恒天


「数日前はあんなに威勢が良かったものの。 盛者必衰とはこのことですね」

隣の運転席にいるはずの八戒の涼しい声が、やたら遠くから聞こえた気がした。

「うぅ……」
「小凛と三蔵と悟浄、なんでこんなんなってんだ?」

後部座席の悟空ちゃんは、さも不思議そうな声が上がった。元気あふれる声だ。

対して左隣の三蔵はと言うと、最近恋人同士になったばかりと言うのに俯いたまま、長いこと声を聞けていない。

運転席の後ろの悟浄なんて、車が揺れる度に気持ち悪そうな呻き声をあげており、私よりも五月蝿い。
何を隠そう、この状態は。

「いわゆる、高山病でしょうね」
「ぅ、……」
「大丈夫ですか? 小凛さん」

八戒が、気遣って背中をさすってくれた。高山病がこれほど辛いものだったなんて。

「この辺りは既に、標高にして3500m近くあるようですから」

八戒と悟空ちゃんが平気そうなのが不思議なんだけど。
その時、大きな石でも踏んだのか車が大きく揺れた。後部座席の悟浄から一際ひどい声が上がる。
正直私も危なかった。悟浄のような、情けない声は上げずに済んだけれど。

「ゆっくり走れんのか……」

長いこと沈黙していた三蔵が、ようやく口を開いた。呻き声だったけれど。

「自力で歩けもしない方々が、無茶言わないでください」
「俺、平気だけどなー」
「よほど耐性がないと厳しいと思いますよ? 特に、小凛さんと三蔵は生身の人間ですし。現に、」

突然、急ブレーキで車が急停止した。

「なんんんん!?八戒ぃ……っ!?」

悟浄が驚いた声を上げるのも無理はない。私も今度こそ危なかった……本当に。

「すみません。 半妖の僕ですら、そろそろ限界です……」

八戒はものすごく辛そうだった。軽口を叩きつつも生身の人間である私や三蔵のように、高山病で辛いのここまで我慢していたらしい。

「まじでー?」

信じられないと、驚いた声を上げる悟空ちゃんは相変わらず元気な声。現状としてはかなり羨ましい。

「貴様らが玄奘三蔵一行かー!」
「東方の賞金首が!まさかこんな西域まで生き延びてくるとはな!」

こんな時なのに、敵さんのお出まし。

「きゃ…!?」

三蔵に体を抱き寄せられた。
衝撃で正直、吐くかと思った。

「俺から……、離れるなよ……!」

三蔵だって高山病で辛いはずなのにと、腕の中から見上げる彼の目は、油断なく敵へと向けられていた。
私の肩を抱く三蔵の大きな手から、私を守ろうとする三蔵の意志が強く感じられる。

瞬間、車が急発進でバックしはじめた。三蔵の胸に体を抱きすくめられる。そして、響き渡る銃声。

三蔵が私を自身の胸に抱きしめたまま覆いかぶさってきた。どうやら私以上に三蔵の高山病は重症らしい。

「、っ……」

履物が砂利を踏みしめる音がした。車の外のすぐそばだ。複数いる。襲撃してきた妖怪かもしれない。

隣の運転席の八戒も動けそうにない。後部座席の悟浄の様子はシートで見えない。悟空ちゃんの様子も分からない。吐き気も抑え込めない。全員やられてしまう。

「三、蔵……っ、みんなっ…、」

助けて

「誰かっ……、」
「おい、大丈夫か?」

突然、視界が晴れた。見知らぬ男が、心配げな顔で車の中を覗き込んでいた。
人だ。銃を所持している。彼と同じ気配が数人、周囲にある。彼らが妖怪を退けてくれたのか。

目が合うと、彼は私に覆いかぶさっている三蔵に気がつき、三蔵に目を移した。

「この男の法衣……」
「三蔵法師……?」
「うん。そうだけど?」

悟空ちゃんの声がした。良かった、声色から元気そう。さらに重要なことに、悟空ちゃんが警戒していない。

「いやしかし、若すぎやしないか?」
「三蔵様の名を語った、物乞いの可能性も」

なんて平和な会話なのだろう。もう本当にダメだと思ったから。
偽物疑惑をかけられていても、心がほっとした。

「しかし、高山病か? 女を圧死させる勢いでグロッキーだぞ」
「おい、彼女を離してやれ」
「触んな」

私に触れようとした男の手を、三蔵が一瞬で掴んでいた。
高山病のひどさ故に、私に覆いかぶさってしまっていたとは思えないほどの力で男の腕を握っていることが、私の目にも分かった。

