いつかとまさか



――いつか。
 なまえは一丁の拳銃のごとく鋭い視線を受けながら、頭の片隅を過ぎる橙色に似た長髪に思いを馳せた。
『ごめんなさい、余所見をしていて』
 なまえは思い出す。こうなったきっかけの出来事を。
 偶然の出会いだった。街角で曲がった際に身体がぶつかった。互いに少しよろけたものの、ぶつかった相手が細い手でなまえの手首を掴み、倒れるのを防いでくれた。
『怪我はない?』
 繊細な飴細工を想わせる声だった。彼女からは甘い香り、香水ではなくケーキやスイーツに包まれたかのような匂いがした。鼻腔をくすぐる甘い香りに、なまえは故郷の古いケーキ屋を思い出す。
『ごめんなさい、先を急いでいて……。何かあったらここに電話してね』
 名刺を差し出され、彼女は足早に去っていった。ヒールがコツコツとアスファルトを鳴らすのは、どこかミュージカルのようで、彼女の周囲の音が別の世界のものに感じる。
 なまえは視線を落とす。名刺に書かれた「エマ」という名前を指でなぞり、小さく声に出してみた。胸の奥から湧いてくるドキドキ。まるで芸能人に出くわしてしまったような高揚感。また会いたくて、なまえはその日の夜にエマへと電話をかけた。 
――いつか、街中で隣を歩くことが夢だった。
 仲良くなりたい。お友達になりたい。エマと電話をした夜が、ただ電話をしただけではない、なにか特別なものに思えた。それなのに。
「アイツとどういう関係だ」
 銀色の長髪は仲間の剣士を彷彿とさせる。黒い帽子の唾から覗く眼球は冷ややかなのに、燃えるように熱く感じる。
――そうか、彼女のパートナーか。
 なまえは感がいい。超直感と名付けられたそれは弟とお揃いで、なまえの血筋に関わる能力だった。なまえの勘は外れない。
――嫉妬? 守るため……? こんな、小娘相手に本気を出す……?
 椅子に縛りつけられながら考えるには悠長すぎている。しかし、裏社会の空気感には慣れっこであるなまえは、ジンの冷ややかで殺気立った雰囲気には怖気づかない。
――エマちゃん……愛されている……。
 ちゃん付けで呼ばせてもらうのをまずは許して欲しい、パートナーさん。銀髪の彼に心中でお願いしながら、なまえはエマが受け取っている愛のかたまりの大きさに胸がいっぱいになる。
「……社用携帯に連絡したそうじゃねぇか。アイツから名刺でも貰ったか」
 察しの通りですパートナーさん。その様子、もしかしてあまり社用携帯使って欲しくなかった感じだろうか。しかし既になまえの携帯にはエマの番号が登録されてしまっている。それどころか、今日会ったのならメッセージアプリのIDを交換したいと考えていた。
――エマちゃんと仲良くなるにはまずパートナーさんの試験を突破する必要がある……?
 それはさすがに愛のかたまりが大きすぎる。包容力百パーセントを超えるだろう。
「さて……どういう魂胆だ? ボンゴレファミリーの十代目ボスの姉」
「っ!」
 なまえは息を飲む。まさかその名前が出るとは思ってもみなかった。
「徹底的に調べたぜ。情報統制しやがっているから時間を要したがな。だがウチの情報網も捨てたもんじゃないらしい。……しかし、まさかあのボンゴレファミリーだとはな」
 パートナーさんは懐から挙銃を取り出す
かちりと音を立てて銃口が向けられた。その小さい穴の奥に真実が隠されている。
「さァ、何が目的か、吐いてもらおうか」
――いつか、エマちゃんと仲良くなれる日が来るのだろうか。
 なまえは最大のピンチに頭を悩ませる。その間も頭の片隅では、エマと笑い合う未来があると信じてやまなかった。




short 望楼