朝ランニングに遭遇2



 初めて建人と会話をしてから、すでに二ヶ月が経過していた。二ヶ月も経てば、少しずつ互いを知ることができた。
 建人は出張が多いらしい。そのため、早朝に建人と遭遇出来るかどうかは、当日公園に赴かなければわからなかった。彼が出張からいつ帰ってくるかわからず、イッヌとしょんぼりしながら散歩をした一週間があった。
 あまりにも会えない日々が続いたある日、悪天候でないのにも関わらず、惰性が働いて散歩をサボってしまった。散歩をサボると、運動不足によりイッヌのストレスは溜まっていく。サボれても一日だけなのだが、その翌日は朝から雨が降っており、結局は二日間、散歩に出られなかった。
 その次の日、天候に恵まれて眠気眼を擦りながら散歩に出る。公園までは徒歩で三十分ほどかかる。℃車が一台も通らない道を我が物顔で歩き、公園に到着した。公園には待ち焦がれてやまなかった、推しの姿があった。実に十日ぶりの推しである。
「七海さん!」
「みょうじさん、おはようございます。お久しぶりです」
 建人は、ベンチの横に立っていた。座ればいいのに。建人は片手を上げて挨拶をしてくれた。
「お久しぶりです! 出張だったんですか?」
「ええ。東北の方へ。宮城、秋田、青森に」
「三県も!? お疲れ様です……!」
 建人の仕事内容は知らなかった。逞しい身体をしているのと、出張が多いことから考えてみたことがある。気になって本人にも訊いてみたこともある。
すると建人はしばらく悩んだ後「当ててみてください」と流し目をしてきた。心臓が止まりかけたのは言うまでもない。それから、クイズのように建人の職業を当てることが定着しつつある。
「やっぱりトラック運転手の可能性が濃すぎる……」
「っくく……まだ濃厚なんですか、その線」
「だって、出張が多いっていうとそれしか……あ! ボディーガードとかですか!? 似合いそう!」
「残念、不正解です」
「あれー、これも違うのか」
 生憎、一般的な企業にどのような仕事や階級制度すらあるのかなど、全く知らないため、知っている職業や仕事スタイルは限定的だった。ほとんど映画やドラマ、漫画やアニメなどから得た知識である。サラリーマンはプレゼンと外回りとクレーム対応、出張と飲み会が多い。それしか分からない。
「……でも、七海さん、特に怪我とかなさそうでよかったです」
 建人は小さく息を飲んだように気がした。何かまずいことを言ってしまっただろうか。もしかして怪我がしそうなお仕事だったのだろうか。職業の詳細を教えてくれないため、そのまま話を続けた。
「最近暑くなってきたから、熱中症とかも増えてるみたいですし」
 最近はずっと茹だるような暑さが続いていた。日中はまだしも、夜でさえ寝苦しい日々ばかりだ。東北は関東の湿気が多い暑さよりも、比較的涼しいと聞いたことがある。それでも連日の猛暑は体にこたえるもの。
「――これ、よかったら」
「え……?」
「お土産です、出張の」
「えっ、い、いいんですか……!?」
「ええ、ぜひ」
「ありがとうございます! 中、見てみてもいいですか……?」
「はい。口に合うものだといいんですが」
 建人が渡してきたのは、有名な名前が書かれたお菓子だった。私でも知っているそのお菓子。一度は食べて見たいと思っていたものだ。
「萩の月……! これ知ってます! 本物、初めて見ました!」
「よかった。以前、甘いものが好きだと話していたので」
「ほ、本当にもらっちゃって、いいんですか!?」
「ええ、もちろん」
「やった! ありがとうございます!」
 うれしい。ただ朝に会うだけの仲なのに。こんなの貰ってしまった。
 これって、お返しをなにか用意した方がいいのだろうか。建人は美食家っぽい印象があるから、なにかお取り寄せした方がいいのだろうか。
「……みょうじさん」
「はい?」
「連絡先、教えていただいても?」
「……え?」
――待って、いま私、何を言われているの。
