友を思ひて


 とある週末の早朝。有希子は工藤邸を訪れていた。
「どう? なまえちゃんとの生活は」
「助けられてばかりです。生活習慣がガラリと変わりました」
「あらそうなのー! 通りで顔色や隈の状態が良くなってるわけね!」
 有希子は洗面所に入って早々に挨拶を交わし、秀一が施した昴の変装をチェックして改善点を伝えた。そして、変装を全て剥ぎ取り、一から有希子によって再び沖矢昴が生み出されていた。
「やはり生活習慣の影響でしたか……」
「ずっと夜更しばっかりしてたんでしょー? んもう、今は前の仕事とは違ってゆっくり出来るんだから早く寝ないと」
「それはわかってるんですが、つい読書に夢中になってしまって……」
「あらっ、意外と欲望に忠実なのね!」
 キャッとかわいらしく言いながらも、テキパキと秀一に昴の変装を施していく。
 特にまだここが甘いと指摘された部位を施す有希子の手つきを注意深く観察しながら、秀一は言葉を返していた。
「それで? なまえちゃんは何か言ってきたの?」
 有希子の言う“何か”は、この生活に潜む、仮面を被った沖矢昴ということを指しているということにはすぐに気づいた。秀一は顔が動かない程度に肩を竦めた。
「いえ。何も」
「まあ……。でも、何も聞いてこない方がこっちも楽でいいわね。なまえちゃんの場合、触れてはいけないことだから話を振らないだけなのか、ただ気にしないだけなのかはわからないけれど」
 それから有希子は時折変装する上での注意することを挟みながら、話しを続ける。
「なまえちゃん、優作が良い展開思い浮かばない時とか、気分転換にっていろんな話題を振るのよ。そうしたら、彼女の話を聞いてて優作が閃き執筆再開、なんてしょっちゅうだもの」
 彼女がさりげなく手助けをするのは、そういう性格なのだろうか。
 有希子は、人をよく見てるわとなまえを評価し、話を続けた。
「さっきだって、私が帰ってきた時玄関先で遭遇しちゃって、どう誤魔化そうかと思ってたら“昴さんなら洗面所にいますよ”って教えてくれたもの」
「……彼女、早起きですから」
 そりゃあ有希子が来て何かしていることくらい、一緒に暮らしていれば簡単に気づくことだなと秀一は一人納得する。むしろ、彼女に隠し通すのは無理だと自覚していた。有希子が来る日だけ昴が自力で早起きをしたという時点で勘づくに違いない。
「はい、出来上がり!」
 有希子は昴の肩をぽんっと叩き、鏡を見るよう促した。鏡に映し出されたのは、やはり自分で生み出したよりも完璧な“沖矢昴”だった。
「ありがとうございます。勉強になります」
「いいのよー! こうやってやりながら、貴方たちの近況を聞くと、なんだか若返った気になるしね!」
 まじまじと鏡に近づいて、有希子が施した自分でやるとなかなか上手くいかない部位を見つめる。仕上がりを確認し、頭の中でざっと変装の手順と注意事項を確認した。
 有希子が使用した道具を片付け終わり、荷物をまとめていると、トントンとノック音が響く。昴がどうぞと声を掛けると、扉からなまえが顔だけ覗かせた。
「昴さん朝ごはんできましたよ。有希子さん、食べていきますか?」
「あーん、ごめんなさいなまえちゃん、このあとすぐに出ないとフライトに間に合わないのよー……」
 なまえちゃんのごはん久しぶりに食べたかったわ……と残念がる有希子になまえは微笑んだ。
「ふふっ、そう言うと思って、おにぎり作ったんです。時間ある時にでも食べてください」
「本当に!? 助かるわー! 優作に自慢しちゃお! あっ、なにか優作に伝えておくことある?」
 なまえが隠していたおにぎりが入った弁当袋を見せると、有希子は大喜びでそれを受け取った。潰れない程度に弁当袋を抱きしめながら優作への言伝を尋ねた。
「そうですね……」
 指で顎に触れ左上に視線を向ける。そして閃いたように、あっと声を出すと楽しそうに言い放った。
「だらけてないで速く書け、とでも言っておいてください。これ以上は待てませんって」
 笑顔でさらっと言い放つなまえに、昴は彼女に叱られたことを思い出し、苦虫を潰したような顔をした。

   *

 有希子を玄関先で見送った後、なまえと昴は朝食を食べ終え片付けをしていた。昴が皿洗いをし、なまえがテーブルを拭く。
 今日も朝食から片付けまで、変装や変声機等に関わる話題は一切出てこなかった。きっと昴はそんなことを考えているんじゃないかとなまえは予想を立てる。
 言うわけがない。言ったら言ったで面倒くさい展開になる事は目に見えている。だったら見ても知らないふりを決め込みこのまま生活する方が断然楽だ。
 そろそろ頃合かと考え、なまえは少し緊張しながら息を吸った。
「昴さん、今度一緒に買い物に行きませんか?」
「ええ、構いませんよ。食材ですか?」
「いえ、洋服を」
「洋服?」
 首を傾げて出しっぱなしだった水を止める昴に、これ中身赤井さんなんだもんなあ……と改めてなまえはなんだか感慨深くなった。
「そろそろ季節の変わり目だから、新しい洋服が見たくて……一緒に来てもらっても、良いですか?」
 申し訳なさそうに顎を引き、上目遣いで尋ねるなまえに、昴は初めて会った時に湯を沸かしていいか訊かれたことを思い出した。
「わかりました。車を出しますね」
「ありがとうございます! 日はまた追って相談しますね」
 きっとこの様子だと、昴は私が洋服が欲しくて車を出してほしいという意味だと思っているだろうと、なまえは考える。違う。そうじゃない。洋服に困ることは無い。むしろ困るのは貴方でしょうと、心の中で呟いた。
 ――それに昴さんだけで選ぶと、地味でダサい服選びそうだし。
 古い記憶を呼び起こし、昴が着ていた服を思い出したなまえは、絶対にそれは阻止せねばと気合で燃えていた。間近でそんな服を着た昴を目にしてしまったら、中身が赤井さんであれど絶対に笑いを噴き出しそうになってしまう。なまえは自分の笑いのツボを熟知していた。

 なまえがそんなことを考えているとはつゆ知らず、後日なまえと洋服を買いに行った際、昴はこういう事かと思い知る。なまえはまず首元が隠れるトップスを選び、それに合わせてコーディネートを施し買い物カゴに服を入れていった。
 ――なまえには適わないな。
 そんな姿に、秀一は様々な感情が入れ混じり、ただただ溜め息しか出せなかったのだった。

16,08.25