXUSの隣に腰掛ける。そっと手を伸ばして彼の前髪に触れて目に掛からないようにしてやると、一瞬だけピクリと反応が返ってくる。起こしてしまったかと手を引っ込めようとするが、閉じられた瞼が上がることはなかった。なまえは胸を撫で下ろし、そのままXANXUSの頭を撫でる。
――自分のためにって、どういうことを言うの?
「……むずかしいなぁ」
 壁のないガゼボに風が吹き抜けていく。
 遠くを見つめるなまえは、チラリとXANXUSが視線を寄こしたことに気づかなかった。

 とりあえず、『綱吉のために生きる』という考え方を『自分のために生きる』に変えて過ごそうと決断したなまえは、自身に浸透している『綱吉のために』という部分を少しずつ忘れ去ろうとした。
 幸い、ヴァリアー本部で生活してから、十代目ファミリーと会うことは滅多になかった。ヴァリアーは基本ヴァリアーで仕事をこなしていくからである。十代目ファミリーとは何かあれば連絡を取り合うくらいの付き合いであるヴァリアーは、なまえが自分自身と向き合うための環境には適していたと言える。
 しかし、長年染み付いた習慣のようなものは短い期間で抜けることはなかった。自分よりも他者を優先し気遣う振舞いは、自分本位に振舞うヴァリアー幹部とは正反対であり、彼らの中でなまえは浮いたようにも見えていた。彼らのように過ごしてみればいいのだと頭では理解しているものの、違和感を覚えてしまったり、どうしたら良いのかわからなくなってしまう。
 そんな日々を過ごしていたの夜、突然不安は襲ってきた。決まって深夜に訪れるそれは、自分でもなぜそうなるのかわからないほど不安と恐怖に見舞われた。悪夢や悲惨な光景を目にしたかのように震えが止まらなくなり、脳みそがきゅっと締めつけられるような痛みが現れる。
 一度そうなってしまうと、再び眠りにつくことは出来なかった。すると今度は、眠れないことへの不安に見舞われるようになる。原因も掴めない漠然とした不安と恐怖に付け加え、眠れないことに対する不安に襲われたなまえは、毎夜ベッドの中で声を殺して泣いた。
 どうしたら良いのかわからず、不眠症のような状態が続く。夜に眠れるよう酒に頼ったりもしたが、酒に弱いにも関わらずヴァリアー幹部が愛飲するような度数の高いものにまで手を出してしまい、余計に体調を崩してしまうこともあった。だが、自分で決めたことだからと誰に相談することもできずにいた。
 そんな状態のなまえを救ったのが、XANXUSだった。
 後にスクアーロは、この時のXANXUSに関して「あのクソボスにしては待った方だ。というか、待てる人間だったなんてなぁ゛」と語っている。スクアーロの話すように、XANXUSはなまえが心身ともに疲弊していくことに口を挟み、すぐにでも止めさせられることだって出来た。なまえがXANXUSに心惹かれていることに、幹部どころか、想いを向けられている本人も気づいて気づいていた。しかしXANXUSは、なまえが助けを求めてくるのを待ち続け、彼女の様子に見て見ぬふりをした。結局、歩み寄ったのはXANXUSだったが。
「下手くそ」
 とある眠れぬ夜、なまえが調理場の一角にある酒が収納されている棚に手を掛けた時、XANXUSは現れた。
 なまえは一瞬、なにを言われたのか理解できなかった。
 それは何に対してなのか。眠りにつくための努力についてなのか、それとも助けの求め方か――生きること自体に関してなのか。
「だって……」
 なまえは言いかけて唇を噛む。伝えようとした言葉は、適切な方法でないとわかっていながらも、学習せずあらがうように稚拙な行動に走る理由だ。けれどそれはあまりにも幼稚であり、責任転嫁にも聞こえてしまいそうな言葉である。
 突き刺さる鋭い視線が、まるで包み隠さず話せと言われている気がしてた。なまえは逆らえないことを悟り、おずおずと口を開く。
「……ザンザスに、嫌われたくない、から」
「今のてめぇは“嫌い”だ」
「ッ!」
