副船長と処女1



 海賊の頂点に君臨する『“四皇”の一人』と呼ばれる男がいる。赤髪のシャンクスという名の男が船長を務めるレッド・フォース号には、数多くの船員がクルーとして乗船している。その中に、ただ一人だけ女性クルーが搭乗していた。名はなまえ。彼女は手先の器用さや器量の良さが船長シャンクスのお眼鏡に叶い、スカウトという形でクルーの仲間入りをした新参者である。しかし、仕事への姿勢から次第に幹部からの信頼も厚くなり、数ヶ月で幹部補佐のような立場にのし上がった。
 海賊団の幹部は概ね四十代から五十代のものが多い中、なまえは二十代後半である。海賊団内の紅一点であると同時に、幹部からすれば父と娘ほど歳が離れていることもあり、なまえは男たちに可愛がられ一目置かれる存在になった。新参者と下っ端のクルーからは影で揶揄されたものの、なまえの働きぶりにいつの間にか陰口はなくなっていく。
 なまえの仕事は雑務と多岐にわたっていた。船医ホンゴウの助手であったり、ルウの手料理を配膳したり、調達支持役を担う副船長ベックマンへの助言や提案係であったりと、非戦闘員でありながら船になくてはならない存在である。
 副船長であるベン・ベックマンにとって、なまえは自身の右腕のような娘だった。船長の右腕である自分の右腕と考えると話は絡まっていくものの、なまえの賢さや人格に、ベックマンは本人には伝えやしないが、ささやかに助けられることが多かった。
 ベックマンは女たらしであり、自他ともに認めるプレイボーイである。島に寄港すれば必ず女を買い、夜を共にして船には朝帰りをするのが常だ。それは他の男船員も同じであったが、ベックマンの場合、自分から動かなくとも女が寄ってくる。酒場に行けばベックマンの周りにはいつの間にか女たちがいて、宴もたけなわといった頃にはすでに女と姿を消しているのである。
 ベックマンはなまえがレッド・フォース号に乗ってからというもの、彼女には絶対に手を出さないと心に決めていた。女ではあるか、それ以前にクルーである。船の上で面倒なことになるのは避けたかったため、仲間には手を出さないと誓ったのだ。
 しかし、ベックマンの決意と裏腹に、心は次第になまえを求めていく。五十の歳にもなって、娘ほど離れているなまえに恋情を抱いていることに気づいた時には、煙草の灰で火傷しかけてしまった。何度も諦めようとしたが、なまえと過ごす日々がそれを許さなかった。気づいたら彼女を視線で探してしまうし、ことある事に理由をつけては彼女に声を掛け、他の男からタチの悪い絡みをされているときは助けてやった。そうやって、ベックマンの日々に少しずつなまえが浸透していき、今では恋情の意味でも居なくてはならない存在となっていった。

