他人には見えていないモノが、自分にだけ見えていると知ったとき。私は幼いながらに口を噤む事を選んだ。
 ランドセルは当時一番流通しているデザインの赤色で、大多数の選択を自分の好みと錯覚するような子どもだった。それに加えて、学校の成績に影響するような能力は何もかもが平均的。常に多数派にいるため理不尽なイジメにも遭わず、突出したところがないため妬み僻みの対象になることも少ない。こういう背景もあってか、人と違うことを何より恐れ、大衆に紛れることで安心を得て私は育った。
 そんな私が呪術高専への入学を決めたのは、自らの選択ではあるものの前向きな理由とは程遠い。違う進路を目指していた冬の日に、私が今まで呪霊を知ろうとしなかった、つまりは無知と無力のせいで人が死んでしまったのだ。
 大きな悲しみを伴ったので必然だったと決して口にしたくはないが、あれは間違いなく目を背け続けた私に下った罰だった。そう思い続けることが自分への戒めである。
 それでも悪目立ちしたくないという、私のスタンスは変わらなかった。世間的にはマジョリティからマイノリティな立場へ変わってしまったが、そのなかでも私は普遍的であり続けることを望んだ。
 だからクラスメイトになる三人が、三者三様の類稀なる才能の持ち主であると知ったとき。落ちこぼれとして注目されないよう努力せねば、と私は自分自身に誓った。周囲と張り合う気などなく、ただただ平穏な日々を願っただけである。
 それなのに新入生のなかで最も地味で無力な私が、予想とは全く違う理由で注目の的になるとは。

「五条って、あの五条悟と一緒の?」
「キミ、五条家の子?五条悟とどんな関係なの?」
 前提からしておかしいが、こういう風に直接誤解を解く機会を得られたならば、まだマシと言ったものである。
「あーあの子ね。五条悟の異母兄弟だとかなんとか」
「え?分家からの養子って聞いたけど」
「違うって。妾の子を今になって御当主様がほら、アレよ」
 私の名前は五条なまえという。



「朝からえらく疲れ顔じゃん」
「硝子ちゃん……」
 この数日でずいぶんと慣れたが、顔を上げると同い年とは思えない色っぽい美人が微笑みかけてくれていた。このまま制服の上から彼女のふくよかな胸に凭れ掛かってしまいたい思いに駆られるも、まだその辺りの距離感を掴みかねているため、私は曖昧に濁すような笑みを浮かべる。
 するとその様子が気に入らなかったのか、反対側から当てつけのように非難の声があがった。無論、私よりも被害を被っていると自称する彼——五条悟くんである。
「俺の方がお疲れだっつーの。朝っぱらからどいつもこいつも好き勝手言いやがって」
「本当にごめんね、五条くん」
 入学初日から理解が追いつかず身に覚えがないままに、名誉毀損や経歴詐称と散々罵られたのが始まりだった。だからその都度頭を直角に下げる謝罪し、このようなやりとりを行うのだが、これも一体何度目だろうか。
 当人が否定するよりも先に噂が一人歩きしてしまったため、彼のフラストレーションは日々溜まる一方である。加えて興味本位な質問に遭う度に、連鎖的に私も嫌われているようで。五条くんの私に対する態度も口調も、日に日にどんどんキツく冷たくなっている気がする。
「ちゃんと否定してんだろうな」
「もちろんだよ『苗字が偶然にも五条というだけで、五条家や五条悟くんとは一切関係ありません』って」
 私達に関する様々な憶測が飛び交っているようだが、真実は本当にたったそれだけの事なのだ。今まで親戚以外には出会わない珍しい苗字ではあったが、彼とは違い私は一般家庭出身の五条なまえでしかない。
「適当なこと言うヤツが出なくなるまでちゃんと続けろよ」
「ずいぶんと威圧的だな」
「るせ」
 硝子ちゃんは平気で軽口を叩くものの、私を見下す大きな身体と彼の威圧的な態度に今日も身が竦む。たった三人のクラスメイトのうちのひとりにこのように扱われ、これから四年間毎日一緒だと思うと、入学して間もないうちから気が重くなった。
 今だって本当は同性である硝子ちゃんに、呪術や呪霊のことだけでなく生活面のことも含め色々話したかったのだ。しかしすでに機嫌を損ねた五条くんに突っ掛かられたくないため、言葉をのどの奥に飲み込み余計な口は開かないことにした。
「だから夏油よりモテないんだろ」
「はあ?手に余るほどモテてるわ。オマエもなまえも自分の心配してろ」
「あーはいはい」
「しらけるわー」
 五条くんと硝子ちゃんが言い合っていたのだが、チラリと私の方を見てこのあと誰も喋らなくなった。沈黙の重い空気が朝の教室に満ちる。

「おはよう、夜蛾先生から図書室集合に変更——って何かあった?」
 タイミングが良いのか悪いのか。古い引き戸のレールがガラガラと大きな音を立て、見た目に反して真面目な学生である夏油くんが顔を出す。そして無言の教室を見回したあと原因を突き止めたのか、心配そうに黒の双眸が私を見つめた。
「……ううん、いつものことだよ。夏油くん、ありがとう。五条くんも硝子ちゃんもごめんね」
 気まずさから、あまりみんなの顔を見れずに私は席を立つ。視界の隅で五条くんがこちらに向けて手を伸ばした気がするが、きっと気のせいだろう。
 ここにいるみんなが呪霊と呼ぶものを、私も早くから認識はしていた。けれど呪術界に足を踏み入れて数日の人間にとっては、彼がどれだけ凄いのかも五条家がどれほど立派なおうちなのかも未だに想像の域を出ない。
 それでもそのままに私は彼から存在を否定され続けているのであった。
#01