 即答された。ガツンと鈍器で殴られた気分だった。
「俺に嫌われたくねぇのなら、今すぐ“ソレ”をやめろ」
「っ、で、でも、眠れないし、頭の中ごちゃごちゃになるし、苦しくて、わけわかんなくって……だからっ……!」
「根本的な問題を解決できてねぇからだ」
――そんなこと。
「そんなことわかって、ッ!?」
 ぐっと顎を掴まれ上を向かされる。
 XANXUSの目から逸らすことができない。紅い瞳に、何もかも見透かされてしまいそうだった。
「俺を見ろ」
 きちんと自分が呼吸しているのかわからなくなってくる。心臓は強く扉を叩いているような音を立てた。瞬きすらしてはいけないのだと感じてしまった。
「てめぇはもうカスみたいな生き方しかできねえんだ。だったらカスはカスなりに、ちったぁ賢く生きやがれ」
「な、に……」
「――“俺を見ろ”」
 先ほどよりもゆっくりと紡がれた言葉。同じ言葉なのに、意味が全く違うことになまえは気づく。
 いや、違う。意味合いを間違えていたのは自分の方だったんだ。最初からXANXUSはすべて見越したうえで、発言していたのだ。
「俺だけ見てりゃ、それで十分だ」
――あ……。
 その時、なまえの中で何かが砕け散った。
――私はこれから、この人にすべてを捧げるんだ。
 なまえの心の奥で、芽生えていたものが開花を遂げた。

   * * *

「ボスとなまえの子どもができたら、絶対にみんな可愛がっちゃうわね。きっと暗殺部隊が子守り集団になるわよ」
「っ!」
 ルッスーリアの言葉に、当時を懐かしんでいた意識が一気に現実へと引き戻された。
「ボス似の男の子だったらルックスが良いからきっと将来有望ね。女の子が産まれたら、きっとボス可愛がるでしょうし、成長して男を紹介してきたら一瞬でその男消し炭にしちゃいそうね」
 楽しそうに話すルッスーリアに、なまえの気分はさざ波のように凪いでいく。
――たぶん、ザンザスは子どもがほしくないんだと思う。
 ルッスーリアの機嫌を害してしまう気もして、なまえは曖昧に笑みを浮かべ、心の中で言葉を返した。
 この話題が今後自分たちを取り巻いていくことに、なまえはまだ気づいてすらいなかった。

 二日後、ヴァリアー本部内は緊張感が漂っていた。九代目がわざわざ足を運んでXANXUSに会いに来たのである。九代目を迎え入れた応接の間近辺の部屋は既にもぬけの殻となっており、部下達は避難していた。XANXUSと九代目の仲が悪いことを、ヴァリアーで知らない者はいなかった。
「いやぁ、ご無沙汰してしまったねぇ、なまえさん。ザンザスも」
「お久しぶりです。お伺いせず申し訳ございません」
「そんな畏まらなくてもいいんだよ。もう家族同然じゃないか」
「とっとと帰れ」
 指輪争奪戦後と比べたら、これでもXANXUSの態度はとても柔らかくなった方である。
「誕生日プレゼントの希望を聞きにね」
「さっさと死ね」
「それは難しい要望だ」
「くたばれ」
「誕生日パーティー、今年も開かせてもらうよ。特に今年は三十歳と節目の年だしね」
「どんちゃん騒ぎがしてぇなら他所でやれ」
「毎年言っているけれど、そうもいかなくてね。社会奉仕活動の一環だとでも思っておくれ」
「ハッ、とんだ社会奉仕活動だな」
 ここで気の利いた言葉の一つや二つ、XANXUSに掛けられればいいのだが、なぜXANXUSがこうまでして大勢の人が集まる催し物――さらには主賓が自分というもの――を毛嫌いする理由に気づいているなまえは、XANXUSを見守ることしか出来なかった。
 叶うことなら、XANXUSの機嫌が損なわないうちに話が終わり、九代目もお帰りになってほしい。そうすれば、この後XANXUSが怒りに任せてスクアーロをいびることも、物が破損することもないのだから。しかし、なまえの希望通りに穏便に事が済まされたことはこれまで一度もないかった。
「一年に一度くらい、皆に顔を見せても良いんじゃないか? 君の活躍を楽しみにしているよ」
