副船長と処女2



 耳たぶにそっと触れると、そこには数日前に副船長ベックマンからの贈り物が着けられている。可愛らしい花が三つほどついたイヤリングは、ベックマンが選んだものだった。年齢的にも立場的、素行的にも『大人』であるベックマンがあまり選ばなそうなそれは、なまえへの日々の働きぶりに対するご褒美だ。
 なまえはレッド・フォース号に仲間入りしてからというものの、着飾ることを避けていた。船の中で女は自分一人であることが第一の理由として挙げられる。下っ端の船員――主に同い歳くらいの男船員――からの陰口や妬みなど受ければ船で生活していく上で支障が出る。少しでも舐められないように、女として見られないようにすることが、なまえがこの船に乗って一番力を注いだことだった。
 乗船する前に履いていたスカートやワンピースはクローゼットに入っていないし、可愛らしい靴やサンダルもない。アクセサリー類も一切ない。化粧品だって、スキンケア類以外は何一つない。あるのは少し大きいサイズの男性物の服だった。見慣れた飾り気のない服に、『仕方がない』と気持ちに蓋をした。それがどうだ。数日前のベックマンからの贈り物を機に、むくむくと着飾りたい気持ちが復活してしまった。
 受け取って日が浅い頃は、鏡に映るイヤリングをつけた自分に満足していたのに、次第にまた昔のようにお洒落をしたい気持ちが出てきてしまった。
「……だめだめ」
 お洒落をしたところで、船上の仕事で汚れるだろうし、クルーからはからかわれるだろうし、突然着飾ったことで変な目で見られるだろう。実際、イヤリングをつけ始めただけで、幹部数名から声を掛けたられた。他人の身なりなんて放っておけばいいのにとその時は心の中で愚痴ってしまった。
『思った通りだ。よく似合ってる』
「……っ」
 ベックマンの優しげな微笑みと手の温かさ、真っ直ぐな眼差しを思い出すだけで、頬が熱くなっていく。なまえは頬を抑える。頬はいつまでも熱いままで、手でパタパタと顔を仰いだ。鏡に映るイヤリングはキラキラと輝いているように見えて、なまえの心をぎゅっと締めつけさせる。
「……なんで、くれたんだろ」
 日々の褒美だとベックマンは言っていたが、なぜ突然そうなったのだろう。答えは考えても出てこないため、なまえはさっさとその疑問を忘れようとした。しかし、副船長はプレイボーイだということを思い出し、思考が止まる。
「まさか……いやいや。だって副船長だし、綺麗な人しか相手にしなさそうだし……私はただの、船員だし」
 ベックマンは島に寄港するたびに、女性を買う。一夜を共にして、朝帰りは当たり前だ。しかし、イヤリングを贈られた島でベックマンは珍しく女性と夜に消えることは無かった。男性のそういった事情はわからないが、珍しいこともあるんだと翌朝船に乗っていた彼を見て目を丸くしたものだ。その時にイヤリングがちゃんと着いているか確認するところは、さすが副船長といったところであった。
「そもそも、歳だって離れてるし」
 二十代後半の自分にとっては、ベックマンをはじめ幹部は一回り以上歳が離れている。ヤソップをはじめ子ども扱いしてくる幹部もいる中で、特別な気持ちが芽生えるだなんて、有り得ない。
 そこまで否定材料を用意しても、なまえの脳裏にはイヤリングを贈られた夜のことが、こびりついて消えなかった。耳や髪に触れたベックマンの体温を思い出すだけで、なまえの胸はぎゅうっと締めつけられる。男性から何かを贈られるのは、ベックマンが初めてだった。

