いただきます



 ケーキと言えば、特別な日に食べるもの。いつからかそんな方程式が頭の中で繰り広げられていた。季節の移ろいに似たように様々なケーキが鎮座する様子は、まるで宝石店にいるかのような高級感が溢れている。ショーケースのガラス越しというだけで、世界が隔たれているような雰囲気がでる。
 そしてなにより、簡単には手が届かないという感覚に陥らせる。家族や友達との外出や、記念日に食べるといった、なにか特別な理由がなければ、関わることの無い存在。特別な理由があれば、特別な日になる。そんな少しだけの非日常を求めて、理由を探してみたり、記念日を思い出してみたりする。しかし結局思い浮かぶものはなく、ケーキは遠い存在になってしまう。
 繊細なクリームの形はまるでドレスのようで、なまえはほうっと息を吐く。白いクリームの上に置かれた苺は宝石のように輝いていて、ケーキの質感をぐっと上げていく。白いクリームに包まれたスポンジはきっとふわふわで、スポンジ生地に挟まれている苺は一所懸命隠れんぼをしているのだろう。
「はー……すごい。すごいよエマちゃん……」
 なまえは感動の波から浮かび上がることができず、一人分に切り分けられたケーキを見つめた。名前を呼ばれたエマは、アールグレイを容れながらなまえの言葉に頬を緩める。
「もう、それ何回目?」
「だって、こんな綺麗なケーキ、見たことないよ……!」
 エマは何回目かも分からぬ褒め言葉にくすくすと笑う。褒められて嬉しくない、なんてことはなかった。しかし、なまえは口を開くたびに、同じような言葉を繰り返している。本人はきっとそれに気づいていないだろう。その現象は自分も経験があることだったが、改めて他人がそう感動しているところを見るのは、可愛らしいなという印象を覚えてしまう。
「勿体なくて食べられない……写真撮ってもいい?」
「もちろん。いくらでも撮って。それに、まだケーキはあるから勿体なくないわ」
 なまえは了承を得るとすかさずスマートフォンを取り出し、カメラを起動した。どの角度から撮ろうか、スマートフォンの位置を変え、ピントを合わせてシャッターを切る。
 パシャリと音が響き渡り、次いでまたシャッター音が鳴る。この美しいケーキをどこから撮ればその魅力が伝わるのか、なまえはカメラマンでもないのに真剣に考えながら写真を撮り続けた。
「……ふふ、美味しそう」
 撮り終えた数枚を見返して確認する。加工をしなくても伝わる美味しさに、なまえは満足することができた。一番上手く取れた写真を共有しようと、メッセージアプリを起動させ、トーク記録から目当ての人物の名前をタップして、写真を送信した。ケーキを作った職人への賛辞と自慢も添えて。
「楽しそうね。いったい誰に送ったの?」
「んー、内緒」
 エマに指摘されて、なまえはスマートフォンの画面を暗くする。内緒と言ったところで、エマにはバレバレだったようで、肩を震わせて笑われた。
「内緒だなんて。赤井くんでしょ?」
「ふふ、バレちゃった」
「バレバレよ」
「自慢しちゃったの。エマちゃんのケーキ羨ましいでしょーって」
「随分可愛らしいやり取りね」
「だって本当に嬉しいの。念願の、エマちゃんのケーキ!」
 なまえはスマートフォンをフォークに持ち替えて、ついに雪山のように白いクリームに突き立てる。ゆっくりと皿に向かってフォークを落としていくと、スポンジのふんわりとした感触と、ケーキが分断されてもなお美しくケーキを纏うクリームに目を奪われた。
「あっ! いただきます!」
「ふふっ、はい。召し上がれ」
 ケーキに夢中すぎて大事な挨拶を忘れていた。なまえは飛び上がるように声を上げると、エマはおかしそうに笑いながら了承してくれる。
 なまえは一口目をゆっくりと大切にフォークの上に乗せて、口に運んだ。
 スマートフォンがバイブ音を鳴らす。きっと先ほどのメッセージの返答だろう。しかし今はケーキが一番である。なまえはケーキの美味しさに、顔をとろけさせた。




short 望楼