「せいぜい隠居生活としゃれこんでくたばりやがれ」
「まあそう言うものではないよ。それでも君らを見守っているんだ。口を開けば同じ話題ばかりだよ。なまえさんと一緒になってからもうだいぶ経つのに、君らの子どもはまだ――」
「ッ!!」
 ガチャンッと立て続けに陶器が砕け散る音が室内に響く。続いてテーブルに拳を叩きつける音。XANXUSが腕で三人分のティーカップを薙ぎ払い、立ち上がったのだ。
 床に落ちたそれらは粉々に砕け、残っていた珈琲が絨毯に染みをつくっている。
「なにか、言いたいことがあるのかね」
 九代目はまったく動じなかった。それどころか、空恐ろしいほどに冷静に話を続けている。
「てめぇ、自分がなに言ってんのかわかってんのかっ……!」
「……ザンザス。言葉にしなければ、伝えたいことも伝わらないよ」
 肩で息をするXANXUSは獰猛な野獣が威嚇をしている様子に似ていた。しかし、なまえが見上げたXANXUSは怯えているようにも映った。
「出てけッ! 二度とその面を見せんじゃねぇ、クソがッ!」
 扉を破壊する勢いで開き、去っていった。
 嵐が過ぎ去った後のように静寂が訪れる。チラリと九代目の顔を伺った。
「……ザンザスがその手の話を嫌ってるの、九代目もご存知でしょう」
 ぼうっと組んだ拳を見つめる九代目。その表情から感情を読み取ることはできない。けれど、九代目だって先ほどの話題を出せばXANXUSがどのような反応をするのか、わかっていたはずだ。この人は賢い。
「……父親とは、どんな人間のことを言うのだろうね」
 九代目の掠れた声が空気に溶けて消えた。
 以前より二人の仲は改善されたといっても、まだまだ課題は山積みである。この二人が仲睦まじく歩く様子が見られるのかは、誰にもわからない。

 その後、九代目を見送り、なまえはXANXUSの部屋へ向かった。荒れているんだろうと予想しながら扉をノックする。返事はない。いつものことだと気にせず入室した。
 床に散り散りになった書類やウィスキーボトルだったもの。部屋の隅っこで匣兵器であるべスターが心配そうにこちらを見ている。
「帰られたよ」
 ベスターに大丈夫だと笑いかけながら、XANXUSに話しかける。どんなに荒れ放題であっても、部屋が存在しているだけマシだと思わなければならない。
 反応は返ってこないものだと考え、なまえは散らばった書類を拾い集めた。折り目がついてしまっているが、この場合、破れていなければセーフである。
「てめェはどうなんだ」
「……どうって? さっきの九代目の話?」
 拾い集めた書類が数枚手から滑り落ちる。
 沈黙が流れる。時と場合によるけれど、今回のそれは肯定の意を示していた。
「私は……」
 なまえは言葉を続けるか悩んだ。
 家族のかたちは家庭ごとに異なることをなまえは十二分に理解している。昨今は多様な価値観のもと、様々な形態の家族が誕生しているのだ。世界中を見渡してみても、なまえが高校生の頃と比べ、個人の尊厳はより一層重視されなければならないといった空気が強くなっており、十年もたたぬうちに人々は他者を認めることの視野が非常に広くなっていた。
 しかし、伝統と格式高いこのファミリーはそう上手くいかないのが現状だった。「ボンゴレをぶっ壊す」という宣言の通り、十代目ボスと襲名した綱吉は穏健派でありつつも、これまでのボンゴレを造り変えていく改革派でもあった。
 一方、改革派がいるのならば、保守派の人間も存在しているのが事実。保守派の中には、一昔前に実力を発揮し、ボンゴレの名をさらに裏社会に知らしめるために貢献してきたが、今は前線から遠のきボンゴレの行く末を見守っているベテラン勢が多い。年齢層の高い保守派は、封建的主義である者が多く、時代や現ボンゴレファミリーとは逆行した信念を持っていた。
