オタクと剣客3



 青空も澄み切っている昼過ぎ。食客として世話になっている神谷薫からの頼みで、“それ”は買い物に出た矢先だった。
 道のど真ん中で女性が男たちに絡まれている。男たちは様子からして、女性がぶつかることを予想しての位置取りをしており、想像通りぶつかったところで難癖をつけていた。女性は両手に大きな瓶を抱えており、いかにも重そうな様子。そして男らから謝れだの責任を取れだのと言われ、謝るものの困り果てていた。
 女性をいびって何が楽しいのか、びた一文とも理解はできないが、男たちはいかにもヤクザの匂いがしており、周囲で野次馬している町人たちも手助けできないようだった。
 この腕の届く範囲にいる人々は助けたい。心に刻んだその誓いは、今回も身体を勝手に動かしていく。
 男たちは頬の十字傷を手立てに、自分が「抜刀斎」であることに気づき、喧嘩をふっかける間もなく足早に去っていった。
「大丈夫でござるか? 怪我は?」
 話しかけると、女性は一瞬びくりと肩を震わせた。話の流れで知り合いだと言った手前、見過ごすこともできなかった。しかし、名前がわからないためなんと呼んだら良いのかもわからない始末。
「ご、ごめんなさいっ……」
「おろ」
 女性の頬に、ぽろりと流れた涙。そうさな、女性からしてみたら男に絡まれるのは怖いはずだ。両手を塞がれている女性の代わりに、腕を伸ばして涙を指先で受け止めてやった。
「っ!?」
「おろ、すまん。両手が塞がっていたでござるから、つい」
 バッと勢いよく顔を仰け反らした女性に、嫌だったかと頭を下げる。しかし女性はブンブンと首を振って、涙で上がっていしまう息を整えた。
「ち、ちがいます、びっくり、びっくりしちゃって……すみません、ありがとうございます、すみません」
――なんとも腰が低いというか、なんというか。
 日々共にいるのが薫や恵のため、こういった様子の女性はなんだか物珍しさを感じる。
「えと、あの……“ばっとー? さい”? さん?」
 恐らく「抜刀斎」と言いたいのだろうが、上手く発言できていない。抜刀斎と聞けば昔の癖で視線が鋭くなりがちだが、今回ばかりはそうならずに目を丸くした。
「あ、お名前? じゃなかった……ですか? ばっとーさい、さんじゃ、ない……?」
 舌っ足らずな言い方に息を飲んでいると、女性は焦ったかのようにおろおろし始める。
「え、あ、やっぱりお名前、じゃない、ですよね……? こんな大根みたいなお名前じゃないですよね……?」
「っ! ……ぷ、くく」
「え、あ……」
「だ、大根って……!」
――抜刀斎を大根と間違えるとは!
 初めての経験に、「人斬り抜刀斎」と呼ばれて胸の奥がズンと重たくなる、あの感触が嘘みたいになくなっていく。抜刀斎が大根だって?  
「ふ、くくっ……大根とは! 初めて言われたでござるよ!」
「あっ、ご、ごめんなさい! お店に来てくださったのに、お名前を存じ上げてなくて……! 本当に、ごめんなさい!」
 どうやらこの娘、本気で抜刀斎という言葉を知らない様子。そんな物騒な言葉とは関係の無い、平和な場所で暮らしてきたのだろうか。それはそれで良い事だと感じる。
 本当に申し訳なさそうにする娘の姿がおかしくて、声を上げて笑ってしまった。
「ははっ! いいでござるな、大根! 拙者も今度からそう名乗ろうかな」
「えっ、あっ、あの、ごめんなさい……!」
 いつまでも笑っていると娘に失礼だろう。笑いを何とか抑えて、目尻の涙を拭く。こんなに腹を抱えて笑ったのは久しぶりだった。しかも、「抜刀斎」関係で。
 胸につっかえていたものは何も無くなり、まさに心中には青空が広がっていた。清々しいような、ほんのりと胸の奥があたたかくなるような、不思議な感触。それは心地よくて自然と笑みが浮かんできた。
「――緋村、剣心」
「え……?」
「拙者の名は、緋村剣心と申す」
「ひむら、けんしん、さん……」
 こんなに丁寧に名乗ったのは、生まれて初めてかもしれない。

23,08.05




short 望楼