塩湖


道中、妖怪から救った民の村で再襲撃に備え、玄奘三蔵一行は、塩の運搬の護衛をすることになった。

話がまとまるなり即解散なのは、いつものこと。
三蔵は、暇さえあれば寝たがり。悟浄は、道行く先の美女とたわむれ。悟空ちゃんは、食事のことばかり。八戒だけは、趣旨にそった行動。

「小凛も寝ておけ」
「私は眠くないのに……」

仮眠室へと移動する三蔵に連れられて歩く廊下で、いつも通り文句を垂れる。
三蔵って強引。
自分が行くところには当たり前のように私を連れまわす。

まんざらでもなかった。
今だって、妙齢の男女というのに、三蔵は私の右手をナチュラルに握ってる。

なんだかデートみたい。そう思ってドキドキしてるのはたぶん、私だけ。

三蔵を追いかけて、私は三蔵法師を志した。旅にもくっついて来た。
好きで、好きで、好きで。三蔵に近づきたい。

こっそりと、頭一つ背が高い三蔵の後ろ姿を見つめる。
法衣に包まれていても分かる広い肩。細いけど筋肉質でしなやかな体躯。愛用の銃を操る逞しい腕。揺れる金色の髪。

三蔵から抱きしめられたら、三蔵の愛を独り占めできたら、どんなに幸せだろう。

そんなことを思ったことが恥ずかしくて、私の手を握る三蔵の大きな手に視線を落とす。三蔵も、私に恋したら良いのに。

案内された部屋は直ぐに着いた。
窓はなく、昼間だというのに真っ暗な部屋だった。部屋の入口でなぜか立ち止まった三蔵を追い越し、部屋の中のソファに腰かける。ポカポカとしていて、眠るにはちょうど良さそう。

「……三蔵?」

勝手に私の膝を枕にして、ソファに横たわる三蔵を見下ろす。

「貸せ」

貸せ?この男は本当に口が悪い。
これで最高僧なんだから……。
呆れて私が口を開こうとした瞬間。

「きゃあ!」

枕でも調節するかのように、三蔵からお尻を引き寄せられる。

「うるせー」
「三蔵が触るからでしょ!」
「いでっ」

立ち上がると、三蔵の頭が勢いよくソファに沈んだ。

「変な風に取ってんじゃねえ」

他にどう取れと?

「やっ、」
「良い声だな」

手を引っ張られて、ソファに無理矢理座らされる。
信じられない!やってることも言ってることも、おっさんじゃない!

「最高の寝心地だ。暫く借りる」
「……もう。せめてあっち向いて」

私の太ももで、お腹側を向いて寝入り始める三蔵に、私は早々に諦めた。我ながら、三蔵に激甘だと思う。
これでは動けないとため息をつくと、私も目を閉じることにした。まどろんで来るのに、時間はかからなかった。

「……」

あ、寝ちゃいそう……。
うとうとし始めた頃、事件は起こった。

咄嗟に寝たふりを続けた。あまりのことで体が硬直して、思わずビクついたりしなくて良かったと思う。

俯いた私の唇に、触れているのが三蔵の唇であることは、直ぐに分かった。……少し濡れていたから。

これは夢!?と、混乱する私の頭を置き去りに、三蔵の唇はゆっくりと離れて行った。

この後も何かされれば目を開けようと思ったけど。
それ以降は何もされないから、私の思考は段々と落ち着きを取り戻した。

「……」

三蔵って、私のこと好きなのかな……?
起きたら三蔵がどう出るか、観察しよう。押すか引くかは、その後に決めることにする。

「……」

そっと、頬を触れられた。三蔵の手だ。優しく包まれる。
今度こそ目を開けてしまうかと思った。まさか起きていたなんて。
それにしても、なんて優しい手つきなんだろう。

「……あまり無理をするな」

三蔵。私の心は、とうに舞い上がってるよ?いいの?私をこんなに喜ばせて。
知らないよ?自分の行動にきちんと責任、取ってくれるんだよね?三蔵……

いつか見た、夢を思い出す。

「野郎ばかりの旅に、女一人」
「野郎と女の体力では、差があるだろうに」
「三蔵法師になるための修行だと言って、強引に着いて来た娘」
「だが小凛が旅で辛さなどを口にしたことは、一度もなかった」

顔のない人たちが口々にする言葉たち。
妖怪だった。

「、」

唐突に目が覚める。
三蔵は?と膝に目線を落とす。
三蔵は変わらず、私の膝で今度こそ眠っているらしかった。

「……」

また変な夢見ちゃった。

ふと、肩にかけられた毛布に気づく。三蔵がかけてくれたのだろう。三蔵は優しいから。

「……」

三蔵の寝顔を眺める。
三蔵。私だって三蔵に、寝冷えしてほしくないんだよ?
三蔵を起こさないように、彼の体に毛布をかけてあげる。

「……」

さっきのキス。
目が吸い寄せられる、三蔵の唇。
信じられないけど三蔵に私、キスされたんだよね……。ほとんど夜這いだけど。

自分の唇に指先を触れる。

「……」

口元が、自然と弧を描く。
三蔵の愛を一人占めしてるのは、私なの?
起きたら聞かせてくれるかな……

唇に触れていた指先を離し、三蔵の髪の毛にそっと触れる。

「三蔵……」

好き。

「、」

目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。まだハッキリしない頭のまま、一先ず体を起こす。
―――起こす?
私座って寝てなかったっけ。

