オタクと剣客1
青く澄み切った広い空は、まるでラムネの瓶のようだった。空を遮る高い建物は一切なく、青空を横切っていく飛行機も見当たらない。そこにあるのはただの大空で、雲ひとつないその色は太陽よりも眩しかった。空の青さは今まで生きてきた現代よりも綺麗に見えて、ぼうっと眺めていた。
「スマホいじりた……」
充電が出来ないこの世では、スマートフォンはただの板と化してしまっている。残っているデータのことを考えると、使うことは無いにしても捨てることも出来ず、静かに部屋で眠っていた。
時はどうやら明治十年。十年前は江戸時代というなんとも想像できない世界。ある日いつの間にか周りの世界が明治の世になっていたという意味のわからなさ。
いわゆるトリップ状態であり、トリップしてから二ヶ月ほどが経過していた。運良くやさしい、とてつもなくやさしい夫婦に拾われ、住み込みで夫婦が営む甘味屋に身を置いている。さすがに「未来から来ました」なんてトンチンカンなことは言えず、記憶喪失で通していた。
予想以上にこの設定は都合がよく、江戸の風習が残る明治の世の中での常識や生活の仕方など、些細なことまでわからない。きっと変な子だと思うに間違いなしだったが、夫婦は一つひとつ丁寧に教えてくれた。今では着物だって一人で着付けられるし、おつかいだってできる。ここに明治でも生き抜ける令和の人間が誕生した。
日々切磋琢磨働いていても、やはり一人になると思い出すのは現代のこと。スマホは使えない、娯楽の漫画やアニメはない、息抜きができない、好きなことを語れる相手もいない。ないこと尽くしで頭がおかしくなりそうだ。
「あー……“推し”がほしい」
そんな時考えたのが、この時代で「推し」を作ること。「推し」ができれば心が豊かに、生活にもメリハリが生まれる。「推し活」と呼ばれていたことを行えば、この言葉にできない虚しさが少しでも晴れるのではないか。
そうとは言っても、「推し」はそう簡単には現れない。そりゃそうだ、だから「推し」なのだから。それなりに魅力的な人や、容姿端麗な人は、たまにこの甘味屋にも訪れる。店にやってきては、団子やお茶よりも会話を楽しみに来る客もいる。しかし、いまだに「推し」になりうる人は現れていない。
「はあ……仕事しよ」
休憩時間の終わりが迫っている。立ち上がって着物の裾を整えた。再び空を見上げると、変わりのない青空が拡がっている。裏路地から店の方へ歩いていくと、日光に照らされた道が近づいてくる。地面の照り返しでさえ眩しい。目を細めて表に出ると、店の前には一人の男性が佇んでいた。
「いらっしゃいませ。よかったらどうぞ」
落ちていた気分を胸の内にしまい、仕事モードに切り替える。ワントーン高い声で声をかけると、男性は自分に声を掛けられたのだと気づき、振り向いた。
「おろ、この店の者であったでござるか」
「――……」
男性は決して背は高くない。しかし、なぜか言葉を失ってしまうオーラみたいなものがあった。髪はこの日本においてかなり珍しい赤毛で、長くて一つに括っている。紫色の瞳は日光に照らされて、アメジストのように深みのある色合いを放っていた。廃刀令が出ているにもかかわらず、腰には一本の刀を携えている。怖い人なのかと思いきや、朗らかな笑みを浮かべている。頬には十字の傷がある。
「えーっと……拙者の顔に、何か付いているでござるか?」
「……あっ、すみません。髪色が……」
「おろ?」
「朝焼けみたいに、綺麗だなと……。すみません、ジロジロ見てしまって。失礼いたしました。よろしかったら、寄っていきませんか?」
「……ああ。では失礼しようか」
男性を店内に案内し、空いてる席を勧めて、厨房にあるエプロンを取りに行く。
――待って!? なにあのキャラ造形ごった返し!?
ツッコミどころが多すぎる。ここはアニメだったか? と思うほどに男性は特徴的すぎた。これはもう主人公確定である。しかも何、「おろ」って。「ござる」って何!? 今何時代だっけ? そうだよ明治だよ! しかも中性的な顔。一瞬美少女かと思ってしまう肌の白さ。頬の傷がそこにミステリアスさを加えている。
突然の来訪にドキドキしつつも、冷静さを装って注文をもらいに行く。頬がにやけて終いそうになるのを、必死に対接客用の顔にすり替えることも忘れない。
「ご注文、お決まりですか?」
「そうだな……では、団子と茶を一つ」
「はい、承りました」
たった一言の会話だけでさえ緊張してしまう。もしかしてこれが――恋!?
いいや違うと頭を振って考え直す。恋であるわけが無い。恋ならばこんなに気持ちがキラキラしてない。この気分の高揚感、なんでも出来そうだという万能感、まだ見ぬ明日さえ期待感にまみれてしまうこの気持ちは……。
――そう! “推し”に対しての気持ち!
「あぁあ〜……ついに……ついに来てしまった……!」
戻った厨房で、客から見えない位置でその場にうずくまる。旦那さんや女将さんから話しかけられたけど、ごめんなさい。ちょっと今は心が忙しくて返答できないです。注文は団子
「はぁ〜無理……ありがとう……」
何に対してでもなく急にお礼を言い始める様子に、夫婦がどよめいた気配がする。変な行動をとってごめんなさい。だけど今は感情の逃げ場を用意しないと、心がいっぱいいっぱいになってしまうの。一大事なの。
――名前……知りたくない……?
「知りたい……」
「推し」の名前。あの美しい青年の名前。きっと名は体を表すから名前も美しいだろう。
「えぇ……仕事がんばろ……」
目指すは「推し」の名前を知るところから。ドキドキが次第にワクワクに変わっていく。羽が生えたかのように体が軽くなった予感。
「団子とお茶、持っていっとくれるかい? ……持って行けるかい?」
「行きます! やります! 働きます!」
変な態度をきっと心配してくれてるであろう女将さん、残念ながらこの態度不定期で出てしまいます、ごめんなさい。
お盆に乗せて、オタクじみたニヤニヤ感のある笑みを必死に接客用に変えようと試みた。人間の笑みになっているかどうか怪しいが、いつまでも待たせると失礼なため、「推し」の元へ運んでいく。頑張って表情筋。そのまま一般人を装わせて。
「お待たせしました」
「お、ありがとうでござるよ」
――あ、だめだ。
眩しすぎる優しい微笑みに、表情が崩れないようとっさに口の中を噛んだ。
23,08.03
short 望楼