橙色の時


「なまえさんも一緒に行きませんか?」
 昼間、そう昴に誘われ二つの返事で了承してしまった事に、なまえは後悔していた。主要人物に関わるエピソード以外覚えているわけないだろうと誰に対してもなく苛立つが、誰にも理解してもらえない境遇に、ただ眉間に皺を寄せるしかできなかった。
「お前らにも同じ目に遭ってもらうがな!」
 首元にグイグイ男の腕が食い込み、昔の記憶が蘇る。ああそうだ、確かこれは歩美ちゃんが人質になるんだっけか。それがすっかり、今その立場は自分に回ってきている。
 魚釣りからそのまま真っ直ぐ帰ればいいものを、一角岩に寄ると言い始めた子どもたちに何か嫌な予感が頭を過ぎった。そしてそれは彼らが到着し、死体を見つけたことで、ああこの事だったんだと納得する。
 気分が悪いからとなまえはその場から離れていたが、後からやってきた三人組の男とすれ違った時、その内の一人と目があった瞬間、あっ……と声が漏れそうになった。
 少年探偵団たちの閃きにより、昴とコナンが犯人がわかったところで皆の元に戻り、彼らの話を共に聞く。その間も嫌な予感は無くなるどころか、むしろ強くなるばかりで、この後もまだ何かあるのかと考えていた矢先のこと。なまえは擦れ違った時に犯人だと超直感が告げた青里周平に、人質として捕らわれてしまった。
「俺が高飛びするまでの時間稼ぎだ!」
「はぁー……」
 うるさい。耳元で叫ばれても動けない状況に、なまえは肩を落とした。
 綱吉と共に数多くの死闘に巻き込まれ、結果的に乗り越えてきたなまえ。戦闘能力がなくても、その経験から相手がどれほどの力量を持つ者か、また、今の状況は救いようの無いものかどうかの判断はつけられるようになっていた。
 ――いやあ、いくらなんでも無理でしょ。
 それを踏まえて考えても、この犯人に対して冷静にツッコミをいれたくなった。
 しかしそうは言っても、判断基準は綱吉をはじめとするボンゴレ関係者やヴァリアーなどの、戦闘能力にも優れ、一部血の気の多い者たちである。そんな人々と一般人を同じ土俵に上げてレベルを比較するのは、一般人があまりにも可哀想だ。そう頭では理解していても、普通なら非現実な彼らの闘いが、既に日常として定着してしまっていた。
 高飛びできる可能性がほとんどないこの状況で、それにチャレンジする無謀な行動に対しては、心から可哀想だと思う。けれど、自業自得である。
 殺人は決して褒められた行為ではないが、捕まりたくないなら犯人が自分だとバレないように殺さないと。最も、ここにコナンや昴のような推理力に長けた人がいなければ、すぐに犯人が自分だとバレなかったかもしれないけれど。
 なまえにとって今自分が置かれている状況は、過去経験したことと比較してしまうと、あまりにも滑稽に見えてしまった。
 ――どうやって抜け出そうかな……。
 綱吉やボンゴレを支えるために裏社会に身を置くなまえも、一応護身術などは身につけている。人質として捕まった時の対処法も、いつか役に立つとリボーンから教わった。その教え通り行動し、この男の腕から抜け出すことは難しくはないが、そうしたことでコナンや昴から変な目で見られるのは避けたかった。
 ――まあ、なんとかなるかな。
 緊迫した状況であるはずなのに、なまえは無理矢理歩かされながらも、ぼーっと落ちていく夕日を見つめていた。
 青里周平は何も反応を示さないなまえを怖がっていると勘違いし、上手くいくと気を良くしながらも、怒鳴りながら一歩ずつコナン達から距離を取り続ける。
「0.12%」
 突然話し始めた昴の言葉に、その場にいた全員が彼の顔を見た。
 昴は高飛びする者の可能性について話しながら、ゆっくりと男に近づいていく。昴の話を否定しながらも狼狽える男には段々と隙ができてきた。
「成功者と言えるのは……限りなく無に等しい」
 昴は男の目の前で止まると、圧をかけるように言い放つ。
「果たして貴方は、その孤独感に耐えながら逃げ切ることができるかな」
「うるせぇえ!」
 逆上した犯人がナイフを昴に向けて動き出した。
 しかし、ナイフは昴に到達する前に、ガキンッと音を立てて海に落下する。昴が手の甲でナイフを飛ばし、男が呆気に取られている隙になまえを救出した。
 なまえは腕を引っ張られ、昴の胸に強く抱きとめられる。
 ――あれ……?
 なまえが目を丸くしていると、両肩に手を置かれ体を離された。
「大丈夫ですか?」
「……はい。ありがとう、ございます」
 顔を覗き込む昴に、なまえは視線を合わせられず、首元を見たあと徐々に視線を下げながらゆっくりと返事をした。
 昴は暫くなまえを見つめた後、肩から手を離して立ち上がった。

