「久しぶりだね、乙骨憂太くん」
「ご無沙汰してます。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
 そう言って、彼女は薄い唇に弧を描いて不敵に笑った。本日僕の任務の同行者となったのは、一級術師の苗字なまえさんである。
 かれこれ五回以上は顔を合わしているにもかかわらず、彼女はなぜか僕のことを毎回フルネームで呼ぶ。理由を尋ねたところ、深い意味はなく響きが良いからそう呼んでいるだけとの事だった。ちなみに他の同級生の三人は『真希、狗巻くん、パンダ』とそれぞれ呼ばれている。
「準備が整っているのだったら出発しようか。なんせ時間が惜しい」
 上着のポケットから取り出した懐中時計を開き、苗字さんはそう口にした。彼女が時間を気にするのはもっともで、僕らが本日赴く任務は行方不明になった術師の捜索である。祓除よりも仲間の救出が優先で、一分一秒経過するたびに生存率が下がると言っても過言ではない。
「そうですね。急ぎましょう」
「前も言ったけど、助かる、助からない、の判断は私がするから」
「……承知してます」
 苗字さんは何もかもに白黒つけたがる性格らしく、とにかく物事の区切りがハッキリしていた。特に人命に関する線引きは徹底しており、先日も多量出血した一般人に背を向け「ここから引き返したところで間に合わない」とキッパリ言い放ち、ひとつの命が消える瞬間も彼女は呪霊を祓い続けていた。
 この数ヶ月で僕も何人かの術師を見てきて、人の感情が生み出した呪いに対峙していくということは、時にいくらかの非情さを持ち合わせることも必要だと学んだ。けれど、これほどまでに揺らぎなく、他人に情を持たない術師は彼女以外いなかった。



「大きな怪我がなくて何より。それに術のタイミングも刀の使い方も、ずいぶん上手くなったね」
「それは指示をいただけたからで」
「謙遜するね。全て君の才能だよ」
 後部座席で揺られながら、彼女から受け取ったミネラルウォータを口に含むと、興奮状態にあった身体からスーッと熱が引いていくのを感じた。
 僕らが現場に到着した頃、救出するはずだった術師は完全に事切れてきた。だからもうやることはシンプルにひとつで、僕は無遠慮に呪霊へ向かうことが出来た。
 全て終わって帳を出るまでの道すがら、苗字さんは改めて僕に、彼女の持つ命の優先順位の考え方について語り聞かせた。@自分より秀でている者、A彼女自身、B術師のように特殊能力を持った者、C若さが優先されるその他一般人、だそうだ。
 ちなみに僕は彼女の中でBに分類されるらしく、僕が苗字さんとともに命の危機に晒された場合、彼女は自分自身を守るための行動に切り替えると初対面から言い切られている。つまり僕を助けない、と。
 けれど自分なんかのために、彼女が傷つかず命を懸ける事がないのだと思うと、共に現場へ出ることが心地良かった。ちゃんと見殺しにしてもらえる安心感を持って、死と隣り合わせにある任務へ臨めるからだろう。
「今のままじゃ特級が名折れだ。せいぜい呪いの女王を飼い慣らしてよね、乙骨憂太くん」
 彼女にぽんぽんと肩を叩かれた。また形の良い唇は弧を描いている。
「……努力します」
 現状を維持したい気持ちと、一応少しは持っている向上心とが僕の中で複雑にせめぎ合う。成長したとしても僕の価値を揺るがせないでほしいとは、口には出せなかった。



 それから十日も経たないうちに、僕は再び苗字さんと任務に出る機会を得た。前回とは違い、今回は調査的な意味合いが大きいので予定として組まれており、明日の早朝からの出発だ。しかし夕方の任務が長引き、僕が高専に戻る頃には二十三時を過ぎていた。
「……本当に交代してもらわなくて大丈夫ですか」
「はい、前より体力もついたので平気です!」
「今日のことは明日の担当に申し送っておくので、くれぐれも無理はせずに」
