一緒にねむる
二人で住むことを提案された日から一ヶ月間、ずっと悩んでいた。一緒に暮らすにあたって、どうしても事前に決めておきたい、確かめなければならない問題。
――寝室を別にしてほしい。
それがお付き合いを初めてから、最初に建人へ伝えたわがままだった。
心臓が口から飛び出しそうになるほどの緊張感を携えて震えた声を聞いた瞬間の、建人の表情は忘れられないだろう。きっとそう伝えられるとは思ってもみなかったはずだ。
カップルが二人で住む、つまり同棲するにおいて、本当は同じベッドで眠るものなのだろう。ドラマや映画はその流れが多いし、巷で聞く話題も同じ。おそらく建人も、一緒に眠るのだと信じて疑わなかっただろう。
「それは……理由を、聞いても?」
建人は困惑した表情を浮かべて、珍しくたどたどしい口調で質問を投げかけた。理由が知りたい。真っ当な意見である。この言葉からして、きっと建人は寝室をともにする予定だったのだ。
しかし、とてつもなく言いにくい。視線を逸らしてしまう。言葉にしようとした唇は、開こうとしてもすぐに閉じてしまう。早く口を開かないと、あらぬ誤解を与えてしまうだろう。わかっていても、どう話したらいいのかわからない。
「……嫌ですか? 私と同じベッドで寝るのは」
「ちが、違うんです。嫌じゃなくて、そうじゃなくて……」
否定には成功したが、まどろっこしい言葉しか続かない。同じ意見でないと嫌われてしまうかも。建人にとってそんなことはないだろうけれど、弱った精神は誤った予想を立ててしまう。
「言いづらいことですか?」
「……」
建人は惚れ惚れするほどこちらの心を察してくれる。返事すら上手くできる余裕もなく、首を縦に振った。これではまるで警察に事情聴取されているみたいだ。思わず警察官の制服を着た建人を思い浮かべてしまい、唇が緩んでしまいそうになり、慌てて下唇を噛む。
「今、聞いてもいいですか?」
「……その、いくつか、あって……理由」
「ゆっくりで構いませんよ」
自分が建人の立場だったら一刻も早く訊きたいだろう。けれど建人は気遣いを忘れなかった。だからこそ余計に言いにくくなってしまう。
「えっと……」
しかし、寝室が同じになった時、その気遣いのせいで気まずくなってしまった時のことを考えると、いま話しておいた方がいいのかもしれない。
「いやじゃ、ないんです……。はずかしいのは、ありますけど……」
「恥ずかしさはすぐ慣れますし、恥ずかしがっているあなたを見るのも悪くない」
「うぅ……そうじゃなくて」
真面目に返答しているのか、茶化そうとしているのか、建人の発言は度々わからなくなる時がある。しかし表情は真剣そのものなので、今回はきっと前者なのだろう。そういうとこだよと思わず心の中でツッコミをしてしまう。
「あの……一緒に眠るのだと、七海さんに……気を遣わせてしまうので」
「ん? と言いますと?」
本当はここで抜群の察し能力を発揮してほしかった。言葉にすることが恥ずかしいというか、後ろめたいというか。自分からできないことを告白するのには、どうしてここまで勇気が必要なのだろう。
「……私、時々、不安定になることがあって」
じっと見つめられながら話すこの状況は、まるで裁判所のようだった。建人は裁判官で、こちらはさながら被告人のよう。罪を告白する気分は、荷が重い。
「不安定になると、なかなか収まらなくて。イライラとか、涙脆くなるとか、自分でもコントロールできないから……。そうなった時、きっと七海さんに当たっちゃったり、気分を害したりさせちゃうから…… 」
「……私では、あなたの力になれないと?」
「ちっ、ちがくて! 私が、その様子を見られたくなくて……見られて、七海さんに嫌われたく、なくて。七海さんだって、頑張って苦労してお仕事行ってるのに、帰宅した七海さんのこと、傷つけたり不機嫌にさせてしまいたくなくて……!」
頭の奥が熱くなった気がした。目頭もじんわりと熱を持っている。
どのような言葉を選んだら伝わるのだろう。一緒にいたいし、時間を共有したいし、互いを思いやりたい気持ちはある。建人がいるだけで心が軽くなるし、胸が苦しくなるし、彼のためになにかできることを探したくなる。けれど、それができないことだって多い。
「いいんですよ」
「えっ」
「傷つけても、構いません」
「は……」
建人の発言に呆気に取られていると、大きくため息をつかれた。肩が震えそうになるが、建人の表情が嫌そうな気持ちをしているものではなく、困っているような表情だったため、肩は震えなかった。
「私は、傷つきませんから」
「えっ……どういう……?」
「あなたが……なまえが、どれだけ感情をさらけだしたとしても、驚きはするものの、私は優越感を感じるでしょう」
「は……? な、んで……」
「あなたはずっと、これまで社会で感情を抑えて、穏便に事が運ぶように生きてきた。だから感情をさらけ出すのが怖いんです。そうなったら、次にどう事が動くのか、わからないから。……ですが、私に感情をさらけ出してくれるということは、無意識のうちに私が受け止めてくれる相手だと考えていること。そして、この家がなまえにとって、肩肘張らずに過ごせる場所になっていることの証」
「っ……」
なまえは建人の話を聞いていて、頬を濡らしていた。ぽろぽろ零れてくる涙を、建人は拭ってくれる。
「ね、そうでしょう?」
やわらかな建人の微笑みに、なまえは声を上げて泣いた。建人はやさしく、腕の中に閉じ込めて背中を撫でてくれた。
short 望楼