夢見草


儚げ。そんな言葉が、桜花さんには似合う。
彼に関わり、人柄を知るたび、日を増すごとに惹かれて行った。私が桜花さんへと向ける想いのように私のことも好きになってほしくて、そう振舞ってきた。


「私、元の世界に帰らないといけないのに。どうしても、あなたに惹かれてしまう」
「桜雪さん……」

正面から桜花さんを抱きしめて、どうしようもなく溢れる想いを口にする。


「今なら分かる。私は、あなたと出会うために、こちらの世界へ来たんだと思う」

ぎゅ、と桜花さんを抱きしめる腕に力が入る。自信があった。桜花さんも、私を好きだって。

「……」

なのに、おとなしく私に抱きしめられていた桜花さんのほねほねした綺麗な大きな手が、そっと私の両肩を抱き、優しく体を離される。

「桜花さん……?」

桜花さん胸から顔を上げて、彼の目を見つめる。

「許されないのです」
「許されない……?」

どういう意味だろう、繰り返して先を促す。

「私は……、恋をしたら、死にます」
「……どういう、意味ですか?」

苦し気に目を細めた桜花さんの手が、私の肩から体ごと離れる。
桜花さんは直ぐには答えてくれず、私に背を向けると、そのか細い体を自身の手でギュ、と抱きしめた。どことなく、苦しそうに見える。

「桜花さん……?大丈夫ですか?」

彼にそっと近づき、背中に手を触れようとした。その時。

「触れてはいけない」
「っ、」

これまで聞いたこともない強い語気に、私は思わずビクり、と体がこわばった。

「すみません……桜花さんが、苦しそうで」

私は桜花さんに触れようと上げた右手をすっと下ろし、申し訳ない気持ちから左手でギュと握った。

「……違うんです」
「……?」

要領を得ない。桜花さんの言葉を待って、彼の後姿を見つめ耳をそばだてる。

「……紫珠さんの、呪いなんです」

はっ、と吸い込んだ音で、声にならない声になる。

「……呪い……」

私の口から出たのは、自分の声とは思えない妙にかすれた声だった。
一瞬、私を振るための口実かとも思ったけれど、それにしては桜花さんは苦し気で、病弱に見えたのも、それなら合点が行った。
桜花さんに出会ったばかりの頃を思い出す。紫珠さんの言葉。

『桜花殿。くれぐれも過ちのないよう……お命は大事になさいませ』

まさか桜花さんは、既にあの時には私を好きになっていたというの?それで見抜いた紫珠さんがあんなことを―――?