 無事犯人を逮捕し、なまえたちは船に乗って家路を急いでいた。
「オメェ強ぇな!」
「かっこよかったです!」
「お姫様助ける王子様みたいだったー!」
 子どもたちからの賞賛に、昴は笑みを浮かべる。
 なまえはそんな子どもたちと会話する気になれず、彼らの声を背に、一人静かに海を眺めていた。
 ――気のせいかな。
 昴に助けられ抱きしめられた時、懐かしい感じがした。でも、出会って間もないのに懐かしいと思うだなんて、どうにかしてる。
 きっと、昴の仕草が誰かに似ていたんだろう。なまえは頭の中でどことなく似ている人物を思い浮かべた。
 ――そう、例えば……。
 考えを巡らせるなまえは、近付いてくるコナンに気づけなかった。
「それにしてもなまえさん、全然怖がってなかったね?」
 コナンに話しかけられ、なまえは我に返った。
 わざとらしく子どもの仮面を被り尋ねてくるコナンに、やっぱりきたかと心の中で苦笑する。呆気からんと言い放ちつつも、じわじわと追い込むようなコナンの問いかけは、あまりいい気持ちがしない。容疑者はさぞかし肝が冷えるだろうなと、他人事のように考えた。
 他の子は何をしているのか気になり、ちらりと船を見渡す。すると、さっきまで子どもたちに囲まれていた昴は一人離れ、なまえとコナンの会話に耳をそばたてるようにこちらを見つめていた。
 一緒に暮らし始めた頃は、細目でどこを見ているかわからなかった。けれど、同じ時間を過ごしていると少しずつ昴がどこを見ているのか、いつの間にか何となくわかるようになっていた。
 目が合ったので微笑むと、昴は少し眉を上げた後、口元を緩ませた。
 ――赤井さん、わざと細目にしてて疲れそうだなあ。
「なまえさん?」
 ぼーっとしているなまえに痺れを切らしたコナンはもう一度名前を呼んだ。
 いけない、無視されたと思われたかもしれないと、なまえは能天気な思考回路を中断させた。
 好奇心と警戒心が混ざり探偵の顔つきをしているコナンに、失礼だったかもと申し訳ない気持ちになる。
 なまえは気を引き締めようとしたが、上手く気持ちが切り替えられなかった。工藤邸に住み着くまでは慣れていた、裏の世界では見慣れた光景の一部に、久しぶりに触れた気がする。
 ホームシックにでもなっているのかな。いや、そんなことない、はず。子どもでもあるまいしと、軽く頭を振って弱気な気持ちを吹き飛ばそうとした。
 すっかり日が暮れて、橙色が連れてきた星空を見上げる。群青色や深い紫色に染まる空と海。漣に耳を澄ましながら、その色を目に焼き付けた。
「んー……慣れてるから、ね」
 でも、“彼ら”から離れることは慣れていないのだ。
 振り返り、眉を下げてゆるく笑うなまえに、コナンと昴はそれ以上何も訊くことができなかった。

16,08.27