シャトー・アバンドーネ


「琲世」

いい響きだと思う。今日も喰種捜査に追われた一日を終え、提出資料があったために帰り際に寄ったCCG本局。帰りの廊下を帰路に着くべく進む足も軽やか。シャトーに帰れば佐々木メシが待っているし、琲世に会える。
琲世のことは、クインクスになる前から知っていた。と言っても、局内で見かけたことがあるだけだけど。
初めて見た琲世は、CCG最高階級である高校生の頃からすごかったらしい伝説的な、あの “有馬貴将” と親しげに談笑していた。笑うたびに揺れる根元だけ黒いふわふわな髪に、とても目が惹かれた。一緒にいたアキラさんに、彼は誰かとすかさず聞いたことを覚えている。

「佐々木琲世一等。私の部下だ」

ハイセ。名前まで綺麗だと思った。何より目を惹かれたのは、穏やかな笑顔と物事やわらかな、彼を取り巻く雰囲気。
一目で“ハイセ”に好意を抱いた。
その後クインクスとなってからも琲世と接するうち、琲世に恋心を抱くようになるまで大して時間はかからなかった。しかし、恋心はひた隠しにした。
チームで恋愛があれば、士気に関わると琲世から離されてしまうかもしれない。琲世と離れたくない。琲世と一緒に居たい。私は恋人よりも、仲間になることを選ぶことにした。
恋心は、封印するしかなかった。

シャトーの玄関前に到着すると、ゆっくりと深呼吸する。今日も寝るまでのシャトーでの時間、琲世への気持ちがバレないように振る舞うために。
よしっと気合いを入れると、シャトーに越したとき各々渡されたキーで開錠して、ドアを開ける。


「ただいまぁー」

明るく中へ声をかけると、靴を脱ぎ、屈んで靴を端に揃えてから腰を上げる頃、いつもお出迎えがある。

「希咲ちゃん、おかえりー!」
「琲世ー!」

そして、もはやお約束となった、シャトーに帰宅したらいの一番に行われる、琲世が広げる腕の中に飛び込むのだ。抱きしめてくれる琲世の背中に腕を回して、密着する大好きな琲世の匂いを、肺いっぱいに吸い込む。
……何度も言うが、これは儀式だ。
いつの間にかこうなっていたんだから、仕方ない。別に仕向けたりとかしてない。仕方ない。琲世と楽しくおしゃべりしたり、琲世から抱きしめられたり、琲世の匂いを近くで感じたり、琲世から優しくされたり、琲世の笑顔を向けてもらえれば、私は幸せ。
これ以上密着していたら不自然というギリギリなタイミングまで、思いっきり琲世を堪能すると、琲世の腕の中から顔を見上げる。

「今日は早かったのね、琲世!」
「今日は局に寄ってないからね☆ごはんもう直ぐ出来るよ、食べるでしょ?」
「うん!」

ほねほねしてる大きな手で、琲世が優しく私の頭を撫でてくれる。男らしい琲世の手に、ドキドキした。それだけで私は、一日働いた仕事の疲労もすべて吹っ飛ぶ。
琲世で癒された体で足取り軽く、自室へと階段を上がる。

「あ、希咲ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま〜むっちゃんこ」
「今日は不知くんも瓜江くんも居るから、一緒に食べよう」
「うん!着替えてくるね」

今帰ってきたらしい、ルームウェア姿の六月透とすれ違った。自室に入ると部屋の1番奥のデスクにバッグを置く。

「ごはんごはん〜♪」

鼻歌を歌いながらトレンチコートの腰のベルトを外すと、閉じていたボタンを全てはずして前を開ける。腕からコートを抜き取ると、壁に取り付けたハンガーラックに皺が入らないよう、綺麗にかける。


「佐々木琲世の♪絶品手料理♪佐々木メシ♪……」

後ろにたらした長く伸ばした髪をまとめようとヘアゴムでしばろうとして、さっき琲世に撫でられた頭を、目を閉じて再現してみる。それだけで、顔がヘラ〜と幸せに崩れてしまえる。
いつもしているハグとは言え、琲世に抱きしめられた感覚もついでに思い起こす。

