「なあ、マジでこの渋滞なんなの?」
「何、と言われましても……」
 必ず混雑が予想される場所なので、と聞こえるか聞こえないかの声で、伊地知は呟いた。ナビへ最初に表示されていた到着予想時刻からは、すでに一時間ほど遅れている。
『明日の昼くらいには高専へ戻れると思う』『このままだと昼過ぎそう』『夕方には帰れると思う』と、なまえへ送ったメッセージが全て嘘に塗り替えられていく。自分がされたら間違いなく不機嫌になるが、彼女はきっと何事もなかったように僕を出迎えるのだろう。
 明日は絶対予定入れんなよと後輩を脅して、本日午後より真っ白なスケジュールになったところまでは良かった。だが一度帰すと連絡がつかなくなると思われているのか、ついでと言わんばかりに帰り道で任務を充ててくるのはマジでキレそう。
「……チッ」
「ヒィッ」
「これでさあ、明日電話鳴ったら」
「そこは大丈夫です!————してありますので、どうぞ——下さい。あと、——……」
 息継ぎ少なく紡がれる言葉に、自然と自分の口元が緩んでいくのがわかった。半分脅しのようなものだったが、伊地知には感謝しかない。



「ただいま」
「おかえりなさい。遅くまでお疲れさまです」
「それほどでも」
 彼女に上着を預け、僕はその足で直接バスルームを目指す。妙に機嫌の良い僕を、不思議そうに首を傾げたなまえが後ろから見ていることなど知る由もなかった。
Full moon 閑話