   * * *

 レッド・フォース号は拠点としている島に寄港すると、休む間もなく物資調達が行われる。事前に決めてある班に分かれ、決められた物資を調達しに行くのだ。主に下っ端船員の役目となっていたが、男部屋では運悪く風邪が流行っており、数名が床に伏せていた。看病を担うホンゴウの代わりに、主に薬草や包帯などの治療物資の調達をすることになったのが、なまえとベックマンであった。
 拠点とする島は他の島と比べると交易が盛んで、村というより街という表現が似合う造りとなっている。包帯やガーゼを調達した二人は、残りの調達をすれば船に戻ることが出来る。ベックマンは荷物を抱え直しつつ、ホンゴウから受け取った調達リストに目を通した。
「あとは薬草だけか」
「はい。結構な量があるので全部調達できるかどうか……」
「これだけデカい街なんだ。何件か巡れば全部手に入るだろう。焦るこたァねぇよ」
 なまえが覗き込むようにつま先立ちになり、リストを覗こうとしている。ベックマンは心の中で可愛いなと思いつつ、メモを持つ手を下げてなまえに見えやすくしてやった。さらりと揺れるなまえの髪からは柑橘系の爽やかな匂いがして、ベックマンは息を大きく吸い込みそうになった自分に気づき、煙草のフィルターを強く噛んだ。
「あ、ありがとうございます……」
 石畳の街道に踵をつけたなまえに適当に返事をして、ベックマンはなまえを頭の先からつま先まで観察した。
 なまえは基本、着飾ることはなかった。スカウトを受ける前、以前の暮らしをしていた頃は少しだけ着飾る様子を見たことはあったが、船に乗ってからというものの、一切その姿は見られなくなった。
 それは一重に、船員が男だらけなことと関係があるのだろう。世間の裏では、未だに女は男より下に見られることがある。船員は決してそうは考えない奴らが多いとベックマンは考えてはいるものの、酒が入ったり下世話な話になったりしてしまえば話は別だ。男どもの見栄を張りたい部分や気分が大きくなった状態では、女は下に見られるもの。なまえが乗船した頃は、紅一点の存在に浮かれた男どもが不埒な話を持ちかけたり、互いに話したりと環境は彼女にとって劣悪だった。
 なまえは基本体のラインがでないような服を着ている。長袖長ズボンと肌もほとんど見せない。鎖骨まで伸びた髪は結んではいるものの、街娘のように可愛らしい髪飾りをしたり、アクセサリーをつけることはなかった。なまえが買い出しに行って街娘を見たり、酒場で男どもの相手をする娘たちを見る度に、羨望の眼差しを密かに向けていることを、ベックマンは知っている。
――勿体ない。
 女が最高の状態で着飾れる時期は限られていると、ベックマンは考えている。なまえはまさに今だった。アクセサリーの一つ買えない理由はないものの、彼女がつけたいと思わないのではタンスの肥やしになってしまう。ベックマンはなまえと話すたびに、どうにかして彼女を着飾れるようにしてやりたいと考えはするものの、本人の了承がない限りそれは難しいことに頭を悩ませていた。
「あれ? ベックマンさん……」
「ン? どうした」
「今日は、いつもの大きいピアスじゃないんですね」
 なまえが耳を指さして答える。ベックマンは自分の耳に触れて、普段つけている大ぶりのピアスではないことを思い出した。そういやそうだったな。調達やなまえの事ばかり考えていて忘れてしまっていた。