「男……だなぁ…」

琲世は、痩せて見えるけど結構鍛えている。私も喰種捜査官としてそれなりにトレーニングをしているけど、やっぱり琲世は男性。
琲世の男の部分を感じて、きゅうんとする。きっと腹筋なんて、バッキバキなんだろうなぁ。見てみたいなぁ。なんて……。
スカートのファスナーを下げて落としたままにして、ブラウスのボタンをすべて外し、腕から抜こうとした、瞬間だった。

「希咲〜」

バーン、と突然ドアが開かれた。不知くん登場。

「「……………」」

暫くの沈黙。

「きゃあああ!!」
「わ、わりっ!帰ってきたばかりと思わなくて、そのっ///」
「#name1#ちゃん!?どうし、!?!?/////」
「何かあっt、…Σ!?」

直ぐに琲世とむっちゃんこが私の部屋に飛んできた。
しかし、スカートは身に付けておらず、それどころかかろうじて身についているブラウス一枚は、肩からほとんど脱げたブラウスは肌をまったく隠せていないという、格好の私。
そのことに琲世の視線で気付いて、彼に見られるのが恥ずかしくて、慌てて腕で自身の体を抱きしめた。(しかし、その動作は下着で覆われているとは言え、返って露わになった豊満な胸元を強調しただけに過ぎなかった。)
ひいては、悲鳴を上げたと同時に床に座り込み涙目で琲世を見上げる私と、私に服を着せようと計らずもほとんど体を隠せていない私の着ているブラウスを掴んだ不知くんとあっては、この光景は、まるで。

「不……知……くん………」
「ごッ、誤解だサッサン!!!!!!!」

いつになく低音なメンターに、不知くんの悲鳴がシャトー内に響き渡った。

―――場所は変わり、リビング。

「なんだあ〜そういうことかあ〜〜ビックリしたなあもう〜〜」
「そうだぜサッサン!?俺がバカなことする訳ねえだろ!?」
「いや……シラギンの人相は充分……ぷくくっ!!」
「才子ちゃん…;」

通称佐々木メシを囲む食卓。ごはんなので下りてきていた才子ちゃんに、不知くんがいじられる。
今夜はアボガド・エビ・豆乳の美肌パスタとラタトゥイユとキャベツサラダ。相変わらず美味しすぎる。

「それで。不知はなぜ希咲の部屋に行ったんだ?(理由によっては……)」
「うん、それ僕も聞きたいな」
「あぁ、おお、」

瓜江くんの言葉に同調した琲世に、不知くんはあからさまに挙動不審だった。先程のちょっとした事件のことを気にしているのか、私のことをチラと見て来たけど目が合うと、そわそわとそらされた。
余計恥ずかしいからやめてよ、私も事故だったって思ってるんだから。

「いや、借りてた本をさ…」
「ああ。女性版シャーロック・ホームズ返しに来てくれたの?」
「それ。今日返す予定だったけど、もう1週間待ってくんね?」
「「「「…………」」」」

静まり返るリビング。

「……それだけ?」
「えっ。いや、まあ借り物だし。希咲は本が返ってくるの待ってるかもしれねえと思って。伝えなきゃと思って」
「わかるけど……それだけのために?ノックもせずに?開けたの?ごはんの時でも良いじゃない!急ぐ必要ないじゃない!不知くんのバカ!もうお嫁に行けない〜〜!」
「ええっ!?だ、だからノックしなかったのは悪かったって!!」
「あ……あの、二人とも、落ち着いて……」
「不知くんは今度から必ずノックをするようにね、女の子の部屋なんだから。希咲ちゃんももうしないって言ってるし、許してあげよう?さ、食べて。冷めないうちに」
「……琲世ェ」
「希咲ちゃん?」
「琲世のとなりで食べたい……」
「……!うん。おいで?」