「大丈夫…彼は…私を守って…くれて…」
「お、おお…、しかしそんな状態で?」

確かに、今の三蔵の状態では、自分の身さえ守れなさそうではあるけど。

「三蔵…大丈夫…?」
「お前こそ、……」

返事をするのにもやっと、という状態だろうか。
こんな状態でも私を守ってくれようとする三蔵に、カッコイイと思った。

「―――この方たちを本部へご案内するぞ。丁重にな」

ひと際落ち着いた声が聞こえてきた。

「うちの寺院には、高山病によく効く薬がある」
「ていうか。あんたたち、一体……」

三蔵一行全員が思っていたことを、悟空ちゃんが聞いてくれた。

「恒天部隊。紗烙三蔵法師直属の、援護隊だ」


***


「すっげー!アジトって感じ!」

私を背におぶってくれている悟空ちゃんが、キョロキョロと見渡しながらいつもよりも元気な声で言った。
ちょっと揺れる……おんぶしてもらっていて申し訳ないけど、吐きそう。

一行は、恒天部隊リーダーの波珊さんに連れられ、到着した土楼の廊下を進んでいた。

「……歩ける」
「もう大丈夫ですか?」

前を歩く三蔵が、呟くように言ったのが聞こえてきた。前を歩いている八戒の肩から、三蔵が降ろされた。

八戒と悟浄は、とっくにピンピンしていた。半妖のためか、私と三蔵よりとても回復が早い。

「悟空ちゃん」
「小凛も大丈夫か?」
「うん。ありがとう」

そっと地面に下ろしてくれた。ここまでずっとおんぶしてくれた悟空ちゃんにお礼を言って、一緒にみんなと廊下を歩いていく。

「いやあ。本当によく効く薬でしたね」
「脳天割れるほどクソまずかったけどな」

八戒と悟浄が言った。

「お連れしました。紗烙三蔵法師」

波珊さんの呼びかけで、部屋の奥から人の足音が向かってくる音がし始めた。
暗がりに目をこらすと、眼光だけが鋭く光っているように見えた気がした。
そして、現れたのはなんと女性だった。
男性とばかり思ってたから驚いてしまった。しかもとびきりの美人。
悟浄からは驚きの声……悟浄だからきっと“そういう”意味。

三蔵と同じ階級の女性。
三蔵法師としての苦楽を、彼女なら三蔵と分かり合える。

「、…」

三蔵と同じ三蔵法師である彼女に、分かりやすく嫉妬してしまった自分自身を恥じた。

「……!」

突然、三蔵の二人が互いに銃を突きつけ合った。ものすごい俊敏さ。ほとんど同時。銃口は、確実に互いの眉間を捉えている。

「フン」

先に銃をおろしたのは。

「第二十八代羅漢、紗烙三蔵だ」

そう自己紹介する表情に、もう攻撃されることはないと分かる。

「……第三十一代唐亜、玄奘三蔵」

三蔵も警戒を解いて名乗った。

「ようこそ西域へ。歓迎するぞ玄奘三蔵一行」

紗烙三蔵法師はクールに口元に弧を描くと、そう言った。

「三蔵法師ってさ」
「文字通り、物騒(仏僧)なんですね」
「駄洒落だね・かよ」
「悟浄とカブった!(ガーン」
「いやそこ傷付くなよ!俺が今傷付いた!」

別室に移動する道中、一行の高山病はすっかり完治していた。
その後三蔵同士の二人は、ミーティングのため移動していった。その間残された私たちは、波珊さんから食事を振舞っていただけることとなった。