「っ!」
「起きたか?」
「さ、…三蔵!?」

目の前いっぱいに広がる、三蔵の顔。
起き抜けのモーニングアタック綺麗な顔!!
じゃなくて。

たった今、私は驚愕の事実に気が付きました。なんと私は、三蔵の腕の中で、それも、抱きしめられていたのです!

「もう少し寝てろ」
「きゃ、」

三蔵から体をホールドされて、私は二人で横になってるソファに逆戻り。

「待って!どうして一緒に寝てんのよっ!!」

照れ隠しで思わず可愛くないことを口走ってしまう。
だって!妙齢の……妙齢の男女が……!ベッドを共にしてるなんて……!

「その言い方はやめろ」
「え、聞こえた?」
「全部声に出てた」
「……忘れてください」

私がそう言うと、三蔵が小さく笑った。
いや顔は笑ってないけど。これがこの人の笑顔なのだ。

「失礼だな」
「いや、さすがに今のはしゃべってなかったよね」
「お前の考えそうなことは分かる」
「こっわ」
「おい引くな」

今度は私が笑う番だった。

「もう少し寝ていろ。横になったほうが疲れが抜ける」
「あ、ありがとう……」

じゃないよ!あまりにナチュラルに三蔵が言うから、受け入れちゃうとこだったよ!

「そうじゃなくてっ!」
「なんだ……」
「なんで、私まで、寝て……っ!」

半泣きになりながら訴える私のことを見て、三蔵が笑った。
しかも今度は、余裕たっぷりに。
そして、さも当たり前のように。

「毛布が一枚しかないからな」
「そっかぁ〜!、とはならないよ!」

小凛、ノリツッコミか?
と呑気なことを言う三蔵を無視して、私は再び体を起こそうと試みる。

「きゃあ!」

またソファに逆戻り。
でも今度は、両手首をソファに押し付けられた。私の視界に見えるのは天井と、覆いかぶさってくる三蔵。

「寝ないと襲うぞ?」
「いや子どもか!一緒に寝てほしい子どもか!というか、現に襲われてるー!」

私の炸裂するツッコミは無視ですか。
三蔵に頭の上で手首を一つにまとめられる。
さらに三蔵は顔を近づけてくる。

「ゃ…っ、三蔵…!」

これじゃ寝れない!
全然寝かせる気もないー!

「さっき、」
「ぇ……?」
「起きてたんだろ……?」

そう言った三蔵の親指が、私の唇をゆっくりとなぞり、潰した。

「ん、ゃ…、」

三蔵の行為に、体がゾクゾクした。

「…っは。ダメだ俺が危なくなる」
「きゃっ」

そう言った三蔵は、突然腕を引っ張り、私は体を起き上がらされた。
三蔵の手はそのまま首筋へと伝い、後頭部に手を回されて、少し上を向かさせられた形で三蔵に固定される。

私、何されてるの?三蔵から視線がそらせない。

「……おい」
「ぇ……」
「いま自分が、どんな顔してるか分かってないだろ」

赤面する。三蔵のせい、と抗議しようと
けど。
三蔵は、今まで見たこともないような熱い視線で見つめてくるから。
まるで見えない蔦に絡め取られたように、私は身動きできなくなる。

「……三、蔵……、」

恥ずかしさから三蔵の視線から逃れたいのに。三蔵から後頭部を固定されて動けない。
やば……涙がにじんできた。

「おっま、」

突然三蔵が、己の左手で作った拳を自分の口元に寄せて私から顔を隠した。

「可愛いすぎ……」
「っ!、」

さすがに、声も出なかった。

「……」
「……」

濡れた瞳で、見つめ合う。
ああ
三蔵に触れてほしい。

「……小凛……」

三蔵のもう片方の手が、私の頬を包む。親指が、ゆっくりと私の唇をなぞりつぶして行く。
三蔵の目が、愛おしそうに私を見つめてくる。

「三蔵……」

確かめるように三蔵はゆっくりと顔を近づけてきた。私もならうようにゆっくりと目を閉じると、触れ合う唇。

「ん…、」

ああ、三蔵とキスしてる。
息を吸おうと唇をわずかに離すと、直ぐに追うように三蔵は私に唇を押し付けてきた。

「は、ん…、」

三蔵の唇が気持ち良すぎて、この時間がずっと続けば良いのに。

「顔とろけてる」

そう言われる頃には、まるで夢心地のようにぼーっとしていた。
どのくらいの時間がすぎただろう。お互いの体温を感じ合う。

「ねえ、三蔵?」
「ん?」

三蔵の胸にもたれて抱きしめられる腕の中。目が合うたびにキスをした。

「寝てる私にキスしたのって、さっきが初めて?」
「……そろそろ行くか」
「うそ!?」
「何も言ってねえだろう」

さっきまでの甘い雰囲気なんて、もう無い。

「はぐらかしたよね!いま話題そらそうとした!」
「んなことねーよ」
「いつから?!いつからしてたの?!」
「静かにしねーとその口塞ぐぞ」
「ずっと前ってこと!?信じられない!普通おなごの寝込みを襲う?!」
「本当に襲うぞ」

