より良い本丸
いつもの出陣だった。いつも通り見送り、4つの部隊がすべて戻るまで出陣門で待ち、光と桜の花びらに包まれ最後の部隊が帰還した。
「清光っ!!」
清光を視認した瞬間、審神者は声にならない悲鳴を上げ初期刀の元に走り出していた。
本丸に戻ろうと、最後まで自分を鼓舞したのだろう。清光は本丸の地面に足をついた瞬間、ほとんど崩れるように地面に膝をついた。
その証拠に一緒に出陣していた五振りの手は借りておらず、驚いたみんなも一斉に清光に駆け寄った。
近くまで来るとよく分かった。彼の赤い戦闘装束は血だらけで、顔も俯いて見えない。危険な状態だ。
「急いで手入れ部屋に!」
喧騒で庭先に顔を出していたのだろう、本丸で待機組だった山伏と岩融が直ぐに対応してくれた。
審神者も後を追う。
清光が運ばれる後ろを庭を突っ切り、草履を脱いで縁側に上がるも、近侍である山姥切国広が審神者の肩を掴んだ。
「まんばちゃん…」
振り返ると、頭にすっぽりと布をかぶって陰になっているまんばちゃんの目がじっ、と審神者を見下ろしていた。
「私、しばらく清光のそばにいる。…ごめんね」
私たちは最近、恋仲のような関係に発展しかけていた。これから始まりそうなところ。お互いの気持ちは言っていない微妙な期間。だから今後の私の身の振り方を伝えなければと思った。
まんばちゃんの目を見つめると、まんばちゃんは無言で頷いて審神者の肩から手を離した。審神者は急いで清光の後を追った。
手入れ部屋に入ると、清光を寝かせてくれた山伏と岩融、一緒に出陣していた一期一振が秋田くんやばみちゃん、宗三と明石さんを連れて心配そうに部屋から出て行こうとしていた。
「みんな、無事に帰ってきてくれてありがとう。ゆっくり休んでね」
「ええ、主。そうさせて頂きます」
一期一振はそう言って私の背後越しに障子を閉めてくれた。手入れ部屋に残されたのは清光と薬に精通している薬研と審神者のみ。
審神者は清光の枕元に静かに膝を付くと、目を閉じている額に怪我を負っている清光の頬にそっと触れる。
「清光……眠ってるの?」
「いや、」
薬研を見ると、まさかの否定されて清光に目を向ける。清光を見ると目を開けていて目が合った。
「だが、重傷ってことに変わりないな」
「……」
薬研の言葉に、私は清光を見ながら涙ぐむ。すると、怪我でキツいはずなのに清光の唇は綺麗な弧を描いた。
「へえ……泣いてくれるんだ?主」
「当たり前でしょ?」
清光の軽口に、違和感を覚える。
清光とは私と2人で始まった本丸だ。最初は刀剣男士たちも少なくてみんなで協力してなんとか出陣して本丸を切り盛りし、この大所帯とまでなった。そりゃ、不器用な審神者だからいろいろあったけど。
「もう俺のこと可愛くないんだと思ってた」
「え…?そんなはずないでしょ?清光は私の初期刀、」
ドキリ、と急に胸が嫌な鳴り方をした。同時に山姥切国広の顔が浮かんだ。
馬鹿。私。
「心当たりありそうじゃん?」
「……」
……私は、山姥切国広のことが清光にやましいの?
「俺、出てるわ」
私が自問自答している間に、薬研が立ち上がって部屋から出て行った。見ると、清光の手当ては終わっていた。
「……逃げるわけじゃないけど。今は寝て?休まないと清光。お世話は私がするから」
正座から立ち上がるため両手をつく。
「なんで俺が怪我したと思う?」
え、と思わず清光の目を見張る。冷たく、それでいて挑戦的な清光の目。
「まさか、わざと怪我を…?」
「…そうだと言ったら?」
相変わらず挑戦的な目。
だとしたら、
「私の気を引くためって……」
脱力する。そこまでするなんて。
ううん、違う。そんなことをさせたのは私…
清光が返事をしない。清光がこの後に否定したとしても、私は清光から半分本心を聞いたとしか思えない。だって心当たりがありすぎるから。
「清光……」
清光の姿を見て流れた涙がまた滲みだす。今度は清光の傷付いた心に。しかもそれは私が傷付けてしまった。みんなに主なんて呼んでもらう資格ない。
でもごめんなんて言えない。肯定することになってしまう。そんなこと肯定したら、清光だけでなくみんなを傷付ける。私はいつの間にエコ贔屓をしてしまったんだろう。
「至らない主……」
こぼれた言葉。清光が思わず目を見開くのが分かった。
思わず立ち上がり、そのまま手入れ部屋から出る。
なんで子どもっぽいんだろう。でもあのまま居たら謝ってしまいそうだった。
「主!」
角を曲がった時にぶつかった人に抱きとめられた。まんばちゃんだった。心配してくれてたんだ。
山姥切国広は私の泣き顔にひどく動揺したけど、私は彼を振り切って自室である審神者執務室へと走った。