「ああ、たまにはな。気分転換に」
 ベックマンが今日つけているのは、小さな宝石が一つ納まっているシンプルなピアスだった。サファイアが小さく主張しているピアスは、海の男だということを知らしめる。普段はあまり使わないピアスだ。なまえは物珍しそうに目を丸くしていた。
「綺麗ですね。よくお似合いです」
「そうか? ありがとう。……なまえは、ピアスは開けないのか?」
 ベックマンは荷物を抱えていない空いた片手で、なまえの髪を耳にかける。あらわになった耳たぶはつるつると触り心地が良さそうで、穴は一切空いていなかった。
「その……穴を開けたらお掃除、と言うんですか? 処理が大変そうで」
「まあ、開けたばっかりの時はそうだろうな。だが穴が安定すれば、そこまで面倒でもない」
「その……恥ずかしいんですけど、穴を開けるのも、ドキドキしちゃうので……」
 ソワソワと視線を落として話すなまえに、ベックマンは胸が高鳴った。一つ一つの仕草がどうしてこうも心をくすぐるのだろう。思わず可愛がりたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢して話を続けた。
「穴開けなくても、イヤリングならできるだろう。しねぇのか?」
 着飾る姿を見たい一心で、ベックマンは話をふくらませる。なまえは話が終わったと感じていたのか目を丸くしつつ、視線を逸らして言葉を探していた。ベックマンは煙草をくゆらせながらなまえの返事を待つ。なまえの耳たぶは赤ん坊のようにつるつるしていて、触り心地が良さそうだった。
「その……落としたら、って考えたら、気が引けちゃって」
 なまえの普段は見られない意外と臆病な部分が垣間見れる。それだけでベックマンは今日一緒に買い出しに来た有意義を感じてしまう。
 自分の耳たぶを撫でるなまえに目を細めると、ベックマンは煙草を人差し指と中指で挟み、大きく息を吐いた。
「まぁ、消耗品みたいなモンだからな。落としたら代わりに厄が落ちたとでも思えばいい」
「っ!」
 ベックマンが呟くと、なまえから目を見開いて見上げられた。何か引っかかることでも言っただろうかと首を傾げると、食い気味になまえは返事をする。
「それ! 亡くなった母から言われたことあります! 久々に聞きました! すごい!」
 余程感激しているのか、なまえはその場でぴょんぴょん飛び跳ねそうだった。なまえの母と同じ世代か自分が少し歳下であるとは捉えていたが、同じようなことを話してしまったようで、ベックマンは少しだけ落胆しかける。そうだろうな、それくらい歳が離れているんだもんなあ。自分の世代的な発言に少々舌打ちを打ちそうになりながらも、目をキラキラさせているなまえが見られたことを良しとしよう。ベックマンは自分の中で区切りをつける。
「やっぱりそう考えた方がポジティブですよね!」
「そうだな、いつまでも後ろばっか向いてられねぇからな」
「なんだかちょっと元気がでてきました!」
 ニコニコするなまえの頭を撫でたくなる衝動をぐっと堪えて、ベックマンは口角をあげた。
「そうか、なら良かったよ」
 決して着飾ることが苦手なのではないと知ることが出来、ベックマンはいい報酬が手に入ったと満足気に煙を吐いた。

