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高校二年生、校内でも一、二を争う程のイケメンと呼ばれる葵は、あることに頭を悩ませていた。
「葵先輩、葵先輩!今日もイケメンですね!写真撮らせてください!」
それは、顔立ち、成績共に平々凡々な、ある一定の物事に関して見せる執着心と、その身長の高さだけが取り柄な男、英司に堂々と、軽いストーカー行為をされていることである。
黒く大きなカメラをちらつかせながら「美男美女を追いかけてはフィルムに収めるのが俺のライフワーク」と公言する後輩の英司にロックオンされて以来、葵は逃げ回る日々を送っていた。
追いかけられるようになった当初は、葵のクラスメイト達は嫌がる葵を必死に守ろうとしていたが、一ヶ月も経つ頃には「あーまたきたのかー元気だなー健気だなー」程度にしか感じなくなったようで、最早葵の逃走劇は日常の風景と化していたのだ。
昼休みに入るなり早速葵の教室に突撃をした英司から逃げるように素早く教室を出ていく。もちろん、弁当箱を持って行くのを忘れなかった。
後ろから情けない声が聞こえてきたが、葵は無視を決め込んで必死に走りつづける。
やがて、人気のない教室へとたどり着く。
自主学習をする生徒用にと開放されている教室ではあるが、昼休みの始めからここに来て勉強する程真面目な生徒もいないだろう。そう判断し、適当な席に座って、一時の静寂を堪能しようとした。
葵は写真を撮られるのが嫌いである。
魂を抜かれるだとか、呪いがつくだとかそういった心霊現象を恐れてのものではなく、ただ単にカメラを向けられるのが嫌い、というだけだった。そのためだからかどうかは定かではないが、他人が持っている、彼が写っている写真は恐らく集合写真以外はないと言っても過言ではない。
そこまで写真を撮られるのが嫌いな葵のことを、プロの持っていそうなカメラを片手に楽しげな表情で追いかける英司のことがどうしてもそう簡単に受け入れることができなかった。
静かな空気を噛み締めるようにして弁当箱を開けようとしたその時。
「あーおーいーせーんーぱーいー」
随分と呑気な声が聞こえてくる。
葵が必死に探して見つけだした静寂の空間を、いともたやすく英司は探し当て、そして壊しに来たのだ。
「あ、こんなところにいたんですか。探しましたよ」
「…なんで追いかけてくるんだよ。いい加減やめてくれ」
「じゃあ写真撮らせてください」
「断る」
ビシッと断られたために肩を落とす英司を横目に葵は弁当を食べ進める。
こうして嫌がる人を追いかける英司だが、許可がおりない限りは決して被写体を撮ることがない。しつこい人間ではあるが、そういうところだけは評価に値する、と葵は思っていた。
「すみませんでじた…」とくぐもった声で謝罪をし、うなだれて教室を出ていこうとする英司の後ろ姿はまるで売りに出される羊のようで、ついつい引き止めてしまった。
「気分が乗ったら写真を撮らせてやらんこともないから、追いかけるのはやめろ」
「…っ!!先輩!!」
死期を悟ったような子羊から一変し、褒美を与えられた子犬のように目を輝かせて葵の元へと駆け寄る英司。
嬉しさと駆け寄ったときの反動から生まれた衝撃を机にぶつけられたせいで机の上の弁当が軽く跳ねた。ひっくり返らないようにそれを抑えつけた葵の顔に、ずいっと英司の顔が近づいてくる。
平凡な顔立ちではあるが、目の前の葵をじっと捉えるその真剣な眼差しに、心を奪われてしまうような感覚がした。
「ありがとうございます先輩。大好きです」
「だっ…!」
一体何を言い出すんだお前は、と葵の口から言葉が放たれるよりも早く、言いたいことを言った英司は「それじゃあまた!」とだけ言い、元気よくどこかへと走り去ってしまった。
火照る肌と、不意打ちで与えられた緊張のせいで喉の奥が異様な程の渇きを訴えていた。
教室から持ってきた袋を探るものの、あいにくと欲求を満たしてくれるようなものは何もなかった。
「あんのカメラ野郎…!」
次会った時は慰謝料としてパシリに使ってやる。そう、急激に増えた心拍数に気付かないように、葵は忌々しげに呟いた。
それが約一週間前の出来事。
それ以来、英司と葵は会っていない。
正しくは、葵が英司を見かけることは多々あるのだが、肝心の英司が葵を追いかけなくなったのだ。
英司の新たな犠牲者とも言うべき人物は、いつも図書室で静かに本を読み続ける地味な男子生徒だった。
