なぜ僕が知っているかというと、そうだと認識する回数だけ自身も幼い婚約者を追い詰めた経験があるからで。正直なまえの頑固さは相当なものだと思う。それでも毎回懲りずにねちっこく少女に迫り続けるのだが、最終的に要求を飲ませる事が出来たのなら万々歳で、結局のところ先に僕が折れて根気負けすることが大多数だ。
けれども。他者が自分同様に彼女へ近付く様子を目撃し、僕は冷静な傍観者ではいられくなった。自分は経験則でそう思い至るまでなまえのことを責め立てておいて、だ。
「センセー、この子僕の受け持ちの生徒なんですけど、何かやらかしちゃいました?」
後退りを続ける少女の背中が壁につく前に、僕は二人の間に割り込んだ。背後を振り返ると、不安を抱きつつ縋りつく瞳と白い包帯越しに目が合う。少なくとも僕がした事は、余計な手出しではなかったようだ。
「何って……他の生徒達が体術訓練をしている間、いつも暇そうに見学しているから課題を命じたのに、なかなか来ないから呼びにきたんですよ」
「どうして座学の課題をこなすにあたって、なまえが先生と一緒に居る必要があるんですかね?それも四級の、ただの一年生の女の子に与えた課題に」
純粋な疑問を装いつつ嫌味を込めて僕がそう言うと、男はわざとらしく溜め息を吐いた。そして前日職員室で聞かされたものと同じく、得意気に言葉を続ける。
『とても出来る子で——、特別に目をかけている——、私は価値を見出して——、学びたい者に学ぶ場を——、私は先駆者として——』と、少女を比喩する単語と自身の正当性を並べ、満足気に笑った。よく回る口に、僕も違う意味で笑いが込み上げてくる。
「優秀なこの子には、通常授業の呪術に対する基礎的なものではなく応用をやらせているんです。それには持ち出し許可のいる書籍も必要でね。私は見ての通り足が悪い。そのうえ生徒に割く時間も限られてます。だから呼んだらすぐに来てもらわないと」
後ろで幼い婚約者が、僕のシャツを掴んだのが分かった。甘える仕草とは異なり、昨晩キスをしたあとに擦り寄ってきた姿と嫌でも重ねてしまう。少女の元気のなかった理由が、これで浮き彫りになった。僕にはこの子が、目の前の教師の言うことを望んでいるとはとても思えない。
「ご存知かもしれませんが、なまえは将来術師にはなりませんよ」
「けれど高専生である以上、学ぶことは義務でしょう?そのうえ貴方は教育者でありながら、埋もれる才能を見過ごすと?」
「義務って言ったって、限度ってものがあるだろ?まともな教職者でありたいなら、学生に対する節度を守れ。まず、そもそもの論点をずらすな。僕が言いたいのは——」
「さとる先生!」
それほど大きな声量ではなかったが、少女の澄んだ声が僕の怒りを遮った。そしてなまえは隠れていた僕の背中から、意を決したように顔を出す。
「山神先生、すみません。熱心にご指導いただいたところで、やはり私では先生の期待にお応え出来ません」
みるみる眉が吊り上がっていく。その言葉に男は激昂した。「今までどれだけ贔屓してやった」と始まり、中年のオッサンとは思えないほど剥き出しの感情のまま、拙い言葉でなまえを罵る。
けれど何を言われようと、彼女は俯き加減のままずっと黙りこくっていた。僕もその頃には、相手が少女に対し身勝手に抱いた思いをぶつけているだけだと、冷静に状況を流し見ることが出来た。
「行こう」
シャツを握ったまま震える彼女の指先を解き、僕はなまえの肩を抱く。本当に頼りない小さな身体だ。けれども、彼女はしっかりと強い意志を持って自分の足で立っていた。男に背を向け、僕らは歩き始める。
「才能が有ろうと無かろうと、僕にとってこの子は特別だ。だから、ここに居るってだけで充分なんだよ」
僕が去り際に吐いた言葉が、アイツの耳に届いていたかどうかは分からない。
少しでもそばに置きたいから、僕はなまえを高専に呼んだのだ。