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結界とは、古から伝わる、聖域や秩序を守り維持するためのものである。ある一定の区域を区切ることによってうまれる状態の場所のことを指す。清浄なものを穢さないように、悪しきものを封じるために、能力を衰えさせないために、様々な用途で結界は活用されている。結界によって隔てられた区域は、特殊なエネルギーが充満しており、神秘的な空間をつくりだす。結界は宗教や文化は違っても、似たような概念は存在している。簡素なものは現在の住居においても実在するように、生活に根付いたものであった。
結界の大きさによっては、創り出すための媒介や標識の数も変わってくる。人ひとり分の小さな区域での結界は、一人の力でも容易に創造できてしまう。
賢者である真木晶は、これまでの生活で結界というものに触れたことはなかった。神社などを訪れた時、無意識のまま結界とかかわることはあったかもしれない。しかし、あくまで結界とは、自分の生活外での出来事で使われているものであり、漫画やアニメにでてくるバリアのようなイメージのものとしか認識していなかった。
けれど、晶が賢者として召喚された世界は、人と魔法使いが共存する世界。魔法はまるで夢のように様々なことができる。そして、この世界では結界というものは、晶がいた世界よりも根強く人々――厳密に言えば魔法使いの生活に浸透していた。魔法使いの中には結界を自分で張れる者も多いようで、結界についての話を耳にすることがある。目に見えず、そこにあるのかもわからないけれど、確かに存在して、守る役目を担うもの。晶の結界に対する認識は、魔法使いたちと関わるにつれて変化していった。
魔法使いは出身地によって、性格や考え方の傾向があると晶は感じている。各地から集められた『賢者の魔法使い』である二十一名の魔法使いは、年齢もさることながら性格もバラバラで、皆で同じ方向を向くまでに時間と苦労を要する。しかし、たちまち同じ方向を向けば、これほど力強く頼もしいことはないと晶は考えていた。各地での異変を解決するための任務や、〈大いなる厄災〉の影響でのトビカゲリの復活など、晶はこの世界を訪れて数多くの異変と対峙している。だが、自分一人ではなかったから、魔法使いの彼らが力を貸してくれたから、すべていい方向へ向かうことが出来た。
彼らと異変を乗り越えるたび、少しずつ魔法使いのこと、共存すること、この世界の在り方を理解していく。魔法使いと『友人』になれたらと願っている晶にとって、彼らのことを知り、交流できることは、『賢者の書』に書き記している以上のものを、晶にもたらしていた。
賢者の魔法使いが全員で困難に立ち向かうことは決して多くはなかった。総勢二十一名の魔法使いが力を合わせるというのは、それほどの境地ということを指している。
「では、始めるかの」
「そうじゃの、始めるかの」
双子の少年が始まりの合図を告げる。魔法舎と呼ばれる建物のロビーに集められた、その他十九人の魔法使いと、一人の人間。〈大いなる厄災〉に対抗するために集いし魔法使い二十一人と、賢者と呼ばれる異世界人は、これから新しい試みを行う。
「本当に、これで結界が強くなるんですか……?」
目に見えないものを理解するのは難しい。晶にとってその一つが結界である。魔法舎から外に出る時、結界の存在を意識することはあまりない。触れても感触がなく、色も透明であるからだ。
「古い記録によれば、この召喚術を使えば、結界を強化する媒介が召喚されると書いておった」
「随分前のことすぎて忘れておったわ」
「魔法使いの数と力によって、それに見合った媒介が現れるだなんて、作り話みたいだけどね」
北の魔法使いのスノウ、ホワイト、そして南の魔法使いのフィガロが話を続ける。フィガロはあまり二人の話を信用していないようにも見えた。