ミーティングってどんな話するのかな。二人きりで……。
私も一応三蔵法師なんだけどな。見習いだけど……。
二人が消えて行った方角を見つめ、そんなことを思う。

「小凛さん」

優しく肩に触れられた手は、八戒だった。

「行きましょうか」
「……うん」

気を使ってくれたんだね。八戒は優しいから。その気持ちに報いるように、できるだけ笑顔を浮かべて見せた。

「長安からの道のりは、さぞや大変だっただろう。 生きてここまでたどり着いただけでも、大したもんだ」
「こちらの寺院も、やはり妖怪からの襲撃を受けることが多いんですか?」

食事をしながら、直に床に座った左隣の八戒が、波珊さんに尋ねた。

「この土楼全体は、恒天経文の力で目に見えぬ障壁が張られているから、妖怪は入り込めん。周囲の村も同じだ」
「紗烙三蔵の力だけで、そんな広範囲にバリア張れんのか?すげーな」

波珊さんの言葉に、右前の悟浄が聞いた。

「いや。さすがに媒体を使用しているがな」
「媒体?」

悟空ちゃんは食事を頬張りながら、波珊さんを見つめた。

「電波みたいなもんさ。各集落に備え付けた仏具を受信機にしてな。 この寺院にある塔鈴を介して、恒天経文の神力を送っているんだ。 それによりこの周辺の集落はすべて、妖のものが立ち入れない状態を保っている」
「なるほど。 だから紗烙三蔵はこの地を動けないんですね」

ずっと一か所に留まり続けなければならないのは、辛いものがあるだろう。
紗烙三蔵の身上の都合に、想いを馳せる。
三蔵と同じ立場で、唯一三蔵法師としての苦楽を理解し合える彼女を、私は羨んでいた。
三蔵法師になるため、私は修行中。私は、三蔵法師になることの覚悟が全然出来ていなかったのかもしれない。

三蔵を志したのも、三蔵に近づきたかったから。
旅に同行したのも、三蔵に近づきたかったから。
私の恋心は、恋人同士になった今だって切なさばかりが積もる。

「三蔵遅いなぁ」

悟空ちゃんの声にハッとした。
すっかり物思いにふけてしまっていたけれど。どのくらい経つかな……。

「つもる話もあるんじゃないですか? 最高僧同士できちんと相対するのは、両者とも初めてのようですし」
「ぅ……」
「Σはっ」

何気ない言葉なのに。八戒が悪い訳じゃないのに、優しい八戒は私のフォローをしようと背中をさすってくれたけれど。

「つーかうちの三蔵サマ、女と二人きり初めてじゃねぇの?」
「ちょっ、悟浄!」

酔っぱらってる悟浄に、八戒が窘めた。

「いいじゃねぇか、彼奴がいねえ時くらい。小凛!この際俺にしとけって!たれ目野郎より、ここは正々堂々ツリ目!真正面から兄貴分!そして清々しく錫杖を振り回す!これが男の中の男!乗り換えるなら色男いいぜ〜?超オススメだぜ? でだ……小凛泣かすアイツはオレのオススメコースな?アイツが戻ってきた時には綺麗さっぱりアイツは小凛から忘れられてる」
「綺麗さっぱり忘れるって、こわい一体何するつもりなの……しかも乗り換えなんて絶対ないから……」

後悔させないぜ?とか言ってアピールするため移動してこようとする悟浄を、偶然にも遮る形で、悟空ちゃんが立ち上がった。

石頭の悟空ちゃんが顎にクリーンヒット、倒れる悟浄ノックアウト。

「あ、ごめん悟浄。仕方ないな、じゃ俺だけで行くか。ちょっと覗いてきて良い?」
「やめなさい」

ピシャリ、と言い放つ八戒。
でも悟空ちゃん、声がわりと本気だったよ?

「紗烙三蔵は、性を超越した存在だぞ。間違ってもそんな不純な」

ですよね波珊さん!
急に元気になる私の目にふいに入り込んだ、波珊さんの背後に立つのは。
既に復活していた悪い顔をしている悟浄が波珊さんの肩に腕を回す。

「ああいう、荒くれた女が一瞬見せる可愛さが。意外とツボるんだろうが……」
「いや……まあそれは……、わからんでも……」

わかるんだ……。
顔を赤らめる波珊さんに、紗烙さんへ想いを寄せていることを理解する。

「……」

叶わぬ恋。沙絡三蔵法師と波珊さんを見て、その言葉が浮かんだ。
私と波珊さんは同じ立場。現在晴れて恋人同士だけど、この恋はやはり叶わないと思った。
現に、三蔵と紗烙三蔵が二人でいることでしたくない想像をしてしまう。三蔵同士でなら、釣り合う。自分の中で浮かんだ嫌な言葉に、頭を振って追い出す。