「すみません……、普段は、これほど症状は出ないのですよ」

苦しそうにコホコホと咳き込みながらもそう言って、私を安心させるよな笑顔を浮かべて見せる桜花さん。

「待ってください!桜花さん、しゃべらないで」
「え……?」

両想いと分かれば、桜花さんの命が危ないかもしれない。

「その……どこまで有効なのでしょうか。呪いは……ああ応えないでくださいっ」

桜花さんに、死んでほしくない。

「桜雪さん……」

私を見つめる桜花さんの表情が、きょとん、とした顔から、フッと優しい微笑になった。

「大丈夫です。このくら――ッゴホ!」
「桜花さん!」

地面に膝をついて、激しく咳き込む桜花さんに、私は死に物狂いで体を支えた。

「しゃべらないで、桜花さん……!死んじゃう!」
「はぁ、ゴホッ、桜雪さ……ゴホッゴホッ」
「誰か!王子が!誰か来てー!」

私の悲鳴で、すぐに従者たちが駆け付けた。バタバタと運ばれる桜花さんに、私は付き添って彼の自室まで着いて行った。

「あなたは外で待機してください!」

追い出され、しまる障子の隙間から見えた苦しそうな桜花さんの姿に、私は意を決し、紫珠さんの元へ駆けた。

「お願いします、神様……!」

神殿へと森を走り抜けながら、必死に神様へ誓った。どうか、桜花さんを救ってくださいと。

「紫珠さん!いらっしゃいませんか!紫珠さん!」

呼ぶと、まるで私が来ることが分かっていたかのように、すぐに門が開いて紫珠さんが姿を現した。

「これはこれは桜雪殿。……城のほうは、随分と騒がしいようで」

素知らぬ顔で言い放つ紫珠さんに、私は努めて落ち着いて彼女を見据える。

「桜花さんへの呪いを解いてください」
「断る」

想定内だ。私は続ける。

「では。どうしたら、呪いは消えますか?」
「無理じゃ。かけることは出来ても、解くことは私にはできない」

仮説が当たった。ということは。

「私は、桜花さんを助けたい。どんなことよりも優先して、桜花さんの命を護りたいのです」

紫珠さんは相変わらず涼しい顔で私を見つめているので、構わず続ける。

「紫珠さんの怒りはごもっともです。裏切られたのだから。私でも呪うことが出来るのなら、呪ったと思います。だけど、その対象は、絶対に子どもにはしません」
「桜雪殿」
「復讐のためとは言え、憎い相手の愛する人を呪うことは、正しいことじゃない」
「憚られよ、桜雪殿」
「いいえ!私は!桜花さんが助かるためなら……!私が出来ることならなんでもします。桜花さんの代わりに……、私の。命を捧げます」
「……桜雪殿……」

紫珠さんと互いに譲らぬ睨み合い。

「……!」
「?」

ピク、と紫珠さんが何かに反応した途端。

「桜雪さん!」
「桜花さん……!」

紫珠さんから立ちはだかるようにそばに立ったのは、桜花さんだった。

「桜花さん、体は……!?」
「もう大丈夫です。呪いは解けました。それより、」

キッ、と紫珠さんに鋭く視線を送る桜花さん。

「桜雪さんは殺させませんよ」

ああ、やっぱり。仮説は当たった。心なしか、心ここに在らずな表情で遠くを見つめる紫珠さんに目をやり、確信をすると、私は桜花さんの服の袖を軽くひっぱった。

「桜花さん、もう大丈夫なようです」
「え……?、紫珠殿っ!?」

突然崩れるように膝を着いた紫珠さんに、桜花さんが慌てて駆け寄る。

「どうしたのです!紫珠殿……?」
「紫珠さん……」

私も傍らにかがんで、紫珠さんの手を握る。

「すまなかった。桜花殿。……桜雪殿」

謝罪を口にする紫珠さんに、桜花さんは目をまんまるにして私を見ると、直ぐに察したように、いつもの穏やかな微笑を浮かべた。

「紫珠!」
「父上……」

桜花さんのお父さんが、従者を引き連れて駆けて来た。

「すまなかった!私が悪かった。すべて、私が……」
「国王……いいえ、良いのです」
「紫珠……?」

紫珠さんの手が、私の頬を優しく包む。

「真の愛を、見せてもらいましたから」

紫珠さんの言葉に、私は紫珠さんに微笑み、そして桜花さんへと視線を移し、照れ笑いで俯き、紫珠さんにもう一度だけ微笑んだ。

「そうか……」

そのやり取りを見て、桜花さんのお父さんもうれしそうに笑顔を浮かべていた。

「桜花さん!」
「桜雪さん」

もう一度正面から桜花さんに抱き着いていた。
倒れた紫珠さんを城へ運び、周囲には誰もいなくなっていた。

「もう、拒否しないのね?」
「ええ。これからは堂々と」
「きゃ……」
「あなたを抱きしめられます」

私を初めて抱きしめ返してくれる桜花さん。その手は、とても優しい。

「もう、隠さなくて良いんですね」

そう言って、自身の胸に顔を埋めている私の頬を包み、顔を上げさせられる。

「桜花さん……」

桜花さんを見上げると、ゆっくりと顔が近づけてきた。
触れるだけのキスをして、互いに微笑み合う。

「大好き!桜花さん」
「先に言わないでください。今の前言撤回してください。私が先に言いますから」
「え〜!ダメです!」
「桜雪さん、愛してます」
「桜花さん……」
「こっちは私が先に言いましたから」
「もう!負けず嫌い!」
「桜雪さんは私のです」
「お、桜花さん……」
「こっちも私が先に言いましたから」
「あっずる〜い!」
「好きです。大好きです。愛してます」
「ちょ、ちょっとぉ……」
「照れてますか?可愛い」

キスをして、抱きしめられる。許される限り、いつまでも。