   *

 穏やかな海は新世界の海においては珍しい部類に入る。なまえは宴並に騒ぐ声に背を向けて、船首で一人夜空を見上げていた。澄み渡る空気によって輝く星々は宝石のようにキラキラと輝いていて、ずっお見ていても飽きはしない。
「風邪引くぞ」
 肩にかけられたブランケットに、なまえは目をぱちくりさせて振り返る。
「そんなに見上げてて、首が痛くならねぇか?」
「副船長も大きいから、慣れっこですよ」
 振り向くと、ベックマンが煙草をくゆらせている。なまえは冗談のように返事をしたが、実際ベックマンは二〇〇センチを超える大男だ。女性であるなまえは会話の度に見上げるのが常である。
「そりゃあ悪い事をしたな」
 くつくつと笑いながらベックマンは隣に来て、船に背中を預ける。
「慣れたか?」
 ベックマンの視線が耳元にあることに気づき、なまえは少しだけソワソワとしてしまった。
「はい。もう上手につけられます」
「そうか。よく似合ってる……って前も言ったか」
 つい口にしてしまったような言葉。自嘲するベックマンに、なまえは胸が高鳴った。
「私のお気に入りです。ありがとうございます」
「男冥利に尽きるな」
 煙草を指で挟み、夜空に向かって息を吐く姿は、なまえの目から見ても妖艶で、なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になる。
「着飾ったところで、誰も悪く言わねえよ」
「えっ……」
「海賊ってのは自由だ。お頭の言葉を借りればな。だから、したいようにすればいい」
 じっと見つめられて、なまえは心臓が鷲掴みされたような衝撃を受ける。なまえが悩んでいることが、まるでベックマンに筒抜けであるかのよう。目を丸くしてじっと見つめてしまった。
「……図星だったか?」
「はい、ちょっと悩んでたこともあって……なんでわかったんですか?」
 恐る恐る訊ねると、ベックマンは再び夜空を見上げる。言葉を探しているようだった。
「これは俺の願望でもあったんだが……まあ、あれだ。イヤリングをきっかけに、着飾ったお前が見たいっていう下心だな」
「したごころ」
 ベックマンからはあまり聞き慣れない言葉になまえはオウム返しをする。
――着飾った私が見たい? どうして……?
 首を傾げていると、ベックマンは喉の奥で笑っていた。逞しい指に挟まれた細い煙草がチリチリと燃えている。
「――好きな女の着飾った姿を見たいっつうのは、男の性だろう?」
「……えっ?」
 なまえは耳を疑った。
――いま、彼はなんと言った?
「……冗談だと思うか? 五十のおっさんが言うと信用ならねぇか?」
「いえ、あの……えっと……」
「突然混乱させるようなことを言ってすまない。だが……本気だ」
 ベックマンの大きな手が伸びてくる。びくりと肩を揺らすと同時に、耳に彼の手が触れた。
「……女遊びが激しい俺が言っても、信ぴょう性はないか」
 そっと耳の形をなぞるように撫でる手つきに、なまえはぶるりと身体を震わせた。
 副船長が目の前にいるはずなのに、いつもの副船長に見えない。それはきっと、眼差しがすごく熱くて、触れているでもすごく優しいから。まるでこの人に食べられてしまうのではと思うほど、視線をまるっと奪われる。 
――もしかして、イヤリングをくれたのも、そういう意味だったの?
「あの、私……そんな、まったく……気づかなくて」
 なぜだか涙が込み上げてきそうになる。瞼の隅っこが生ぬるく感じた。悪い事をしてしまった気分になる。
「そりゃあ、気づかれてたら男の手腕を問われるだろうな」
 ふっと息を吐き出すように笑うベックマンは、いつの間にか煙草を持っていなかった。知らないうちに煙草の匂いが消えている。香るのは、上等な酒のような香水の匂い。副船長の匂いだ。
「あ、えっと、あの……」
「混乱させてすまない。そんな気はなかった。お前を見ていたら、ふっと本心が漏れちまった」
 夕飯の騒がしい声が気にならないくらい、なまえはベックマンの言葉に耳を澄ましていた。
「……返事は、すぐにとは言わねぇ。俺の気持ちを知って貰えただけでも光栄だからな」
「っ……」
 耳に触れていた手がゆっくりと頬に伸びる。指先でそっと撫でられて顔が熱くなっていく。
「なまえ……好きだ」
 ベックマンを見上げることが出来ず、視線を落とした。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。ベックマンの熱く掠れた声が、海にしっとりと落ちていった。

22,09.04




short 望楼