「聞こえてんだよ、クソエロ河童」
「おめぇも何同意してんだよ」

波珊さんと悟浄の背後から、脳天狙って蹴りを入れる、帰って来ていた三蔵二人が立っていた。

「三蔵……」

やっと帰ってきた。
三蔵の姿に、思わず顔がほころぶ。

「ああ」

つっけんどんにだけど、三蔵なりに愛想良くそう返事してくれた。
……悟浄のこと、踏んづけたままだけど。

「最高僧ってのは、最も高圧的な僧侶……うお!」

分かり切ってるのに余計なことを言うから。
悟浄は三蔵から改めて踏んづけられていた。
……ドMだったの?

「お前の従者はなかなか面白いことを言うな。玄奘」
「くれてやっても構わんが、クソの役にも立たんぞ」

紗烙三蔵法師と随分と仲良くなられて……。
って暗い暗い。
一人頭を切り替えていると、悟空ちゃんが三蔵のそばに立った。にっこりと嬉しそうな顔で三蔵を見上げている。

「なんだ」
「いや。ここに来て良かったなって思ってさ」
「ああ?」

私も同意。
三蔵が、同じ立場の人と出会い話せて良かったと、私も思っていたから。
ふと見ると、紗烙三蔵法師はここからやや離れた場所の椅子に腰を下ろしていた。

「で?これからどうするつもりだ。先の旅に必要な物資があれば手配しよう。武器でも食料でもな」

あ、やっぱり優しいなあ……。

「では、とうざの食料と周辺地図を頼む」
「波珊」

三蔵の言葉を受けて、紗烙三蔵法師が波珊さんに指示した。完璧な主従関係。
あ、別に私たちと比べたわけでは。

「最新の地図は一応あるが、正確なものとは言い難いな。異変の影響で徐々に地形も変わって行ってるし、西のほうはもう長いこと立ち入れてない状況だ」
「充分です。取り敢えず、今日一晩こちらで宿をお借り出来たらと」

さすが八戒。こういうのはもう八戒に頼りっぱなしだ。
八戒って……オカンポジだよね。

「それで二、三日体を休めたらどうだ?」
「高山病の薬も、多めに持って行ったほうがいいぞ」

彼らは本当に親切にしてくれる。

「ありがたく頂戴いたします。また戦闘不能になったら今度こそ全滅ですから」

八戒はバツが悪そうに微笑んだ。

「紗烙様!」

突然バターンとドアが開いて、恒天部隊の人が慌てた様子で部屋に入ってきた。

「東南東の村で、激しい火の気が上がっています!」
「火災か?」
「それが、火の回りがどうも不自然で……妖怪が村の外から火を放った可能性が!」

私は弾かれるように一斉に立ち上がった。玄奘三蔵一行全員同じタイミングだった。
全員で外に出る。

「道案内を、一人お願いします」
「分かった。俺が」

八戒の呼びかけに、波珊さんが応えた瞬間。

「!」

ビュンッと体の横を素早い何かが走り抜けた。
紗烙三蔵法師だった。車上の八戒の隣の助手席に、そのまま飛び乗る。

は、早かった……。しばし固まる私。ふいに、悟空ちゃんに手を取られる。

「小凛は後ろに乗ろう」
「うん」

前に乗れないから後部座席に乗り込む。

「紗烙!」
「出せ」

波珊さんを無視する紗烙三蔵法師。

「三蔵も。乗んなよ後ろ」
「ひひひ……三蔵サマかわいそ」

後部座席真ん中に腰を下ろした悟空ちゃの隣で、悟浄が隠す気ゼロで三蔵を笑っていた。
三蔵は、一人車の外で硬直した後、やがて無言で後部座席に乗ってきた。しかし

「えっ?、三蔵?」

三蔵は、悟空ちゃんに促されて座った後部座席の私の手を握ると、立ち上がらせた。
そしてあろうことか、私を車から降ろさせ、自分が後部座席に腰を下ろした。
私が今座っていたところに。

