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結界強化のための媒介召喚の儀式。それは、魔法舎に張られている結界を強化するために行われる、『賢者の魔法使い』全員で行う儀式だった。突然ファウストから告げられた時は驚きを隠せなかったが、魔法舎に何かあったらと考え、ネロは二つ返事で了承していた。
夜になると、オズは魔法を使うと眠ってしまい、スノウとホワイトは額縁に入ってしまう。そのため、召喚魔法は午前中に行うことになった。早起きが苦手な面々もいれば、北の魔法使いはもはや集合するかもわからない。当日の朝はきっと大騒ぎなんだろうなと、他人事のように考えていた。
数日後、ネロの予想した通りの当日の朝を迎える。北の魔法使いを集合させるために、スノウとホワイト、そしてオズまでもが出動し、ロビーに全員が揃うまでに時間を要した。集合すると、賢者である晶の一声で、次々に呪文を唱えていく。召喚魔法に関しては、ファウストの授業で取り上げられていたが、今回の召喚魔法は全員の力を合わせることで、召喚される媒介の強さに関わるらしい。媒介の強さは、結界がどれほど強化されるかに関わってくる。
――媒介っつーのは、一体何が来るんだ?
結界や召喚魔法について、ネロはあまり詳しくない。長老の魔法使いは熟知しているだろうが、ネロが知っていることはファウストの講義で学んだことくらいだった。
謎めいて不明瞭なことが多かったものの、召喚の儀式は決められた通りに行わなければならない。
魔法は心で行うもの。心次第で魔法は変わってくる。媒介を召喚するにあたっても、そこに疑いなど抱えていれば、魔法は変わってきてしまう。
――ま、やれるだけのことはやるか。
他の魔法使いが次々と呪文を唱えていく。ネロも呪文を口に乗せた。
「アドノディス・オムニス」
光の粒がキラキラと浮かび上がり、徐々にロビーは光り輝いていく。眩さに目を細めながらも、ネロは召喚魔法の様子を見守る。
全員の魔法使いが呪文を唱え終わり、眩い光が弾けた途端、何かの影がゆらりと動いたことに気づく。目を見張り様子を伺うと、光のカーテンの先にいたのは、なんと女の子だった。
――おいおい、人間かよ。
さすがのネロも目を見開く。媒介が人間だなんて聞いていない。ネロが呆気にとられている横で、ファウストも同じ言葉を投げかける。話しかけられたスノウとホワイトは惚けるように誤魔化していた。
――不運だな。
ネロは彼女に同情してしまう。突然こちらの都合で世界を渡ってきただなんて、運が悪すぎる。
あまり考え込むと気分が沈んでしまうような気がして、ネロはブラッドリーの言葉を借りてロビーを後にする。
彼女との出逢いが自分の運命を変えていくことを、ネロはまだ何も知らずにいた。
召喚された女の子は、苗字名前というらしい。
――賢者さんは『朝』ってイメージだけど、この子は『夜』みたいだな。
ネロは名前の第一印象をそう振り返る。ロビーで召喚されたばかりの名前は、迷子のような顔をしていて、食堂で再会したときは物静かな様子だった。いや、必死に息を潜めているという方が、正しいのかもしれない。
星空を閉じ込めたような髪色も、『夜』を連想させた理由かもしれない。健康的ではなさそうな白さの肌にも目がいった。
――まあ、俺はあまり関わんないだろうけど。
結界の媒介ならば、関わるのはきっとスノウやホワイト、オズやフィガロくらいだろう。自分は関係がない。何かあっても、そっと見守る程度で充分だ。ネロは最初そう捉えていた。しかしその後、ネロの考えは覆される。
名前は昼食時、晶とともに食堂を訪れたが、夕飯時は姿を見せなかった。晶が心配して様子を見に行こうとしていたようだが、『疲れているのかも』という話になり、控えたのだという。
――飯、どうすっかな。
ネロは顎に手を当てて考える。今夜はコーンスープとフライドチキン、コールスローだった。フライドチキンとコールスローは皆が完食してしまったが、コーンスープは一食分残しておいた。いいや、一食分よりもだいぶ少なめである。
