私が彼と初めて出会った場所は、終電間際で人がまばらになった薄暗い駅のホームだった。その当時は転落防止のホームドアも設置されていなくて、人が暗い線路に吸い込まれていくように落ちたのを、私は他人事のように見ていた。
 だから自分も同じように見えない何かに足を引っ張られ、すでにレールの上に横たわっているのだと実感したとき。打ちつけ擦りむいた身体よりも、頬に触れたコンクリートが冷たくて、私はここで自身の一生を終えるだと直感的に思った。
 この場には見えない何者かが存在していて、迫り来る列車に轢かれるよりも前に、自分は別の理由で死ぬ。否、殺される。私はそのように悟った。
 その勘は正しく、あとから聞いた話によると実際に大口を開けて待つ得体の知れない化け物が、あの場には居たそうだ。私よりも先に落下した人もいたが、あの時点での標的は間違いなく私だった。彼の口からも「多分君を喰い殺すつもりだった」という言葉を聞かされている。
 だが私は今も昔も、それはそれで構わなかった。私は日々の生活に疲れていた。すでに起き上がる気力も逃げる気力もなく、今の自分から解放される確約があるのならば、死を待つカウントダウンでさえ心地良いと感じていた。
 それでも終わりに対する恐怖心は誤魔化しきれず、私は意図して視界を閉じる。その途端、自ら誘った暗闇とともに妙に辺りが静かになった。それからコツンという、ひとつの音だけがコンクリート伝てに私の耳に響く。
「まだ生きてる?」
 醜い生への執着だったのだろう。その問いかけに、私は自ら下ろしたはずの目蓋を上げてしまった。黒に覆われたなかで、しゃがんでこちらを覗き込む宝石のような青い眼と視線がぶつかる。
 純粋に『綺麗だ』と思った。と同時に、とても悲しくなった。理由はわからない。記憶はそこまでで、張りつめた糸がプツンと切れたかのように私は意識を失った。
 だからそのとき彼が、私を背に化け物と対峙していたということは、後から知らされた事実であった。



 あれから二年近くが経過し、私は慣れた夜道をひとり歩いていた。茹だるような暑さの昼間とは違い、今は秋の虫の音を運ぶような涼しい風が吹いている。
「こんな時間にどこへお出掛け?」
 突如聞こえた男の人の声に、心臓が飛び上がった。私は片手に持っていた買い物バッグを慌てて胸に抱き、背後を振り返る。
 すると声の方向から、全身黒い衣服で身を包んだ人物が姿を見せた。夜にもかかわらずサングラスをしていて、あまりにも黒の割合が多いので、私は彼が暗闇から突然現れたように思ってしまった。
 出会ったときから、いつもそうだ。彼——五条悟さんとはあの出来事がきっかけとなり、以後交流が続いている。
「なまえ?」
 私が何も言わないせいか、悟さんはそばまで来て首を傾げた。そんな彼を見上げていると、夜空の下でも銀色に輝く頭をまるで月見草のようだと思った。それは彼との逢瀬が、いつも日の落ちた時間から始まるものだと私が認識しているからかもしれない。
「ごめんなさい、あまりにもビックリして。料理をしてたら足りないものに気付いて、近所のコンビニへ行っていたの。もう帰るところ」
 そう言って、胸の鼓動を押さえていたバッグを彼の前に持ってくる。一緒に入れていた財布との市販のカレールーの箱が中でぶつかったのか、ゴソゴソという音が鳴った。
 しかしそれ自体に興味はないのか彼は「ふーん」とだけ言う。それから私の何か別の事を探るように、濃い色のレンズの奥で目線が動いた。
「じゃあ一緒に帰ろう。夜道は危険だよ」
 頭のてっぺんからつま先までジッと見られた事で確認は済んだのか、悟さんはスマートな動きで私の手をとった。けれどもそれはすぐに解かれる。
 なぜ?と彼を見上げる前に、悟さんは私が反対の手で持っていた荷物を自身に移し、そちらの手を自分のものと繋ぎ直した。大きな手は温かいのに、いつだって私より少しだけ温度が低い。そうして横並びで道路側に彼が来たところで、私達は帰路を歩みを始めた。
 悟さんは極端に私を危険から遠ざけたがる。過去に理由を尋ねたところ、彼は少し悩みつつも「僕が君を好きだから」と答えてくれた。
#01