 なまえがXANXUSと一緒にいるようになってからというもの、XANXUSが相手を決めたと判断した保守派からは、後継を望む声が一向に止まなかった。それどころか年々強くなるばかりである。元々ヴァリアーは滅多なことがない限り本部へと近づかないため、そういった話題はほとんどが九代目や十代目である綱吉の耳に入る形となっている。
 今現在、なまえとXANXUSの関係は俗に言う恋人関係にあり、婚約はしていない。だからなおさら、外野の声は強かった。『結婚をして、子供も出来れば、将来も約束されるし、XANXUSもきっと今より大人しくなるだろう』と。勝手極まりない意見である。
「私は、XANXUSがしたくないって思ってるのなら、それを否定する理由はないよ」
 じっと見つめられる。それは本音かと顔に書いてあった。いつの間にか、XANXUSの表情から考えていることを読み取ることができるようになった自分に成長を感じてしまう。
「うそじゃないよ。どうして嘘つく必要があるの? 第一、結婚だってしたわけでもなければ、婚約すらしてないのに」
「結婚なんざせずともガキくらい、いくらでもできんだろ」
 まさかXANXUSが食い下がるとは思ってもみなかったため、なまえは目を見張った。
「そうだけど……うぅん、そうじゃなくって……」
 どの言葉を選べば、思っていることが適切に伝わるのだろう。
「一人の一存だけで決められることじゃないもの。育てるのは……保護者の務めだし、周りにいる人の協力だって欠かせない」
「……それだけか?」
 やけに問いかけてくるXANXUSに、先に降参したのはなまえだった。
 目を合わせていられなくて、窓の外に目を向けてしまう。
 穏やかな秋色に染まった風景が広がっている。自分たちがどんな選択をするにせよ、この景色だけはこれからも同じように映るのだろう。
「だって……命は、授かりものだから」
 きっと答えになってないだろうな。自分の発言を心の中で嘲笑った。
 自分たちにとって、この手の話題はあまりにもセンシティブな問題である。片手で数えることが出来るくらいの話し合いで済ませて良いものではない。
 XANXUSの視線が自分から逸れたのを気配で把握した。ついで足音を立てて部屋を出ていく。きっと部屋の掃除を部下に言いつけて寝室にでも向かうのだろう。
 抱えていた書類を整えて机に置く。張りつめていた空気がようやく緩んだように思えて息を吐き出すと、ベスターが小さく唸った。
「難しいね、ベスター」
 ベスターの前に跪いて頭を撫でる。自ら手のひらに頭を擦りつける白いふわふわした塊に、なまえの涙腺は少しだけ緩んでしまった。
――嘘は言っていない。
 でも、本音はあれだけじゃないのも確か。
――思ってること全てを話す勇気が、まだ私にはない。
 なまえの心に、ずっと引っかかっている言葉がある。 
『お前と過ごしていると、卑しい母親の亡霊が見えることがある』
 以前、XANXUSが珍しく泥酔した際に、朧気に語ったことだ。翌朝、念のため訊いてみたが、綺麗さっぱりその夜のことは覚えていなかった。本人は話したことを忘れているだろう。
 しかし、なまえにとってそれは衝撃的な内容だった。
 XANXUSは饒舌な方ではない。語ることがあっても、思い出話等、過去の話題はほとんど話さない。スクアーロ達が昔話に花を咲かせているところに口を挟むことはあるが、自分から話すことはまずない。そして、家庭の話、つまり家族について首を突っ込まれることを非常に嫌う。
 XANXUSにとって、家族や家庭、自分のルーツといった話題は、極めてデリケートな問題である。XANXUSは九代目の息子ということになっているが、血の繋がりはなく、義理の息子である。元々は貧民街の出身だったが、XANXUSは幼いながらも憤怒の炎を宿すことが出来た。その炎を見た彼の母親は妄執に取りつかれ、この子は貴方の息子だと九代目に進言したことがきっかけで、XANXUSは養子となった。
 九代目が息子として迎え入れたこともあり、次世代のボンゴレを担う者としての教育を受け、ボスの風格も持ち合わせるといった成長を見せる。しかしある時、自分が義理の息子であること、ボスには成れないことといった事実を知ってしまう。
