プロポーズ



 プロポーズをする際、片膝をついて跪き指輪を渡す。
 欧米の映画やドラマでよく見かけるこの行為の発端は、中世のイギリスといわれている。当時の騎士は、領主に対して忠誠心や経緯を示す行為として片膝をついていた。この行為が時が経つにつれていつしか、女性に対する求愛の表現へと意味が変化していった。
 片膝をつくというのは、中世時代では「あなたにはもう適わない」という意味が込められているらしい。しかし現在は「あなたになら自分の恥ずべき姿を見られてもかまわない」という意味になっている。シェイクスピアの作品にも、跪いて指輪を渡すシーンが多数出てくるところからも、騎士と領主の行為が一般へと浸透していったことが伺える。
 仕事関係ならば、普段は絶対にしない振舞いも恥じることなく実行できた。そうしなければ所属組織、さらには日本のためにはならないと理解していた。
 しかし、プライベート、ましてや相手が愛する人ならば、それは変わってくる。
 発端は、テレビで映画を見ていた彼女がポロッと零した呟きだった。
『いいなあ〜。海外式のプロポーズ、されてみたいなあ〜』
 きっと一人言だろうが、バッチリとこの耳はその言葉を拾った。拾ってしまったのだ。
 いつかは結婚したいと考えていた。付き合って数年、一緒に暮らし始めて数年。仕事内容も明かせなければ、デートの約束を守れた回数は片手で数えるほど。そんな自分に、彼女は嫌な顔一つせず今まで傍にいて帰りを待っていてくれている。
 いつかしなければと考えていたプロポーズ。指輪は既に用意してある。今の仕事にキリがついたら、あの件が片付いたらと何度も言い訳をして、“いつか”を遠い未来に押しやっていた。
 しかしながら、仕事柄、いつ命を落としてもおかしくはない。そんな日々を過ごしているのだ。遠い未来は訪れない可能性だってある。
 だから今日、俺は遠い未来を掴み取る。 
 海が見に行きたいと言っていた彼女の望みを叶えたくて、それならば夜明けを見ないかと夜中に車を出した。きっと彼女は夏に来たかっただろう。そして、世間一般の恋人同士のように、海で遊びたかっただろう。
 夜を抜けた出すように彼女を連れ去りやって来たのは、一月の海だった。
 体調を崩さないようにと自分のダウンコートを彼女に着せて、マフラーと手袋と帽子で、唯一彼女が露出しているのは可愛らしい顔だけだった。
「裕也見て! 夜が明けるよ!」
 海の向こうを指さす彼女の左手を掴まえて、俺は跪く。
「裕也……? どうしたの? 急に」
「ずっと、言いたかったことがある」
 情けないこの口は、開けば謝罪から始まってしまう。悪かった、申し訳ない、埋め合わせはするから、寂しい思いをさせてしまってすまない。すると彼女はいつも、俺よりも申し訳なさそうな顔をする。 
 ポケットに入れた指先が震えながら指輪を探り当てる。断られることはないとわかっていても、少しだけ怖くなった。
 指輪を取り出す。登る朝日に照らされて光るそれを、彼女の愛おしい左手の薬指に嵌めた。
「え、これ……」
 懐中電灯が必要だったくらい闇に包まれていた景色が真っ白に包まれて、次第にオレンジ色に染まっていく。驚いている彼女をあたたかく照らしだす。
「――結婚、してくれないか」
 心を込めて言葉を送るというのは、難しいことだと思っていた。しかし、本当にその瞬間が来た時は、自然とできるものなのだと実感した。
 言葉にできない想いも、言いたくても言えないことも、全てこの一言に込められていてほしい。
「はいッ……喜んで!」
 涙色の声で彼女は笑う。今まで見た中で、一番美しい笑顔。
 朝日が目に染みて、涙が零れそうだった。

23,11.13




short 望楼