若さと秋晴れの方程式



 ジェイムズ・ブラックは恋をした。
 広葉樹が衣替えをして地面に黄色や紅色の絨毯を作り始めた頃のことである。購入したばかりのタブロイド紙と、やっと手に入った既刊本にじっくりと心を傾ける空間を探していた。地に伏せた落ち葉をまるで足跡のように踏みつけながら、視線は左右に並ぶ店を品定めしていく。
 暫く歩き続け、ジェイムズは珈琲豆の香ばしさに鼻腔をくすぐられ、導かれるようにカフェへと足を踏み入れた。落ち着いた色をした店内に、自身の勘はまだ鈍っていなかったと内心拍手を送る。
 雰囲気を添えるように流れるジャズに耳を傾けながらぐるりと店内を見やった矢先、窓際の席に、彼女はいた。仮面をかぶった自身の部下が世話になっている女性だった。
 切れ者と謳われることが多いが、自分からすればまだ学生時代のようなやんちゃな顔も覗かせる男だ。そんな彼が、自分の知る限りではあるものの、唯一仮面を外して心を寄せる一般人が視線の先にいる彼女だった。
 洋書を捲るしなやかな指先からは品の良さが伺えた。
 彼女が視界に入る位置に腰を下ろし、珈琲を注文する。そしてタブロイド紙を広げて読む振りをしながらこっそりと様子を盗み見た。
 店員から淹れたての珈琲を受け取った頃、人工的な音が店内の空気を揺らす。それは彼女の携帯からだった。
「もしもし。どうしたんですか?」
 彼女の指が文明の利器を弄り通話を始めた途端、世界は近未来化したようだった。
「――今ですか? この前一緒に来たカフェにいますよ。……そうそう、大通りを進んだ先にある……え? んー……別に構わないですけど……。……それじゃあ待ってますね。気をつけて、昴さん」
 通話を終了した彼女は少しの間、耳に当てていたディスプレイを眺めた後、ゆっくりと目尻をやわらかくした。しかしすぐに彼女はそのやさしいヴェールに包まれたような笑顔を恥ずかしそうに洋書で隠す。そして深呼吸を一つしてコーヒーカップを口につけ、ソーサーに戻した時には、もう真剣な眼差しを洋書に向けていた。
 ジェイムズ・ブラックは恋をした。彼女の人を愛するという行為の美しさに。





short 望楼