しかし本日、有人であるにもかかわらず誰からも返答がない。すでに着席しているのは男女一名ずつの計二名。歩みを進め私も席に着くとそのうちの一人、五条なまえから苦い笑顔で会釈をされた。どうやら私は決して意図して無視されている訳ではなかったようだ。
もう一人の五条もとい悟はというと、私の存在を気にも止めず彼女に向けて熱弁をふるい続けている。断片的な言葉から推測するに、なまえは今日も今日とて苗字や術式の事で、彼からいちゃもんをつけられているという事実が読み取れた。
この男「俺ら二人だけの共通点ってこれしかないじゃん」と、真顔で言ってのけただけのことはある。この歳になって、好きな女の子へこういうアプローチの仕方しか出来ない友人に対し、私も頭を抱えたくなった。だがそれは当人同士というか悟側の問題であって、私がどうこう口出しする事ではないだろう。しかし今日は同時に、反論の意思を持たず理不尽を受け入れ続ける方の友人に、やけに肩入れしたくなった。
悟が息をつくタイミングで、私は二人の間に言葉を挟む。
「ねえなまえ、君さえ良かったら夏油なまえになる?」
「ハア!?」
椅子がガタンと大きな音をたて倒れた。無論立ち上がったのは悟だけで、当人はというと元々大きな目をさらに丸々とさせ、言葉の意味を理解していないのか、きょとんとした表情のまま私を見ている。
「それはえっと、」
「なまえが嫌じゃなきゃ、私が君をお嫁さんに貰ってもいいよってこと。私が十八にならないといけないから、再来年の二月以降の話だけどね」
どうかな?と彼女に向け、私はニッコリと微笑んだ。依然ぽかんと口を開けたままのなまえだが、ようやく頭が働き出したのか少しずつ表情が変わっていく。隣でキャンキャンと吠え続ける、大型犬の仔犬のような悟に吹き出しそうになるのを堪えつつ、彼女にもう一押しすべく私は言葉を続けた。
「この先もずっと悟から苗字のことで難癖つけられるのは嫌だろ?私はわりとなまえの事が好きだし、君が私を好きになってくれるのならば、きっと他の誰よりも大切にするよ」
私がそう付け加えると、彼女は見るみるうちに耳まで赤くなった。まるで金魚のようにパクパクと口を動かし、あわあわと手足を振る。そんな様子も可愛らしいと思えるのだから、私の彼女に対する好意もあながち全てが嘘偽りという訳でないのだろう。
「そ、そんな、夏油くんに迷惑——」
「迷惑なんてひとつもない。私は君のために出来る限りのことをしてあげたいんだ。私と家族になるのはそんなにも嫌かい?」
「そんな訳ないよ!でも、ててて提案が、急すぎて!」
「私は少し前から考えていたよ。君さえ良ければ男女のお付き合いから——」
「ふっざけんな!良い訳あるか!」
彼女へと伸ばしかけた右の手のひらが、勢いよくパチンと叩かれた。触れたのは一瞬だったが、私の右手はそこを起点にじんじんと熱を持ち出す。
悟はなまえよりもさらに顔を真っ赤にして、いつの間にか彼女を庇うように私を見下ろしていた。ピリピリとした空気が張り詰めて私は今、友人から明らかな敵意を向けられている。そんなに好きなら素直に気持ちを伝えたらいいのに、という言葉が頭に浮かんだので、やはり私はなんだかんだで悟に寄っているのだろう。
お手上げの意味で両手を見せると親友はようやく揶揄われていると気付いたのか、自分が倒したイスを手ずから起こし、へなへなとそこへ力無さげに腰を下ろした。そのうえガクンと項垂れる。正直ここまでのリアクションが見られるとは思いもしなかった。
「五条くん?どうしたの!?」
今度はなまえが立ち上がり、悟の後ろであたふたと慌て出す。大男越しにひょこひょこと姿を見せるのは、やはり私にとっても可愛らしい女の子だった。
「ごめんねなまえ、悟の許可が下りないみたいだ。この話は一旦白紙に戻そうか」
自信を持って勧められる物件ではないが、これだけあからさまになりつつある好意に、少しでも応えてやってほしいと思うのが親心のような男の友情である。
けれども無垢で純粋な彼女は、やはり私に対しても困り顔で笑って肩をすくめるだけで。自分が好かれているから悟がこうなっているだなんて、なまえは想像もしていないのだろう。しかしこういうタイプは押しに弱いので、優しくかつ強引に外堀から埋めていくのが良さそうだと、悟にはひとつアドバイスしておこうと思う。
「つーかさ、それだけのために結婚するとか、お前もマジに受け取んなよな。この胡散臭い前髪と言葉選びはコイツのやり口だろーが」
「失礼だなあ」
しおらしく自身の日頃の行いを詫びるこんな絶好のチャンスでも、好きな女の子に逆ギレを始める悟の恋路はまだまだ長いと思わずにはいられなかった。