――こんな量で腹いっぱいになるのか。
ネロは未だに信じられなかった。この量は、子どもが食べるくらいの量だ。ミチルやリケよりも、もっと幼い子どもの分量である。実際に名前が食べているところを見ていないため、未だにネロは疑ってしまう。魔法舎にいる者や、かつて営んでいた料理店に来る客に、少食の者はほとんどいなかったから、尚更かもしれない。
あまり出会ったことの無いタイプかも。ネロは一人考える。そうだとしても、やることは他と変わらず、料理を提供するだけのこと。何ら難しいことはない。彼女の適量だけ見定めておけばいいだけだ。
「……つってもなあ」
ネロは頭をガシガシと掻き乱す。少量であればいいと理解はできても、納得はまだ難しかった。どう考えても、オムライスの半分量で腹が満たされるだなんて、どこか身体を壊しているとしか説明がつかない。
ネロは名前の姿を思い浮かべる。顔はスッキリとしていて、目の下には隈が薄らとこびりついていた。服で体の線ははっきりしないものの、晶よりも身長は高いのに、すらっとしている体型。その割に、出るところは出ている。
――いや、何考えてんだ俺は。
ネロは頭を振って忘れようとする。大人しそうで、儚いとすら感じてしまう顔に、恵まれているような体型は、アンバランスな印象を覚えた。
――笑ったら可愛いんだろうな。
名前が笑みを浮かべているのを、ネロはまだ見たことがなかった。それもそのはず、彼女は突然この世界に連れてこられて、ここで暮らすことになったのだ。不安や混乱を抱いているに違いない。
ネロは自分の時はどうだったかと、魔法舎に初めてやって来た時のことを思い出す。共同生活をすると話された時は、あまり乗り気じゃなかったし、店の心配だってあった。その店も、魔法使いだと客にバレてしまった以上、同じ場所での経営は難しかったが。
魔法使いだと隠し、人間と偽って生活していたのにも関わらず、『賢者の魔法使い』に選ばれてしまい、急に魔法使いとしての自分を求められた。今では慣れたものの、最初は戸惑いや後ろめたさも感じていた。
――そりゃあ、初日から笑えるわけないよな。
自分はまだ、恵まれていたのだ。生活の一部であり、自分の存在の核となる部分に近い、料理があったから。けれど、名前はどうだ。晶の様子から、どうやら同じ国からやって来たのだろうと想像がつく。同郷の人間がいることは心強いかもしれないが、晶の元いた世界には、魔法はなかったと話していなかったか。
――心細いだろうな。
昼間に話した時は、挙動不審ではなかったが、どこか不安げな様子だった。ネロは名前と話してからずっと、名前の姿が忘れられないでいた。
夜も更けた頃、ネロは夕食後の後片付けと、翌朝の仕込みを進めていた。名前がやってきたのは、その時だった。名前は昼間よりも少しだけすっきりとした顔をしていた。ネロはそのことにほっとしつつ、残していたコーンスープを振舞った。
飯を食わせ、名前と少しだけ話をした。昼間の続きのような話題に、ネロは驚きを隠せなかった。しかし、名前は言いにくい内容にも関わらず打ち明けてくれた。
「ネロさん、おやすみなさい。ごはん、ありがとうございました」
話が済むと、名前は微笑みながら去っていく。
――ああ、やっぱり笑うと可愛いな。
ネロは会話の中、名前の不安そうな顔や泣きそうな顔、困った顔や焦った顔を見てきた。だが大事な話をした後の、ほっとしたような、光がほうっと灯るような微笑みが、ネロの脳裏に残っている。名前の微笑みは、見ているこっちまで安堵するような、ずっと眺めていたいような気持ちになる。
ネロは自分の頬が緩んでいることに、名前の姿が見えなくなってから気づいた。
「……ったく、可愛いもんだね」
ネロはくすくすと思い出し笑いをする。
わざとネロが彼女の名前を呼ばず、さらには『媒介さん』だなんて役目で呼んだ時は、さすがに勘違いしたのか自己紹介をする始末。ネロは思わず声を上げて笑ってしまう。彼女は困惑していたが、その様子がさらにネロの心をくすぐった。