 当時XANXUSが受けた絶望は想像し得ないものだろうとなまえは考える。
――そんなザンザスに、言えるはずがない。
 今のままでも十分、自分は幸せなのだ。

 XANXUSと親密な関係を持つようになったのは、いつからだっただろう。
 思い出してみても、「俺を見ろ」という発言がきっかけとなったのは言うまでもなかったが、世間一般の恋人同士のように愛を育むようになったのが、具体的にいつだったかをなまえは覚えていなかった。XANXUSからアプローチがあったのかもしれないし、もしかしたら、自分が気づかないうちにそれをしていたのかもしれない。なまえが夜に眠れるようになってから、おやすみのキスが次第に営みのそれへと変貌していったのかもしれない。
 普段の様子から想像できないほどに、ベッドの上にいるXANXUSは優しかった。これまでXANXUSが女性とどのような夜を過ごしてきたのかは全くわからないが、恐ろしくて横暴で、自分さえよければ良いといったように抱かれたことは一度だってない。言葉が少なくて意図を察しなければならないことは多々あるけれど、それでも触れてくる指先や唇は優しさに満ち溢れていた。
 それに加えて、抱く時はいつも避妊をしてくれている。XANXUSの考えを何となく察していたから、こちらもアフターピルは欠かしていなかった。どんなに気持ちや気分が昂った時であっても、スキンが無ければ触れ合いだけで終わりにさせていたし、無理やり暴かれたり痛みを伴うこともなかった。
 XANXUSの過去を知っているからこそ、軽率に「スキンが無くても良い」だなんてことは、口が裂けても言えなかった。こればかりは男女の責任である。他の男性と比べる方法を知り得ていないけれど、世間一般に耳にする男性よりも、こういったことに責任感があるように思えた。
 子どもがほしいかどうかという話題を表立って出したことはない。あるとするならば、幹部らが冗談のようにXANXUSの子どもが産まれたらと空想を巡らせる時くらいだろう。先日の九代目の発言がなければ、自分たちからは遠のいていた話だ。
――でもきっと、出掛けた時に私が幼児を連れている夫婦をよく見ていることに、気づいてる。
 どれほど医学が進歩しようと、子どもは授かりものであるという意識は変わらない。結婚も出産も、子育ても個人の自由だということは重々承知だ。けれど、どうしても周囲の空気に飲み込まれてしまいそうな、流されてしまいそうになる時がある。
――XANXUSは、自分が親になることを怖れている。 
 それは、自分が味わってきた思いを、子どもにもさせてしまうのではないかと。
――それでも、思い描いてしまうのだ。
 愛している人との間に生まれた子どもが、“家族のように”愛しい人と過ごしている景色を。
 子どもを愛おしそうな眼差しで見つめている、XANXUSの姿を。
 するとどうだろう。どんどん想像は具体的になっていく。子どもを可愛がるスクアーロ達に、満更でもない様子のXANXUS。子どもが眠る前に本を読み聞かせる姿は暗殺部隊のボスには到底思えないし、言葉数は少なくて不器用でも子どもの葛藤や成長はしっかり理解していそうだ。
――楽しそう。
 しかし、現実はそう上手くいかないものである。
「むずかしいなぁ……」
 生き方を変えても、こういう時どうすれば良いのか、さっぱりわからなかった。

   *

 数日後。
 九代目から送られてきた手紙により、なまえの心はこれ以上にないほどかき乱されていた。
「無理だよダンスなんて! なんでそんなことになってるの!? 映画でもないのに!」
 九代目からの手紙には、記念すべきXANXUSの誕生日パーティーを豪勢に行うこと、そしてその場ではXANXUSとなまえにワルツを披露してもらうこと、この二つが書かれていた。ちなみにこれは決定事項であり、パーティー当日に任務をぶつけたり、体調不良を装って欠席することは断じて許さないとも小さく付け加えられている。あまりの拒否権のなさに脅迫状かと思ってしまった。
