クソ真面目に教科書を開いていたなまえはというと、数分前に三年の先輩に呼ばれて呪霊を祓いに出て行った。俺や傑でなくアイツに声が掛かるということは、せいぜい三級案件なのだろう。
片腕で簡単に抱えられてしまうヒョロい彼女は、大した実力もないままに昨日も初手を見誤った挙句、一瞬のうちに死にかけた。そのあとも切り替えられず呆然としてしまい、さすがに危なっかしくて放っておけないので、結局最後までずっと俺の腕の中で任務を終えた。本当なんで術師やってんだろう。しかも苗字だけは五条だし。
「なあ、このあとどうする?」
決められた時間まであと五分弱といったところか。文字を追い続ける傑に向けて俺は問う。
「んー、部屋に戻って続きを読もうかな。今良いところだし」
「へー」
ノリが悪いな。気が合わない訳ではないのだが、傑とは思考回路が全く違う。まあ個人の時間だし、強要することでもないか。
午前中まるごとかったるい授業を聞かされて、午後もこれじゃあ俺としては正直物足りない。気晴らしに街へ繰り出そうというほど有り余ってはいないが、なんか食いに行くかぐらいには持て余している。まだ三時だし。
「君はどうするの?」
「んー、コンビニぐらい行ってこよっかなってかんじ」
「ふーん。じゃあついでに任務終わりのなまえへ、なにか甘い差し入れでも買ってきてあげたら?きっと喜ぶよ」
「はあ!?なんで俺が?」
じゃあ、じゃねぇ。ふざけんじゃねーぞ。ゆらゆらと絶妙なバランスで揺れていた椅子が、ガタンと音を立て正位置に戻った。
しかしどうやら、からかい冗談ではないらしい。サングラス越しに睨みつけてやると、傑はパタンと文庫本を閉じてこちらへ向き直った。
「彼女、さらに萎縮しちゃってたよね。いつまでも苗字のことで難癖つけられてさ。言い方は悪いけど実力が伴わないことも踏まえて、なまえは十分に弁えてるよ。このままじゃ本当に嫌われるんじゃない?」
「だからって迷惑を被ってるのは俺だし、俺が弱い奴に気をつかう理由にはなんねーだろ」
「それが好きな女の子相手でも?」
「なんでそんな話になるんだよ」
俺が大袈裟に腕を広げると、傑は「わからないならいい」と言って目を伏せた。そこへ噛みつきにいくほど俺も暇じゃないが、今日のコイツはとことん付き合いが悪い。険悪な空気が密閉された教室に立ち込める。
「夏油くーん、私と任務……って取り込み中?」
そんななか派手に扉を開けたのは、妙に馴れ馴れしいひとつ上の女の術師だった。一体どこから聞き耳を立てていたのやら。俺は正直好みではないし、傑も多分そうなのだと思う。俺も傑も目立ちたがりな自分とは正反対の、案外と古風で奥ゆかしい女が好きなのだ。
「いえ、大丈夫ですよ」
それでも傑は俺とは違い、あからさまな態度には出さず見事な作り笑いを浮かべる。時計を見ると、十五時ちょうどであった。俺はさっさと退散しようと思う。ザマーミロ。
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「あ、五条。ちょうど良かった。なまえ帰ってる?」
「……帰ってねーと思うけど」
むしゃくしゃさせられた気晴らしに街まで出た俺だったが、そこに明確な目的はなくフラフラと時間を浪費し、食料だけは買い込んで夜には高専へ戻ってきていた。
まあ、それはそれとして。やたら顔に覚えがあると思ったら、教室になまえを誘いに来た三年の……確か吉田だ。行く前は『五条』『女子の方』と呼んでいたくせに、アイツはどんな距離の詰められ方してんだよ。というか、そもそもなまえとコイツは一緒に出て行ったではないか。
「一緒に戻ってないの?」
なぜか嫌な予感が頭を過ぎる。俺が寮に帰ってきたとき、外から見た彼女の部屋の明かりはついていなかった。そしてジュースを買いに自販機へ向かった今も。だからきっと留守は確かである。
「補助監督に俺だけ駅で降ろされてさ。上層部からの命令で、なまえを五条家との会食へお連れするとかなんとか。あの子って五条なまえだけど、五条家とは全く関係ないんだろ?お前何か知らない?」
むしろ聞きたいのはこっちである。五条家?上層部?会食?——不穏な単語の組み合わせでしかない。そこになまえが噛む意味がわからない。
とにかく場所を突き止めなくては。誰に連絡する?親父?ばあや?それとも夜蛾先生?——いや、まずは。
「おい、五条」
「……」
端末を操作し、俺はそれを耳に当てた。二コール、三コールと無機質な電話の音が響き続ける。出ろよ、なまえ!
「……も、もしもし」
「オマエ今どこにいんだよ!?」
念が通じたのか、六コール目というところで電子音から音声に切り替わった。第一声が彼女自身の声だったことに、俺はひとまず胸を撫で下ろす。
「お店の名前は分からないけど、たぶん赤坂か、その近くの料亭。……高専の偉い人と、五条平八郎さんっていう人が来てて」
「うん」
「何かよく分からないけど、どんどん話が進んでて。養子にならないかとか、娘が、とか」
「……それで」
向こう側では周囲の雑音もないなか、次第に彼女の口調が弱々しいものへと変化していく。
「……五条くん、迎えにきて」