私は例の事故で身体だけでなく心にも深い傷を負い、今も自宅療養が必要な状態であると医師の診断を受けている。という体で、私はこの二年近く仕事を休んでいた。
「今日は一日何してたの?」
「お昼過ぎに起きて家事をして、日が暮れるまで本を読んで。それからお夕飯の支度をしていたところで出掛けたの」
 夜道を連れ添ってくれた悟さんは私が玄関扉の鍵を開けると、今夜も当たり前のように先に靴を脱いだ。そして彼が私を迎えるような形で、一度離れた手をとる。暗い部屋の灯りをつけたのも彼だった。
「カレーのいい匂い」
「最後味を整えてたら、甘口だけが少し足りなくなっちゃって」
「僕が来るって思ってたの?」
「なんとなく、ね」
 最初の頃はアフターケアの一環だと言っていたが、あれからずっと彼は平均して月に二、三日程度の頻度で、私の部屋を訪ねてくれている。毎回連絡ひとつなく気まぐれに、でも決まって日が落ちてから彼はやって来た。
 そして以前の私はカレーを作る際に、中辛のルーばかりを組み合わせて味つけをしていた。特にこだわりはないけれど、好みというよりは自然と実家の味に寄せていたのだと思う。だが彼にそのままを出したところ「なまえのカレー結構辛いね」と言われてしまった。
 別に私は彼の恋人でもなければ、彼が来ることを想定して毎日食事を用意している訳ではない。けれど、そのことを覚えていたので以後カレーを作るときは、いつものルーのうち一種類を甘口にするようになっていた。



 食事を終えると今夜は泊まりたいと言うので、彼には先にシャワーを勧めた。その間に私は後片付け済ませ、あまり適切に使用されないものの彼の寝具の用意を進める。
 過去に一度だけ、悟さんが借りているというマンションに上がらせてもらった事がある。そこは都心にも近く、こんな手狭な部屋とは比べ物にならないくらい広くて立派な部屋だった。
 だから常に多忙だという彼が、いつものように私の部屋を訪ねてくれたとき。交通機関も動いている時間帯だったので、そちらの方がゆっくり休めるのではないかと、私は思ったままを伝えた。大したもてなしも出来ず、肉体関係はあるものの私が善がるだけで、彼を満足させているとは到底思えなかったからだ。
 しかし彼はただでさえ大きな青い眼を見開き、呆気にとられたように口を開けた。初めてみる顔だった。


「さっきも思ったけどさ、なまえちょっと痩せたんじゃない」
「そうなのかな。自分じゃ分かんないや」
 疲労感で先にベッドへ横になっていたところ、潜り込んできた彼の大きな手が私の腹部を這う。そのまま力ずくで彼の方を向かされると、顔中にキスの雨が降ってきた。
「くすぐったいよ」
「そこは『口にして』じゃないの」
「そんな可愛いこと言えない」
「じゃあ僕がしたいからする」
 言葉のあと、上唇に一瞬だけ柔らかいものが触れた。離れて薄暗闇のなかで彼と目が合う。夜も更けてきたというのに、彼の青い眼はまだ期待を膨らませていた。
 けれども物足りなさを感じながらも、私から彼を求めるのは、やはり違うなと思った。今の自分の顔を見られないように、彼の胸板に額を預ける。すると彼が深い溜息を吐いたのが分かった。がっちりとした腕が私の背に回り、無理のない力で引き寄せられる。
 シャワーを浴びたすぐは同じ香りを纏っていたはずなのに、こうして近い距離で抱きしめられると、また彼の匂いに戻っていた。
#02