この十日ほどの間で、夜中に悟が私の寮室へ忍び込みベッドへ潜り込んできて、朝方勝手に起きて帰っていくという事が何度かあった。けれど恋人同士の触れ合いはほとんどなく、私はまるで大きな子どもに縋られるような眠り方をしていた。
そんな折、私の週末休みが悟と重なった。いや、重ねてもらえた。多忙な彼を見兼ねた夜蛾先生あたりが、上に掛け合ってくれたのだろう。
それを知った私は週末に向けて、海の見える街に悟をデートに誘った。疲れていることは承知のうえで、彼が身体の休息よりも心の休息を求めている気がしたからだ。
狭い部屋で朝も夜も分からなくなるまで抱き合うより、外で美味しいものを食べ綺麗な景色を見て心を動かす方がよっぽど健全だ。それに目的地は近場で昼前からの出発にして、彼の顔に疲労が見えたならば早めに切り上げたら良いと私は考えていた。
はじめはどこか煮え切らない返事をした悟だったが、私と目が合うと思い直したようにサングラスの下の双眸が優しく細められる。その様子に胸を撫で下ろした私は、彼に行きたいところはないかと尋ねたが「なまえに全部任せる」と一言返事がかえってきた。
そして当日、私服姿の私達は手を繋いで高専を出た。休日の人のまばらな列車に乗って街へ向かう。隣同士ぴったりとくっつき、任務の移動中に読んだ本の話なんかをしていると、当たり前の日々が続くいつも悟だなと思ってしまう。けれど様々な風景が過ぎ去るなかでも不安が拭えなくて、私はずっと彼の手を握っていた。
一本電車を乗り換えて、最終的に降りた駅から五分ほど歩き、私が事前に目星をつけていたカフェに入る。アメリカンというか、思っていたよりもハワイアンな音楽が流れていた。
「ここね、ハンバーガーが有名なんだって」
「じゃあそれ二つ?」
「ううん、私はロコモコにする」
「人に勧めといて?」
「だってデートで女の子がハンバーガーは御法度でしょ」
マックじゃ大口開けて食ってるくせにさと笑いながら、悟は頼んだハンバーガーが来ると、上手くフォークで切り分けたものを一口私に与えてくれた。彼はとことん私に甘いのだ。
それから商業施設で買い物をして、お茶をしがてらちゃっかり糖分補給もして。ひと休憩をはさみつつ、私はそっと悟の顔色をうかがう。
私がいつもより気にして隣の彼を何度も見上げるせいか、その度に気付かれて優しい微笑みが返ってくるのだ。「疲れてない?」と直接的な言葉で尋ねても「俺は平気だけどなまえは平気?」と逆に聞き返してくる始末である。
「次はどこ行くの?」
「公園でお散歩」
人混みのピークを迎えつつある店内から、私は彼の手を引いて出た。海の方へ向けて歩いていくと、風に乗って潮の香りが鼻孔をくすぐる。太陽は夕陽となり、地平線に向けて傾きかけていた。
悟の一歩は大きいけれど、こうして手を繋いでいるときは極力私に合わせてくれる。横断歩道を渡り終えると、一気に道が開けてキラキラと輝く大海原が視界に広がった。綺麗だねと私が呟くと、彼からも肯定と思える返事がかえってくる。
「なあ、こんな風に過ごしてる時にさあ。バッタリ傑に会ったらオマエどうする」
海に面した公園の、整備された舗道を歩いている時だった。あれ以降、意図的に避けられていた名前に、私は悟と触れ合っていることも忘れて指先に力を込めてしまう。顔を上げると、橙色に染まる彼はどこか遠くを見ていた。
「……何もかもにおいて私じゃ傑には敵わないから、全部悟に委ねるよ。私ひとりだったら——、そうだね。諦めて全部投げ出すかな」
「そっか」
気温とともに、冷たくなった海風が私達の間を吹き抜ける。口ではそう答えつつも納得のいく回答ではなかったのか、その時の彼の横顔はやはりさみしそうだった。
だからそこも踏まえて切り上げ時だと思った。足を止めた悟の正面に回り、私はもう片方の彼の手もとる。そして言葉を選ぶにあたり、努めて明るい声色を意識した。
「冷えてきたし、そろそろ帰ろっか。さっきおやつ食べたばっかでお腹もまだ空かないしさ、夕飯は帰ってから私の部屋でゆっくり食べよう?」
それでも声は少し上擦ってしまったが、表情はうまく取り繕えたと思う。広大な海に見守られるようにして私は悟を、悟は私を見ていた。
なぜか耐えているという既視感に駆られる。そういうつもりはなくても、私が嘘を押し付けているような罪悪感を持っているからだろう。
「……オマエは明日も休みじゃねーの?」
「休みだけど、っ!」
すると彼は強い力で繋いでいた手を振り解いた。こういう風に恋人から拒絶されたのは初めてだった。
けれど傷付く時間も与えられず、悟は改めて私の腕を取り大きな一歩を踏み出し始める。一瞬の出来事に私の足は縺れるものの、立ち止まることを悟は許さない。
「じゃあどっか泊まろ。帰りたくない」
先程とは比べものにならないくらい速いスピードで歩き出した彼に引き摺られるようにして、私達は夜になりゆく街へ溶け込んでいくのだった。