人生は一度きり
「君、おもしろいね」木枯らし拭き巡る寒空。仕事からの帰り道。少し郊外にあるこの地は闇夜に包まれ、シックな街頭に照らされ僅かに見えた男。
纏った黒いコートとオールバックにした額には、十字架という明らかに一般人ではなさそうな風体。それにも関わらず、私は普段なら無視して通り過ぎるであろう筈なのになぜかできなかった。そうさせる雰囲気が、男にはあった。
普段から日常に疲れており、一変させてくれそうな予感のする男に惹き付けられたのだろうか。私は気が付いたら男に返事をしていた。
「どういうところが、ですか?」
歩みを止め、男の目を見つめていた。男は私の返事にクスッと小さく笑う。そばの海のにおいが私の鼻をかすめる。
「知りたいか?」
「……」
そう言って、男は唐突に私を真剣な目で見つめ返してきた。
少し年上だろうか、男に不思議な魅力を感じていた。
「興味が沸いたか?着いてくると良い」
私に背を向け歩き出そうとした男は、最後の一押しとばかりに、首だけで振り返り言った。
「俺なら、この冷たいコンクリートジャングルから救い出してやれる」
そして不敵に笑った男に、私は自分の意志で男のそばに歩み寄った。
「騙されてみるのも、おもしろいわね」
「良い子だ」
男はふっと笑い、私の背中に軽く手を触れた。
着いて来い、の合図だと受け取り、私は男に誘導されるがまま着いて行った。
暫く歩くと、男は古びた建物に入った。狭い階段を上って行く。さすがに、自分が馬鹿なことをしていると思えてきた。
そんな私の心情を察してか、男が歩みを止めた。
「馴染みの喫茶だ。珈琲でも飲んで話をしよう」
「……」
言われてみれば、馨しい珈琲の香りが微かに鼻腔をくすぐる。私が階段を上り始めと、男は口元に弧を描いた。
――カラン、とカウベルの音がして店内に入る。温かな空気と珈琲の匂いで充満している。
男は本当に馴染みらしい。マスターと目が合うと、サイン一つで店内の奥へと向かって行った。
一番良い席に慣れたように腰かける男に対して、私はコートを脱ぎながら店内のクラシカルなインテリアを見回す。
「気に入ったか?」
テーブルの上に腕をつき、両手を組んで私を見つめる男に、私は僅かな自制心を保とうと視線をはずした。
「いいお店ね」
「だろう?」
「いつもこうやってナンパを?」
私は椅子にコートとバッグを置き、腰かけると男に視線を送った。
しかし意外なことに、なぜか男は少し驚いた顔で私を見ていた。
訝しげに見つめ返すと、男は途端に笑い出した。
「ナンパなんかじゃない」
男は一通り笑い終えると、姿勢を戻して再び肘をつき両手を組み直し、私を見つめてきた。
「いや、まあそう見えても仕方ないか。あまり省くのは良くないな」
独り言か?思考が口に出るタイプだろうか。
「聞いてくれ。これはスカウトだ」
「スカウト?」
「ああ。だが芸能関係じゃないことは断っておく。君は、これから俺の話しを聞く。だが話し終わった後、乗るか乗らないかは、君が決められることを先に言っておく」
尚更怪しい。
その時、マスターが珈琲を一杯ずつ私たちのテーブルに置いて去って行った。
温かく馨しい珈琲の香りに、私はこの男の余興にもう暫く付き合っても良いと思った。
「聞かせてもらうわ」
「そうでなくてはな。ただ、これから話すことは君には到底信じられない話になるだろう」
「自分で言うの?」
私が笑うと、男も一緒に笑った。
「まずは自己紹介をしようか。俺は、"普通じゃない"ことを生業にしている」
「犯罪者とか?」
「そうだな。盗賊集団だ」
珈琲を口元に運ぶ手が、思わず止まった。この流れで、冗談がすぎるのではないか?
呆れ顔で男の目を見ると、男が少しだけ浮かべた微笑からは、真実であるという風に取れた。しかし、逆に清々しすぎてより怪しさ倍増。
「……本気?」
「まあ続きを聞いてくれ」
男は珈琲カップを持ち上げると、一口飲んだ。
「別に君を俺の旅団に入れようと思ってるわけじゃない」
「旅団?」
「ああ。ただ、君が望むなら、念能力者にすることができる」
「念……能力者…」
「そのポテンシャルは秘めていると、俺の目には見える」
私は珈琲カップを置く。この男の言ってることを必死に呑み込もうとした。旅団。能力者。ニュースを思い出す。
「え、旅団、って、あなた、まさか、」
「そうだ。俺が君に望んでいるのは一つだ。幻影旅団団長の心のよりどころとして」
「結局ナンパ!?」
思わず大きい声を出してしまった。男が口の前で人差し指を立ててシーッとした。大人の男がなんて仕草を。そもそも、誰のせいだと…
「帰るわ」
「まあ待て」
待てと言われて待つ人なんているのか?だけど、手を掴まれて引き留められる。
「どうだ?環境を変えることに抵抗がなければ、ぜひ快諾を得たい。それに、人生は一度きりだ」
男は穏やかに浮かべる微笑の中に、真剣に見つめる目と目があった。
「はあ」
「そうこなくてはな」
あからさまな溜息をついて、私は元かけていた椅子へ腰を下ろした。
盗賊の親玉と運命を共にしたいかと聞かれれば、はっきり言ってNOだ。それに、用済みとなればポイされるであろうことは明白。ただ顔は、申し分なくタイプではあった。背も高い。
暫く彼を吟味する。彼は私を見つめ返してきた。腹の探りあいだ。
「……いいわ」
「本当か!」
男はまるで子どものようにうれしそうな顔をした。
「……そういう人生も、楽しいかもね」
私は悪だくみするように微笑んで見せた。
「俺が言うのもなんだが、君は結構変わってるんだな」
「ふふ。気に入ったのよあなたのこと」
本心だ。
「光栄だな」
そう言った男は、テーブル越しに手を差し出してきた。
「交渉成立だな。クロロだ。よろしくな」
「マリカよ。私を楽しませてよね、クロロ」
私はクロロの手を握った。包まれるような大きな温かい手。
「ああ。大いに期待してくれ」
「盗賊集団なのに……悪い男ね」
「嫌いじゃないんだろう、マリカも」
人生一度きり。クロロとなら、これまでにないほど楽しくなる予感がする。