「置いて行かないで!私も一緒に行く!」
「紗烙」

三蔵が静かに紗烙三蔵法師を呼んだ。

「人を借りられるか? 小凛を、安全な場所で護衛してほしい」
「っ、いや!三蔵!」

何かあっても遠いところで何も知らないでいるのは怖いの。

「この前みたいに、みんなの無事を安全なところで祈るだけなんてもうこりごりなの!」

三蔵の隣に居たい。その思いから叫んでいた。

「1人だけ安全な場所でみんなの帰りを待つだけなのは、もう嫌なの!」
「小凛」

三蔵が車上から手を伸ばし、私の頬に触れた。

「小凛が安全な場所にいる。 小凛が帰りを待ってる。 それが、俺がどれだけ安心するか」
「っ、三蔵……」
「心配するな。俺が帰るまで、安全なところで待っていら」
「……ずるい、よ……、」

頬に添えられた三蔵の手に手を重ねると、私は潔く一歩下がる。車が出やすいように。
溢れる涙が頬を伝った。

「行ってくる」
「……ご武運を」

全力の笑顔で言うと、私は俯いた。
三蔵に力を与えないと。引き止めてしまうから、泣き顔で彼を見ちゃダメだ。

「……波珊」
「はっ」

紗烙三蔵法師の命で動く波珊さんに、背中を押されそのまま連れて行かれる。

三蔵は、私を守るべき弱い女だと思ってる。前々からそんな気はしていたけど、それが今回で確定した訳だ。なんて残酷。

納得なんて出来る訳なかった。引いたように見せたのは、被害を受けてる現地の民を思ったから。私が粘るほどに、この瞬間にも誰かが犠牲になってるかもしれないと思ったから。

私は三蔵法師。見習い。だから、自分の気持ちよりも民のことを最優先に考えての行動だった。

「……っ、……」

私はいつまで守られるだけの、三蔵にとって弱い存在のままでいれば良いの?
私を弱い女だなんて、思わないでよ三蔵。

「小凛さん。うちの三蔵法師からの命令だ。ここなら安全だ」

波珊さんに命じられた恒天部隊の数名から連れられ、行きついた安全な部屋。
その部屋でも、私は今度は恒天部隊の人たちに守られる。
私は、いつだって。どんな時も。ただ守られるだけ。

「どうか、堪えてほしい」
「……」

波珊さんには、見透かされてるような気がする。ううん、同じ立場だから、分かりやすいのかもしれない。

波珊さんは、命じられた任を全うするため。私がおかしな行動に出ないよう、言葉で釘をさしただけにすぎなくても。

「…………」

三蔵たち全員の無事の帰りを祈りながら、ただじっと待ち続けるだけの時間が過ぎて行く。

ただ待つのは、ただ守られるだけの時間は辛かった。「これが女の役目」だなんて、私は受け入れ難い。
私が望むのは、どんな時も三蔵と一緒に居るとこと。それこそ、死が2人を別つ時まで。

一方、小凛を波珊に任せた玄奘三蔵一行は。

「なんだその過保護っぷりは。溺愛か?玄奘」

助手席で、紗烙三蔵法師が溜息をついた。

「口出しは無用だ」
「口出しするつもりはない。お前たちのことにとやかく言うつもりもない。ただ。彼女が不憫でな」
「……出せ、八戒」
「……道がかなり険しいので安全は保障しかねますが」
「ふん。まあいい。安全も保障も、耳慣れん言葉だな」

三蔵からの大きすぎる愛を受ける小凛に、一行は内心合掌しつつ戦地へと向かうのだった。

すっかり夕方となった頃。ようやく三蔵たちが帰ってきた。

「小凛」
「三蔵……!」

戦闘帰りでかなり疲弊しているはずなのに。
恒天部隊の人に道案内してもらって、真っ直ぐに私を迎えに来てくれた。

私の元に無事に帰ってきてくれたとか、私を「自分の女」だと好きな男から思われててうれしいとか、でも私が男なら今回も連れて行ってくれたんでしょとか、今回は生きて戻ってきたけど次は分からないとか、いろんな想いがごちゃ混ぜになって。
三蔵の胸に飛び込んだ。