「お気遣いありがとうございます。お疲れさまです」
 純粋な心配心を向け、そのように気を回してくれた補助監督と別れたあと、僕は部屋に戻ってすぐシャワーを浴びた。明日の準備もそこそこに、凝り固まった身体を伸ばしゆっくりと息を吐く。だが疲労はあるものの気がおさまらず、横になったところで眠れそうにないため、どうせ起きているならと報告書に取りかかる事にした。
 そこから三十分ほどは集中していただろうか。あらかた書き終わったところでも眠気は訪れず、僕は気分転換を兼ねて自動販売機へ飲み物を買いに行く事にした。リカちゃんの事もあり、もともと眠れない事には慣れている。
 寮から出ると、部屋にいた時は気付かなかったが小雨が降っていた。引き返そうかとも考えたが、時間のせいか甘ったるいものを口が欲しており、なるべく建物のなかを経由していく事にした。夜の学校なんて少し薄気味悪さもあるが、学生校舎を抜けるとグラウンド前の自販機はすぐそこだ。
 足音少なくでも足早に、暗い廊下を進んで行く。すると職員用の一室の扉から、細く灯りが漏れ出していることに僕は気がついた。
 ここは確か応接室的な目的で使用されている部屋である。時刻は午前0時を回っており、本来の役割が果たされているとは到底思い難い。空き巣、お化け、いやもっと現実的に考えて高専関係者だろう。探しものとか、隠し事とか……。
 足音を落としたまま近付くと引き戸はきちんと閉まっておらず、怖いもの見たさに僕は隙間に顔を寄せる。するとそこには先日も見たばかりの、背筋が伸びた美しい女性の後ろ姿があった。僕のとの任務が早朝からの出発なので、高専へ前泊に来ていたのだろう。そう思い込んだ僕は「こんな夜中に偶然ですね」なんて台詞を用意し、扉に手をかける。
「ねえ、家入と何話してたの」
 だがその言葉で、部屋に奥にいるであろう第三者の存在を知り、僕は動きを止めた。気が急っているせいか気配が読めない。今度は限りなく存在を消すようにして、再び僅かな隙間から室内を覗き込む。
「別に世間話だよ。上が自分らの都合の良いように決め事するもんで、互いに嫌気がさしてんのさ」
 奥のソファーに腰掛けているのは、意外にも五条先生だった。過去に二人の面識があったのかどうかすら僕は知らなかったが、昨日今日知り合った人間の口調ではない。
 そのまま苗字さんは無言のまま一歩、二歩と先生に近付いていく。そして僕の目線の先で、彼女は躊躇いなく五条先生の膝の上に腰掛けたのだった。
「へぇ妬けるね。今度会ったらうっかり家入のこと殺しちゃいそう」
 苗字さんは慣れた手つきで先生の首の後ろに両腕を回す。話している内容とは裏腹に、とても甘い仕草だ。それに応じるように、先生もすでに彼女の腰のあたりに手を回していた。彼らはうっとりと言った様子で見つめ合い続ける。ああ、この二人は——。
「そうなれば僕がオマエを殺すよう命じられるだろうね」
「それは光栄だね」
 駄目だと分かっていても目が離せなかった。そのまま互いの唇が重なり合い、少しして離れたと思えば今度は五条先生が苗字さんを押し倒すようにして、ソファーへ深く沈んでいく。きっとこれも一度や二度の関係ではない。時折漏れる彼女の苦しげな声と、ソファーの軋む音に僕は胸がギュッと締め付けられる。
 そしてようやく理解した。彼女は他人に情を持たないのではなく、彼以外に情を持っていないだけの事だったのだ。
 @自分より秀でている者——、彼女の言葉が反芻される。苗字さんはきっと五条先生のためにしか命を使わない。
 そういえばここへ来て最初に、僕の名前を乙骨憂太くんとフルネームで呼んでくれたのは五条先生だった。そんな今となってはどうでも良い事を思い出した。
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