直感的になまえを選んだという自負が僕にはある。五条悟という人間をよく知る者ならば、僕が運命の人だなんて空想的でメルヘンチックなことを信じるタイプでないことは、すでにご存知のはずだ。
 だが彼女を一目見た瞬間、間違いなくこの子だと思った。あのとき脳裏に浮かんだ光景は、記憶として一枚のフィルムに切り取られており、きっと僕は生涯それを忘れないだろう。
 だから小柄で可愛らしい子だなあと思ってじっくり見た外見と、あとから知った年齢差には軽く絶望した。それでも気持ちは折れなかったが。



「花嫁修業」
 通話中、使用人から出た言葉を僕は繰り返す。女の話を要約すると、僕の幼い婚約者である十五歳の少女を親元から引き離し、五条本家で教育し直すことが決定したという連絡だった。どうやら家の方針としては一刻も早く僕に跡継ぎを作らせたいらしく、なまえが十六を迎えたら即入籍という段取りを企てているという。無駄に発揮される行動力に、さすがの僕も呆気にとられて口が開いた。
「それ誰が決めたの?」
 そう問うと、面倒臭い人間の名前がつらつらと並ぶ。使用人はやたらと正当性を前面にに押し出してくるが、大人しく聞いていたらだんだんと苛立ってきた。あと決定事項のように話しているが、大前提として夫となる僕がそんなこと許可していない。
「全部白紙に戻して」
「ですが——」
「僕、なまえんち行ってくるから。『今後について話し合いましょう。当人同士が決めることですから、五条悟本人を向かわせますので』ってアッチの家に連絡しといて。あと高専にも『家の用事で忙しいから今夜は連絡してくんな』って言っといて」
 一体何の冗談だ。電話口では使用人ではない太い男の声も混ざり出したので、僕は強制的に通話を終えた。
 そもそも子を成すどころか、手も出していないし彼女に触れた回数も数えるほどである。どんだけ先走ってんだよって話だし、ロリコン野郎と思われたくないので、僕は少女の気持ちに整理がつくまで広い心で待つつもりだ。何にせよ、あの子からこれ以上嫌われる理由を作りたくなかった。



 なまえの家も代々呪術師の家系だが、ウチのように無駄に広くとられた敷地で親族がうじゃうじゃ暮らしている訳ではなく、一世帯の一軒家として立派なお屋敷を構えている。すっかり夜の時間帯になってしまったが、タクシーで門の前に降り立ったところで、僕は苗字家の使用人と思われる男に出迎えられた。
 そして敷地内へと案内され、お屋敷の玄関口の扉が引かれると、そこで着物姿のなまえが待ってくれていた。今から再度見合いでもするのかと思うくらい可愛らしく着飾っており、こっちの家では直接僕がこの子を攫いに来たとでも思っているのかもしれない。あながち間違いではないか。
 紅が引かれた唇から、慣れない言葉が並べられる。きっと慌てて用意されたであろう堅苦しい挨拶文だ。それが終わると家長の待つ奥の座敷までは、なまえ本人が先導してくれるようだった。けれど僕は途中で立ち止まり、低い位置にある華奢な肩を叩く。
「ねえねえ、今から行くところには誰がいるの?」
「私の父と母ですが……」
「その前に僕は君と二人で話をしたいんだけど、ちょっとだけ時間作れない?」
 僕がそう言うと、なまえは後をついていた女中と一言二言交わし、向かっていた先とは違う廊下を指差した。彼女は「こっちです」と言ったっきり口を閉ざしてしまったが、着実に屋敷の奥の方まで入り込んでいく。
 僕の前で重そうな髪飾りがゆらゆらと揺れている。今度はこういうものを贈るのも悪くないなと思った。前触れもなく少女が立ち止まったのは、今まで通過してきた部屋とは明らかに違う高価な襖扉の前だった。
「お入り下さい」
 なまえが引戸に手を掛けると、無人だったことが証明されるように廊下に冷たい空気が漏れだす。彼女が灯りをつけた部屋は生活感とは少し遠いものの、可愛らしい家具や小物で統一されていた。つまり少女の私室だということが窺えた。
「座っても?」
「!気が利かなくてすみません。どうぞお掛けになってください」
 歩みを進め、和室には少し不似合いな明るい色のソファーに僕は腰を下ろした。するとなまえは僕の足もとに膝をつき、こちらを見上げる。瞳は揺れており、思わず伸びた手は彼女に触れる前に自力で止めた。
「ひざ痛いでしょ?隣においでよ」
「ですが、」
「いいよいいよ、僕そういうの気にしないから」
 笑顔を作り着物の上で重ねられた指先をとると、なまえは不安を隠しきれない表情で僕を見つめる。そしておそるおそるといった動作で立ち上がり、間もなくして僕と絡めた指先を解いた。それからくるりと向きを変え、人ひとり座れるほどのスペースを空けて彼女は僕の隣に腰掛ける。
 これが今の少女の、僕に対する心の距離を表面化したものだ。結局のところ僕となまえには、信頼関係を築くための時間が圧倒的に足りていないのだった。
 僕が幼い婚約者と会うためには、今回のように理由をつけて彼女の実家に行くか、僕のいる所へ呼ぶかの二択しかない。呼ぶ方が気は楽だが、なまえが僕の婚約者だとバレた時点で命を狙われかねないため、場所も限定され常にお付きの者がセットでやって来る。つまるところ見張りが近距離にいる場所でしか、僕達の逢瀬は成立しないのだ。
 このままじゃ彼女との甘い時間なんて永遠に期待できない。それどころかこのまま婚姻を結んでしまったら、少女は一生僕に心を開いてくれないだろう。
 しかし今回の件を逆手に取った良い案が、僕の頭には浮かんでいた。多少強引で彼女の気持ちはすぐには伴わないかもしれないが、現状から脱却しないことには何も変わらない。小さな唇は意思を示すように固く結ばれているが、僕の方も譲るつもりはないので強い口調で言葉を始めた。
「単刀直入に聞くけど、なまえは五条の本家になんて行きたくないよね?僕のいる呪術高専に生徒として来てくれるなら、なんとかしてあげられなくもないよ」
 少女からしてみれば、逃げ道を塞ぐ狡い大人の提案でしかないのだろう。だが現状打破の結論として、なまえをどっちの家からも引き離すことが僕は最善だと思い至った。
「それは私の一存では……」
「僕の一存でなら、なんとでもなる。ひとりで決められないのなら、この部屋で待たせてもらうから、ご両親のところへ行っておいで」
 ひらひらと手を振りながら、僕は幼い婚約者を送り出した。
 彼女の両親は賢明である。ここまで事態が大きくなってしまった以上、なまえの為を思うのならばこれ以上の提案はないはずだ。
 ちまちまと手回しをするのは苦手なので、さっさと決断してほしい。どっと押し寄せる疲労感に、僕はソファーに背を預け瞼を伏せた。
New moon @