私の三蔵の体を抱きしめる力以上に、私のことを抱きしめてくれる三蔵から匂ういつもの煙草に混ざって血と埃の匂い。
一体どれだけの死線をくぐり抜けてここにいるのかと思ったら。
やっぱり、私もそこに居られたら良かったのにと思わずにはいられなかった。

想いに比例して溢れる涙は三蔵に見られたくなくて、戦闘ですっかり汚れてしまった法衣を纏う三蔵の胸に顔を埋める。
私はあと何度。こんな思いをすれば良いんだろう。

「三蔵、怪我は?どこが痛い?」

ああ、一先ず今日は三蔵は私の元に帰って来てくれたと。
その愛おしい温もりに全身で浸る。

「平気だ。小凛が無事なのが分かっているから、俺は安心して戦える」
「そんなの……。これは言うつもりなかったけど、この際言わせてもらうけど……。三蔵の姿が見えない場所で……何かあっても察することもできない遠く離れた場所で……三蔵を想って……私は……帰ってくるまでその姿を見るまで……無事なのか気が気じゃないのに……」
「小凛……」
「だからどんな時も隣に居たいのに……。私は三蔵法師を目指してるから……民を一番に考えなくちゃだから……私は自分の気持ちを後回しにしたの……」
「……」
「私に無事な姿を見せに来てくれてありがとう……おかえりなさい。三蔵、ん、…」

唇を押し付けられた。

「…ぁ…、…ん…、三蔵……、」
「は、」

離れても直ぐに唇を押し付けられる。体を抱きすくめられ、深く、激しいキスの雨が降らされる。

「は、ん…っ、…ぁ、…」

三蔵の首に腕を回し、三蔵に全身で浸るようにしがみつく。息もできないほど激しい口づけ。三蔵の愛が私に向けられてるのが伝わるから、苦しくても受け入れた。三蔵の想いに応えたくて。
だけど人間にはどうしても酸素は必要。

「くる、し……よ……、三、蔵……、」

三蔵の胸を叩いて、言葉で伝えて、ようやく三蔵は私の唇を解放してくれた。それでも腰は強く抱きしめられたままだけど。
乱れた息を整える私を、どんな姿を見逃したくないかのように、三蔵は暫くじっと私を観察していた。

「すまん。あまりに愛おしくて」
「…!三蔵……」

意外な言葉。三蔵ってこんなことも言うんだと思って照れたら。

「悪い……もう少し」
「っん…、ん……」

再び深い口付けに、三蔵のスイッチってどこにあるか分からないなあ。なんて。
強く強く私を抱きしめる三蔵の鍛えられた体全身から、包まれる幸せ。
伝わるよ。三蔵の愛が私に向けられてること。
もしかしたら私が思ってる以上に、三蔵は私を好きらしい。

「っ、きゃ!」

床に押し倒されて、慌てて三蔵を止める。乱れた法衣の胸元へと、首筋を三蔵の唇が這う。

「ダメだよ、そんな怪我で、」
「小凛がほしい」
「っ、……」

一瞬受け入れそうになってしまった。
自分を戒めるつもりで、ダメだダメだと首を降る。

「治療してからにしよう?私、三蔵に早く治ってほしい」
「……分かった」

その間にも、三蔵法師見習いの私の法衣の裾がはだけさせられていた。
怪我してるとは思えない力で、グイ、と手を引かれ立ち上がらされるた。
……三蔵ってば男の意地はっちゃってる?三蔵、私のこと好きなんだなあ。

「ぁ、」

ちゅ、と唇にフレンチキスされた。不意打ちだった。
見上げると、私を見下ろして愛おしそうに微笑んでいる三蔵の顔。
無自覚な笑顔は反則だよ……。

「……ふふ」

微笑み合って、私は三蔵の胸に抱きついた。互いにたっぷり温もりを確かめ合って、互いの体温を惜しむようにくっついたまま二人で部屋を出ると、みんなの居る場所へ向かった。