「なんにせよ、結界に綻びがあっては、ここでの生活が少々刺激的になってしまいますからね」
「結界が強化されるのなら異論はない。さっさと終わらせよう」
西の魔法使いシャイロックと、東の魔法使いファウストは各々思うところがあるようだった。
きっかけは、魔法舎の結界に綻びがあるという魔法使いからの報告だった。結界に関してはスノウとホワイトが詳しそうだと晶は認識していた。その二人から、結界の強化の必要性について相談された時は、一大事なのかもと生唾を飲み込んだ。
スノウとホワイトの話によると、結界を今以上に強化するには、媒介が必要だということ。その媒介は、召喚魔法という方法を用いて召喚させなければならない。魔法の力が強ければ強いほど、より強固な媒介が召喚され、結界の強化に繋がる。
晶は魔法や難しいことはよく分からなかった。だが、スノウとホワイトが言うのなら、きっとその通りなんだろうと、ふたつ返事で了承した。
結界が今自分たちに必要なものなのだと理解していた。過去、魔法舎は中央の国の衛兵たちが乗り込んできたことがある。賢者として、魔法使いと各地の異変を解決しに行くと、結界の重要性について触れることもあった。
なによりも、大切な友人である魔法使いたちの身が守れるならば、結界は大事だ。晶は友人たちのために、友人たちの力を借りて、結界強化のための媒介召喚魔法に立ち会う。
晶は魔法使いを見渡す。面倒くさそうな顔をする北の魔法使い、早く終わらせたそうな東の魔法使い、どこか楽しげにしている西の魔法使い、真剣な表情の中央の魔法使い、緊張している南の魔法使い。
「みなさん、お願いします」
晶の言葉を皮切りに、魔法使いは次々に自分の呪文を唱える。
「《ノスコムニア》」
「《ノスコムニア》」
「《アルシム》」
「《アドノ・ポテンスム》」
「《クーレ・メミニ》」
「《パルノクタン・ニクスジオ》」
「《グラディアス・プロセーラ》」
「《サンレティア・エリフ》」
「《エアニュー・ランブル》」
「《アモレスト・ヴィエッセ》」
「《スイスピシーボ・ヴォイティンゴーク》」
「《インヴィーベル》」
「《サティルクナード・ムルクリード》」
「《レプセヴァイブルプ・スノス》」
「《マッツァー・スディーパス》」
「《アドノディス・オムニス》」
「《オルトニク・セトマオージェ》」
「《オルトニク・セアルシスピルチェ》」
「《フォーセタオ・メユーバ》」
「《ポッシデオ》」
魔法使いの魔法陣が、空間に次々と現れていく。魔法舎のロビーが淡く光り出し、次第に眩いほどの光を放つ。
「――《ヴォクスノク》」
中央の国の魔法使いオズの呪文を最後に、召喚魔法は完成する。晶は眩しさに目を細めながら、その光景をしっかりと目に焼き付けようとした。
「っ……!」
見えない力の圧が、晶の体を押しのけようとする。魔法舎の中だというのに、そこはまるで光と風の暴風雨だった。晶は片腕でしっかりと賢者の書を抱き抱えながら、もう片腕を顔の前に出す。
キィイと金属が重なり合って響きあう音が、どこからともなく聞こえてきた。最初は耳鳴りかと思ったそれは次第に大きくなり、様々な高低音を重なり合わせていく。
――頭が痛くなりそう。
鐘の音にも似たそれは、協奏曲のように魔法舎のロビーを駆け巡る。音に合わせて風も光も強くなってきた。晶の足は半歩後ろに下がってしまう。
「……来た」
オズの声が鐘の音の隙間から聞こえた気がした。晶は眉間に皺を寄せながら瞼をあげる。光はひとつの場所に集まり、なにかの形を象っていく。
「あれが……媒介……?」
鐘の音が一際大きな音を上げて、光が風とともに収束していく。バンッとまるで大きなシャボン玉が弾けるように、光があちらこちらへと飛び散った。
キラキラと光が雪のように降り注ぐ中心にいたのは――。
「――は……?」
目を丸くさせている、女の人だった。