名前との会話は、初対面の億劫さを感じない、自然体のままの自分でいられた気がする。 名前のコミュニケーションは、人付き合いに後ろめたさを感じるネロにとっては、心地よいものだった。ネロが引いた一線に対して、名前は容易には踏み込まず、扉があるかのようにノックをして、伺いを立てるようだった。
『……ありがとう、ございます』
『ね、ネロさん! ありがとうございます……!』
『ごちそうさまでした……ありがとうございました』
名前は、ありったけの気持ちを込めて感謝の言葉を伝えてくる。彼女のお礼はあたたかくて、受け取ったこっちが照れてしまいそうになる。
ネロは『ありがとう』と言われることは、料理を作っているためによくあることだった。けれど、名前のそれは今までネロが受け取ってきた言葉とは、少し違うような気がしていた。
魔法使いは、心で魔法を使う。そして賢者である晶も、言葉をよく選んで使っている。ネロの周囲には、言葉を巧みに操る者が多い。しかし、名前は巧みに操るというよりも、真摯に気持ちに向き合って、言葉に乗せているような印象だった。
「味がわかんねぇ、か……」
名前から打ち明けられた話は、ネロにとって驚きの連続だった。名前は話せる範囲で語ってくれたのだろう。病気の症状の一つだということ、体調が改善されたら味覚も感じられるようになること、味が分からなくなったのは初めてではないこと。名前の説明はネロでもわかりやすかった。おそらく言葉を選んでくれたのだ。だからこそ、胃腸が弱っているかもとネロも予想できた。
身体を壊しているかもというネロの予感は的中した。そのため、驚きは大きくはなかったが、味が感じられないということは予想外だった。
何をしてやれるだろうか。あれほど真摯に、言葉に気持ちを乗せられるか弱そうな女の子を、放っておけるほどネロは残忍ではない。最初はあまり関わらないと考えていたが、それはとうに忘れてしまった。
「……放っておけないよな」
ネロは元来、弱い立場にいる者、虐げられている者に対して無碍な態度は取れない質である。リケが以前いた場所の話を聞いた時は、怒りすら湧いたし、自分だったら絶対にそんなことさせないとすら考えてしまった。
名前に対しても、似たような考えを抱いてしまっている。いいや、似ていないのかも。自分は今憤ってはいないし、自分だったらだなんて、誰かと比較したことを考えてはいない。
けれど――。
「…………」
ネロは天井を見上げる。シャンデリアのロウソクは絶えず灯り続けている。話が済んだあと、名前がぼうっとロウソクの火を眺めていた。見上げている名前の横顔が忘れられない。まつ毛の影が頬に落ちて、何も感じていないような表情を浮かべていた。どこかに連れていかれてしまうような不安定さがあった。
『ネロさん、おやすみなさい。ごはん、ありがとうございました』
ネロは目を瞑る。するとすぐに浮かんでくるのは、名前の微笑みだった。
また、笑顔がみたいだなんて。今度は白い歯を見せるように、顔がくしゃりとなるほど笑ってくれるといい。そういう笑顔も、きっと似合うに決まってる。時間がかかっても、少しずつこの生活に慣れていって、彼女がほっとできる時が少しでも訪れたらいい。
「……なに考えてんだろうな」
おかしいな、名前のことが頭から離れない。まだ会ったばかりの、それこそ相手は人間だ。魔法使いの自分とは生きる世界が違う、時間も違う、価値観も考え方だって違う。理解し合うなど難しいに決まっている。それでも――。
「――……名前」
名前を呼ぶと、穏やかな風が舞い込んだ気がした。まるで祝福の魔法をかけられたように、加護の魔法がかけられたように、大切にしたくて、もっと優しくしたい気持ちが生まれてくる。もう一度名前を呼びたくなるけれど、当の本人がいないことが、まるで胸にぽっかりと穴が空いてしまったような虚しさを感じさせる。
ネロにとって、名前の名前は、なにか特別なものが込められていた。