「休めと言っておきながら、手を借りてしまったな」
「いえ。お互い様ですから」

私と三蔵が到着した部屋で、紗烙三蔵法師の言葉に治療中の八戒がほほ笑んだ。

「今の私の力では、各村の敷地内のみを守るのが精一杯だ。その穴を突かれた形だな」
「瞬発的な術ならともかく、経文の力を常時発動させているなら限界はあるだろう」

紗烙三蔵法師へ理解を示す三蔵。

「受信具の設置を増やしてゆくゆくはこの区域全土にまで術を拡張したいと思いはするがしかし……」
「それは結果として、妖怪の存在否定に繋がることを懸念しているのですね」

紗烙三蔵の言葉を八戒が受け取る。

「それが自然淘汰ならともかく、人為的に起きた異常によりどちらか一方が排除される世界が正しい物だとは、私には思えん」

紗烙三蔵法師はまともで正しい優しい人だ。
すると、煙草を吹かしていた悟浄が口を開いた。

「ていうかさ。三蔵2人いるとややこしいよな。三蔵って、ようは役職だろ?」

突然そんなことを言い出す悟空ちゃん。

「そうですよね。今まで部長!とか、課長!とか、呼んでたようなものですからね」

え?いや。あの。八戒……さん……?
でもおもしろいかも。

「せめて社長か会長と言え」

え、そこなの三蔵?さすがに小さく笑ってしまった。
お約束で悟浄が悪ノリしだす。

「でーも今更、玄奘!とか呼ぶの恥ずいよな。んじゃ、玄さんってか!」
「玄さんっ!その発想は無かった!」
「ぷは!それは却下ー!」
「玄たん、や、玄ぴょん、はどうでしょう?」

八戒も悪ノリしだす始末。

「四人まとめてドタマかち割るぞ貴様ら!」
「ええ!?私まで!?」

そこで、紗烙三蔵法師が笑い始めてしまった。

「なるほど。お前の従者は本当におもしろいな、玄奘!」
「お陰様でな」

玄奘が相変わらずクールに言った。まんざらでもなさそう。
と、そこへ。

「失礼するぞ」

波珊さんがドアを開けて入ってきた。

「これから避難住民のための炊き出しをやるんだが、一緒に夕飯にしないか?」
「はい!行く行く!」

悟空ちゃんの目が一瞬で輝いた。

「何か、お手伝いすることがあれば、手伝います」

私はお礼にと、波珊さんに名乗り出る。

「気ぃ使うなって、お客人。終わったら一杯やろうや!良い酒があるんだ」
「わあ!良いですね!」

波珊さんの提案に、悟空ちゃんじゃないけど私も目が輝く。

「あんま飲むなよ。特に小凛」
「え〜?」

三蔵の言葉に、私は不満顔で三蔵を振り返る。

「三蔵は、小凛さんに自分以外の男を触られるのが嫌なんですよ」
「そうなのー?三蔵?」

八戒の言葉に、ニヤニヤと三蔵に迫る。
私は飲むと、その場にいる人がいつもより何倍も好きになる。記憶を失ったことは一度もないけど。シラフの時にはかかってるストッパー?が外れるのか、隣にいる人にとても触りたくなる。しかも翌朝、覚えてるタイプ。
だから毎回やりすぎちゃったなって人には謝る羽目に……
あ、そのこと?

「ちっ。余計な事言うな八戒」
「はーい」

返事は良いけど、ものすごく笑顔な八戒。すぐ三蔵をおもちゃにする八戒が最強。

「久しぶりのお酒だよ!楽しみー!」
「そうですねえ、小凛さん!いつぶりでしょうか」

八戒に手を取られ、キャッキャとお酒に盛り上がる。大人メンバーでは、唯一煙草を嗜まない私と八戒。
突然グッと体が抱き寄せられた。ドン、と誰かの硬い胸に埋もれると、抱きしめられた。反射的に瞑った目でも匂いで誰か分かり見上げると。
やっぱり三蔵が顔を赤らめてそっぽを向いていた。