「ザンザスは……なんて……?」
 一縷の望みを込めて手紙を読んだXANXUSの様子を訊く。お願いだから「こんなクソみたいなことするか」等悪態ついて出て行ったと言ってほしい。でなければ、なまえに残された最後の逃げ道はなくなってしまうのだ。
「“アイツに渡せ”だとよぉ゛。よかったなあ゛なまえ」
「なにが良かったの!? なにが!? ザンザスにカスって呼ばれてなかったことが!?」
 ニヤニヤしながら肩を組んでくるスクアーロが、この時ばかりは憎たらしくて仕方がない。完全に八つ当たり的な感情であることすら、今のなまえには判断できていなかった。
「珍しー。手紙とかすぐ消し炭にしそうなのに」
「てかなまえ、ワルツ踊れんの?」
「踊れてたらこんなに取り乱したりしないよ! 一番に拒否しそうなのザンザスなのになんで……!? 頼みの綱が!」
「じゃあさっそく特訓しないと! パーティーはもうすぐそこまで迫ってるわ!」

 すぐさまなまえはダンスレッスンを受けることになった。
 ルッスーリアの半ば強制的な教えに基づき、ひらひらと優雅になびくスカートを着用して、社交ダンスでも使われているパンプスを履いていた。数時間で靴まで用意するだなんて、ヴァリアークオリティにもほどがある。
 練習相手はなんと、XANXUS本人だった。なまえは彼が踊れない可能性に掛けていたが、ボスに成るために受けてきた教育の一環にダンスがあったとかなんとかで、XANXUSは踊れてしまうらしい。普段はほとんど何もしていないためXANXUSの凄さはわからないが、やらせてみると出来ないことはないため、本当はとてつもなくすごい人なのかもしれない。なまえはここにきて再びXANXUSの存在を改めた。
「……よ、よろしく、お願いします」
 そのXANXUSにただじっと見下ろされて、なまえは萎縮するしかなかった。とりあえずダンスの先生に形ばかりのご挨拶を申し上げる。
「ウィンナーワルツの生まれを知ってるか?」
「えっ……わからない」
――そこから始まるのかッ……!
 まさかの講義から始まったレッスンに、素直に答えてしまうと溜め息で返されてしまった。
「……ごめんなさい」
 右手を取られ柔らかく握られた。XANXUSの右手がなまえの左肩甲骨の上に添えるように置かれる。けれどしっかりと支えられており、なまえが反る態勢を取ったとしても、ちょっとやそっとでは崩れない安心感があった。なまえの左手はXANXUSの右腕の上に置くように添える形となった。
――待って、これ私知ってる。社交ダンスでよく見るやつだ。
 なまえは、XANXUSによってあっという間にホールドを組まされていた。
「踊って目を回したところにワインを入れて目を回させれば、簡単に願いを聞き入れるからと言われてる」
「それってつまり……?」
「女を抱くための口実にしたんだと」
 予想外の答えに目を丸くする。模範解答が破廉恥だ。他意はないにしても、目の前で好きな人の口から『抱く』という言葉を聞き、なまえは気恥ずかしくなってしまう。
「踊るぞ」
「ちょ、待って、私全然知らな……!」
 合わせる音楽すら掛かってもいないのに、XANXUSは動き始めた。
「俺にすべて委ねろ。そしたらすぐ終わる」
 はじめはXANXUSについていくのがやっとだった。だが、次第に右足と左足を交互に出して、前進することと後進することが続いていくという動きが大原則であると理解すると、視野が開けてくる。XANXUSにエスコートされるように、反時計回りにくるくると回った。
「"くだらない"って、ザンザスなら言うのかと思ってた」
「ああ、くだらねえ」
 リズムを崩さないよう足を運びながら呟くと、仏頂面で返された。否定もされず素直な返事になまえはぽかんとしてしまう。
「なんのことかわかるの?」
「パーティー、それに加えてこの余興だろ」