つい最近、その男子生徒が地味な眼鏡を外してうっとうしげに前髪を払った瞬間に見えた彼の素顔が、とても美しかったらしい。
今では、休み時間になる度に本を読む彼に、邪魔だと怒られない程度にアタックをしているとかしていないとか。
そういった噂を聞く度に、葵は穏やかな日常が戻ってきたと痛感する一方で、はらわたが煮え繰り返るような、形容しがたい怒りの念も覚えるようになった。
付き纏われて嫌がっていたから嬉しいはずなのに。何故自分はこんなにもむなしい思いをしなければならなのか。
気がつけば葵は、休み時間だろうと、授業中だろうと、かつて自分に尻尾を振っていた英司のことばかりで頭が埋め尽くされる、という現象に陥っていた。
何度も撮影の許可を求められて、その度に断って。
うなだれる姿が可哀相だったから断る度に優しい言葉をかけてしまって。
それに調子に乗って、次の日にはケロリとした表情で英司はまた葵を追いかけて。
これが、いつの間にか葵自身の日常と化していたらしい。それがなくなっただけで、心にぽっかりと穴が空いたような喪失感があふれて来るのだ。
英司の純粋な笑顔を思い出して気分が良くなったかと思えば、次の瞬間にはその笑顔を写真を撮るために付き纏っている別の人間にも晒しているのだと考えてやるせない気分にもなる。
そして、一週間前に言われた「大好きです」の一言が、何度も頭の中で繰り返される。
最悪なことに、あの言葉を聞いて以来、まるで堰を切ったかのように、何度も英司が葵の夢に出てくるようになった。
それは決して、意味のわからないような、掴み所のないような内容のものではなく、むしろ妄想の一種に近いものであった。
時折英司が見せる真剣な眼差しが、葵のことを射止めんとばかりに注がれる。そして、親愛の域を軽々と超える言葉の雨を振り掛けられる。
常にカメラをいじっている大きな手が背中に回され、それからゆっくりと顔を近づけられて…。
と、このように、見た本人も思い出すのが恥ずかしいような、まるで乙女が見るような夢を見るようになってしまったのだ。
そうしてそれを思い出す度に悶え、思わず奇声を発したくなる衝動に必死に耐える葵を見て、クラスメイト達は「ストーカー被害の後遺症が…」と、ただ哀れみの目を向けるだけだった。
帰宅後、食卓の場に着いたとしても、葵はずっと上の空な状態で箸を動かしていた。
「おいクソ兄貴」
意識をどこか遠くへと飛ばそうとしていた兄を連れ戻す声が聞こえた。
葵の真向かいに座る妹が、ムスッとした表情で兄に「醤油取って」と命令を下す。
醤油を取ってやったのにも関わらず、妹は兄の手から奪い取るようにして醤油を受け取り、味の薄い野菜炒めに大雑把にかけはじめた。
葵の両親は共働きで、常日頃より忙しい。そのため、夜遅くに帰ってくるということとなる確率が高く、こうして兄と妹のたった二人で夕飯を頂くという日は少なくはなかった。
いつもなら反抗的な妹に掴みかかるところだが、ここ最近の葵にはそんな余裕などない。深いため息をついては、自身が作った美味くもない飯をボソボソと食べるのみだった。
そんな兄に不満と心配を抱いたのか、妹は兄を見据え、口を開いた。
「クソ兄貴」
「なんだよ、今度は胡椒か?」
「最近、元気ないじゃん。何かあったの?」
普段は生意気で反抗的な妹も、この時だけは憂い気な兄を純粋に心配する健気な妹の顔をしていた。
そんな顔につい気を許してしまい、葵は自分を悩ませる要因について、夜に夢見る煩悩を除き、ほぼ全て話すこととした。
大人しく、形の悪い唐揚げをつつきながら話を聞いていた妹は、聞き終わるなり「馬鹿じゃん」と冷たく罵った。
「馬鹿ってお前、俺は悩んでるんだぞ」
「いや、馬鹿じゃん。それ、要するに元ストーカーだっけ?その人のことが好きなんじゃね」
「…好きってお前、ありえないだろそれは」
眉間にシワを寄せて味噌汁を啜る妹は、さながら族の番長のような、厳つい雰囲気を醸し出していた。
「ストーカー行為されないことに怒ってんでしょ?元ストーカーが別の人にくっついてんのがむかつくんでしょ?ただの嫉妬じゃんそれ。恋愛感情からの嫉妬じゃん」
「れ、恋愛感情からの嫉妬なのか?」
「アタシに聞かないでよ、本人じゃないんだから」
未だに信じられない、といった表情を浮かべる葵だが、内心「好き」だとか「恋愛感情」といった言葉が、どこにも突っ掛かることなくストンと腑に落ちたような感覚を覚えた。
「ストーカーがストーカーやめちゃったんなら、今度は兄貴がストーカー行為でもすればいいんじゃね?」