そう言って本当に押し倒してきた。

「ゃ…っ、三蔵っ…!」
「だーまーれ」
「ん…、」

抵抗する私を、三蔵は簡単にキスで屈服させた。

「ん、ぁ…、三蔵…、」
「小凛はキス大好きだからな」
「ゃ、ずるい、」

顔の角度を変えられるたび、二人の繋がった唇からいやらしい音が漏れる。
また頭がトロけてきた……

「は…、三蔵、ゃん……、」
「なんつー顔してんだよお前は……」
「だって……、三蔵が……」
「俺がなんだよ」
「ぁ…っ、三…、蔵…っ、」

激しく唇が重ねられる。我慢できず三蔵の法衣を指先でキュとつまむと、三蔵は私をかき抱くようにキスの雨が降らされた。
燃え上がる二人は時間を忘れて、互いを求めあった。

「小凛を見てたら俺の理性の糸が切れかねんな」

呼ばれて人に見られる前に戻ろうと廊下を歩いていると、三蔵がぼやいた。

「私、そんなに……?」
「ああ。理性を保てる俺さすが三蔵法師」

自画自賛かよ。

その後、以前から私は三蔵の庇護対象なのではと思っていたけれど、三蔵は前にも増して露骨に私に過保護になった。
それは、いつどんな時でも三蔵のそばに居ることを願う私にとって、一番不都合なこと。

一同を連れて戦いの場へと向かう三蔵から、私だけ置いてけ堀をくらったのだ。

「これから私は、毎回置いて行かれるの?戦うたび?」

悟空ちゃんと、悟浄と八戒を連れて行く三蔵の後ろ姿を眺め、私は絶望の淵に立たされた気分だった。
どうしてこんな思いをしないといけないのか。私は、三蔵のどんな瞬間にもそばに居ることが、それが望みなのに。

「……」

こんな身の上だ、それこそ、死の。その瞬間まで、隣に居たいのに。私が女だから?
涙で視界がにじんだ。

「どうか無事で」

遠く離れた背中に向けてこぼした言葉は、つゆと消えた。
いつだって責めを負うのは女。好きな男の帰りを安全な場所でただ待つだけなんて、絶対に嫌だった。

意外なことに三蔵たちは早く帰ってきて、一行は夕方、旅を再開できた。

「正直助かりました。村の人たちにこれだけいただいたら、もう暫くは餓死しなくて大丈夫そうですね」
「いいやつばっかりだったな!」
「三蔵サマのせいで、あやうくただ働きになるとこだったけどな」
「黙れクソ河童」

八戒の運転する車内で、いつも通り光るみんなの掛け合い。

「あっ三蔵!」

助手席で煙草に火をつける三蔵に、私は声を上げる。

「前の席で煙草吸わないで!煙が後ろに来るの!」
「ああ〜?」
「席変わって!」
「なに言ってんだ。野郎三人で後ろ座ると狭ェだろうが」

三蔵の言う通りだった。
後部座席には、助手席の三蔵の後ろに悟空ちゃん、真ん中に私、運転席の後ろに悟浄。

「大丈夫ですよ。小凛さんは前に座ってください」

運転席の八戒が言った。

「ベンチシートの車に変えたんです。煙草の煙が苦手な小凛さんが、前に座れるように」
「八戒……!」

ほら八戒は天使!

「ほら。移動してこいよ」

照れてそっぽを向いて、手だけ出してくる三蔵に、私はクスリと笑って三蔵の手を取る。

「ありがとう!八戒!」
「八戒かよ!」

三蔵のツッコミが一際輝く。

「チッ。今度はまじで襲うぞ」
「乱暴反対〜」

移動した三蔵の隣で、煙から開放された私はのんびり返答する。

「それよりさ!いつの間に小凛と三蔵は、そんなことになったの?」
「悟空ちゃん。それはね」
「小凛答えるな」

グイっと肩を抱き寄せられる。そしてさらに、まるで私を守るように三蔵の脚の間に座らされた。

「うーわ……」
「三蔵サマ……いつにも増して、ねーわ……」
「悪化しちゃってますね」

三人がドン引きしてるのを、気にしないのがもう一人。

「三蔵……!」
「さらに上を行く奴が……」
「目がハートになってるもんね……」
「重症ですね……」

三蔵の腕を自身の体に回して、幸せそうに微笑む新彼女の満足そうな夕日で染まった綺麗な横顔を、いつまでも見つめる似たもの同士の新彼氏だった。