本丸のはしまで行き、階段を登り、1番高い塔である審神者執務室に着くと、自分の文机に突っ伏して泣いた。
ここなら誰も来ない。誰も居ないから、泣いても聞かれずに済む。
半刻ほど経った頃だろうか。辺りはだいぶ暗くなっていた。本丸はいつも通りそうだ。
審神者が泣いていたなんて知らないほうがいい。初期刀の清光と、近侍の山姥切国広には見られたけど…
どうしよう
いけない、と自分を戒める。私は困ると直ぐに人に頼るのがいけないところだと我ながら思う。
今も、近侍である山姥切国広とは恋仲になりつつあるから相談できない、初期刀である清光からは怒られたから相談できない、となるとこんのすけ。
なんて考えてしまったのだから。
自分で解決しないといけない。私は大人なのに甘ちゃんもいいところ。
スゥーという軽やかな音色がして、コロンと蹴鞠のような音がした。
「…こんのすけ…」
「主さま」
……つくづく、ここの人たちは私に甘いと思う。
「…そろそろかと思ったのです。主さまが落ち着かれる頃かと」
「……そっか、筒抜けか」
思いのほか自嘲気味に笑えた自分に我ながらハッとする。
「すべて見てたのね、こんのすけ」
「申し訳ありません」
「いいのよ、謝らなくて。私が元凶だと理解できてる」
こんのすけはその場で前脚をついて座ってこちらを見た。…肯定。でも、労いの優しさを感じる。
「ねえ…こんのすけ」
「はい」
「私。清光にあそこまで言わせて。自分が情けなかったよ」
文机の上の窓から差し込む月明かりを見つめながら懺悔のような言葉を口にしていた。
「でも、やっと分かった」
こんのすけは、ただじっと黙って聞いてくれる。
「でもね、私みんなのこと我が子のように可愛いの。ほんとよ。みんなが等しく可愛い。なのにある一振りと親密になっちゃったの。ううん、正確にはまだなってない。でもそんなの変わらないわ。親密になりかける、それこそがエコ贔屓なんだもの」
また自嘲気味にクスッと笑う。こんのすけは相変わらず黙ってそばに居てくれる。
「それでも全員が我が子のように可愛い。それは今も変わらないの。だからね」
私は姿勢を正した。窓枠から月が見える。
「やり直す。きちんとしたい。この本丸をより良き本丸にしたい。出陣中で辛い時も本丸のことを考えればみんなが居るから帰ろうと思える、そんな場所に。全員がこの本丸に来て良かったと思えるくらい」
こんのすけに向き直る。
「私やめたくないの。逃げ癖のある私だけど、途中で放り出すなんてできない。みんなが来てくれた本丸を大切にしたい。全員を大切にしたい。至らない審神者だけど私まだやってないことたくさんある。泣くのはすべてやった後にしたい。だから、こんのすけ。これからも私に力を貸して」
こんのすけがお尻を上げた。
「主は自分のことが見えてないんですね。主はいいところたくさんありますよ!」
こんのすけがぴょんっと跳ねた。
「ありがとう。こんのすけ」
気を取り直す。
「それじゃあ、こんのすけ。早速お願い。刀剣一覧を見せて」
「はい!」
目の前の文机に現れる。
「何をするんですか?」
「全員のことを説明できるようにするの」
「ええっ」
「これまでつい推しだとか使いやすい子とかで偏ってたから、みんなの能力もっと引き出そうと思って。きっと私が上手く使えてなかっただけだと思うから。清光に怒られちゃったからね。やっと目が覚めた。だから手始めに1人残らず全員を把握する」
そう言って審神者はこんのすけの出した全刀剣男士一覧の本丸にいる全振りに線を引いた。
「極にしたい子や戦略リストは取っておこう…。あ、この子のこと全然話せない!ごめん〜!」
こんのすけは微笑んだ。主の1番良いところは間違ったときは即座に認められる打たれ強いところだと。
「……主」
「まんばちゃん。あっイイ匂い」
「相変わらずだな、あんたは。心配して損した」
「え?」
「まあいい。あんたが珍しく夕飯時に降りて来ないから心配して持ってきてみれば。仕事をしているとは珍しい」
「まんばちゃん優しい〜って、私も大人ですからね。ていうかまるで私が腹ぺこキャラのように…」
「忙しいやつだな」
そう言いつつ、審神者のそばに腰掛けながら自分の分もちゃっかり持ってきてるまんばちゃん。
「まんばちゃん、ありがとう!いただきまーす」
「ああ。それにしても、なんだ急にこんな時間まで仕事なんてやる気出して」
「大人にならなきゃなと思って。じゃないと大切な人を守ることはできないことを学んだの。守るどころか、傷つける側になると。私はみんなが我が子のように可愛いから」
そう言って笑う。
「あんたはそうしてるほうが良い」
まんばちゃんがあんまり愛おしそうに審神者を見るため、審神者は思わず赤面した。