   *

 調達はベックマンの寄り道を含め、順調に進み事を終えた。夜は酒場を貸し切っての夕食となり、赤髪海賊団は体調不良者を船に残して店を訪れていた。なまえはカウンター席の隅に座り、クルーが次第に酔いつぶれるのを眺めながら食事を摂ることが習慣のようになっている。一人になりたい気分の時もあるだろうと、幹部たちはあえて強引になまえに酒を勧めたり絡んだりはしなかった。
「ちゃんと食べてるか?」
 ベックマンはいつもまとわりついてくる女たちがいないことを良いことに、一人で食事を摂るなまえの隣にグラスを持って座った。
「はい、このハンバーグ、とっても美味しいです」
 半分ほど食いかけのハンバーグをニコニコして食べるなまえに、ベックマンの頬は緩む。
「今日の調達、ありがとうな。計画通りに事が進んだ」
「いえ、私は何も。でもお役に立てたなら良かったです」
 ナプキンで口を拭きながら返事をするなまえは、謙虚さの塊のようで、眩しく見える。後ろで馬鹿騒ぎをしているお頭に見習ってほしいと常々胸の内で願った。
「お前にはいつも助けられている」
 ベックマンは話しながらポケットに入れていた黒い小箱をテーブルに置いた。なまえが首を傾げて見上げる姿に口角を緩ませながら、ベックマンはなまえの視線に返事をする。
「これは、まあ……普段頑張ってくれているご褒美、とでも取ってくれ」
「わあ……!」
 蓋を開けると、鎮座していたものがお目見えになる。なまえは箱の中身を見て小さく声をあげた。
 箱に入っているのは、イヤリングである。可憐な小さな花が三つほど施されているイヤリングは、なまえの雰囲気に似合う薄ピンクや白色など柔らかい色をしている。
「こ、こんなの、もらえません!」
 胸の前で手を振りながら慌てるなまえの様子は想定済みである。ベックマンはわざとらしくため息をついて箱をなまえの方へ押した。
「このタイプのイヤリングなら、耳から落ちねえと思う。痛くもねぇらしい」
 ベックマンは箱から一つイヤリングを取り出し、花を裏返した。シリコンでできた耳に挟む部分は、店員の言葉を借りると「新しいタイプのイヤリング」らしい。長時間つけていても耳が痛くならず、落ちにくいという。
「え、あのっ、でも私……」
「俺の顔を立てると思って貰ってくれねぇか。つけてくれるのが一番の望みだが、もし趣味じゃねぇのなら捨ておいて構わない」
「そんな! 捨てるだなんてしません!」
 ハキハキと返事をするなまえに、ベックマンは喉の奥でくつくつと笑った。言質をとれた。これでなまえはイヤリングを貰うしか選択肢は残っていない。
「わ、私……えっ、本当に? い、頂いてもいいんですか?」
「見た時からなまえに似合うと踏んでいたんだ。つけてみてくれねぇか?」
 ベックマンが首を傾げると、なまえはぽうっと頬を赤く染めた。胸の前で指先をソワソワさせている。
「あの、あ、ありがとうございます……なんてお礼を言ったらいいのか」
「んな大層な」
 ベックマンはグラスを傾けてくしゃりと笑う。なまえが恐る恐る手を伸ばし、イヤリングを一つ細い指先で摘むと、目の高さまであげた。店内の明かりに当てて、角度を変えてじっくりと眺める姿は、宝石を初めて貰った子どものようだった。
「……つ、つけて、みても……?」
「ああ。……いや、最初は難しいだろう。俺がつけよう」
「えっ!?」
 ベックマンはなまえの手を優しく包み込み、持っていたイヤリングを取り上げる。
「ほら、耳だせ」
「えっ、あの、えっ……!?」
 動揺しながらも耳を向けてくるなまえを可愛らしく思いつつ、ベックマンはそっと耳たぶに触れて、イヤリングをつけた。
「ほら、今度は逆」
「あぅ……」
 顔を真っ赤にしながらもゆるゆると反対方向を向いてなまえは耳を向けてくる。知ってはいたが、ここまで押しに弱いのかとベックマンは腹の底で考える。
――こんなに押しに弱いんじゃ、男にペロッと“食われて”も言い訳できねぇぞ……。
 なまえが男に言いくるめられないよう、より一層の警戒しなければとベックマンは心の中で誓う。反対の耳もそっとイヤリングをつけてやる。なまえは自分の耳たぶを触り、本当にイヤリングが着いていることを確認して「わあ……」と小さく声を漏らした。
「ああ、思った通りだ。よく似合ってる」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。なまえに嘘は言わねぇよ」
「……ふふ、嬉しい。あの可愛いのが、いま私についてるんだ……」
 ふわりと笑い、ぼそりと呟く姿に、ベックマンは目を細めた。やはり、女は着飾ることで魅力を倍増させる。それが好きな相手なら尚更だ。想像以上のなまえの可愛さに、ベックマンは胸が高鳴っていく。
「ありがとうございます、副船長。嬉しいです……!」
「そりゃあよかった。厄が落ちるまでは大事にしてくれや」
「絶対! 落としません!」
 なまえの言葉は少しだけ信用ならない。落とさないようにするには大事にしまっておこうと考えるタイプだ。ベックマンはグラスの中を一気に呑み込むと、真っ直ぐになまえを見つめた。
「たまにじゃなくて、毎日着けてくれねぇか?」
「えっ!?」
「……ダメか?」
 下から顔を覗き込むように上目遣いをしてなまえを見つめる。なまえはさらに顔を赤く染めた。
「だっ……」
「だ?」
「ダメ……じゃない、です」
「そうか、ありがとう」
 ベックマンは微笑みながらなまえの髪を耳にかける。日中とはうってかわり、久々に下ろされている髪を人差し指に巻き付けて弄んだ。なまえが小さく言葉にならない悲鳴を漏らしているのに気づきながらも、ベックマンはしばらくの間、なまえを困らせて楽しんでいた。

22,09.03




short 望楼