笑顔で受け入れてくれる琲世の隣に、イソイソと移動する。

「ママンは希咲たそには甘いッスなあ」
「え」
「え〜才子ちゃん。私も琲世には甘いよぉ〜?」

固まる琲世を見て、私は内心ドキドキしながら冗談を口にする。

「じゃなくてぇ。ママンにとって希咲たそは特別って才子の勘がいっとる」
「え〜そうなの?うれしいなあ?琲世?」

本当にそうだと良いのに。内心ドキドキしながら琲世に軽口をたたく。

「もう!才子ちゃん!ニヤニヤしないで食べなさいっ」
「へ〜い」

あ。プンスコ怒る琲世カワイイ……。

「あ、そうだ琲世。寝る前に本を返しに行ってもいい?次の借りたい」
「うん、良いよ。あの作家良いでしょ?」

慌ただしく過ぎた食事。今日は私が食器洗いを担った。
その後、お風呂を出てから寝る前のわずかな空き時間に、自室で読書にふけってるだろう琲世の部屋へ行く。ノックをすると、「ごめん、今いいところだから……入って良いよ!」と返ってきた。
普段ならドアを開けてくれてその場で返して終わりか、続きものがあるならその場で渡される。
そうとう悪いタイミングで来てしまったようだ。本に集中している時に邪魔されるのは、嫌なものだよね。悪いことしたなぁ。

「邪魔してちゃってごめんね」

少しだけ開けたドアから体を滑り込ませて、琲世の部屋へと足を踏み入れる。
思えば、琲世の部屋に入るのは初めてだ。片付いてるけど、やっぱり本が多かった。
室内は寝る前用に照明が落とされていて薄暗く、ベッドボードに取り付けられたライトだけが、琲世の手元の本を明明と照らしている。
パジャマ姿の琲世をしっかりと目に焼き付けつつ、ベッドに座って本を読んでいた琲世と目が合うと、琲世は立ち上がって本棚の前に立った。私もそばに行く。
琲世が私に差し出す目的の本を、受け取る。琲世はかなりの本好き。作者のあいうえお順で整列されているようだった。思えば、私と琲世が仲良くなったのも、本がキッカケだった。
誤解がないよう明記しておくと、自分のほうが階級が下だったり、自分の方が後輩であるなら、同い年だとしても目上の人になるので、慣れ慣れしくするのは社会人としてNGであり、CCGでも例外はない。
なのに私が琲世と呼び捨てにするのは、同い年ではあるけど、階級は私の方がもちろん下でもあるけど、琲世が私だけに許されている特例だった。
琲世の本棚を見るのは好き。まるで、琲世博物館というか、綺麗に揃えられた琲世の本棚を眺めるのは楽しい。
後ろ手で手を組み琲世の本棚を眺めていると、興味を引かれる本を見つけた。琲世は、ベッドに戻って腰を下ろしたが、私はその本が気になってもう一度見た。一番擦り切れているようだった。それは、琲世が一番読んだってこと。同時に、琲世が一番影響を受けたってこと。
読んでみたいな…琲世が気に入ったところを知りたい。琲世に聞いてみようと、くる、と背後のベッドにいる琲世を振り返る。

「気になる本があった?」

琲世は私と目が合うと、にこっといつもの優しい笑顔を浮かべた。その笑顔が照明を落として薄暗い部屋の中で、私には一際明るく輝いて見えた。

「うん」
「どれ?持って行っても良いよ」
「ありがとう。これなんだけど」

そう言って指を差すと、琲世は再びベッドから立ちあがってこちらへ来た。隣に立つ頭一つ分違う琲世の横顔をここぞとばかりに目に焼き付ける。身長差に、ドキドキする。男だなあって、そんなところで思う。