「実はこちらには、三日前に帰ってきました」
「あ、そうなんですね。てっきり昨日とかだと思ってました」
「二日前の早朝、ランニングにここまで来ましたが、みょうじさんもイッヌくんもいなかった」
「あっ……」
「昨日は雨だったので、ランニングも散歩も出来ないと踏んで公園には来ませんでしたが、仕事が早朝からでしたので、車で公園の前を通りました。やはり、あなたの姿はなかった」
「えっと、その……すみません……?」
「お土産を渡したかったというのもありますが……ここに来れば、必ずあなたに会えると思っている自分がいました」
「えっ」
「だから、会えない日もあるという、簡単な事実ですら考えたこともなかった」
――え、え、え、なにを言われているの。
 イッヌがあくびをする声が聞こえた。建人から目が離せない。
「なので、会えなかったと落胆するくらいなら、先に予定を聞いていた方が確実かと考えました」
 長い報告のような理由を伝えられても
「……わ、わたしも」
「ん?」
 息を吐くように鼻から抜けた小さな建人の声。
 言うか、言わないか。言ったら恥ずかしすぎる。でも言わないと絶対に後悔する。
「私も、ここにくれば……七海さんに会えるって、思ってました」
「っ!」
「でも、ここで待ってても会えないと、お仕事なのかなって思って。出張が多いって聞いてたから……仕方ないなって」
「……出張の間、待たせてしまいましたか」
「あ、いえ、あの、そんなに待ってないです! いないんだなって思って、ちょっと休憩してから帰る、みたいな……」
「すみませんでした。私は自分の思いを棚に上げていた 」
「え!? ちが、いや、私こそ、あのごめんなさい! 一昨日はその……散歩サボっちゃったので」
「しかし、あなたを早朝に一人にさせたことには、変わらない」
「一人ってわけじゃ……イッヌもいるので」
「それでも、早朝に女性を一人でいさせるべきでは無かった」
 眉間の皺がくっきりと刻まれていた。
 会話内容を思い出して、頬がにやけそうになったり、赤面してしまいそうになったり、とにかく大変で、ひたすらに表情が変わらないよう気をつける。
「……では、あなたも私と同じ考えだったということで、いいですか」
「えっ」
「これからは、必ず会えるという確信の元、あなたに会いたい」
「……わ、わたしも……です」
「では、連絡先の交換を」
「は、はい!」
 スマホを急いで取り出す。手から滑って落とさなくてよかった。
――メール? アプリ? まさか電話番号のSMS?
「メッセージアプリはやっていますか?」
「やってます!」
――アプリだー!
「では、まずそれを」
「まず……?」
 QRコードを読み取る。七海建人の文字。友達申請する。
「追加しました」
「ありがとうございます……!」
――推しの連絡先をゲットしてしまった……! 家宝にしよう。
 スタンプを探す。職場の人に連絡した時によく使う、敬語を話す可愛い動物の動くスタンプ。『ありがとうございます』と『よろしくお願いします』を立て続けにタップして、建人に送った。
 バイブ音がすぐに響く。ちらりと見上げると、建人が眉を上げていた。
「ありがとうございます。……電話番号も聞いておいてもいいですか?」
「えっ、あ、はい。大丈夫ですけど……?」
「仕事柄、携帯を壊すことが多いので、データ移行のためにも」
「仕事柄……もしかして、ヤクザの抗争に巻き込まれたり……?」
「違います」
 即答具合に笑いが漏れてしまう。
 これでいつでも建人に連絡できる。恐れ多くて自分から連絡するだなんてできないだろうけど、連絡先をゲットしたという背徳的で禁断的なイベントにドキドキが止まらない。必死に顔を引き締めようとしても難しく、頬が緩んでしまうことをとめられなかった。
「ふふっ……うれしい」
 スマホを大事に抱きしめる。唇から心の声が漏れてしまう。それを、建人にじっと見られていたことに、気づかなかった。




short 望楼