「正解。だから、ダンスの練習みてくれるだなんて思っても見なかった」
「俺の女だと知らしめるには悪くねえ機会だと思っただけだ」
「っ……」
 予想だにしていない言葉に足が止まった。
「なっ、え……?」
「二度も言わせるな」
「だって、えっ? 今までそんなっ……!?」 
 ホールドが崩される。XANXUSと密着していた体が解放されると思いきや、右手はXANXUSに絡めとられ、腰に手が回されてしまう。
「ダンスは終わりだ。……“この後”どうなるか、お前ならわかるだろ?」
 真っ直ぐとルビーを宿した瞳に見つめられる。
 XANXUSの言う”この後“がなにを指すのか……。
――ウインナーワルツの生まれ。
「ッ……!」
 意味を理解した途端、顔が真っ赤になっていくのがわかった。
「え、ぇえ……?」
「フハッ、んだその顔は」
「だ、だって……あからさまにそんな、そんなこと……!」
 言葉にして誘われたことだなんて、初めてだった。そんなこと、夜の雰囲気に溶け込んでしまって言われたことがない。
「めちゃくちゃだよ……! だって、今ダンスの練習してたんだよ?」
「欲しいんだろう」
「なんの、こと?」
「欲しいなら、欲しいと言え」
「だから何を……ッ!」
 絡めとられていた指が解け、それまで触れていたXANXUSの指がなまえの心臓の上に止まり、すうっと下へ滑り下腹部に到着した。
 その指先の動きだけでXANXUSが何のことを話していたのかをなまえは理解する。
「もう一度だけ聞く。“それだけか”?」
 ドクンと心臓が大きく脈打った。
「言っても、いいの……?」
「二度は言わねえ」
 XANXUSの返事に、なまえの身体には緊張が走る。
 本当に、言葉に出してもいいのだろうか。本人は聞きたがっている。話してもいいと言っている。
「ざっ……」
 口の中が乾いていて、上手く舌が回らない。
「ザンザスとの――子どもが……ほしい」
 たっぷりと息を吸って、同じくらい間を開けて、一つひとつの音がきちんとXANXUSに届くように言葉を紡いだ。
 こんなにドキドキしていて、脚が震えそうなくらい怖いのは久しぶりだった。XANXUSが傍に居るのならもう怖いことは何もないのだと考えていたこともある。けれど、XANXUS相手だからこそ、怖くなることもあるのだと今実感した。
 XANXUSの唇が動く。
「……俺は、ろくな親にならねぇぞ」
「そんなことない! ザンザスはちゃんと、人を愛せるよ! 過去がどうとか関係ない! だって、だってこんな私でも……私を、愛してくれてるから……!」
「確かにてめぇを繋ぎとめておけるのなんざ、どこ探したって俺しかいねえだろうな」
「ザンザスのために生きたいの、これからも。でも、だから、ザンザスがほしくないって、要らないって言うのなら、我慢しようと思ってた。でも……でも、諦めきれなくて……! 想像したら幸せで、楽しくて、止まらなくてっ……! 頭に焼き付いて離れないの。ザンザスとの子なら……きっと、きっと……!」
 もう自分でも何を口走っているのかわからなくなっていた。それでも、伝えなければもう二度とチャンスはないのだと悟った。
 根拠なんてない。だけど、これまで大事にしてくれた、愛してくれたから、だから大丈夫だという自信はある。これからもXANXUSと、もっと一緒にいたい。
「――これからのザンザスがっ……ザンザスの、ぜんぶがほしいッ!」
 愛してしまえば、愛されてしまえば、もう傍にいるだけでは物足りなかった。
「ハッ、上出来だ」
 いつしか涙で滲んでいた視界で、XANXUSは満足げに笑った。ハッキリとその顔を見ることができないのが悔しくて、思い切り瞬きをして涙を零す。その必死さに、また鼻で笑われた。
 エスコートされるように左手を取られる。薬指に口づけが降り注いだ。
「これからも俺を見続けろ、なまえ」
 痛いほどに真っ直ぐ見つめてくるルビーのような瞳は、これまで見た中で一番美しかった。

19,01.15