一般人護衛3



 護衛のための送迎あり。これは最初は楽だと考えていたが、よく考えたら不服だらけである。
 『相手が家を出る時間、あるいは退勤時間を待っている』という事実は、ずっしりと重く身支度のときや退勤時間にさしかかっている。昴は待つことが苦ではないらしいが、さすがに毎日毎回だと気が引ける。それに、退勤後に本や服、雑貨を見て帰りたい夜だってある。出勤前に寄りたい場所があることもしかり。それに加えて、昴からの衝撃的な言葉。
「鬱陶しいときは、別に無理して話さなくていい」
 ある日、退勤後の車内にて、仕事で上手くいかないことがあり自己反省会を心の中で行っていた。
 突然伝えられた話題に、頭の中が一気にはてなマーク一色になった。
――なに? いま? なんの話? 何も話してなかったよ私たち?
 何が起きているのかもわからず、なんの言葉も返せない。じっと見つめることしか出来ないでいると、瞼がスっと開かれ暗闇に宝石みたいな瞳が浮かび上がる。
「これはあくまで任務のため。仕事だ。無理して場を盛り上げたり、話をしなければならないわけじゃない」
――なにそれ。なんでいきなりそういうこと言うの。
 突き放すような言い方に、なぜだかイラッと来てしまった。仕事のことで悩んでいた思考は一気に切り替わり、脳内は昴のことばかり考えてしまう。
「……べつに、そんなこと、おもってません」
 イライラを抑えようとしても、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。普段よりも硬い自分の声に、意固地になっていることを悟る。上手く伝えられなかった自分が腹立たしく思えてくる。リュックを抱いている腕にぎゅっと力が入った。
「もっと自由でいたいのなら、そうすればいい」
 なに。人のことも知らないくせして。自由にして困るのは護衛しなきゃいけない立場のあなたじゃない。こっちのスケジュールに全部合わせるだなんて、気が変わる時だってあるし、そんなの無理に決まってる。
 邸宅での護衛され生活が始まって、目に見えるものと見えないストレスが埃のように積もっていったものを、ロウソクの火を吹き消すように一気に吹き飛ばされたみたいだ。
 吹き飛ばされたところで、どうしたらいいのかわからないのだから意味が無い。一人暮らしでない楽しさも、鬱陶しさも、寂しくないことも、面倒くささも、全部まとめて押し寄せたのだ。
――鬱陶しいと感じているのは、あなたなんじゃないの?
 そう考えた途端、ぐっと胸元を掴み上げられたように息がしにくくなる。胸が重たく苦しい。後頭部がずどんと痛くなって、目がチカチカした。
――違う。彼はそんなこと言ってないじゃん。
 すぐ否定してみても、一度浮かんできた疑念はすぐに拭いきれない。不信感と不安感の嵐にまみれ、シートに預けていた身体を丸く縮こませる。シートベルトがぐんっと動いた。
「……じゃあ、黙ってます」
 淀んだ空気が車内に膨れ上がった。紛れもなくそうさせたのは自分である。視線が突き刺さるような気がしたけれど、黙ってると決め込んだ今、返事をしようとは思えなかった。

 その後、気が重たいやりとりは続く。しかし翌日になると「昨日は具合が悪かったか? 無理はするな」と話しかけられる。首を傾げると、車内での様子がおかしかったと遠回しに言われた。
 結論から言うと、勝手にこっちがギクシャクしていただけだったらしい。昴は昴で本気でそう思っていて、時間や都合を合わせると言った意味だったとか。早とちりで憶測をして勝手にギクシャクしただけだという事実に、思わず「はぁ?」と大きな声で返してしまうと、昴は珍しく目を見開いていた。
 そして、後に気づくのだが、昴の言葉を思い出すと、仕事の悩みに対しての率直な意見にも受け取れたのである。それに気づいた途端、胸につっかえたものが取れてしまった。絶対に本人に言わないけど。




short 望楼