「だから飲むなって言ってるだろ」
「まだ飲んでないけど!?」
「あっはっは。三蔵は嫉妬深いですねえ」

今回の犯人(八戒)が大笑いした。確信犯……!後で大変なのは私なんだけど。三蔵にバレないようにコッソリ私にウィンクしない悟空ちゃん。
一先ず三蔵は躾しといた。

悟空ちゃんに呼ばれプーアル茶をもらい私がソファに座ると、私にしばかれた三蔵はこちらを恨めし気に見たので、私はまた立ち上がり、お茶を三蔵に飲ませてあげた。

「小凛〜、俺にも茶ァ飲ませてくれ」
「鼻から飲ませるよ?悟浄」
「ひでぇ」

すると三蔵が、紗烙三蔵法師に声をかけた。

「紗烙。ちょっと、いいか」

二人で部屋を去って行った。ただならぬ雰囲気(に見える)。
え?え?なにそれ……なにそれ……ちょっと玄奘サン……

「、」

ふと、同じ視線を二人に送っている人物を見つけた。しかも、目が合ってしまった。
私はなんとなく彼から目をそらした。

「…………」

近づいてくる気配。
その気配は、案の定私のそばで立ち止まった。

「話をしようか、小凛さん」
「……波珊さん」

私は観念して波珊さんに向き合った。

「……ふう。もうバレバレだと思うから君には話すが」

波珊さんは、紗烙三蔵法師とうちの三蔵が出て行ったあとで私を連れて土楼の廊下を歩いていた。
外はすっかり夜だ。今夜は月が出ていて、廊下が明るい。
波珊さんは、誰もいない窓際に寄って両肘を窓辺につくと、夜空を見上げた。

「俺はずっと紗烙に想いを寄せている。紗烙とは、修行僧時代からの仲間でな。惚れてるのもその頃からだ。伝え続けてもいる。だが取り合ってくれなくてなぁ。立場が違うんだそうだ。だから、今はどんな形でもいい、最高僧としてのあいつを守ってやれればと思っていたが」
「……」
「だが、小凛さんは違うんだろう?玄奘三蔵法師は、小凛さんを受け入れてる」

そう言って、ジッと私を見つめる波珊さんの視線が、なんとなく居心地が悪くて俯いた。
私が三蔵と恋人同士になったら、紗烙三蔵法師が波珊さんを受け入れない理由が崩壊してしまうのでは。私が気にすることじゃないことだけど。
でも紗烙さんには断りたい事情があるのかもしれない。それに、波珊さんからしたら、私と三蔵の関係は傷付く可能性だって……。

「小凛さんは、考えすぎる」
「え」

反射的に顔を上げる。
波珊さんは微笑んでいた。優しいまなざしに、私はまた見透かされてる気分になる。

「……私にも悩みがない訳じゃありません」
「聞かせてもらえるか」
「……以前。八戒から、過保護が過ぎる三蔵の態度に「愛されてますね」と言われたことはありますけど、でもそれは昔からですし、今に始まったことでもなくて……」

あれ?私なんの話聞かせてるの。

「ああ。いいんだ、小凛さん」

言葉が切れた私を気遣う波珊さんに、やっぱり、見透かされてる気がしてならない。
波珊さんと目が合うと、愛想よく微笑み、また星空を見上げたので、正直ホッとした。

「あいつは俺を受け入れられないだけなんじゃないか……同じ三蔵同士なら、あるいは。そう思えてならないんだよ」

三蔵法師に恋する人は、みんなそう思うのだろうか。

「結局俺は、あいつと同じ立場に立ててる人間に、男として嫉妬しちまってんだな……」
「分かります……」
「え?」
「分かりますよ。白状しますが、実は私も。紗烙三蔵法師に会った時、紗烙三蔵法師に、同じこと思いましたから……だから、安心しました。そう思うのは、私だけじゃなかったんだって」
「……そうか」

少しだけ、うれしそうな声になる波珊さん。

「小凛さん」

波珊さんは窓の淵に寄りかかるのをやめて、こちらに正面を向いていた。
肩をポン、っと叩かれ、波珊さんを見る。

「話せて良かったよ。君の、君たちの。幸せを願ってる」
「……はい。私もです」

こぼれるような笑顔で返事をする。
本当に、紗烙さんと、恒天部隊、この村の皆さんには感謝しています。

「………………………」

その光景を、話を終えて戻ってくる円形作りである土楼の反対側の窓から、三蔵に見られているとも知らずに。