運命の出逢い



 ヴェネツィア、サンマルク広場にある『カフェ・フローリアン』は、世界最古のカフェといわれている。その歴史が始まったのは一七二〇年の十二月。焙煎したコーヒーを片手に人々が交流できる場所として誕生した。当時はサロンとして仕事や遊びなど様々な目的で来客を運び、著名人も多く来店した。
 ヨーロッパ内で戦争が多発していた当時、ヴェネツィアはヨーロッパにおける経済の中心地であり、世界中から他国の人々が訪れ文化交流も行われていた。また、カフェ・フローリアンはカフェラテを考案したことでも有名である。現在のカフェの基盤をつくったカフェ・フローリアンは、コーヒー業界ではカフェの歴史そのものなのである。
 現在のカフェ・フローリアンの内装や装飾は、一八〇〇年代からほとんど変化していない。昔変わらぬ出で立ちは、恋をしてしまいそうなほど美しかった。
「……どうしてここにいるんですか?」
「いやあ、空いてる席がここだけだったから?」
 目の前に座っているのは、イタリア観光で初めて出会ったイタリア人の男。名をディーノというらしい。彼にスリを捕まえてもらったことがきっかけで、初日の観光を案内してもらったのだ。その一日だけだと思っていたのに、なぜだかこの男は偶然を装って、滞在中毎日会いに来ている。
「どうして私がいる場所がわかるんです?」
「だって、行きたいとこリストに色々書いてあったろ?」
 ディーノの言う通り、観光で回りたい場所を書いていたリストがある。それを見ながら地図とにらめっこをして、その日のうちに行けそうな場所を選んで観光を楽しんでいる。
「日本語で書いてあるんですけど……」
「ん? だって俺、日本語読めるし、話せるし」
「そりゃ、話せるなら読めそうだけども……」
 一人で観光を楽しみたい気持ちがあるのに、所々で現れては、観光案内をされる日々に飽き飽きしていた。一人でのんびりと出来るのはホテルだけ。あとはすべてこの男がついて回っている。
「なんでそんなに私についてまわるんです?」
「俺、観光大使なんだ」
「うそ」
「あ、バレた?」
「バレバレすぎです!」
 バレバレな嘘までついて、一体なんなんだ。真意が読めない。カフェオレを飲みながら、改めて思案する。
 この男、ルックスはかなりいい。眩しいくらいの金髪に、シュッとした目鼻立ち、筋肉が付いていてもすらりと伸びる手足。頭の先から爪先まですべて高級品で揃えていそうで、付けているフレグランスは心地好い香りだ。そんな“バッチリ”決めているディーノは楽しそうに笑みを浮かべている。
「なあ、今日はどこに行くんだ? 案内するぜ」
「今日はもう、行きたいとこには来れたので大丈夫です」
「行きたいとこって、ここか?」
「そうです。ずっと来てみたくて。ようやく夢が叶いました」
 夢のような景色である。映画の中のような世界が、この『カフェ・フローリアン』には広がっている。まるで映画の中に入ってしまったような光景に、感激していた。
「お嬢さん、それは俺に会えたからってことかな?」
「…………」
 ディーノが茶目っ気たっぷりに上目遣いで訊ねてくる。絵になる光景に、思わず息を飲んでしまった。さすがイタリア人、息を吐くように誘い文句のような言葉がとび出てくる。内心感心しつつも、心臓はうるさく高なってしまった。
「ちが、ちがいます。このお店に来れたことがです」
 上擦った声で返答をするが、ディーノは楽しそうに笑った。思わず頬を膨らましてしまう。
「さて、俺は今日一日オフなんだ」
「はあ、それはよかったですね……」
 突然何を言い出すのか。よくわからないまま返答をすると、ディーノはなぜか立ち上がる。視線で追うと、隣までやってきて、その場に跪いた。
「は……?」
「ということで、お嬢さん。あなたの夢が叶うよう、お手伝いさせてもらってもいいかな?」
 まるで王子様のように右手を差し出してくる姿に、顔に熱が集まっていくようだった。
 周囲からの視線が痛い。ディーノのキラキラした顔にしばらく動けなかった。しかし、はやくこの展開が終わりますようにと、逃げ場を無くされた震える手をディーノの手に重ねる。するとさらに周囲は沸き立つように、祝福の言葉が掛けてきた。
――絶対なにか勘違いしてる!
「決まりだな!」
 悪戯が成功したように笑うディーノに、何も返せずもう片方の手で顔を覆った。頬はカフェオレのように熱かった。

22,06.25




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