「……」

私が指さす先の本に琲世が意識が行っているのをいいことに、隣に立つ琲世の横顔から、私の視線は寝る前の薄手のシャツに覆われた鍛えられた胸板に目が行ってしまう。

「いいよ。はい」

その本を本棚から取り出して私に手渡すと、琲世は再びベッドへ戻って行き腰を下ろした。

「ありがとう」

その場で琲世を目で追いながら礼を言いつつ、名残惜しくさも感じながらも部屋を出ようとドアへ足を進めようとした時だった。琲世は自分の腰かけたベッドの隣をポンポン、とした。
私は何かを期待しながら、でもそれは一切顔には出さないように気を付けて……大切に本を胸に抱きしめながら、琲世の隣に腰かけた。
琲世を見る。目が合うと、琲世はまたニコ、とした。

「よく読んだなぁ。その本」
「琲世が一番影響を受けた本?」
「そうだね。よく読んだから、擦り切れてボロボロになっちゃった」

そう言って思い出すような、遠くを見る目をする琲世。私は本相手にちょっと嫉妬して、胸元に抱きしめた本の表紙に視線を落とす。

「きゃ、」
「あ、ごめん」

直ぐに手を引っ込める琲世。長く伸ばした後ろに流した髪を、なんと琲世に触れられたのだ。

「ううん……」

ドキ……ドキ……。突然の琲世の行動に、心臓が高鳴って。私は見つめ合う琲世から目がそらせない。

「…………」
「…………」

やがて琲世は、私の顔にそっと手を伸ばしてきた。そして、ゆっくりとした動作で、私の頬に触れ、撫でた。琲世は、少し切なそうな顔をしている。どうしたんだろう……なんだか珍しいな。

「夕方……」

琲世がゆっくりと話し始めた。

「不知くんが、希咲ちゃんの着替えを見たでしょ」

不慮の事故とは言え……と琲世はつぶやく。

「……」
「僕が駆けつけた時、希咲ちゃんは僕を見た瞬間、ふにゅ、って顔になって、今にも泣きそうな顔をした。そんな君を見て僕は……自分の気持ちを自覚したんだ」
「……」

嫉妬で気付くなんてね、そう言って笑った琲世の手が、私の頬から耳元へ。そして、また片手で頬を包まれる。
そんな動作がじれったくて、ドキドキする。もっと触ってほしくて。琲世の目を見つめるうちに。

「僕は、クインクスのメンターとして皆を指導しないといけない立場なのに……」

そう言いながら伏目がちになる琲世の、揺れる綺麗な瞳。そして、ふいに弱気な雰囲気は消えて、顔をあげて見つめ合う琲世の瞳は、真っすぐに私の瞳を見つめてきた。

「……僕はもう希咲ちゃんを好きだと言う気持ちを、抑えられそうにない」

ゆっくりと近づいてくる琲世の顔。私はまぶたをそっと伏せた。ギシ、とベッドが軋む音。私の髪を撫でる琲世の反対の手が、私の腰のそばで手をついた。

「希咲ちゃん……好きだ」

瞬間、しっとりとしたやわらかい感触が唇に押し付けられる。やがて、優しくついばまれるように吸われる。私も応えるように琲世の唇を小さく吸うと、安心したように琲世の緊張がゆるんでいくのが分かった。

「……」
「……」

そっと目を開けると、これまで見たことのないほど近くに琲世の顔が広がっている。目が合うと、思わず互いに笑みがこぼれる。それを合図のように、もう一度唇が触れ合う。琲世の鍛えられた胸に手を置くと、両肩を掴まれてより深く唇が交わる。角度を変えて、何度も、何度も。

「琲世……」

琲世の胸を押して唇を放すと、名残惜し気に追おうとしてくる琲世が、愛おしい。

「……琲世のこと、好きになっちゃうよ……?」

私を琲世のものにして。願いを込めて、琲世の目を見上げる。私だけのものになってよ琲世。

「僕に恋して。僕の、僕だけの希咲ちゃんに、なって……」

後頭部と肩を抱きしめらる。私はされるがまま琲世の胸板に顔を埋めて琲世の背中を抱きしめると、より強く抱きしめられた。琲世の腕の中に抱きしめられながら。どうしよう……夢みたいだと思った。