その方が面白いよね、と悪い笑顔と共に言われた妹の一言は、自身の心に気付き、納得した葵の耳には入らなかった。
幾度となく英司に写真を撮らせろと要求されて、その度に断っては逃げ回っていたが、謝罪の言葉を述べるも次の日にはすっかり忘れたように再び追いかけてくる英司の、犬のような雰囲気が、純粋な笑顔が、まっすぐとした眼差しが、葵の心をいつの間にか惹いていた。そう納得してから、葵の中から憂鬱な気持ちは消えた。
代わりに入ってきたのが、逃げる獲物を捕らえようと目論む、いわば野生の獣のような欲望であった。
校舎内の人が少なくなってきた時間帯。完全下校時間の十分程前に、図書室から出ていく英司と例の男子生徒の後を静かに追う。
二人は一緒に廊下を歩いていた。親しげに話している様子から、恐らく友人関係を結んだのだろう。
英司の話を聞いて男子生徒の口元が弧を描く。目元は長い前髪で上手くは見えないが、笑っているに違いない。彼が笑った瞬間に、英司は「い、今の!もう一回!もう一回さっきの笑顔プリーズ!」とまくし立てて首からぶら下げているカメラを構えはじめた。
英司がカメラを構えると同時に、葵は走り出した。
「おい!そこのカメラ野郎!」
そう叫ぶように呼びかけると、英司は「ハイッ!!!?」とわざとらしく見えるほど肩を揺らし、驚いた。
そして、葵と英司の目が合う。
英司の唇が、音を出さずに「葵先輩」と言葉を紡いだのが見えて、葵は思わずニヤリと口端を歪めた。
「てめぇ、よくも浮気しやがったな」
「ううう浮気!?何の話ですか先輩!?」
「とぼけんなよ。前までは俺にずっと引っ付いて写真撮らせろ云々うるさかったくせに」
よく状況が理解できてないのか、慌てふためく英司につかつかとかけより、胸ぐらを掴んで自身と同じ目線の高さになるように英司を引っ張った。
「えっと…」
「なんだよ」
「少し間を置いて、先輩が写真を撮らせてくれるようになるのを待とうかと…」
「で?その間別の奴を追っかけてた、と?」
男子生徒を一瞥すると、彼は声こそは出さなかったものの、ビクッと肩を揺らした。
「あ、コイツ!すごいんですよ!隠れ美人ってやつ?で、しかも話してみると結構気さくで、今度写真を撮らせてもらえることになったんですよ!」
そう元気そうに話す英司だが、阿修羅のようなオーラを纏った葵を前にして、その目はうっすらと膜を張りつつあった。
ふー、と葵が深く息を吐くと、また英司の肩が盛大に揺れた。
「お前さ」
「は、ハイイイイ!」
「俺のことイケメンだとか言って追いかけてきたよな」
「そうですとも!!」
鼻と鼻が近づくほどに英司と葵との距離が縮まると、大型犬のような見た目の英司は、可哀相なまでにガタガタと、小型犬のように震えていた。
圧をかけるように、葵がわざとらしくゆっくりと問い掛けると、それに比例するように英司の目の膜も厚くなっていく。
図体の大きな、普段追いかける立場の者がこうして縮こまっているのを見ると、葵は優越感に浸ってしまう。
「目を閉じろ」
「えっ俺殴られるのだけは勘弁」
「いいから、早く」
何をされるのか、と恐怖心を剥きだしにしつつも、催促されては仕方がない、と素直に目を閉じる英司に、葵は綺麗な笑みを浮かべた。
「写真なんていくらでも撮らせてやるから、そのかわり俺以外は撮るなよ」
そう言い切った後に、チュッとリップ音を響かせた。
英司が驚きのあまりに綴じていた瞼を開くと、視界一杯に、ほんのりと頬を赤く染めた葵の顔が広がった。
先輩であるのにも関わらず、強い力で葵の体を自身の体から引き離すなり、英司は自分の唇を両手で抑えて、今度は羞恥心からの震えを引き起こした。
「せせせ先輩、いいいい、今、事故が」
「事故じゃないぞ…故意的なもんだ」
「おおお、俺、女の子じゃないっすよ」
「見なくてもわかるなそれ」
吃る英司の質問に、丁寧に、一通り答えると、葵はさらに英司の体を引き寄せた。
自身の唇が英司の右耳に触れる程の距離で、声をワントーン低くして囁く。
「覚悟しとけよ…絶対に落としてやる」
至近距離で、ヒュッと息が吸い込まれる音が聞こえた。その直後、葵の拘束を振りほどき、奇声とも断末魔とも区別のつかない謎の叫び声をあげて、英司はどこかへと走り去ってしまった。
逃がさないとでも言わんばかりに、そのあとを葵が追っていく。
「…なんか、すげぇ面白いもん見れたわ…」
一人蚊帳の外だった男子生徒の呟きは、静かになった廊下の奥へと吸い込まれていった。
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